キャット・ピープル2


次の日、起きて食堂に降りると、オリバーはいなかった。マミーの話だともう仕事に出か
けたらしい。今日は帰らないかもしれないとの事だった。
朝食の後、岩城はアトリエを整理する事にした。
長い間誰も使っていなかったようで、机や椅子にほこりがたまっていたが、日当たりも良
く、使い勝手のいい部屋だった。
簡単に掃除を済ませると、道具を並べた。
岩城は彫刻家で、その道では結構名は知れている。しかし、顧客のほとんどが外国人で、
美術商にも海外に活動を移した方がいいと、常々言われていた。こちらに来たのはそんな
理由もあってである。
大体片付けが済むと、スケッチブックをもって外に出かけた。
少し一人になってゆっくりしたかった。
天気が良くて気持のいい日和である。
公園でも探そうと思っていたが、ふと動物園の門が目にとまったので、入ってみる事にし
た。



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「お疲れさま」 「ああ、お疲れ。と、どうした香藤?そっちは駐車場じゃないぞ?まだ帰らないのか?」 「園内を一度見て回ってくる」 「そうか。じゃ、お先に、おやすみ」 「ああ、お休み」 香藤は点検も兼ねて園内を回る事にした。本当なら彼の仕事ではないのだが、思いたった 事は実行しないと気が済まない性分なのだ。 年々密猟者の数は増えていく一方で、レンジャーで動物の保護が担当である香藤はため息 をつきたくなった。ただでさえ環境問題で絶滅しかけている動物が山のようにいるという のに、なぜ、それに拍車をかけるのだろうか?あれ程美しい生き物達を失ってしまって平 気なのだろうか? この動物園は、普通の動物園と自然保護の為の活動施設がいっしょになっている。密猟な どによって怪我を負わされたり、親を殺された動物達を保護する為にはその方が都合がい いからだ。保護された動物が野性に帰れなくなった場合などは、動物園に引き取られる手 筈である。 懐中電灯で照らしながら、大型肉食獣のエリアに来た時、香藤は豹の檻の前に、誰かが 立っている事に気付いた。 「何をしている!」 不信な人物かと思い、つい声を荒げる。その人物は驚いて振り返った拍子に何かを落とし てしまう。 「あ………」 振り返ったその人が日本人の男性だったのに、香藤は少々驚いた。 「すいません。警備員さんですか?」 「まあ、そんなもんだけど………あなた日本人?」 日本語で尋ねる。 「ええ、あなたも?」 相手も日本語で答える。 「何してるんだい?もうとっくに閉園してるよ?」 「え?ああ、もうそんな時間ですか?すみません」 謝りながら先程落としたスケッチブックを拾いあげる。香藤も散らばった紙を拾って彼に 渡した。 「ありがとう」 「こんな所で日本人に会えるとは思わなかった。ここは観光する所でもないし、バカンス のシーズンでもないのに」 「観光で来たんじゃないんです。兄を尋ねて昨日来たばかりです」 「へ〜、で、ここで何を?絵を描いているの?」 「ちょっと、スケッチをしてたんですが、夢中になってしまって………」 見ると彼はシャツ一枚しか着ておらず、寒そうであった。 「随分、身体冷したんじゃない?ここは昼と夜の温度差が激しいから。控え室で暖かい コーヒーでも飲んで行く?」 「いや、すぐ帰ります。すみませんでした」 「いいから、いいから。俺も久しぶりに日本語話したいんだ。ちょっとつき合ってよ。 あ、俺は香藤洋二」 「………俺は岩城京介」 二人は控え室でコーヒーを飲みながら談笑した。初めて会ったというのに、お互い昔から 知っているような気持になれた。 「レンジャーって密猟をとりしまるだけじゃないのか?」 「まあ、それが大前提だけど、他に自然環境が荒らされてないか、とか変化していないか とか調べたりするよ。特に少し離れたところにある湿地帯は貴重な鳥や魚の繁殖場だか ら。その向うにある山岳地帯にも少なくなった肉食獣も住んでるし、密猟者はそれを狙っ てくるんだ」 「なんでも出来なきゃいけないんだな」 「まね。あ、もうこんな時間か。送っていくよ。身体は大丈夫?少し熱あるみたいだけ ど、風邪ひいた?」 コーヒーカップを渡す時に触れた手が、とても熱かったのを香藤は気になっていた。 「いや、大丈夫だ。俺の身体ってちょっと変わってるから」 「そうなの?」 香藤の問いに岩城は頷いた。 「ここだ。