キャット・ピープル5


三日後、岩城の熱はようやく下がり、起きあがれるようになった。
しかし、しばらくはベッドから離れられず、普通の生活に戻ったのはその二日後である。
倒れた時の事はよく覚えておらず、オリバーの言葉もおぼろげにしか思いだせなかった。
身体の調子が戻ると、岩城はまっ先に香藤に電話した。
「香藤か?」
『岩城さん!大丈夫?身体の調子は?』
「ああ、もう大丈夫だ。そっちはどうだ?変わりなく元気なのか?」
『うん、別に変わりないよ。岩城さんどこから電話かけてるの?家にはないんでしょ』
「携帯からだよ。今日買ってきたんだ。登録しておいてくれ」
『分かった。ねえ、岩城さん、今夜会えない?』
「今夜か?」
『うん。会いたいんだ。顔が見たい。もう我慢できそうにないんだ………』
香藤の言葉に岩城は顔を赤く染めた。
「分かった。どこで会う?」
『俺がそっちに迎えに行くから。門のところで待っててくれる?』
「ああ、何時にする?」
『一応20時にあがる予定だけど、今日は少し遅くなるかもしれないから、センターを出
る前電話するよ』
「分かった。じゃあ電話待ってる」
『うん、じゃあね』
電話を切って香藤は心が満たされるのを感じていた。そして、久しぶりに岩城に会えると
思うとそれだけで、嬉しかった。しかし、兄、オリバーの事はどうしよう?
少し、岩城さんから彼の話を聞いた方がいいかもしれない、と思った。

岩城も電話を切った後、胸を高鳴らせていた。
香藤に会いたい………ずっと、そう思っていたのだ。その想いが今は友情なのか、それ以
上なのか分からない。しかし、香藤が自分にとって特別な存在である事は確かである。



