AKATHUKINITE…7

 夏の熱い日に、フェイは例のドラマの撮影でスタジオに入った。
「おはようございます」
「お、ジョンおはよう」
ここではジョンと名乗っているが、時々忘れて呼ばれても返事をしない時がある。
フェイが楽屋に入るとスタッフが段ボール箱を持ってきた。
「はい、これ、今週の視聴者からのプレゼントとファンレターです」
「こんなに〜別に読まないんだから持って帰ってくれよ〜」
「そんな訳にはいかないよ、ちょっとぐらい目を通して下さいね〜」
「は〜い」
仕方なくフェイは段ボールの中を覗き、いくつか手紙を取り出した。プレゼントは包装紙を破くのが面倒なので止めた。真っ黒な封筒があったので、変わっているな〜と封を切ってみる。中には真っ黒な便せんが入っていて、白いインクで「死ね」と書かれてあった。
「はあ!なんじゃこれ〜」
質の悪いいたずらだろうか?それとも自分の出番が増えた事に対する妬み、恨み、嫉妬……
『まるで悲劇のヒロインじゃねーか』
靴に中にカミソリなどが入れられないよう、注意した方がいいかもしれない。
「な〜んてな」
手紙などという姑息な手段しか使えない奴など、フェイはちっとも怖くなかった。ばかばかしい、と気にせず他の手紙を開けだした。
時間が来たのでスタジオに行くと、セットの組み換え中で役者は傍らで待機していた。
「おう、ジョン」
「おはようエディ」
「聞いたか?例のシーン撮るにあたって消防訓練の講議を受けないといけないんだってさ」
「やっぱり受けるのか〜」
「火事のシーンでは実際の火を使うからな。本物の消防士が見守る中の撮影になるらしい。セットを作る工務店の人が今日から来てたぜ」
「ああ、あちこちから火が吹き出るようにするんだってな。その為に仕掛けのある場所は絶対覚えておけって監督に言われたよ。も〜邪魔くさい!火事の時チヒロ・シバサキはいなかったんだろ?なんで俺でなきゃいけねーんだー」
「そりゃ、お前の出番を増やせっていう視聴者の声に答える為だろ」
「勘弁してくれ、ん?あのネガネ男誰だ?、見かけない顔だな?」
役者の横にこの場の雰囲気にそぐわないスーツ姿の男がいる。TV関係者ではないようだが。
「精神科の医者らしいよ、サムが今度医者の役をするから、専門用語とか治療方法なんかを教えてもらう為に来てもらったらしい」
「へ〜」
いいスーツに身を包んだいかにもエリートらしき男。ネガネをかけてる分余計インテリに見える。
「よし、始めるぞ。まずはリハーサルだ、エディ、ナターシャ、入ってくれ!」
「はい!じゃあな、ジョン」
「おう」
フェイが撮影風景を眺めていると、先程の医者が近付いてきた。
「こんにちは」
「どうも、こんにちは………」
「え〜と、確かジョンでしたね?チヒロ・シバサキの役を演じている?」
「はい………」
なんだ?と、フェイはいぶかしんだ。
「いつもテレビを見てるよ。素晴らしい演技力で娘も大ファンでね」
「はあ………」
見かけによらず慣れ慣れしい男だ。いや、精神科というからにはこれぐらい親しげな方がいいのだろうか?
