キャット・ピープル7


休暇が終わり、香藤は職場に復帰した。岩城は香藤の家にいっしょに暮らしていたが、二
人の関係も変わりなかった。
香藤が待っていてくれているのは分かっているが、岩城は自分が怖くてなかなかその一線
を越える事が出来なかった。
しかし、彼への想いは日増しに強くなっていき、もう抑えられそうもなかった。
いつか自分の内に潜む熱い影に飲み込まれるのだろう、と岩城は予感していた。
その時、何が起こるのだろうか?

香藤が仕事に出かけた後、岩城はこっそり警察に行ってマミーに面会した。
兄の事を聞く為である。そして自分の事も。
彼女なら何か知っているかもしれない。
ガラスを隔てた隣の部屋に座ったマミーは、以前と変わらず無表情であった。
「……マミ−、教えてくれ。一体兄は何者だったんだ?どこに消えたんだ?」
「……あなたはもう気付いているのではないですか?」
「分からない……俺は何なんだ?……」
「一人で生きなさい」
「え…………」
「オリバーのように、一生孤独を友として、誰も愛さず一人で生きなさい」
「……マミー……」
「私にはこれしか言えません……」
そう言ってマミーは立ち去っていった。残された岩城は最後の頼みの綱を断ち切られたよ
うな絶望感を味わっていた。
一生……一人で……?兄のように……?
それとも母のように自分の心に負けるのか………
岩城はぞっとした。
自分にはそのどちらかの道しか残されていないのかと。
違う、自分は違う。自分は彼らとは違うのだ。絶対にオリバーのようにも、母のようにも
ならない。なりたくない。
香藤…………
岩城はたまらなく香藤に会いたくなった。


