キャット・ピープル6


その後、警察が来て事情調書をとる事となった。
ウィストン邸の中を捜索したところ、地下室が発見され、そこで、黒豹を飼っていた形跡
があったのである。
「おそらくオリバーは、何かの宗教を信仰していたと考えられます」
警察所の一室で香藤は警官から話しを聞かされた。
「豹を神と祭り、生け贄として何人か犠牲になったようですな。詳しい数はまだ分かって
いませんが、料理人だった黒人女性からも話を聞いている最中です。ところで、岩城京介
ですが………」
「彼は関係ないでしょう。お兄さんに会ってまだ三ヶ月だ」
すかさず香藤が意見を述べる。
「ええ、彼も殺されるところでした。危なかった。相当ショックを受けているみたいで
す」
「どこにいるんですか?」
「まだ、署にいると思います」
「もう帰っても?」
「ええ、あなたもお帰りいただいて結構です。岩城さんには居場所を知らせてくれるよう
お伝えいただけますか?オリバーはすぐ逮捕されると思いますが、彼の所に現れる可能性
もありますので」
「彼はしばらく俺の家に滞在させます」
香藤は岩城を自分の家に連れて帰った。
「じゃ、岩城さんこの部屋使って」
「………………」
簡単な荷物を持って家を出た岩城に、香藤は自分のマンションの客室に案内した。車の中
でも岩城は始終無言であった。
「……ねえ、岩城さん。今度俺休暇とれるからちょっと出かけない?」
「え………」
「郊外の森に綺麗な湖があるんだけど、そこの近くに叔父が別荘を持っているんだ。猟が
解禁になった時使ってる小さな小屋だけど、今はシーズンじゃないから貸してくれるっ
て」
「………………」
「本当に綺麗なところなんだ。きっと気に入ると思うよ」
「………香藤……ありがとう…………」
岩城は淋し気な笑みを香藤に向けた。彼の優しさが嬉しかった。
香藤は思わず抱き締めそうになる自分を、やっとの思いで押さえたのだった。



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香藤と岩城は森の中の別荘で楽しい時を過ごした。 湖で釣りをしたり、森に木の実を取りに行ったり、木登りしたり……… 淋し気な表情だった岩城も笑顔が多くなり、香藤はそれが嬉しくてたまらなかった。 少しでも早く元気になって欲しい、と心から思っていた。 ある日の早朝、香藤は岩城を鳥を見に行こうと湖に連れて行った。 川岸からいろんな鳥達を双眼鏡で覗いた。 「あの鳥は?」 「ああ、ムクドリだよ」 「あれは?」 「かっこうだよ。まだ子供だ」 岩城の質問に香藤が答えていく。朝靄のかかった湖畔に二人っきりで、まるで、この世界 に自分達しかいないように感じられる。 「この辺りには香藤は詳しいんだな」 「知ってなきゃいけない所だからね」 「レンジャーも大変だな。いつなったんだ?」 「大学卒業してからだから、3年前かな。高校時代からなりたかったから、資格取った 後、すぐこっちに来たんだ」 「なぜなろうと思ったんだ?」 「ん〜なぜかな?ただ、この美しい世界をなくしちゃいけない、と思ったから、かな」 「それだけか?」 「まあ、単純に好きなんだ。この人間が踏み込めない世界が………」 「………………」 「厳しくて容赦ないけど、どんな存在も必要で、優劣なんてない。命が一番輝く世界だ ろ?」 「……そうだな……」 「岩城さんはなぜ彫刻家になったの?」 「なぜって言われても………」 「物創るのが好きだからじゃないの?」 「それもあるけど……創らずにいられないんだ………」 「ふ〜ん。芸術家ってみんなそうなのかな?」 「………さあ………」 岩城は本当に自分がなぜ像を彫るのか分からなかった。 香藤のように、好きだからという理由ではない。香藤に言わなかったが時々岩城は怖くな る時があった。 何かの衝動がある時胸の奥深くから込み上げてきて、気が付くと彫っているのである。 体中の血から、細胞から込み上げてくる何か。 耳をかたむけない為に彫るのだ。それに耳をかたむければ母のようになってしまう気がし て怖かった。 そして今は………… この世界が好きだから守る。香藤の答えはなんと単純で確かなのだろう。 そんな香藤が岩城は羨ましかった。