「いつも見てるのに気がつかなかったとは失態だった。君の雰囲気が随分違うから」
「ん?」
「ここにいる君は随分青少年ぶってるじゃないか、とてもストリートに立っていたあの子と同一人物には見えないな」
フェイは初めてまともに彼の顔を見た。しかし、やはり覚えのない顔だった。
「『誘惑による警告』を受けた者と言えば分かるかな?」
「ああ……『ちいさな者』か、あんたの顔なんていちいち覚えてないから気がつかなかったぜ」
「……見事に本性を隠しているな。さわやかそうな笑顔を振りまいたりして、皆に本性知らせたらどうなるかな?」
「……………」
「そうなって欲しくはないだろう?どうだい?」
「……………」
「どうした驚きのあまり声もでないのか?」
うっとおしくなったフェイは軽くため息をついたが、それがカンに触ったらしく声を荒げる。
「おい!なんとか言ったらどうなんだ!」
「ちょっと静かにしてよ、こっちはリハーサルでも撮影中なんだから!」
スタッフに注意を受け男は気まずくなった。
「本番中はお静かに頼みますよ」
フェイが人指し指を唇にあててみせる。男は不愉快そうに顔を歪めてスタジオを出ていった。
「ジョン、カメラテストするから君も入ってくれ」
「……………」
「ジョン………」
「……………」
「ジョン……!」
「え…あ、はい……」
自分の名前がジョンであると忘れていた。
「どうした、あの医者に話かけられてたみたいだけど?」
「ん?別に、娘があなたのファンですってさ」
「さすが人気者は違いますな〜」
「勘弁してくれ………」
役者という職業に興味はないが、フェイは仕事環境は気に入っていた。ここでは自分はハンハンでも男娼でもない、ただの十七才の男になれるからだ。ジョンという名の普通の男に………
過去が追いかけて来る………
払っても払っても、足元からのびる影のように決して自分から離れない。それは長く黒々と伸びてゆき、いつしか自分自身を飲み込んでしまう程大きくなっていくのか……
フェイは初めて過去に起こった事は取り消せない、と強く感じていた。
        ***
 仕事場のオフィスでケヴィンは事件の資料を読み漁っていた。
『一九九五年四月二十八日。ブルックリンにあるヒュー・アイザックの部屋でガス爆発。当時二十才だったキャロル・デヅォーデルがドアを開けた際火花が散り、部屋に充満していたガスに引火して大爆発となった。原因はガス管の老朽化によるヒビ割れ。そこからガスが洩れたとされている。キャロルはそこでヒューを脅し、作曲したテープを奪おうとしていた。皮肉にもその為に死亡するはめになる。その時、天井が落下し、ヒューを庇って重症を負ったチヒロ・シバサキは失明する。ヒューはその後『マクベス』を解散した。ケイ・ミヨシとロスアンジェルスに渡り、プロデューサーなどの音楽活動を続けているが、あくまでスタッフとしての活躍で表舞台には出ていない。どうもなにかが引っ掛かる。何故チヒロ・シバサキはその時、現場にいたのだろうか?
「う〜ん」
「どうしたケヴィン?原稿は進んでいるのか?」
「あ、編集長、もうばっちりです」
「本当か〜?疑わしいんだよ。なんだこの資料は?」
デスク一面に広がった資料の山に、編集長は片眉をあげる。
「あのチヒロ・シバサキの事件か?今ドラマで話題になっているけど、どうした今さらこんな昔の事故なんて?」
「事故?ですかね?」
「何?」
「本当に事故だったんでしょうか?誰かが故意にやった可能性はないんですか?」
「ああ、ヒュー・アイザックの命を狙っていた奴がいるかどうか捜査されたが、該当者はいなかったみたいだ」
「編集長はこの事件知っているのですか?」
「少しな。当時はあの写真家のシバサキが、人庇って失明するという悲劇で話題になってたからな」
「確かに悲劇ですね。今チヒロ・シバサキはどうしてるんですか?」
「さあ、日本に帰国したらしいが、詳しい所は分からないそうだ。知っている者がごく一部で、その人達も絶対に教えないらしい」
「…当然でしょうね…」
「ああ、カメラマンが失明するなんて死んだ方がましだろうに。俺なら堪えられない」
「俺もです………」
だがチヒロ・シバサキは失明した。それも知り合ってから一年足らずの男を庇ってである。二人の付き合いはヒューが裁判所からボランティア活動を命じられ、シバサキが彼の指導員になってからだ。それだけの関係の男にそこまでしてやれるのだろうか……
「とにかく、ヒュー、早く原稿あげて日本にFAX送っておけよ」
「は〜い」
ケヴィンはもう一度リストを読んでみる。
柴崎 千尋
ヒュー・アイザック
ケイ・ミヨシ
ヒルダ・デヅォーデル
アイリーン・アイザック
マギー・スミソニヤ
マリア・クリンス
んっ柴崎の秘書マリア・クリンス、あれ?どっかで聞いた名前だな……う〜んどこだったか……あ!伯母さんの知り合いだ!確か、娘の誕生日パーティに孫と招待してたぞ!
