慕 情 6

このお話は「春抱き」小説の「古都」「幽鈴」「玉響」の後という設定になっております

 岩城が浅野と妙願寺に着くと、丁寧な出迎えを受けた。運んでもらった牛車にはまた一刻後に来てくれるように頼む。
「ささ、どうぞ奥の間に。お茶など用意させましょう」
 浅野家の所縁の寺であるだけに応対も格別であるらしい。
「ありがとうございます。岩城さん、行きましょう」
「はい……でも境内の方にお参りにいってもよろしいでしょうか?」
「では後でいっしょに行きましょうか?」
「いや、一人で大丈夫です」
「しかし、心配です。私も見てまわりたいのでおつき合いして下さいな」
「…そうですか…分かりました……」
 岩城としては外に慣れる為にここに来たのだから、できるだけ外を歩いてみたいのだが……
 浅野の心配そうな、それでいて拒む事を許さぬ口調に岩城は頷くしかなかった。
 岩城は浅野と本堂の客室へと通された。
 しばらく後、香藤が林と共に妙願寺を訪れた。
 応対にでた僧に最近誰か行き倒れた者を助けていないか聞いてみるが、そんな者はいないという。
「この寺の内部は広いのですか?」
「はい、僧房がありますからかなり広いですね。森ともつながっておりますし」
 林と香藤は顔を見合わせる。
「森から誰かが侵入できたりするのでは?」
「そうですね…森は裏庭に通じていますから…入れない事もありませんが……」
「寺内に入って探索させてもらえないだろうか?」
「誰をです?」
「指名手配されている男で名前を藤波というのだが……」
「少々お待ち下さい……」
 僧は一度門先から消え、また戻ってきた。
「どうぞ、お入り下さい」
「よろしいのですか?」
「はい、僧正様の許可がおりました。それに厨房に聞いてみたところ、最近食料が無くなったりしているそうです」
「……………」
 林と香藤はまた顔を見合わせる。
「本堂の方は来客中ですので御遠慮ください。他は境内でもどうぞお好きに探索下さい。お帰りなる時は一声かけて下さいませ」
「分かりました。かたじけない」
 二人はいっしょに頭を下げた。
「香藤、どこから探す?ここはちょっと怪しい気がするが……」
「そうだな…食料が無くなっているっていうのが怪しいな……」
「だが、ただの浮浪者かもしれんぞ」
「それなら町にいた方がいいだろう。食料も町の方が手にはいりやすい」
「なるほど…ではどうする?ここはかなり広い敷地みたいだし……」
「人気の多い本堂と僧房はいないと見ていいと思う。人気の少ない分堂とか、社や仏塔を調べよう」
「分った…俺は右にある社をみてくる。香藤はそっちを頼む……」
「……………」
 無言で歩き出した香藤の後ろ姿を見て、林はほっとした。
 近ごろの香藤は殺気を含んだ気を纏っていて、いっしょにいると身体が緊張するのである。最初に会った時は人なつこい笑みを浮かべた話やすい男だったのに……
 林は香藤の変貌ぶりが理解できなかった。
 一方香藤は藤波を見つける事に心血を注いでいた。
 その男だけが自分の希望を繋いでくれる奴なのだと信じていた。彼を見つけだせれば岩城さんの行方や、その時の様子もはっきりと分かり見つける事ができるだろう。香藤はそう信じこむ事で精神の均衡を保っていたのである。でなければとっくに香藤は絶望の淵へと落ちていた。見えない不安という名の暗闇に心がつぶさるのを必死に耐えてきたのだった。
『岩城さん…待っててくれ…きっと見つけてみせるから……』
 仏塔の中に人のいた痕跡がないか、床下に誰か潜んでいないかなどを調べる。暫く探した後、林が裏庭の六角堂を調べてくると言いに来た。
「森の近くにあるし、今は夏しか使ってないとかで人気がないらしい」
「そうか?俺もこっちを調べ終えたら行く」
「分った」
 林の姿はすぐに森の中に消えた。その時、香藤の耳に彼の微かな悲鳴が飛び込んでくる。
「!林?!」