しばらくして岩城はイメージが湧いてきたと言って木を彫り始めた。 香藤は岩城がやっと、オリバーの事をふっきってくれた気がして嬉しかった。が、そうで はなかった。 オリバーがいなくなってから、岩城はずっと自分の中に芽生えた影に怯えていたのであ る。 そして、それは日増しに大きくなって、外に出ようとしていた。 熱く、黒いその影を自分もどこかで求めている。しかし、恐ろしい。 自分が自分でなくなっていくようで……… 岩城が像を彫り始めたのは、その影から逃れる為であった。 自分の内から湧き出る衝動を、彫るという行為にぶつけてなんとか昇華したかったのだ。 そんなある日、マイクが香藤に電話してきた。 「消えた?それどういう事だマイク」 マイクからの電話の内容は、警察の医学関係者が例の黒豹を解剖しようとし、背中の皮膚 を切り裂いたところ、いきなり人間の手が出てきたというものであった。 そして、そのまま黒豹もその人間の手も溶けたように消えてしまったというのだ。 『話が話しだけに公にはされていない。この関係者に友人がいたんで分かったんだ』 「……それで、警察はどういう対応しているんだ?」 『どうもこうも、それこそキツネにつままれたってやつか?とにかく訳が分からないって 感じらしい。今のところ飼っていたオリバーが黒豹になんらかの仕掛けをしたんじゃない かっていう説がでてる。でもそんなのありえないだろう?』 「………ああ………」 『俺達は結構自然と接する機会が多いから、人間の力じゃ解明できない事があるって肌で 知っているけど、他の奴らはそうはいかないもんな。頭の固い奴が多いから、多分今回の 事件もおそらく迷宮入りだろう』 「………だろうな………」 『なあ、香藤。怒るかもしれないけど、岩城にはあまりかかわり合いにならない方がいい んじゃないか?』 「………なぜだ?………」 『勘だよ。ま、お前が聞くとは思えんけどな。じゃ、気をつけろよ』 そう言ってマイクは電話を切った。 気をつけろ 何に………? 岩城さんに? 彼の黒い瞳が何かと重なる。人間の踏み込めない世界にいる住人の美しいそれと……… 分かりかけている答えを、香藤はあえて無視した。 隣の部屋で岩城は一心に木を彫り続けている。 彫刻刀の音だけが部屋に響いていた。 夜になっても岩城は一向に部屋をでてくる気配がなかった。ずっと彫る音はしている。 邪魔したくなくて声をかけずにいた香藤だが、さすがに心配になって見に行った。 部屋の真ん中で一心不乱に彫り続けている岩城の背中が見える。 汗で全身が濡れていた。白いシャツは肌にぴったりとはりついて、上半身が透けている。 その姿に香藤はドキリとしてしまった。 時々、手を止めて肩で息をする。髪さえもしっとりと濡れて額にくっついていた。射干玉 色の髪が……… 香藤は岩城に触れたかった。触れて抱き締めたかった。 ずっと思っていたけれど、彼の意に反してまで自分の気持を押し付ける訳にはいかない。 しかし、それももう限界だった。 彼を自分のものにしたい。自分の事をどう思っているのか、香藤は聞いてみたかった。 ドアが閉まる音がして、岩城はやっと香藤に気がついた。 「………あ、香藤……何?」 岩城が荒い息を吐きながら尋ねてくる。 「え?あ、ああ。夕食だけど食べる?ちょっと休んだ方がいいんじゃない?」 「もうそんな時間なのか。ごめん食事また作らせてしまって……」 「い、いや別にいいんだよ。それより汗でびっしょりじゃないか。食事の前にシャワーで も浴びてきたら?」 「そうだな、そうするよ。ありがとう……」 少しふらつきながら岩城は部屋を出ていった。思わず香藤は止めていた息を吐き出した。 好きだ………… 自分は岩城がたまらなく好きだ。 改めて気持を再確認した香藤だった。