ありがとう」 香藤の車に乗せてもらって、岩城は家に帰ってきた。 「オリバー・ウィストンの家じゃないか?じゃあ兄さんっていうのは彼の事?」 「そうだが、知っているのか?」 「ああ。うちの保護活動の資金を寄付してくれてる大口の一人だから。でも岩城さんは日 本人だよね」 「母が日本人。異母兄弟なんだ。最近分かったところ」 「へ〜」 「じゃあ、送ってくれて助かったよ。ありがとう」 そう言いながら岩城は車から降りた。 「あ、ねえ、岩城さん。ここには来たばっかりでしょ。今度の休み会わない?良かったら 街案内するけど」 「………そうだな。お願いするよ」 「ホント!じゃ、連絡するよ。電話番号聞いていい?」 「あっ!電話番号まだ教えてもらってない………」 「じゃ、俺の携帯の番号教えるよ。いつでもかけてきて。この名刺に書いてるから」 「ありがとう」 岩城が名刺を受け取る時、また指がふれて、その熱さに何故か香藤はどきっとしてしまっ た。 「じゃあ、また。ありがとう」 「………ええ。また。お休み」 車を発進させながら、香藤はずっとバックミラーで家の中に入っていく岩城の姿を見てい た。 黒髪と瞳がとても綺麗で清楚な印象の人だな〜と思った。同性を綺麗だと思うなど初めて だが、今の香藤にはそれ以外の言葉が思い付かないのである。 香藤の胸はとても弾んでいた。久しぶりに日本人の知り合いが出来たからだろう、と、こ の時は思っていた。
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それからというもの、岩城は香藤とよくいっしょに出かけるようになった。 言ったとおり、街を案内してもらったり、店を紹介してくれたり、安全なところや危険な ところを教えてもらったり。明るくて社交的な彼は友人も多く、香藤を通じてたくさんの 人と知り合う事ができた。 まだこちらに来て三ヶ月だというのに、街を歩くと声をかけられるようになった。 そんなに人づきあいが上手く無い岩城は、自分だけならこうはいかなかっただろう、と思 い、香藤のおかげだと感謝した。 兄のオリバーは、夜遅く迄仕事をしており、不在の事が多かった。 今も外国へ出張に行ってしまい、長い間会っていない。まるで、マミーと二人で暮らして いるみたいだった。 いろいろ話したい事があるのに、すれ違ってばかりである。 「また、出張?」 「ああ、今度はロンドンだって言ってた」 岩城と香藤は街のパブで、軽く夕食を済ませていた。店はアットホームな雰囲気で、ジャ ズバンドがほどよい大きさの音で演奏している。 「何しにそんなに外国に行ってるの?」 「詳しい事は聞いていないけど、保険会社がどうとか言ってた」 「そんなに出掛けてるのか。街の人達と面識もてない訳だ」 「え?面識がないのか?兄さんと?」 「名前は知ってるけど、顔知らない人は多いと思うよ」 「昔からここに住んでるんじゃないのか?」 「いや、聞いた話だと6年程前かららしいよ。俺達は寄付の事もあってパーティで会ったり してるから顔は知ってるけど。他の街の人は知らない人が多いね」 「そうか………」 そんなに人づきあいがないとは思わなかった。しかし、岩城自身も夕食を共にしたのは初 めてここに来た日だけである。一体なんの仕事をしてそんなに忙しいのだろうか? 「あ、香藤この前話してた本だけど、探してみたら俺持ってたよ。持ってくるの忘れたか ら帰りに寄ってくれるか?」 「ああ、あったの?ありがとう〜あの本貴重で、今どこの本屋いってもないのに」 「彫刻を買ってくれたお客さんからもらったんだ。お礼にって」 「へ〜そうか。そういや次の作品ってもう決まってるの?動物園でスケッチしてたで しょ。どんなの彫ってるの?」 「………それがまだ、決まってないんだ。何か動物の像にしようかと思ってるんだけど な。いまいちピンとくる題材がなくて」 「人は彫らないの?」 「う〜ん、依頼がある時は彫るけど、自分からは彫らないな」 その時、岩城の後ろから声が聞こえた。 「ーーーーーーー」 「え?」 振り返ると、一人の老人が岩城の顔をじっと見つめている。 「あの、何か」 「ーーーーーーー」 「え?なんて?」 老人は何かを呟いて去っていった。英語でも日本語でもない知らない国の言葉のようで あった。 「なんて言ったんだ?香藤、分かったか?」 「古代の言葉みたいだったけど、多分家族を呼ぶ単語だと思う。妹とか、弟とか」 「え?