危険な密会3   


アラミスは、ダルキア国の隣りにある王政国家の国である。
王政国家だった国といった方がいいだろう。アラミス国は王室と一部の貴族が支配する国
だったが、あまりの悪政に国民の怒りと不満が爆発し、革命が起こったのである。
ダルキア国はアラミス国に比べると、まだ身分制による待遇の差が少なかった。
貴族の特権はあるが、納税義務はあるし、平民にも自治権が認められている。
10歳までの教育費は免除されているので、識字率は周辺諸国の中でも抜きんでている。
それでも、親が学校より畑仕事を子供にさせる場合は何も出来ないのだが。
アラミス国の貴族は無税、義務は一切なし。平民は所有権を認められず、重税と近年の不
作で何千人も飢死していた。それなのに対策をしなかったのである。民衆達が怒らない筈
がない。
議会が開かれ、王政は廃止され、共和国の宣言がなされた。
しかし、国内の混乱は続いており、国王一家と貴族達は牢獄にいれられたままである。公
平といえない裁判が開かれ、貴族達の処刑が毎日行われている。
処刑されているのは、貴族達だけではない。平民でも裕福だった商人や、貴族の愛人だっ
た娼婦なども容赦なく弾圧されている。それまで、積もりに積もっていた民衆の不満が、
相手を選ばずの暴力となって人々に襲いかかっているのである。アラミス国は恐怖の吹き
あれる国となっていた。
香藤は命の危険にさらされた人々を助け出す事を決意した。同じ志をもつ者達と協力して、
アラミス国から何人かを亡命させた。貴族達だけでなく、女性や幼い子供達もいた。
香藤は憎い貴族の為に、この組織に入った訳ではない。妹を探す為である。
当時、まだ15歳だった香藤の妹は、無理矢理アラミス国の貴族の側室にされたのだ。
香藤はアラミス国の出身だった。
しかし、ある事件の濡れ衣を父親がきせられ、処刑されそうになったところを、助け出さ
れたのである。そして、このダルキア国に亡命してきた。
この国で権力と財力を手に入れる為になんでもやった。すべては妹を救い出す力を手にい
れる為である。
きっと助けに行くと誓っていたが、革命が起きてしまった。
気持ちとして香藤は民衆達の側に立つが、誰かまわずに処刑されている今の状態は憂いて
いる。何より、貴族の側室だった妹を救いださねばならない。
情報を手に入れる為に、その組織の一員となったのである。
その組織の通り名は「ブランカ」と言った。


数日後、香藤に指定された日がやってきた。
岩城は事務所で帳簿をぼんやり眺めていた。読もうとしても、内容が全然頭に入ってこな
い。
あの日、香藤から自分の所有している別宅を使わせてもらうと、強制された日から頭の中
はそれで一杯になった。
現在、岩城は兄家族の住む本宅にいっしょに住んでいた。兄がそれを要求したからである。
別宅は元は母親の持ち家で、遺言により岩城の所有となった。爵位を相続しない次男への、
財産譲渡だったのだ。
住んではいないが、岩城は時折、骨休めに訪れて泊まることがある。通いだが家の管理人
と女中はいるので、滞在はいつも快適だった。
その家が、アラミス国からの亡命者の隠れ家にされるとは…!
アラミス国の現状は、確かに嘆かわしいものがある。
このダルキア国でも、あの国の状況を改善するように働きかけるべきだ、という声があがっ
ていた。
今のところは他の周辺諸国と、改善の要求を勧告するだけに留めているが、それに不満を
もらす者も多い。
ろくな裁判も受けられず、不当に裁かれる者を救いだすのは岩城も賛成だ。しかし、それ
が非合法であり、香藤という男から強制されたのが気にいらない。
あの男は信用できない…
自信に満ちた傲慢な態度。その自信を裏付けする隙のない身のこなしと鋭い瞳。何に臆す
ることもない堂々とした立ち居振る舞いが、体格の良さを際立たせていた。
どうして、あんな男の言いなりにならねばならないのだ…
いくら、アラン子爵の負債を無くす為とはいえ、どうして、そんな事をしなければならない
のだ…
香藤の要求は、型破りすぎる。そう、あの時も、信じられないことを彼はした…
ふいに彼に口付けられた時の記憶が蘇り、岩城は頬が熱くなるのを感じた。
…あんな…無礼な事を彼は平気でしたのだ…自分をからかい、侮辱した…
自分の裸体を見つめていた時の彼の瞳を思い出す。
あの瞳の奥には何かが宿っていた。情欲にも似た色が…
「…ばかな…」
呟きをもらし、落ち着かなくなった岩城は、立ち上がって部屋を歩きだした。
『どうして、こんなに落ち着かないのだろう…』
狼狽えてたまるか…あんな男の冗談などに、いちいち慌ててたまるか…
きっと、香藤が嘘をついている可能性があるからだ。犯罪者はからんでいない、と言ったが
分かったものではない。その犯罪に巻き込まれるのが不安なだけだ。
ならば、彼の犯罪を暴けばいいのではないか…
彼の犯罪の証拠を手に入れ、警察に知らせるのだ。香藤は逮捕され、彼の会社は倒れる。そう
すればアラン子爵の負債も無効になるのではないか。
そう思いたった岩城は、幾分が心が軽くなり、しばらくの間、香藤の言う通りにする事にし
た。
あのいけすかない男に会って、言いなりになるのは気に食わないが、これも彼を探る為だと
思えば我慢も出来る。
岩城は帳簿を片付け、別宅に行く準備を始めた。