ケヴィンは早速叔母に電話し、クリンスと話ができるよう頼んでみた。
        *
「こんにちは、ケヴィン・ナイトラーです。はじめまして」
「はい、いらっしゃい、さあどうぞ」
「お邪魔します」
クリンスの家を訪れたケヴィンは上品な老婦人から丁寧な対応を受けた。彼女がチヒロ・シバサキの元秘書のクリンスである。
「紅茶でよろしいかしら、チョコチップクッキーも召し上がれ」
「はい、ありがとうございます。この度は無理なお願いを聞いていただいてありがとうございます」
「そうね、あのドラマの放送が始まってから、いろいろなマスコミ関係の人からコメントを聞きたいって言われるけど全部断っているの。でもあなたは別と考えました」
ケヴィンは近所付き合いの良い伯母に感謝した。
「ご安心下さい。記事にする気はありませんから。ちょっとした参考にしたいだけです。クリンスさんはずっとチヒロ・シバサキの秘書をなさっていたと聞きましたが、どれぐらいですか?」
「秘書になったのは彼がNYに来てからだから三年ぐらいよ。付き合いはもっと前からだけど。それまで勤めていた会社を辞めて彼の秘書になったの」
「会社を辞めてまでですか?それ程この仕事に興味があったのですか?」
「いえ、彼の助けになりたいと思ったからよ。このNYには私以外知り合いもいなかったし、こっちに来るように薦めたのも私だから」
「何故薦めたのですか?」
「彼、細君を事故で亡くしてとても落ち込んでいたの。少しでも元気になってもらいたくて……」
「そうだったんですか…チヒロ・シバサキはどんな人物でしたか?」
「とても穏やかで、優しい人でした。怒鳴っているのみたことないし…ふふ、三十才には見えなかったわね。写真見る?」
「いいんですか?」
クリンスは小さなアルバムから一枚の写真を抜き取り、ケヴィンに渡す。
「え、これがチヒロ・シバサキ!?」
「そうよ、彼が三十才の時の写真よ」
「はあ〜」
とても三十才には見えない。フェイと同じぐらいじゃないのか。
『やっぱ似てね〜』
フェイがいくら淋し気な微笑みを浮かべようとも、どこか華があるのだが、写真の中の彼は違う。澄んだ湖のような、安らぎを与えてくれる笑顔である。
「事故はヒュー・アイザックのアパートメントで起こっていますよね。彼の指導員だったとか?二人はそれからのつき合いですか?」
「ええ、そうよ」
「彼とは仲が良かった?」
「ええ、住む所がなかった時はいっしょに暮らしていたし、仕事の手伝いもしてくれたわ。ヒューは無口だけどいい子だったのよ…それなのに……」
クリンスの目が寂しげに曇る。
「確か彼をかばった為にチヒロ・シバサキは怪我をしたんでしたね。それで失明したと…」
「そうです……」
「なぜ、彼のアパートメントに行ったのですか?」
「……それは……」
クリンスが言いにくそうに口ごもる。
「誰にも言わないでくれるかしら?」
「はい、なんです?」
「警察にはシバが彼に用があって出かけたと言ったのですが、実はヒューが呼び出したの…」
「ヒュー・アイザックが?」
「あの日事務所に電話があって私が取ったんだけど、公衆電話からかけてきたみたいだったわ、とても遠い声で今すぐ来てくれって」
「呼びだされた…?何の用事だったんでしょう?」
「分からないわ。事故の時はとても彼に聞ける状態ではなかったので」
「なぜシバサキは警察に嘘を?」
「あの時ヒューをかばって怪我をしたというのが、一部の心ない人達の間で批難されていたからよ。そこに更に現場に呼んでいたとなると…」
「批難が集中すると?」
「ええ、本人も思い出したくない事実でしょうし…」
「そこでシバサキが自ら行ったという事にしたのですね」
「はい、ヒューの落ち込み方はひどかったわ。まるで細君を失った時のシバみたいで…」
「そんなに親しい間柄だったんですか?」
「ええ。私も驚いたけど…ヒューと知り合ってからシバは変わったわ」
「というと?」
「シバは誰にでも優しかったけど、どこか相手に踏み込ませない部分があって、なんというか、どこか淋しげで近寄りがたい壁があったの。でも、ヒューと知り合ってから明るくなって、淋しそうなところが無くなっていってたわ」
「そうですか………」
「ヒューもシバを好きだったんだと思うわ、彼のような人は滅多にいないわ」
フェイみたいな子だって滅多にいないぞ!とケヴィンは思った。
「ヒューやシバサキとは今も連絡を?」
「私とはとっていますが、二人はお互い連絡をとり合っていません」
「ああ、やはりシバサキとしては、仕方ないと分っていても憎む気持ちがあるんでしょうね」
「憎む?とんでもない、シバはヒューを憎んだりしませんよ」
「そうですか?」
「ええ、彼は憎む事が出来なかったの。細君をなくした時も誰も憎まなかった。ヒューにとってはその方が楽だったのでしょうけど…」
本当にそうだろうか?ボランティアを指導していただけの関係なのに?