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20時頃、岩城はアトリエで、でかける準備を始めた。オリバーはまた、朝から仕事で不 在であった。 少し前から雷鳴が遠くで鳴りだしていた。 「……降るのかな……」 もちろん雨が降っても香藤とは会うつもりである。会うのを止めるという考えはない。 と、突然部屋の電気が消える。停電だった。 真っ暗になった室内、何か明かりにあるものを探そうと岩城は引き出しを開けた。ライ ターを見つけ火を灯す。と、部屋の中にいつの間にか立っているオリバーの姿が浮かびあ がる。 「わ!」 驚いて岩城はライターを落としてしまう。再び部屋は暗闇が落ち、ライターのありかが分 からなくなってしまった。 「に、兄さん、いつ部屋に入ったの?驚いたよ」 「………どこかに出かけるのか?」 「え?う、うん、ちょっと香藤と食事に……」 「だめだ!」 「え?」 「行かせない。あの男は駄目だ」 「……何言ってるんだ兄さん?」 「京介。お前は俺のものだ。誰にも渡さない」 「………………」 オリバーの言葉に岩城は耳を疑った。彼は何を言っているのだ? 暗い室内に、時折稲妻の光りが照らされ、オリバーの緑の目が妖しく光る。 岩城は途端に恐ろしくなってきた。その緑の目が、どこかで見た事のある記憶が恐怖と共 に沸き上がる。 足元に流れてきた血の匂いと共に……… 目の前に立っているのは、いつもの優しい兄ではない。 その時、ポケットの携帯が鳴り、岩城は急いで取った。 「もしもし、香藤か?」 『岩城さん?ごめん遅くなって。今そっちに向かっているところだけど、マイクを乗せて るんだ。彼を送ってからそっちに向かうから……』 「香藤!俺は今アトリエにいるんだが……」 「やめろ!」 オリバーが受話器を持った岩城に飛びかかり、手を払った。携帯は岩城の手を離れ、壁に 叩きつけられて砕け散る。 岩城は後ろに飛び壁に背中をついた。部屋から逃げたかったが、オリバーが行く手を阻ん でいる。 「京介、俺達一族は同族同士としか愛し合えないんだ」 「な、何…………」 「血が覚醒した後、もし一族以外の者と身体を交わすと本当の姿に戻ってしまう。そうな ると人の肉を食わねば人の姿には戻れない」 「え…………」 オリバーの言っている事が岩城は理解できなかった。ただ、恐ろしかった。 こんな事、前にもあった。そうだあれは倒れる前だ。あの時彼はなんと言っていた? 「父もそうだった。自分の妹と結婚したんだ。だが愚かにも彼は普通の人間を愛してし まった。お前の母だ。普通の人間と交われば相手に一族の血を与える事になってしまう。 誇り高い我々の血筋を卑しい者に与えるなど愚かな事だ。だから、その者を殺し、その肉 を食う事が一族の掟だ。しかし、父は掟を破り、女を逃がした」 「兄さん?…………」 「俺も今まで何人殺してきたか分からない。でもそれももう終わる。京介、お前がいるか らだ」 「え…………?」 オリバーは岩城を挟むような格好で壁に手をついた。 「お前が俺を救ってくれる。お前と愛しあう運命なのだ」 「え、どういう意味…………」 岩城の言葉を飲み込むように、オリバーは激しく口付けた。岩城は驚愕の為、しばらく動 けなかった。 「い、いやだ!兄さん!」 我にかえった岩城はオリバーを振り解こうとするが、彼に強く腕を捕まれ上手く動けな い。すごい力だった。 容赦なくオリバーの手がシャツの間から入ってきて、首筋が吸われ、岩城はぞっとする。 「止めてくれ!兄さん!」 「俺が嫌いか?あの男が、香藤が好きなのか?」 「え…………?」 オリバーの言葉に岩城の動きが止まる。 「いくら好きでも愛しあう事はできないぞ。身体を交わわせればお前はあいつを殺す事に なる」 「な、に…………」 「お前は俺のものだ」 「う…………」 再び口付けられて、岩城はかぶりを振った。必死に手を動かすと、彫刻刀が手にあたった ので、握ろりしめ咄嗟にオリバーの手に振り降ろした。 「う!」 オリバーの手が岩城から離れ、その隙に岩城はアトリエから森に逃げ出した。外は大雨が 降りだしていた。 「ぐ………」 怒りの為にオリバーは理性を失い始めた。裂かれた傷から本当の姿が現れていく。人間の 皮膚の下に隠れたその姿が……… 「岩城さん!」 その時、香藤がアトリエに入って来た。 携帯が尋常で無い状態で切られたので、急いで駆け付けたのである。隣に乗っていたマイ クには警察に行ってもらった。 中は真っ暗だった。ゆっくりと歩を進めると、稲妻が光り、一人の床に蹲って自分を見て いる男が一瞬見える。 「香藤!」 オリバーが叫びながら自分に近付いてくる。床を這っているようだ。 『なに?』 顔が見えたのは一瞬だった。今は闇にとざされ気配しか感じられない。 香藤は驚きつつも、様子を伺った。と、突然、獣の唸り声が聞こえ始める。 そこにいた筈の男の姿は消え、代わりに獣がそこにいた。確かに、今オリバーがいた筈な のに。 再び稲光りに照らされた獣の正体はあの黒豹であった。 『ばかな!』 危険を感じた香藤はアトリエを出ようとしたが、黒豹が飛びかかってきたので、避けるの が精一杯だった。黒豹の手がドアのノブを叩き落とし、ドアは開かなくなってしまった。 黒豹が更に襲い掛かかる。香藤は必死に彫刻の影に隠れてテーブルを手に持ち、なんとか しのごうとした。 しかし、相手は鋭い牙と爪を持った猛獣である。適う筈がなかった。 どうすればいいんだ!くそ!それより岩城さんは無事なのだろか? 香藤は岩城が心配でならなかった。 「香藤!」 ドアの外から岩城の声が聞こえる。 「岩城さん!」 無事だった!香藤の胸に安堵が広がる。しかし、自分の状況は極めて危険なままである。 「来ちゃ駄目だ岩城さん!マイクが警察を呼んでくれる筈だから、安全な所で待って て!」 「そんな!一体何があったんだ!どうなってるんだ!?」 「いいから、下がってて!俺は大丈夫だから!」 「香藤!」 雨と雷がますますひどくなり、香藤の声が部屋の中からの音とでかき消される。が、岩城 は恐ろしい事が香藤の身に起こっているのだけは分かった。 森に逃げた後、香藤がアトリエに入るのが見えて、急いで引き返してきたのである。中に 入ろうとドアノブを回すが一向にドアが開かないのだ。 自分はどうすればいいのか分からない。 オリバーが、香藤に何かしているのではないかと、気が気でなかった。 今の岩城は香藤だけが心配だった。 中から香藤の声の他に獣の声が聞こえる。 岩城の心臓が凍ったように冷たくなった。 「岩城!」 マイクが一人の警官といっしょに近付いてくる。 「どうした!何があったんだ!」 「分からない!中に香藤がいるんだが、襲われているみたいなんだ!早く助けないと!」 その時、中からまた獣の吠声が聞こえ、マイクと警官は顔を見合わせた。 「退いて下さい。中に入ります!」 警官が銃を抜き、ドアノブを破壊して中に入った。 部屋は暗闇で稲光りに黒豹の姿が浮かび上がる。 「何!」 警官は驚いて一瞬動きを止めた。 その隙を狙って黒豹は警官に飛びかかった。 「あぶない!」 マイクは咄嗟に携帯していた銃を黒豹に向けて乱射した。 黒豹は空中で衝撃を受け止め、そのまま地面に倒れた。 雨がその体に降りそそいでいく。 岩城は動かなくなった黒豹を見つめ、呆然としていた。 心に大きな喪失感が満ちる。 何故? 自分でも分からないが、何か失ってしまったと強く感じる。 「岩城さん!」 香藤が部屋から出て来た。ところどころシャツが破けて血が滲んでいる。 岩城はいそいで駆け寄った。 「香藤!怪我したのか?大丈夫なのか?」 「ああ、大丈夫。たいした傷じゃないよ。それより………」 香藤は岩城を強く抱き締めた。 「良かった……無事で………」 「香藤………」 こんな時でも自分の心配をしてくれる香藤が愛しくてならなかった。心に空いた穴に香藤 の優しさが満ちてくる。 岩城も腕を香藤の背中に回して、二人は長い間抱き締め合っていた。