危険な密会   


どうかしている…
香藤洋二は窓から真冬の寒空を見ていた。
空は灰色の重い雲が広がっており、雪が降りそうなぐらい寒かった。
が、香藤のいる部屋は、従僕があらかじめ暖炉に火を入れておいてくれたので、暖かい
空気に満たされていた。
本当に彼は、ここに来るのだろうか?
――彼――岩城京介が香藤の事務所に現れたのは、一週間前の午後だった。
香藤は巨大な新聞社の経営者で、新聞王と言われていた。他にも出版者、不動産、造船
所、などを所有しており、その富は「この街一番の大金持ち」だと、もっぱらの噂であ
った。
食べるに困ったほどではないが、香藤はあくまで平民の出。これほどの地位に登り詰め
るまでには、血のにじむような努力と行動が必要であった。時には法を犯す事も、口に
するのが憚られるぐらいの事も、しなければならない時もあった。
だが、香藤はそれをやりとげた。香藤を付き動かしていたのは、貴族に対する憎悪であ
った。
貴族達を見返してやる。
いつか、きっと、お前達を上から見下ろしてやる。
その思いが数々の困難を、香藤に乗り越えさせたのであった。
岩城京介は、その憎むべき貴族だった。
貴族に相応しい身なりと、優雅さを漂わせて事務所にやってきたのである。
机の前に座って帳簿を読んでいた香藤の前に立った彼は、丁寧で平民出を差別するよう
な態度は微塵もなかった。
岩城男爵の次男であると名を告げた。
すらりとした長身、高貴な鼻梁、澄んだ黒い瞳に、香藤は目を奪われた。
…美しい……
それが香藤の第一印象だった。
美しい女性なら香藤は何人も知っている。
香藤自身の容姿と、身体中からにじみ出る男らしさに惹かれる女性は後を絶たない。富
を得てからは、ますます群がる数が増えた。
しかし、岩城の美しさは、その女性達とは違った美しさである。
それがなんなのか、香藤はすぐに分からなかった。
「…岩城京介さん…?どこかでお会いしたでしょうか?」
彼に会っていれば、忘れるはずがない…
香藤は高鳴ってくる鼓動を悟られないよう、ポーカーフェイスで声をかけた。
「…いいえ…初めてです…」
「では、ここにはどういった御用件で?」
岩城は言い出しにくそうに口をつぐんだ。視線が下向きに反らされ、顔色も悪いよう
である。
香藤はもしや、金銭を借りに来たのかと思う。香藤は貴族の何人かにお金を借していた。
その多くは自らの放蕩の為に作った借金なので、結局返せず、担保にしてあった領地を売
るはめになる事が多い。
香藤はそういった土地を手に入れて、不動産を拡大しているのである。
「アラン子爵をご存知ですね…」
「…フィールディング伯爵のご子息ですか?」
「…そうです…彼にお金を貸していると聞きましたが、本当ですか?」
「はい…確か来週の水曜日で返済期限がきれます」
「返済期限を延ばして頂くことは出来ないでしょうか?」
「…なんですって?」
香藤は意外だった。どうして岩城がアラン子爵の借金の話をするのか、さっぱり分から
ない。
「何故、あなたがそんな事を?アラン子爵に頼まれたのですか?」
「いいえ…違います…」
「…残念ですが、返済期限を延ばすなど出来ません…」
「もちろん、何もないまま、とは言いません。彼の借金の半分は私が払いましょう」
「…ほう…どうやって…?」
「私は次男で跡継ぎではありませんが、母が遺してくれた財産がいつくつあります」
岩城は懐から小さな袋を取り出した。
「この中に母の形見である、サファイヤの指輪とダイヤの首飾りが入っています。こ
れを差し上げます」
母の形見を持ち出してくるなんて…そこまでして、どうしてアラン子爵を助けようと
するのだろうか?
一瞬、香藤はアラン子爵と岩城が、情人関係にあるのでないかと疑った。
貴族の間では、同性の愛人を持つ事は珍しく無い。跡取り問題の心配のない同性の愛
人は、既婚者でも余計な気遣いは無用だからである。
その考えが思い浮かんだ時、香藤は自分が激しい怒りを覚えるのを感じた。そして、
そんな自分に戸惑いつつも、テーブルの上に並べられた宝石を見つめた。
「…残念ですが、これでは半分にも満たないでしょう…」
「そんなはずはない…これは5千ポンド以上の値うちがすると宝石商から言われまし
た」
「…アラン子爵はあなたに借金の金額を言いましたか?」
「一万ポンドだと…」
「その倍の二万ポンドです…」
「…な……」
岩城は呆然とした表情で立ちつくした。
「それに、半額では意味がありません。借用書には来週の水曜日までに、二万ポンド
を返金するようにと書いているはずです。一ポンドも足りないのでは契約は不履行で
す」
「…分かっています…しかし…それをなんとか…」
「駄目です」
「…でも、それでは彼は領地を失うことになる。まだ彼の両親も幼い妹や弟が住んで
いるのですよ!出ていけと?」
「それは私の関知するところではありません。それほど大切な領地なら、借金の担保
になどしなければいいのです」
岩城は何か言いかけたが、口をつぐんだ。冷たい瞳の奥に、激情の炎が垣間見えた気
がして、香藤は背中がぞくりとした。
「…アラン子爵は…私の姪の婚約者なのです…」
「…そうですか…」
「姪とアラン子爵は…愛しあっています…彼は借金の返済が出来ないと思って、命を
絶とうとしたのです」
「それで…あなたが…なんとかしようと、ここに来た訳ですか?」
「…ええ……」
心の奥で香藤は、ほっとしている自分に気づいていた。彼とアラン子爵は、なんでも
なかったのだ。
「…お手間をとって下さり、申し訳ないですが、期限を延ばす事は出来ません」
この商売は信用が第一だ。期限を延ばしたなどと噂がたとうものなら、舐められてし
まう。
「お願いします。何か手立てを…!」
「ありません…お帰り下さい」
「お願いです…どうすればいいのか言って下さい!」
岩城は諦めずに机に詰め寄ってくる。彼の白く長い指が目に入り、香藤はその指に口
づけしたい衝動にかられた。
興奮して紅みがかった頬。花びらを思わせる桃色の唇…吸えばさぞかし美味だろう…
思い浮かんだ衝動を振り切ろうと、香藤は立ち上がった。
「残念ですが…」
「なんでも、あなたの言う通りにします!どうか…!」
その言葉に、香藤の中の何かが反応した。
「なんでも…ですか…?」
「…はい…」
「…では、あなたが私のものになる、というのはどうです?」
「…え…?」
「つまり…私の奴隷になるのです…」