「そろそろ、失礼します、お茶ごちそうさまでした」
「いいえ、またいらして下さいね」
クリンスの家を出て、ケヴィンは愛車のバイクに跨がった。柴崎とヒューの二人の関係がどうもしっくりこない気がした。小さな棘のようにひっかかるものを感じるが、それが何なのか分からなかった。
        *
「ただいま〜フェイ、まだ起きてたのか?」
「ああ…読みたい本があってな……」
リビングで長椅子に寝転がって本を読んでいたフェイは起き上がった。実はケヴィンの顔が見たくて起きていたのだが、絶対言わない。先日の医者に会ってから、フェイは少し不安を覚えていたのである。
こんな事は初めてだった。
「ケヴィンも最近遅いんだな?仕事が忙しくなってきたのか?」
「ああ、仕事の他に私用で調べものしてるから」
「何を?」
「それは秘密です」
「そうか………」
「?」
いつものフェイなら、ケチ、とかもったいぶるな、とかいう反応が返ってくるのに。
「じゃあ、俺はそろそろ寝るわ」
「フェイ、どうした?元気ないな、なんかあったか?」
「……ちょっとな…変な手紙がきたんで気持ち悪くなっただけさ」
「変な手紙?」
「黒い封筒に黒い便せんが入ってて『死ね』って書いてあるんだ」
「そりゃあ気味悪いな〜お前の人気への妬みだろ」
「多分な………」
「気にするこたーないって、お前らしくねーぞ。ただのいたずらだろ」
「ああ、分ってる………」
「そうそう、今日、チヒロ・シバサキの写真見たぞ、フェイはあるか?」
「いや、ないけど」
「なんかアルカイック・スマイルを浮かべててすごく爽やかな感じがしたな〜お前とは全然似てなかったよ」
「アルカイック・スマイル?なんだそれ?」
「アジアの遺跡に彫られてるレリーフさ、そのレリーフの女神が浮かべている笑顔の事だよ。すべて許す慈悲の微笑みっつうの?」
「ふ〜ん」
「お前には慈悲なんてないもんな〜、似てなくて当然か」
「当たり前だ、慈悲なんぞ持ってたって何の得にもならねー」
「そういう男だよお前は」
「うるせ〜ほっとけ」
いつものフェイの毒舌を聞いてほっとするケヴィンだった。
「んじゃあ、お休み」
「お休み」
リビングを出ようとしてフェイはケヴィンを振り返った。
考えてみれば、こいつも変わった男である。自分が好きだと言い、見ず知らずの自分と同居をしているが、身体を狙ってくる訳でもなく、そんな気配も感じない。ただ、普通の友達のように話し、一緒に暮しているだけである。
「なんだ?」
じっと自分を見つめるフェイの視線にケヴィンが気付く。
「…いや…そういやケヴィンの家族って父さんが作家だよな」
「ああ、さほど売れてないけどな。まあ二流ぐらいかな」
「英国人だったっけか?」
「そう、母さんはアメリカ人だけどな」
「兄弟いたっけ?」
「兄と弟と妹が二人」
「大家族だな」
「そうだな、いつも賑やかで、うるさくて。おかげで早く自立心が芽生えたよ」
応えながらケヴィンはどうしたのだろう、と思っていた。フェイが家族の事を聞いてくるなど、今までになかったからである。ケヴィン自身もあまりしないようにしていた。
「愛されて育ってんだな………」
「ん?」
「おやすみ……」
「ああ、おやすみ……」