………」 「気にする事ないよ。酔ってたんじゃない?」 「………………」 店を出た二人は香藤の車に乗り、岩城のアトリエに向かった。 中はたくさんの像と木の柱、石膏、スケッチブックなどが溢れかえっていた。 「すごいね〜これ全部岩城さんが創ったの?」 「失敗作とか、途中でやめたやつばかりだよ。今の時点で完成品は全部売れて手元にはな いから」 「へ〜売れっ子なんだ〜」 「そういうんじゃないよ」 岩城は少し頬を赤らめながら答えた。そんな岩城をみて香藤はかわいいと思った。 5歳年上なのに香藤は岩城の考えている事が手に取るように分かるのだ。 大人の考えをもっているのに、どこか意地っ張りで、強情で、不器用で、でもとても純粋 な人で………… なんでこんなに純なのかな〜と、思うぐらい岩城は汚れていなかった。嘘をついた事など ないかもしれない、と思う程。 そんな岩城を香藤は愛しく想い始めていた。 「あれ?」 「どうしたの?」 「本が、ここに置いてあったんだが、ないんだ。マミーが掃除に来た時片付けたらしい。 ちょっと待ってくれ」 と、岩城はそこら辺りを探し出した。香藤もいっしょに棚の上などを見渡した。 「どんな感じの本?大きさは?」 「大きさは大学ノートぐらいで、紺色のハードカバーだ。かなり厚い背表紙だよ」 「う〜ん、こっちにはないな〜と」 探しているうちに香藤はスケッチブックを一冊ひっくり返してしまった。急いで拾い上げ ようとした時、そのスケッチブックの中身が見える。 『え…………』 そこには、自分の顔がスケッチされていた。 いろんな角度から、笑った顔、真剣な顔、困っている時の顔等、さまざまな表情の自分が 描かれていたのである。 香藤は思わずにんまり笑ってしまった。 「ねえ〜岩城さん〜人物象は注文がない限り創らないんじゃなかったの〜」 「え、そうだが、あ!」 岩城は香藤が手に持っているスケッチブックを見て、驚きの声をあげた。 「お、お前、それ!」 「なんか中身見えちゃった〜もしかしなくても俺だよね〜」 岩城の顔が一気に赤くなる。 「返せ!」 「え〜いいじゃん、もうちょっと見せてよ」 スケッチブックを取り上げようとする岩城をかわして、香藤はまた中身を見ようとした。 「こら、だめだ!返せ!」 「そんな〜今さら照れなくても〜」 「香藤!」 「ちょ、ちょっと岩城さんそんなにひっぱたら危ないって、わっ!」 「!」 二人は揉みあっていたが、やがてバランスを崩していっしょに倒れてしまう。 「いてて……大丈夫?岩城さ……」 「あ……ああ…………」 その時、岩城はすぐ目の前にある香藤の顔が、真剣な表情をして自分を見つめているのに 気が付いた。 「香藤?…………」 やがて、ゆっくり香藤の顔が近付いてきて、その唇が岩城のそれに触れた。 『え…………』 呆然としていた岩城だが、香藤がすごいいきおいで立ち上がる。 「ご、ごめん!お、俺帰るね。本はまた今度でいいから!じゃ!」 香藤は大慌てでアトリエを出て行った。 岩城の家を出た香藤は、急いで車に乗り込み発進させた。車の中で先程の事を思い返す。 岩城の顔を真近に見た時、自分の下になって触れている彼の熱い身体を意識して、一気に 胸が高鳴ったのである。 白くて綺麗な肌や、濡れた黒い瞳を見た時、触れたい、と思ってしまったのだ。 それは友情という範囲の想いではなかった。 自分は岩城を愛しているのだという事に香藤は気付いたのだった。
残された岩城はしばらく放心状態だったが、身を起こして自分の唇に触れてみる。 まるで不快感がない。それよりも胸が張り裂けそうなくらい高鳴っていた。 側に転がっているスケッチブックを取り上げて、ページを見開くと、そこには香藤の様々 な表情が描かれてあった。 香藤と知り合って接しているうちに、彼の自分にはない性格にとても魅力を感じるように なった。 彼の明るくて、前向きで、人を思い遣る心を持った彼に………… くるくる変わるその表情に、岩城は強く引かれたのである。そして描かずにはいられな かった。 人物など、ここ数年は描きたいと思わなかったというのに、香藤は別だった。 彼が自分の中で大切な存在になっている事に、岩城は初めて気付いた。 途端に身体が熱くなる。 『え…………』 身体の奥から何かがわきあがってくる感触に、岩城は震えた。 『な、なんだ?この感覚…………』 ぞくりとする感覚に思わず自分を抱き締める。 そんな岩城の様子を、窓の外から光る緑の眼が見ていた。