キャット・ピープル1


岩城京介は空港のロビーに降り立った。
向こうから声をかけてくれる、という話しだったので、じっと待つしかなかった。
かなり緊張する。
生まれて初めて兄に会うのだから………
その時、視線を感じた岩城はそちらに目を向けた。茶色がかった金髪で、緑の綺麗な目を
している長身の男が自分を見つめている。
岩城が気付いたのと同時にその男は近付いてきた。
「京介・岩城。だね?」
「……は、はい。オリバー・ウィストンさん。に、兄さん…ですか………」
「ああ、初めまして」
差出された手を岩城は力強く握りしめた。感動して言葉がでなかった。
「車で来たんだ。行こうか」
オリバーが岩城のトランクを持って歩き出したので、岩城も慌てて連いていった。
二人は空港を出て、兄オリバーの運転する車に乗り込んだ。
「迷わなかった?」
「ええ、別に迷いはしなかったんですが、乗り継ぎが上手くいかなかったです。でも、よ
く俺が分かりましたね。日本人は目立つからですか?」
「……母さんの写真があったからね。よく似てるよ」
「え?」
「日本美人だ」
「な、何言ってるんですか?俺は男ですよ」
岩城の顔が真っ赤になる。
「ははは、わかってるって、冗談だよ。ところで、京介、と京介って呼んでもいいか
な?」
「もちろんです」
「ありがとう、それと俺に対して敬語なんて使わなくていいぞ」
「え?」
「かしこまらなくていい。たった二人きりの兄弟だろ」
「………はい」
岩城は嬉しくなって思わず微笑んだ。
「母さんから俺と父さんの事聞いてる?」
「少し………」
「どんな事?」
「カナダに留学していた時、仕事で来ていた父さんと知り合ってつき合うようになったっ
て………」
「それから?」
「別れて日本に帰国してから、俺がお腹にいると分かったと。父さんの連絡先はあえて聞
かなかったと言ってました。また、会いたくなると困るから」
「何故別れたか知ってる?」
「外国で暮らすのが不安だったと………」
「……そう、それとね、父さんは結婚してたんだよ」
「え………」
「もう別れたけどね。俺の母さんとその時はまだ結婚してたんだ」
「…………」
「ショックだった?」
「いえ………」
「父さんは京介の母さんと結婚したかったんだ。でもその前に日本に帰ってしまったそう
だよ。で、ずっと探してたけど、見つかる前に亡くなってしまった。その意志を俺が継い
で、今迄探してようやく京介を見つけたって訳さ。君の母さんも亡くなってしまったけど
ね」
「…………」
岩城の母は自殺したのだった。原因は今も分からないが、自殺する数年前から少しおかし
くなっていた。
自分が恐ろしいものへと変化してしまう、という強迫観念にかられていたのだった。
そして、今の姿のまま死にたいと遺書を残して自殺したのである。
「でも、どうして俺を………」
「俺も親父が亡くなってから天涯孤独な身の上でね。たった一人残った肉親を探し出すの
は当然だろ」
「でも………」
今聞いた話しでは自分は母親から父親を奪った女の息子、という事になる。いくら兄弟と
はいえそんな自分を受け入れられるものだろうか………
「さあ、着いたよ。ここが俺達の家だ」
森の中にひっそりと建っているその洋館は、一人で暮らすにはかなり大きいものであっ
た。古い造りで、どっしりとした趣きだが清潔そうである。
「ここに兄さん一人で住んでるの?」
独身だと聞いていたが、恋人と同棲でもしているのだろうか?
「いや、料理人のマミーが一人住み込みで働いてくれているよ」
「じゃあ、二人?」
「ああ」
「それにしては大きいね」
「これからは三人だ」
「そうだね」
岩城はまた嬉しくなって微笑んだ。
「さあ、入ろう。君の部屋に案内するよ」
中に入ると奥から黒人の小柄な老女が出て来た。
「京介、紹介するよ料理人のマミーだ。料理の他にこの屋敷の雑務もやってくれてる。マ
ミー、こちら岩城京介。俺の弟だ」
「はじめまして、岩城京介です」
岩城は手を差出した。
「ようこそ、いらっしゃいました」
マミーは握手しながら腰をかがめて挨拶したが、表情は固いままだった。
「じゃ、京介の部屋に案内するよ。こっちだ」
大きな螺旋階段を登り二階に行くと、奥の部屋に案内された。中に入ると30帖はありそ
うな大きさの部屋に、天蓋付きの見事なベットと、それにあわせた家具が置かれていた。
どこかの一流ホテルのようである。
「気に入ったかい?」
「………ええ、すごい………」
日本とは比べものにならない広さである。やはりアメリカは違うな〜と、観光客のような
事を思ってしまう。
「庭の少し離れたところに小さな小屋があるんだ。そこをアトリエにするといい」
「そんな、そこまでしてもらっては………」
「いいんだよ。もともと前に住んでた人もアトリエとして使っていたらしいから。俺は芸
術にはまるで才能がないからな。それに、京介。俺達は兄弟だって言ったろ。変に遠慮す
るのはよそう」
「はい………」
「俺の部屋は反対側の奥だ。他の部屋も後で説明しよう。じゃ荷物ほどいたら下に降りて
おいで。夕食だから」
「はい」



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夕食の後、先にお風呂の入るように言われた岩城は、湯舟に浸かっていた。 バスルームもかなりの大きさであった。 人心地つきながら、今日あった出来事を振り返る。 自分の周りが一度に、目まぐるしく変わってしまった。 母が亡くなったのは三年前である。母には親戚らしい親戚もいなかったので、じぶんは天 涯孤独の身の上だと思っていた。それが思いがけず兄と名乗る人物から連絡を受け、いっ しょに暮らさないか、と言われたのである。初めはとまどったが、たった一人の身内にど うしても会いたかったし、何より父がどういう人物なのかも知りたかった。母は外国人と だけしか教えてくれなかったから………… 今日はあまり聞けなかったが、これからいっしょに過ごすのだから、少しづつ聞いていけ ばいい。 兄も会うまで、どんな人なのか分からなかったので、不安だったが、優しい人で良かっ た。自分に会って、とても嬉しそうにしてくれたのが、岩城はなにより嬉しかった。きっ と好きになれる。 それにしても、こんなにお金持ちとは知らなかった。この家に来るまでに通った森も、実 は庭の一部だったのだ。株を動かす仕事の他に、店のオーナーをしていると聞いていたが ………… マミーは自分にニコリともしなかったので、初めは嫌われているのかと思ったが、オリ バーに対してもそうなので、そういう人柄なのだろう。 彼女の料理の腕前はかなりのものだった。魚料理と、野菜料理はとてもおいしかったが、 肉はレアすぎて食べれなかった。日本人の味覚とは合わないようである。 個々の皿でなく、取り皿でよかった、と思う京介であった。 とにかく、すべてはこれからだ。少しずつ慣れて、互いの事を知っていけばいい。先は長 いのだから………… 「よし」 と、岩城は希望と不安を胸にかかえながら、湯舟を出た。 「肉料理はほとんど食べなかったな」 キッチンで後かたずけをしているマミーに、オリバーは一人言のように呟いた。 「はい。いつものオリバー様と同じ料理をお出ししました」 「………まだ、血の甘い味を知らんらしい…………」 オリバーの目が妖しく光っていた。