普通に家族がいて、普通に親に愛されて育って…フェイは悔しかった。自分がどうあがいても手に入れられないものを持っている奴らが。小さい頃、娼婦達がどんなに可愛がってくれても、どこか孤独だった。どんな綺麗事を並べようが、人間は産まれる場所ですべてが決まるのである。フェイは自分の四方が、黒い影に取り囲まれているように感じた。どこにも逃げ場はない。息がつまりそうだ……
ファイに会いたい……と思った。
        ***
 ファイは自室で胡弓を弾いていた。美しいその旋律は夜のとばりに甘く漂い、聞くものすべての心を奪うかのようだった。扉をノックする音がしてファイは手を止めた。
「ファイ、私だ」
「父様、どうぞ」
大老が部屋に入ってくる。
「美しい調べに誘われてな、私の為に一曲弾いてくれんか?」
「……どうぞ、そちらにおかけ下さい」
ソファに腰掛けるのを待って、ファイはまた胡弓を弾きだした。大老は目をつぶり音色に耳をかたむけた。曲が終わるとファイは重い口を開いた。
「父様、私はこの家をでます………」
大老の目が驚きのあまり見開く。
「なに……を……冗談はよさんか、ファイ」
「私はあなたの息子ではありません、ですから、ここにはいられません」
「ばかな!お前は私の息子だ!大事な宝琴との子供だ!」
「私を引き取る時、父様は母の話は嘘だとおっしゃいました。でも違ったのです。母の話は真実でした」
「ファイ…………」
「それから、針治療はもう受けません」
「………………」
「うすうすは気付いていたのです……あれは私の足を治す為ではなく、動かなくするものだと」
「……さん……」
「父様、もう止めて下さい、母があなたを愛さなかったのは、私のせいでも、あなたのせいでもないのです」
「許さん………」
「こんな事を繰り返していては、父様が辛いだけなのです、分ってください」
「許さんぞ!ファイ!」
大老は立ち上がり、震える手でファイを抱き締めた。
「この私から去っていくなど許さん!頼む!どこにも行かないでくれ!」
「父様………」
「頼む……行かないでくれ……宝琴………」
        *
 夜も更けた頃、フェイは紅家の本宅の前に来ていた。演奏会の日ではないので入ってもドアマンに追い出されるのは分かっているが、どうしてもファイの顔が見たかったのである。
『どうするかな〜』
悩みつつ建物の周りを歩いていると、近くに一台のトラックが止まった。荷台から大きな布で覆われた台車を運びだしている男に見覚えがある。
「デビッドじゃないか」
「え?おおフェイじゃないか、どうした?」
以前ブロンクスに住んでいた時の知り合いの男だった。
「お前こそ、どうした?何、配達か?」
「ああ、食材の運送やってるんだ」
「就職出来たんだ、良かったな」
「ああ、やっとまともな職業につけたよ」
「それ、どこに運ぶんだ?」
「そこの建物さ、間違えたものが配達されたらしくてな」
「ふ〜ん、なあ、ちょっといいか?」
「ん?」
フェイはデビッドに頼んで台車に忍びこませてもらう事にした。調理室で人気のない所に止めてもらい、調理人の気がデビッドに向いている隙に、台車を降りて物陰に隠れる。
『やった〜!』
初めて紅家に忍びこめたフェイは楽しくて思わずガッツポーズをした。さて、後はこっそりファイの部屋に行くだけだ。フェイは廊下を足音をたてないよう慎重に歩いた。
ファイはどんな顔をするだろう?