 急いで悲鳴の聞こえた方角に足を走らせると、森の中で地面に左肩を押さえて座り込む林と、彼の前に太刀を振り上げた男が目に入る。林の左腕には血が滴っていた。
「やめろ!」
 香藤の声に振り向いた男は藤波だった。髪は延び放題でバサバサ。見苦しい無精髭をはやしていたが、間違いない。
『藤波!』
 香藤の鼓動が跳ね上がり、カッと身体が熱くなる。
 おそらく藤波はこの寺の六角堂に潜んでいたようだ。夜になると本堂へ忍び込み、食料を盗んでいたのだろう。
「香藤、貴様か!」
 藤波は太刀を香藤に向って構え直す。
「藤波!岩城さんはどこだ!?」
 香藤は藤波の前に立ち、怒りの気を立ちのぼらせながら叫んだ。
「……岩城…?ああ……あの男か……」
「岩城さんはどこに行った?!貴様いったい何をした!」
「知らないのか?」
「貴様…岩城さんをどうした……」
「あの男は死んだ」
「!」
「自ら崖から飛び下り川に飛び込んだのさ。盲ているのだから助からんだろう」
 香藤の脳裏に漁師の言葉が蘇る。
「…嘘だ……」
「ああ、お前あの男と念友の仲だったんだってな。お気の毒に」
 藤波は馬鹿にしたような口調であった。
「………藤波……貴様……許さない……!」
 香藤も抜刀し、二人は対峙した。
「あの岩城と言う男はいい身体をしていたな。男にしておくにはもったいなかった」
「……黙れ………」
「俺に抱かれていい声で啼いてたぜ。おしい事をした。もっと味わっておくんだった」
「黙れ!」
 怒りに満ちた香藤の太刀は風を切って藤波に振り降ろされた。が、藤波はなんなく躱す。冷静さを欠いた香藤の剣はいつもの精悍さがなかったのである。
「香藤!藤波はお前を挑発しようとしているんだ!奴の戯れ言に惑わされるな!」
 林が香藤に向って叫ぶ。香藤は彼の言葉を聞き、ハッと我に返った。
『そうだ……こいつの言っている事が真実かどうか分からないんだ……人を殺してきたとんでもない悪党なんだから!』
 落ち着くんだ……と、香藤は必死に冷静になろうとした。
 藤波が太刀を上段に構える。香藤は横に流す構えをとった。
 二人はにらみ合いながら、間合いをゆっくりとつめていき、互いの隙を伺った。
 沈黙をやぶったのは藤波であった。
 踏み込みながら香藤に渾身の一刀を振るが、香藤は横にそれを払いのける。
 互いに体勢を整え次の太刀を向けたが、香藤の横から上にあげた太刀の方が早かった。香藤の太刀は藤波の右腕を切り裂き、藤波は後ろに倒れながら太刀を地面に落とす。おそらく、腕の筋が切れたのだろう。
「うぐぐ……」
 藤波は顔をしかめて右腕を押さえた。そんな藤波に香藤はとどめをするべく太刀を構える。
「香藤!殺すな!」
 香藤の様子に焦った林が大声で止めた。
 藤波は奉行の悪行をあばく大切な生き証人なのである。死んでは元もこもないのだ。
 香藤は怒りに身体を震わせながら、藤波を見下ろしていた。藤波は香藤を見て呟いた。
「殺せ……」
「…………」
「どうした?お前の大事な奴を死に追いやった男だぞ?何を躊躇ってる?」
「…………」
 藤波はもう終わりなのだと諦めていた。捕らえられれば極刑は免れないのだから、ここで死んでしまった方がどれ程楽か。藤波は自分が死んだとしても、香藤が苦しむ事を望んだ。そして香藤を一番苦しめる方法も分っていた。
「しかも輪姦させた。他の男達も喜んでいたぞ。男がこんなにいいとは知らなかったってな!」
「!」
 藤波は大声で笑いだした。
 香藤は頭の中でこいつの言っている事が真実かどうかは分からない、と懸命に自分に言い聞かせていた。だが、いくら理性で思っていても、感情がついてこないのである。
『……この男……殺してもあきたらねえ………』
 香藤は怒りの太刀を藤波に降ろした。
「ぐ!」
 藤波が地面に倒れる。
「香藤!殺すなと言っただろう!」
「………峰打ちだ…………」
「え?」
「………気を失っているだけだ……」