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夕食の後、二人はすぐに床についた。 ベッドに入った岩城はなかなか眠れなかった。 身体は疲れている筈なのに、頭の芯がどこかはっきりしていて眠れないのである。 最近のいろんな出来事の映像や言葉が、ごちゃごちゃになって頭に浮かんでくる。 オリバーの最後に見た姿、言葉。一族とか何を話していたのだろうか? 考えれば考える程分からなくて混乱してくる。 ふと、香藤の顔が脳裏に浮かぶ。 香藤の自分を見つめる瞳が熱いものである事には気付いている。 そしてそれを嬉しいと感じている自分にも………… 俺は香藤が……… 岩城の全身が燃えるように熱くなった。あまりの熱さに頭がぼんやりしてくる。 霞みがかった頭の中で、いつの間にか岩城は家の外にでていた。 満月の光りに照らされた夜の森を一人歩いている。すると、一匹の兎が跳ねているのが目 に入り、岩城は無意識にそれを追い掛けた。 人間が追い掛けるなど普通なら出来ない筈なのに、その時の岩城は簡単に追い掛ける事が できた。 追い詰めたとき、岩城はその鋭い爪を振り降ろす。 何かの悲鳴が聞こえて岩城は正気に返った。 気が付くと、手が血で染まっていた。目の前には兎の死体が転がっている。 岩城は恐ろしくなって急いで家に戻った。 自分は今まで何をしていた?あの兎を殺したのは自分なのか? 分からない。 手に付いた血と、全身の熱を消そうとバスルームでシャワーを浴びた。 冷たい水が熱を取ってくれると思ったが、それは表面だけであった。 身体の中にくすぶる熱く、黒い熱を感じる。 それは、何かを求めて今にも暴れ出てきそうだった。 苦しくて、岩城は口を押さえ、涙を流した。 なんなんだ一体!? この黒い熱はオリバーも持っていたものだ。だから怖いのだ。 彼と同じになってしまうのが………… 「岩城さん」 後ろから声が聞こえて、岩城は驚いて振り返った。 香藤が驚きの表情を浮かべて立っていた。 「どうしたの?こんな時間にシャワーなんか浴びて」 「…………香藤…………」 濡れた瞳を向けられて香藤の胸が高鳴る。 泣いていた?オリバーの事を思い出したのだろうか? 香藤はバスタオルを持って岩城の側に寄った。シャワーを止めた時かかった水が冷たかっ たのに驚いた。 「岩城さん水浴びてたの?ダメじゃないか。いくら夏だからって風邪ひくよ」 急いでバスタオルを羽織らせる。 泣き出しそうな潤んだ瞳を真近に見た香藤はもう我慢出来ない、と思った。 「岩城さん」 岩城を強く抱き締め、その唇に口付ける。 冷たい筈なのに岩城の唇は熱かった。 岩城も唇を開けて香藤の口付けを受け入れた。 お互いの背中に腕をまわし、舌をからめて、何度も激しい口付けを交わした。 「……ん………んん………」 岩城のくぐもった声に香藤は目眩を覚える。唇を離すと、岩城の白いうなじを吸った。 「あ…………」 甘い声をあげ、岩城は仰いだ。シャワーの蛇口が見えて水滴が頬に落ちてくる。 と、突然その水が血となって岩城の顔を濡らした。先程の血まみれの兎の映像が脳裏に蘇 る。 「いやだ!」 怖くなった岩城は香藤を突き飛ばした。 荒く息をつき、確かめると、血など付いていなかった。蛇口からもそんなものは出ていな い。 まぼろし………? 岩城は呆然とした。 「……岩城さん………」 「……香藤…すまない…俺………」 「いや、俺が悪かったよ。まだ岩城さんの気持ちも聞いていなかったのに………」 「……香藤………」 岩城の顔が辛そうな表情を浮かべる。 「でも岩城さん、これだけは言わせて。俺は岩城さんが好きだ」 「……………」 「……忘れないで……」 香藤は岩城の額にキスをするとバスルームを出て行った。 残された岩城は香藤の言葉に歓喜していた。 嬉しくて、嬉しくて涙がこぼれる。 自分も香藤が好きだ。でも……… 自分の内にある熱が何を求めているか分かった。 香藤を求めているのだ。この黒い熱は……… それに応えた時、どうなってしまうのだろう? オリバーの言ったあの言葉……… 『お前はあいつを殺す事になる』 岩城は耳を塞ぎ、その場にしゃがみこんだ。