岩城は承諾した…
そして、今、香藤はこの部屋にいる…
彼を自分の自由にできる時間として、この時間と場所を指定した。
岩城は、何をさせられるのか分かっていないのかもしれない…
もしかしたら、召し使いのように働かされたりするかも、と考えている可能性もある。
香藤はそれを曖昧にしたからだ。
香藤自身、「岩城を自由にする」といっても、何がしたいのか分からなかった。
貴族の恨みとして、下僕並の扱いを与えたいのか?馬小屋の掃除をさせたり、自分の靴を
磨かせたりして、貴族の優越感を砕いてやりたいのか…?屈辱感を与えたいのか…?
…いや、違う…
考えるうちに、香藤はそんなものを岩城にさせたいのではないと気づいた。
…彼が欲しい…
岩城の肌の感触が知りたい…彼の唇を奪いたい…彼の恍惚に溺れる姿が見たい…
自分の腕の中で…
一見、冷たい印象をうける岩城だが、瞳の奥に宿る熱い炎に、香藤は心を惹かれた。
その炎に触れてみたいのだ…
けれど…
香藤は懐中時計を取り出して時間を確認する。約束の時間は20分過ぎていた。
…来ないか…
香藤が諦めかけた時、ドアをノックする音が聞こえた。


H22.6.9

香藤君、誕生日おめでとうございます〜v
今、ヒストリカルロマンスにはまってて、その影響で書いてみました〜vアンケートで
人気なかったけど、ヨーロピアン調目指してます;(一応、架空の国が舞台のつもり;)
こ、これからの展開次第では、アダルトに移動するかも…?;