「そうか……」
 林はほっと息をついた。
「……林……済まないが俺は帰る……寺の方に手を貸してくれるよう言ってくるから後をまかせていいか?」
「香藤?」
「……こいつの側にいると、自分が抑えられない………」
「……分った……まかせろ……」
「済まん……」
 香藤は太刀を納め、目を背けながら歩き出した。寺の僧に訳を話し、手を貸してもらうように頼むと門に向った。
 何も考えないように、必死に感情を押し殺したが、寺の門を出たところで爆発した。
「くそ!」
 近くに立っていた木に拳をぶつける。
 何度も拳を叩き付けて、香藤は激しく息をついた。
「……う………」
 涙が溢れてきた香藤は目を閉じて、木にもたれかかった。
 胸がしめつけられて、身体中がバラバラになりそうな痛みを感じる。
 苦しい……苦しい……息ができない……
『……岩城さん……俺……もう駄目かもしれない……』
 もしかした岩城はもうこの世には……
 絶対に岩城を見つけて見せると己に言い聞かせて、信じ込ませてきた。だが、何の手がかりも得られず、唯一頼りにしていた希望さえも絶たれてしまった。
 大丈夫だ、と自分に言い聞かせる事に香藤は疲れ果てていた。
 また、希望があると信じても、それも絶たれてしまったら……
 希望をもつ方が辛い事もあるのだと、香藤は初めて知った。
『もし……岩城さんが…いなかったら……』
 このまま永遠に会えないとしたら、自分が生きている事に何の意味があるというのだ?
 何もない。
 何も感じない。何も見えない。光がないのだから……
 絶望を感じながら、香藤はそこから動けずにいた。どこに行けばいいのか分からなかった。

「失礼いたします」
 奥の間で茶をよばれていた岩城と浅野のところに、修行僧が障子越しに声をかけてきた。そろそろ境内に出ようと岩城は思っていたのだが。
「申し訳ありませんが、外に出るのは止めておいていただけますか?」
「どうしてですか?」
 隣にいた浅野が不思議そうに尋ねる。
「実は、今手配中の悪人を探しに来ている方がおりまして、何やら捕り物が始まったみたいなのです。危険ですから、この部屋から動かないで下さい」
「捕り物?奉行所の役人が来ているのですか?」
「いえ、役人ではないようです。確か、林様と香藤様とおっしゃる方でした」
 浅野は香藤の名前を聞いて心臓が止まる程驚いた。思わず岩城を振り返る。が、岩城には何の変化も見当たらなかった。
『そうだ、岩城さんは香藤という名前さえ覚えていないのだった』
 と思い出し、ほっと息をつく。
「分かりました。ではその方々が帰られたら教えて下さい。物騒ですからかち合いたくありませんので」
「かしこまりました」
 修行僧は承知して下がっていった。
『何故、よりにもよってこの日に香藤が!』
 浅野は心の中で唇を噛んだ。だが、おくびにもださず岩城と向かい合う。
「間の悪い時に来たようですね、秋月さん」
「そのようですね……」
 岩城は手間をとってくれた浅野の好意を無駄にしてしまった気がして気分が重くなってしまった。
「もうすぐ日も暮れるようですし、今日のところは帰りましょう」
「……分かりました……」
 日が暮れたとしても、自分には関係ないのだから、外の空気に触れたかったが、岩城は浅野にそれを言えなかった。
 自分の意見を簡単に浅野には言えないのである。それは盲目で記憶を失っている自分を助けてくれたという恩義や遠慮からだった。岩城は自分の気持ちが畏縮している事を感じていたが、自分に差し伸べてくれている手に逆らう事がどうしてできなかった。
 振払った時、記憶も光も失っている自分が一体どうなるのか。闇の中に独りポツンと立っている自分を想像すると、強烈な孤独感に襲われる。
『一体自分はどんな風に立っていたのだろう?愛する人とどう過ごしていたのだろう』
 思いだす事さえ出来れば、きっと歩いていけるのに……!
