ボディガード1

「岩城さん………?」
「香藤…か………?」
二人は信じられない、といった面持ちで、長い間見つめあっていた。
それはニューヨークのホテルで開かれたパーティだった。
政治家や各界の著名人らが訪れるそのパーティで、雇われボディガードの
香藤洋二は橋本良司をガードしていた。
有名な日本画家の彼だが、最近頻繁に脅迫状なるものが、送られてくるよ
うになったのだ。
香藤は下条という社長の下で働いているが、そこから橋本良司の警護をす
るよう依頼がきたのである。
ボディガードに見えないボディガードを。というのが彼の条件だった。
脅されている、という事を知られたくないらしい。
それに、ホテルには普通のボディガードがいる筈なのに、自分だけ個人の
ボディガードをつけていては体裁が悪い、と考えたらしい。
ここでは香藤はモデルとして紹介されていた。華のある雰囲気を持ってい
る彼を疑う者はいなかった。
もちろん香藤の他にもボーイとして入っている者、運転手としてガードし
ている者がいた。
しかし、このパーティで彼に、岩城京介に再会するなんて………
「………久しぶりだな…元気か……?」
「………え……岩城さんこそ…………」
心臓が張り裂けそうなぐらい高鳴る。
「随分、大きくなったな。それに男前になった」
「な、なんですか、それは。俺、もう子供じゃないですよ…………」
香藤は顔を少し赤くして答えた。
「………い、岩城さんはあんまり変わってないですね」
「そうか?」
相変わらず清楚で綺麗だ………
正式なパーティである為、二人ともタキシードに身を包んでいる。
長身でスタイルのいい香藤は、女性に声をかけられっぱなしだった。なん
とかお近づきになろうとする女性達を、上手くかわしながら橋本へのガー
ドを忘れなかった。
岩城も同じように長身でスタイルがいいので、女性達の視線を浴びていた
が、香藤と違い、気楽に声をかけられない空気があった。ピーンと張り詰
めた糸のような空気が。
闇色の瞳と濡れたような黒髪に、どこか神秘的なオーラを身にまとってい
る。
昔よりいっそう色香が濃いものとなった気がする。そう思った香藤は身体
が熱くなるのを感じた。
「香藤君?知り合いかね?」
橋本が気付き尋ねてきた。
「ええ、昔、隣に住んでいた人で、小さい頃お世話になった人です。岩城
さんこちら橋本良司さん。俺の雇い主」
「岩城京介です。はじめまして。あなたの絵の噂はかねがね伺っておりま
す」
岩城が差し出した手を橋本が握る。
「いやいや、まだ青二才でして。お恥ずかしい限りです。このNYに住んで
いらっしゃるのですか?」
「いいえ、知人が亡くなりまして、その葬式の為に来たんです。ここにも
その知人の事でお招きに預かりまして………」
「そうだったのですか。今度また機会がありましたらお目にかかりたいも
のですな」
「………ありがとうございます。では」
岩城は一礼をすると人込みに中に、消えていった。
そんな彼の後ろ姿を香藤はずっと見ていた。
こんなところで彼に会うなんて……………
「岩城京介……どこかで聞いたような……」
「ご存知なんですか?」
「う〜んどこかで、聞いたような…あ、そうそうカバエル・フィル・オー
ケストラのチェリストだよ」
「ああ………」
そうか、岩城さんは夢を叶えたんだ、と香藤は思った。
「確か演奏会オーナーの主催するパーティで見かけたよ。でもその時は細
君がいっしょだったと思うが……」
橋本の言葉に香藤の胸がズキリと痛む。
結婚…したんだ………
香藤は大きく深呼吸をして息を整えた。
今は仕事の事だけ考えよう、そう思った。

「ごくろうだったね」 「いえ、では失礼いたします。マーク、後は頼む」 「ああ」 橋本を自宅まで送り届けた香藤は、家の中をガードしているマークと交代 した。自分の任務はここまでである。近くの通りでタクシーを捕まえ乗り 込んだ。 「どこに行きますか?」 「………そうだな……カールストンホテルまで………」 香藤は自宅に戻らず、先ほどのホテルに引き返す事にした。まだ、岩城が いるかもしれない、と思ったからである。 引き返したところで、もういないかもしれない、会えないかもしれない。 しかし向かわずにはおられなかった。 タクシーの中から外の光が流れてゆく様を見ながら、香藤は8年前の事を思 い出していた。 あの日の事を………
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隣に母と住んでいた岩城には、小さい頃からよく遊んでもらった。 長男で妹しかいない香藤はお兄さんみたいで大好きだった。高校受験の時 は勉強も見てもらった。 岩城は小学生の時からチェロを弾いており、将来はチェリストになるのが 夢だった。 小さい頃は5才年上の岩城に憧れていたが、高校生になった頃からか、岩城 がかわいく見えだしたのである。 不器用で素直じゃないところとか、純粋で一途なところ、寂しがりやなと ころ……… 知れば知る程可愛く思えてしまうのだ。 でも、それはあくまで兄弟的な感覚だと思っていた。