きっと最初はびっくりするに違いない。でも、次の瞬間には笑顔で自分を迎えてくれる筈だ。あの、ほっとする笑顔で。
やっとファイの部屋に辿り着き、辺りをうかがいつつ、静かに部屋の中に入り込む。
よし、完璧!
部屋の中は真っ暗である。もうファイは眠ったのだろうか?
そうっとベッドルームに行こうとしたフェイの耳に誰かの声が聞こえる。ファイのような声だったが、よく聞こえない。耳をすましてみると
「あ……ああ……父様……やめて………」
「……宝琴………」
それはファイと大老の情交の声だった。
フェイの心臓が、息が止まる。
全身に虫が這い回っているかのような感触が沸き上がった。身体中が震えだし、足に力が入らなくなる。立っていられなくなったフェイは壁に背中を預けた。嗚咽が洩れそうになり、口を塞ぐ。
苦しかった。胸がつぶれる、裂けそうだ。
扉に向かって少しずつ歩を進める。
早くここから離れなければ!
そっと廊下に出て壁を伝いながらフェイは歩いた。目に映るものすべてが歪んで見える。足がガクガクして変な歩き方になった。
ここがどこなのか、自分が誰かなのかも分からない。
一体自分は何をしているのだ?
頭のどこかが麻痺している。
夢だ、夢をみているのだ自分は。
すごい悪夢だ、早く目を覚まそう、目覚めればきっと何事もなかったかのような、ファイの笑顔が見えるから……
フェイは、一刻も早くここを離れなければならない、という感情だけで動いていた。
        *
 ケヴィンがアパートメントに帰った時、中は真っ暗だった。まだフェイは帰っていない、と思い、自室に入って電気をつけると、そこにはフェイがいた。
「どうした、フェイ、俺の部屋になんか用か?明かりもつけないで?」
「………………」
フェイは床に座ってベッドにもたれている。
「?」
どこか放心したようなフェイの態度を奇妙に感じながら、脱いだジャケットをクローゼットに直す。振り返るといつの間に近付いたのか、フェイが目の前にいる。彼に押されてケヴィンは後ろのクローゼットに頭をぶつけた。
「て!」
何すんだ、と言おうとしたケヴィンだったが、そんな場合ではなくなった。フェイが自分のシャツのボタンを乱暴にはずしだしたからである。
「おい、フェイ、何やってんだ?」
「………抱かせてやる………」
「は………?」
「……さっさと脱げ」
すべてのボタンをはずしたフェイは前を大きく開けた。
「ちょっと待てフェイ!」
ケヴィンは慌ててシャツの前を閉じる。
「何考えてんだおめーわ、新手の嫌がらせか?」
「…違う……なんだよ俺が欲しくないのか?」
「気持ちのともわない4SEXは厭だ」
「………………」
「ほれ、もう自分の部屋に帰れよ、何があったか知らないけ……」
「うるせー!」
フェイがケヴィンの胸に身体を預けたので、ケヴィンはまたクローゼットに後頭部をぶつけた。
「いて〜、あのな〜」
「知りたいんだよ……」
「え?」
「抱かれるって事を……」
「フェイ?」
「……たまには…俺の言う事聞けよ……」
自分の胸に顔を埋めるフェイは微かに震えていて、泣いているような気がする。こんなフェイの姿を見るのは初めてである。何かあったのか?それも辛い事が………
しょうがない、惚れた弱味だ。ここはフェイの気のすむようにさせてやろう、とケヴィンは覚悟を決めた。
「たまにはって……いつも聞いてるじゃん……」
「………いいんだな………?」
「…ったく……好きにしろ……」
ケヴィンはホールドアップの格好をしてみせる。
フェイは抵抗しなくなった彼の服を取り去り、ベッドに仰向けに寝かせた。そこで手錠を取り出し、頭の上でケヴィンの手をベッドに繋ぐ。
「あの…この状況は……一体どういうつもりなんでしょうか?」
「安心しろ、お前に突っ込んだりしないから」
『本当かよ〜』
「優しくしてね〜私、初めてなの〜」