家に帰ると岩城はまた、彫刻を彫り始めた。 何も考えたくなかった。 ただ、ひたすら彫り続けた。 身体が燃えるように熱くなり、息があがる。 でも、岩城は手を止めなかった。 身体を覆う熱は更に上がっていき、意識さえも朦朧としてくる。 いつしか日は暮れ、明かりもつけていない部屋に闇が落ちていた。 その中で岩城は肩で息をしながら、完成した像を見つめた。 それは、一頭の豹であった。 飢えた表情を浮かべ、孤独に吠えている一匹の……… 岩城はまるで自分のようだと思った。 全身が汗で濡れていて、熱くて頭の中もまともな思考ができないくらい苦しかった。 あまりの苦しさに岩城は床に倒れ、自分を抱き締めた。 「……香藤……」 香藤が欲しくて気が狂いそうだった。
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その夜、香藤はかなり遅くなって家に帰った。 当然部屋の明かりは消えている。岩城はもうとっくに眠っているだろう時間であったから だ。 そっと静かにドアを開け中に入る。玄関の明かりをつけた時、玄関から続く居間の人影に 気が付いた。 岩城が真っ暗な部屋の中、自分を見つめて立っている。 香藤は少し違和感を感じて岩城に近付いた。 「どうしたの岩城さん?待っててくれたの?」 闇の中、岩城の黒曜石のような濡れた瞳が香藤を見つめていた。 香藤はドキリとした。 何か、いつもの岩城とは違う気がして……… 「…岩城さん………?」 ゆっくりと岩城が顔を近付け、香藤に口付ける。深い口付けを……… それだけで、岩城が自分を求めているのが香藤には分かった。 香藤は彼の背中に腕を回し、その口付けに応えた。 「……ん…んん…………」 離れてはまた口付け、その度に岩城の甘い声が洩れ聞こえる。 岩城からまるで麝香のような香りがして、香藤は頭の芯までくらくらした。 襟口に手を入れ徐々に服を脱がせていく。脱がせながら歩を進め寝室へ誘うと、静かに ベッドに岩城の身体を横たえる。 美しい身体が月明かりの中浮かび上がり、香藤は身を震わせた。 「……香藤…………」 せつなく自分の名前を呼ぶその声にも、扇情的な色が帯びている。 岩城は本当に香藤を求めていた。 香藤も強く彼を欲していた。 また深い口付けをかわすと、岩城のその濡れた柔らかい感触の中に、ざらりとした舌の感 触を同時に感じる。 裸体の背中に手を這わすと、その吸い付くような滑らかな肌の感触と共に、ビロードの毛 皮に触れている感覚を覚える。 心のどこかで、マイクの言葉が蘇る。 『彼には近づかない方がいい』 しかし、もう遅い、と香藤は思った。 自分は岩城を愛している。 これ程強く他人を欲した事などなかった。 どんなに危険だと分かっていても、愛さずにはいられなかった。 「……あ……ああ……」 岩城の甘い声が部屋に響く。 香藤の手が、唇が触れる度に身体の熱が上がっていく。岩城は徐々に熱くなっていく身体 が苦しくて身をねじらせた。香藤が与える熱なのだ。 「……ああ!」 指が内に入れられた衝動に岩城は背中を反らせる。 「…岩城さん……感じてるんだ…こんなに濡れて……」 岩城は快感に堪えようとシーツを握りしめて、唇を噛んだ。腰が無意識に揺れる。 そんな岩城の姿を見て香藤はぞくりとした。 熱い身体がさらに熱を帯び、麝香の香りがまたきつく薫る。 香藤は岩城におぼれていく自分を感じていた。 初めて出会った時から、予感していたような気がする。 あの時、彼はどこにいた?何の檻の前に立っていたのだろう?振り返った時に見た美しい 黒い瞳。 檻の中にいる存在と同じものだった、知っている瞳だった。香藤が愛してやまない野生の ……… 香藤が胸に口付けてくる。徐々に愛撫が下腹部に降りて岩城のそこに触れた。 「あっ…香藤……」 シーツを握り絞めていた手を離し、香藤の髪を掴んでしまう。 大きな快感に襲われて岩城は堪らず膝を立てて腰を浮かせた。 もっと欲しい。まだ足りない。早く香藤と一つになりたいのに…… 「…香藤……もう……」 「……岩城さん……欲しいの?……」 「……あ…あ……早く……」 「何が欲しいの?言ってみて……」 香藤がまた岩城の敏感な部分を愛撫する。 「……あ!…あっあ………香藤……お前が欲しい……」 「岩城さん……俺もあなたが欲しい……」 二人は一つになって身体を激しく揺さぶらせた。まるで、荒れ狂う波に飲みこまれるかの ように…… 岩城の内は熱く濡れて香藤を締め付けた。彼のすべてを感じる。その熱も、命も、魂さえ も、血の匂いとともに…… 大きな波にさらわれる瞬間、岩城の頭は真っ白になった。 激しく息をつき、香藤の身体に手を回す。体中が歓喜に満たされている。 愛する人と一つになれたその喜びに…… 「……香藤…………」 「…岩城さん…………」 二人は熱い口付けをかわして、また快感の波に身を踊らせた。
心地よい疲労感を感じて、岩城は目を覚ました。 月明かりが部屋をぼんやり照らしている。 隣では香藤が自分に腕まくらをする形で眠っていた。 岩城の心は愛しい気持ちで一杯になった。 こんなにも自分は香藤が好きだと分かる。 そして彼も自分を愛してくれる。まるで、奇跡みたいだ、と岩城は思う。 ふと、身体が清められている事に気付く。おそらく、香藤が拭ってくれたのだろう。 岩城は恥ずかしくて顔を真っ赤にしたが、その恥ずかしさはとても甘いものであった。 そっと身体をおこした時、鈍い痛みがはしり、岩城は秘部に手を当てた。 微かに指についてきた血を見た途端、岩城は不安を覚えた。 急いで洗面所に行き、手を洗う。何度も、何度も手を洗い続けた。 そして、洗面台の鏡に映る自分の顔を見て、岩城の不安は大きくなった。 確かに自分の見なれた顔なのに、まるで知らない者のように感じられて……… 岩城はベッドに戻ったが、不安は消えてくれなかった。 香藤に抱かれれば、もう一度香藤と一つになれたら不安は消えるのだろうか? 「……香藤……」 岩城は香藤に口付けようと彼の身体に覆いかぶさった。 その時、岩城を影が襲い掛かる。 内にくすぶり続けていた熱い影が。どんどん岩城の身体を侵食していき、もう押さえよう がなかった。 「……あ……っぐ……」 岩城は苦しさのあまり、身をくねらせた。 熱い黒い影が頭のてっぺんから足の先まで広がっていく。 背を反らせて、足でシーツを蹴る。 手の鋭い爪がシーツを切り裂き、裂かれたシーツは糸のように舞った。 目覚める。 自分の中に眠っていた血が目覚めてしまう……… 岩城は悲鳴をあげた。骨が軋み、形を変える。全身の皮膚を食い破って岩城のもう一つの 姿が現われた。 すごい吠声が聞こえて、香藤は驚いて目を覚ました。 気が付くと、自分の上に黒豹が乗りかかっているのが目に入る。 その黒豹は牙を向けて香藤に飛びかかろうとしていた。 「やめろ!岩城さん!」 香藤の言葉を聞くと黒豹は、ベッドから飛び降り、窓から外に出て行った。 残された香藤はベッドの上で呆然としていた。隣を見ても、岩城の姿はない。 分かっている。今の黒豹が岩城なのだ。 心のどこかで分かっていたような気がする。こうなる事を……………… しかし、岩城を愛する気持ちはまるで揺るがなかった。 初めからすべてが分かっていたとしても、自分は岩城を愛しただろう。 服を着て、ライフルを手に持つと、車で岩城の後を追った。 夜が明けようとしていた。