香藤が高校二年、岩城が大学の四年になった時、岩城の母が他界した。 彼は他に身寄りがないらしく、心配した香藤の両親が今後の事を尋ねてみ た。 その時は、もう一年で卒業なので学費や生活費はなんとかなる、という話 であった。 唯一の肉親を亡くしてしまった岩城は寂しそうだった。今まで大きく見え ていた背中が小さく見えて、香藤は思わず抱き締めた。 「香藤………?」 「……岩城さん…ちょっと泣いてもいいよ………」 「………え………」 「泣きたいのに泣けないって顔してる………」 「………バカ………」 いつのまにか、彼と同じくらいの背丈になっている自分に気付き、少しド キドキしてしまった。 彼を守れるぐらい強い男になりたい、と心から思った。 それから半年後………
「え、なんて…………」 「だから、明日岩城さんドイツに留学しちゃうって言ったのよ。一週間程 前に挨拶に来てそう言ってたわ。あんた友達と旅行中だったから、いなく てがっかりしてたわ、ってちょっと洋二!」 母の言葉を最後まで聞かず、香藤は家を飛び出し、隣の家に駆け込んだ。 夏休みに友達と旅行に出かけて10日程家を留守にしていたのだが、その間 にこんな事になっていようとは……… 隣の家の中は真っ暗で誰もいないように見えた。 庭に回りリビングを覗くと誰かが立っていた。岩城である。 「岩城さん!」 香藤が声をかけると岩城は顔をあげた。 「香藤、帰ってきたのか?」 嬉しそうに微笑みながら窓を開ける。 「入れよ」 「………うん………」 入ると家の中は家具も電機器機さえもなかった。今日は満月であるから、 月光が明るく岩城の顔を照らしていた。 「帰ってきたのか。良かった。会えなくなるかと思ったよ」 「………何もないね………」 「ああ、処分したんだ。この家も売ったから何もなしだな」 家を売った? 香藤の胸が詰まったように苦しくなる。 「………ドイツへ留学するって聞いたけど………」 「………ああ、明日出発する………」 「………どれぐらい………」 「………分からない……日本では音楽で食べていくのは難しいし、ランク も落ちてしまうから、できれば向こうでプロになりたいんだ」 「………帰ってこないの?……日本には…………」 「そうなるかもな………」 その言葉を聞いた時、香藤は我慢できず、岩城に抱きついた。 「香藤?どうした?」 そう言って香藤の背中を軽く叩く。 岩城はまるで分かっていない。小さい頃から子供の自分を抱いていたから、 その時と同じ感覚だと思っている。でも、もう自分は子供じゃない。 「岩城さん、行かないで…………」 「………ん?…ばかだな、一生会えない訳じゃないんだ。またきっと会え るさ」 「違う…………」 「ん?」 「明日から会えないんだろ?隣に岩城さんがいないんだろ?そんなの嫌だ よ、俺!」 「……香藤………?」 「一日だって嫌だ。一分でも一秒でも岩城さんがいないなんて嫌だ!」 「な、何、我侭言ってるんだ。もう子供じゃないだろ」 子供ではないと言いながら、岩城の話し方は子供を悟すそれと同じだっ た。 そんな岩城の態度に香藤は我慢出来なくなってしまい、強引に顔を引き寄 せ、口付けた。 「……ん…んっん……………」 余りの事に呆然としていた岩城だが、我にかえると香藤の唇からのがれよ うと顔を振った。 「……か、香藤…やめろ!……うん!………」 一度振りほどくが、また、口付けられてしまう。 熱い口付けを受け、頭がぼうっとしてくる。 息が苦しい。なんとか息をしようと、岩城が大きく身を反らすと、そのま まバランスを崩して、二人共床に倒れてしまった。香藤が岩城の上に覆い 被さる形で。 唇から解放された岩城は荒く息をはいた。 「香藤…お、お前、何考えてるんだ…………」 「岩城さん…あなたが好きです…………」 「……な……」 「愛してる…………」 「…ば、ばか!…何言ってる!冗談はよせ!……」 「冗談じゃないよ!」 「ち、違う!お前勘違いしてるんだ!兄弟みたいな友情と愛情を錯覚して るんだ!」 「違うよ!俺は本気で岩城さんが好きだよ!」 「香藤…………」 「もう俺は子供じゃない…岩城さんと同じくらいの背も伸びた。身体も大 きくなった………」 「…………」 「……俺は愛してるんだ……あなたを…………」 香藤はもう一度岩城に口付けた。激しい口付けを。 「……ん…かと…香藤…………」 岩城が苦しそうに自分の名前を呼ぶ。しかし、もう止められそうにない。 唇から離すと首筋を強く吸い、手をシャツの襟元から入れる。 「…香藤……やめ……」 なんとかのがれようとする岩城だが、思うように力が入らない。 香藤の手がシャツの中に入ってくる。強く引き裂かれ、ボタンがはずれ た。 胸元に香藤の唇が落ちてくる。 「………いや……」 岩城は怖かった。香藤ではなく引きずられていく自分が…………… 自分が自分でなくなってしまいそうで、怖かった。 「…香藤やめろ!」 岩城の手は香藤の頬を打った。 力一杯打ったのではなく、軽いものであったが、香藤を正気づけるには十 分であった。 そのまま香藤は我にかえり、動きを止めた。 「あ…………」 打たれた頬に触れてみる。痛みはまったくない。 息を荒くつきながら、打った本人である岩城の方が泣きそうな表情を浮か べている。 その顔を見て、香藤はたまらなくなった。すぐに飛び起き、外に走り出て 行った。 自分は何をしようとしていた? 無理矢理何を……… 自分の感情を押し付けて、大切な人を傷つけた。 「もう、俺って………」 香藤は家に戻り、自分の部屋に駆け込んだ。 「………サイテー………」