 岩城は腑甲斐無い自分がくやしくて拳を握った。
 しばらくすると、捕り物が終わったという報告を修行僧が言いに来てくれた。
「悪人は縄をかけましたし、気を失っていますから大丈夫ですよ」
「捕まえに来た者は帰ったのですか?」
 浅野としてそれが一番気にかかる。
「怪我をしたので、お堂の方で治療をしています。使いをやりましたから、仲間の方が来て下さるまで待つようです」
「そうですか……では、秋月さん、今のうちに帰りましょう。道が見えにくくては御者の者も歩きにくいでしょうから」
 浅野は一刻も早く、香藤のいるここから離れたかった。
「……そうですね……では……」
 岩城は立ち上げり、浅野と一緒に玄関に向かった。
 玄関の上がり框まで来た時、浅野は僧に呼び止められた。
「すみません浅野様。僧正様がお呼びです」
「え?今度にしてくれませんか?」
「ちょっとお急ぎの用事だそうです。なんでも浅野様の父上に頼まれた物があるとかで……」
「しかし……」
 浅野はちらりと岩城を見る。
「私の事なら心配しないで下さい。ここで待っておりますから」
 岩城は上がり框に腰を下ろした。
『まあ、大丈夫か……ここからお堂まではかなりあるし、怪我をしているのだから、用もないのにここ迄来るまい』
「分かりました……すぐ戻りますから……」
 浅野が去った後、岩城は一人そこに座って待っていた。

 長い間木にもたれていた香藤は、なんとか顔をあげ、のろのろと歩きだした。
 心が空虚だった。
 傍らには先程来た牛車が止まっている。近くにいる為、御者の男達の会話が耳に入ってきた。
「浅野様と秋月様はまだか?日が暮れちまうぜ」
「何かあったのかな?でも今夜は満月だから明るいだろう。大丈夫だ」
『……秋月か……まるで岩城さんを現わすような名前だな……』
 と、香藤はふと思う。そのまま立ち去ろうとした香藤だったが、次の男の言葉に足を止める。
「秋月様は目が見えないから丁寧にな。遅くなってもいいからゆっくり牛を先導するんだぞ」
「ああ、分かってる」
『え………』
 何かが香藤の中で弾けた。
『まるで岩城さんみたいな名前だな、と思った人が同じ目が見えない人……これは偶然か……』
 香藤の鼓動は次第に早くなっていった。
「その秋月さんって人はどんな人だ!?」
「へ……な、なんだ、あんた……」
 いきなり話しかけられた男達は香藤の剣幕にたじろいだ。
「頼む!教えてくれ!探している人かもしれないんだ!」
「そ、そうだな……背が高くて色が白くて綺麗な人だったよ…黒髪も綺麗で優雅な感じがしたな、おい」
「ああ……目が見えないけどしゃんとしてたし……」
『まさか……まさか……』
 男達の言った特徴は岩城と酷似している。だが、なぜ秋月なんて名前なのだ?無事なら何故自分に連絡をよこさないのだろう?ただ似ているだけの別人か?