ケヴィンのおふざけにフェイは軽くため息をつく。
「もう黙れ………お前は何もするなよ」
裸体になったフェイはケヴィンの上に跨がり、身体を近付けてキスをした。
「ん…………」
軽い口づけが激しいものへと変わってゆく……やがてフェイの唇がケヴィンの項に落ちて、手が胸の辺りを彷徨った。
『ちょっと…これは…やばい……』
巧なフェイの舌使いと手の動きに、ケヴィンは翻弄されていく。ケヴィンの知っている限り、彼が身体を売ったことはないが、それにしてはこの慣れ具合はどういう事だろう?そしてフェイの舌がケヴィンの下腹部に触れる。
「うわ、あ……!」
堪えられずにケヴィンは声をだした。次第に身体が熱くなっていく。
『こいつ、上手いかも………』
そんな事を思った時、フェイが鍵を取り出し片手だけ手錠からはずした。
「?」
フェイはケヴィンの中指だけを口に入れた。
「あ………」
自分の指をしゃぶるフェイは怖いくらいエロティックだった。ケヴィンは目を閉じて彼の濡れた口の感触を感じた。指を出すと自分の足の間に持っていく。
「入れろ……」
「……………」
言われたとおり指をフェイのそこに入れる。
「あ……」
フェイの身体がしなる。
「あ……あ…く………」
フェイの内は堅くて、ケヴィンの指をしめつけた。
「はあ………」
大きく息を吐き出すと、フェイは自分のものに触れて身体を高め始める。すると、指をいれたところが濡れていくのが伝わってきた。自分に跨がりながら、自らを高めているフェイを見るのは色っぽくて辛かった。ちょっと気をぬけば、イッてしまいそうになるのをケヴィンは必死に我慢した。
『もしかして、ゆるやかな拷問か〜!』
「…もう…いい…抜いて……」
ケヴィンが指を抜くと、フェイはそっとケヴィンのそれを、自分の内に入れようとした。
「ああ!」
衝撃に堪えられずフェイは背中を仰け反らせる。まだ受け入れられる程フェイの身体は高まっていなかったのである。
「あ、ああ………」
苦痛に顔を歪め、どうしていいのか分からないように身体をよじる。ケヴィンは自由になった手でフェイに触れて手を動かした。
「ああ…ん…何も…するなって…言ったろ……」
「いいから、ゆっくりでいい、無理するな……」
「ん………はあ………」
ケヴィンに与えられる刺激を感じながら、フェイは腰を振り、ゆっくりとケヴィンに身を沈めていく。全部入った時は二人とも汗びっしょりで、肩で息をしていた。フェイが呼吸を整え、ケヴィンの胸に両手をすべらせる。ゆっくりとフェイは動きだした。激しくなるにつれ、フェイの表情が煽情的な色を帯びてくる。
「…なんか…気持ち…いい…かも……」
フェイの言葉を聞いたにケヴィンは限界だった。自分も動いて更に快感を煽る。
「う!あん…は…い…いい……」
「フェイ……お前…良すぎ……」
嵐に翻弄されるかのように二人はそのまま高まり、共に果てたのであった。
苦しそうに息をついたフェイはケヴィンの胸にぐったりと倒れた。
「……大丈夫か?フェイ………」
そういうケヴィンも息も絶え絶えであったのだが。何も言わずにフェイは身体を離して、ケヴィンの隣に身を投げ出す。向けた背中が上下して、苦しそうに息をしている。
「フェイ………?」
落ちていた鍵を拾って手錠をはずすと、ケヴィンはフェイに話し掛けた。
「おい、大丈夫か?」
「………………」
「フェイってば、返事ぐらいしろよ」
ケヴィンが肩に手をかけて引くと、涙を流すフェイの顔がこちらに向いた。
「………フェイ………」
彼の涙を初めて見たので、ケヴィンは一瞬言葉を失ってしまう。フェイはケヴィンの首に腕を回して抱き着くと、激しく泣き出した。
「……フェイ…………?」
驚いたケヴィンだったが、そっと彼の背中に手を回して、優しく撫でた。フェイが泣き疲れて眠るまで、ずっとそうしてやったのだった。