 香藤は足を止めて振り返る。
 期待してまた違っていたらどうしよう?また、絶望的な答えが待っていたら?
 香藤は先程思い知らされた絶望感を感じて一瞬とまどう。
 だが、自分は信じたのだ。岩城はきっと生きていると。きっと見つけてみせると誓ったのではないか。香藤は意を決して走りだした。
 寺の門をくぐり玄関に向かう。
 すると、その玄関の上がり框のところで誰かが座っているのが見えた。
 香藤は足を止めて息を飲んだ。
 その座っている人が自分の探し続けた愛しい岩城だったからである。
 いつものように目を閉じて、静かにそこに座っていた。
『俺は夢を見ているのか……』
 夢なら覚めないで欲しい。
 香藤は再び歩きだした。
 視線をずっと岩城に向けたままで、足が早くなっていく。
 消えてしまったらどうしよう、幻だったらどうしよう、と不安に思いながらも、歓喜が込み上げてくる。
 久方ぶりに見る岩城は相変わらず美しい。透明で触れれば消えてしまいそうで香藤は恐かった。
 夢でも、幻でもない証拠に抱き締めたい!
 これが現実なのだと、確かめさせて欲しい!
「岩城さん!」
 呼ぶと岩城が不思議そうな顔をする。
 香藤は走り出して、そのまま岩城に抱き着いた。
『え?!』
 抱き締められた岩城はとても驚いた。
 誰かが大声で叫びながらこちらに向かって走ってくる。と、思った途端身体にすごい衝撃を感じたのである。抱きしめれていると分かるのに、少々時間がかかった。
「…岩城さん……岩城さん……」
 自分を抱き締めている男が耳もとで誰かの名前を呟いている。その声はとても苦しそうで、聞いているだけで胸が痛んだ。
「……良かった……無事だったんだね……今までどうしてたの?顔をもっとよく見せて……」
 香藤は一旦身体を離し、岩城の顔を除きこんだ。
 岩城はちょっと驚いた表情をしていて、瞳を開いていた。あの美しい瞳が見えて、香藤は愛しくて泣きたくなる。
『この人は私を知っている?!』
 岩城はその事を尋ねようと口を開きかけたのだが、その唇が何かに塞がれ、岩城は声をだす事ができなくなってしまった。
 口の中に濡れた熱いものが入り込んでくる。
 岩城は口付けられていると分かって身体が火照った。
「……う……ん………」
 息もできない激しい口付けに、岩城の頭に霞がかかる。男は自分の腰に、背中に、手を回して引き寄せてくる。その抱き締める手は力強くて動けなかった。しかし、何故か心地よいその腕の中に、岩城はいつまでも包まれていたい気がした。
 唇が離れて、岩城が苦しかった息をついている間も、男は岩城を抱き締めたままだった。
「…岩城さん……本当に良かった……もう駄目かと……」
「あ、あの…あなたは……」
「何をしている!」
 岩城の声は浅野の叫びに飲まれてしまう。
「無礼者!秋月さんから離れろ!」
「…秋月…って……」
 混乱した香藤はつい腕を緩めてしまう。その隙にいつの間にいたのか、僧兵が後ろからものすごい力で香藤を引き離した。油断していた香藤は思いきり後ろに飛ばされ尻餅をつく。
「秋月さん、行きましょう!」
 浅野は岩城の手を引っ張り、門に向かって足早に歩き出した。岩城はまるで引きづられるように連れていかれる。
「岩城さん!」
『やっと見つけだした岩城さんを連れていかれてたまるか!』
 香藤は起きあがって後を追おうとしたが、先程の僧兵が前に立ちはだかった。大柄な身体に頭巾をかぶり、手には槍をもっている。
 槍といっても真剣ではなく、先にてるてる坊主のように丸くした布をかぶせているものだ。しかし熟練者ならば一撃で人を殺める程の威力をもっているという武器である。
「輩は去れ」
「邪魔をするな!」
 香藤は僧兵をよけて走ろうとしたが、槍の柄にはたかれ、また地面に転んでしまう。
「くそ…そこをどけ!」
 香藤は怒りの表情で相手を睨み付けるが、僧兵は涼しい顔で首を横に振るだけである。
 頭に血が登った香藤は思わず抜刀した。
「邪魔をすると切る!」
 香藤が抜刀をしたのを見ると、僧兵の目の色が変わった。もちろん香藤は僧兵を殺す気などまったくないが、それが相手に分かる筈もない。僧兵は容赦はしないとばかりに槍を香藤に向けて放ってくる。
「う!」
 香藤は間一髪のところで躱すが、上手く間合いがつかめなかった。槍と対峙した経験などないので、どう戦っていいのか分からないのである。
 歩を横に進めながら相手の様子を伺うが、まったく動きが見えない。
 すると、いきなり僧兵が走り出てきたので、虚をつかれた香藤は咄嗟によける事ができなかった。
「ぐ!」
 香藤はみぞおちに槍をくらって屈みこんだ。なんとか急所は避けられたが、余りの衝撃に激しく咳きこむ。
『くそ、どんな動きをするのか予測できない!』
 太刀とは違う変幻自在な槍の動きについていけなかった。
『だが、ここで引く訳にはいかない!やっと岩城さんを見つける事が出来たのだから!』
 香藤は立ち上がり、太刀を構えなおした。
『槍の先を見つめるんだ』
 その動きのみに集中しよう………
 香藤は精神を集中した。すると五感が研ぎすまされ、僧兵の動きが明確に見えるようになる。そして再びくりだしてきた槍をことごとく避ける事ができた。香藤が振り上げた太刀は、槍の先を切り落とした。
「む!」
 僧兵が顔をしかめたその時、後ろから香藤を呼ぶ声が聞こえた。
「香藤!どうしたんだ!」
 それは知らせを聞いて駆け付けた高田達だった。香藤はついふりかえってしまう。
「う!」
次の瞬間、僧兵に首の後ろを叩かれて、香藤は地面に倒れ込んだ。
「……い…岩城…さん……」
 あっという間に香藤の意識は闇に落ちていった。

「待って下さい浅野さん」
「…………」
 岩城の声が耳に入っていないかのように、浅野は手を強く握って歩いていた。あまりに強引で岩城は何度も転びそうになる。
 門の外に出ると待機していた御者を呼んだ。
「急いで別荘に戻ってくれ!」
「浅野さん待って下さい。私は今の人に会わなければ」
「会う必要はありません!あんな無礼や男などに!」
「しかし、彼は私の事を知っているようでした。私を岩城と呼んでいました」
「…さ、早く車に入って……」
「浅野さん、私は自分が何者なのか知りたいのです。彼に会って話を聞かなければなりません」
 岩城の意志の強い口調に、浅野は焦りを感じた。ここで岩城を行かせれば、彼は自分のものでなくなってしまう!
「秋月さん、あなたは思いだしてはいけないのです……」
「何故です?自分が何者なのか知るのが何故いけないのです?」
「…それは……あなたが自害しようとしたからです……」
「……え………」
 考えてもみなかった事を言われて、岩城は一瞬意味が分からなかった。
「湖に飛び込み入水しようとしたのです……」
「そんな……」
『私が…入水……自害しようとしたと……!?』
 岩城は頭の中が混乱して呆然としてしまう。その隙に浅野は御者に岩城を牛車に乗せるよう指事した。命じられた御者は岩城を抱きかかえ、強引に車に乗せる。
「あ!ま、待って!」
 岩城が我に返った時、車はもう動きだしていた。
「急いでくれ!多少揺れても構わない!」
 浅野の声に御者は不思議そうに顔を見合わせながらも、速度をあげる。
 岩城を乗せた牛車は、みるみる香藤のいる寺から遠ざかっていった。

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