その日の夜、岩城は管理人と女中を早く帰らせた。
恋人が訪ねてくるとでも思っているらしく、思わせぶりな笑みを浮かべられた。
真夜中、一人きりになった部屋で、岩城は少し緊張しながら待っていた。飲酒は得意な方では
ないが、何かせずにはいられずに、ブランデーを口にする。
暖炉のはぜる火の音に耳を傾けながら飲んでいると、外から馬車の音が聞こえてきた。岩城の
身体が緊張で強張る。
扉を叩く音が聞こえ、ゆっくりと玄関に近付く。覗き窓からみると、フード付マントをかぶっ
た男が、扉の前に立っていた。
「こんな夜更けに誰ですか?」
しめし合わせた合言葉を口にする。
「すみません、急病人なんです。しばらく休ませてもらえませんか?」
「どんな具合です?誰なんですか?」
「英国に渡っていた紳士です。母上の葬式の為に帰国しました」
合言葉は完璧に一致している。岩城は深呼吸を一度して扉を開けた。
「ありがとうございます。連れて来ますのでしばらく休ませくれますか?」
「もちろん、いいですとも」
男は馬車に戻り、具合が悪そうにした男を支えながら戻ってきた。馬車は夜の闇の中に消えて
いった。
これは、目撃者がいた場合の伏線である。
もし、昨夜の馬車の後をたどってきた警察に質問された時、応えてやればいいのだ。病人を介
抱しただけだと。
二人が家に入るとすぐに扉を閉める。
フードをかぶった男がマントを脱ぐと、驚いたことにそれは香藤だった。背中を丸めて情けな
い声をだしていたので、すぐに気がつかなかった。役者並みの演技力である。
真直ぐに背をのばした香藤は、張り詰めた雰囲気を纏っている。
「もう、大丈夫だよ。パーカー」
「香藤さん…ありがとう…」
具合の悪そうにしていた男も背筋をのばしたが、顔色は悪かった。
「…寒かったでしょう。火にあたりますか?」
「ありがたい。あたらせてもらおう」
岩城の申し出を香藤は素直に受けた。
二人は居間に入り、暖炉の側の椅子に腰掛けて暖をとった。岩城は女中が用意してくれた軽食
と温かいお茶を持っていき、傍らのテーブルに置いた。
パーカーと香藤に呼ばれた男は、貪るようにそれらを食べたが、香藤はお茶しか飲まなかった。
じっと、パーカーの気持ちが落ち着くのを待っているようだった。
無言の二人のそんな様子を眺めながら、岩城は自分もここにいて良いのか迷った。しかし、香
藤を探ると決めたのだし、ここは自分の家だ。消える必要はない。
そう考えた岩城は、部屋の壁際のソファに腰かけた。
「明日にでも奥さんと子供さんのところに連れて行こう。会いたいでしょう」
「もちろんです!ありがとうございます」
パーカーは涙を浮かべながら香藤の手を握った。
「あなたは命の恩人です。この御恩は一生忘れません」
「おおげさに考えなくていいよ。俺は俺の為にやったことだから…」
いつになく、香藤は真剣な表情でパーカーに尋ねた。
「…フォード伯爵と彼の家族がどうなったか教えてもらいたい…」
「彼ですか…彼は英国に亡命しました…」
「本当に?!家族全員か?側室も?」
「それが…」
パーカーは言葉につまっている。
「どうしたんだ?頼む、教えてくれ!」
「彼は持てるだけの財産を掻き集めて、一人で英国の親戚を頼って亡命しました」
「なんだって!奥方も子供の一人も連れずにか?」
「はい…奥様は身重で足手まといになると考えたのでしょう。子供や側室を連れていくと、親
戚から引取を拒否される恐れもありますし」
「…なんて奴だ…」
「置き去りにされた家族は、地方の領地に身を移しました。従僕や女中の中には逃げ出した者
も多いようです」
「…地方に逃れたのは奥方と子供達だけか?」
「…いえ…側室だった洋子さんもご一緒です」
「本当か?」
香藤の顔が初めて明るくなる。
「どうしたらいいのか分からなくなっていた奥様に、地方の領地に行こう、と言ったのは洋子
さんなんです。お産も静かな場所でした方がいいと…」
「そうか…」
「洋子さんはあなたの妹君なのですね」
「…ああ……」
「あの方は立派な女性です。あんな状況で、奥様や子供達をお見捨てにならず…」
「ああ…妹を誇りに思うよ」
岩城は二人のやりとりを聞いていて、少し驚いていた。
香藤の妹がアラミス国にいるのか?もしかして、助けだす為に亡命に協力しているのか?
「今夜はゆっくり休むといい。これまで、気が休まらなかったでしょう。今後の事はまた明日
にでも」
「はい」
香藤が岩城に目を向けたので、岩城は身をすくませた。
「彼の休む部屋はありますか?それとも、ここの長椅子で?」
「いや…客室を用意させてある。案内しよう」
岩城は立ち上がって、2階にある客室に案内した。パーカーは二人に礼を言って部屋に入った。
岩城と香藤は居間に戻った。ソファにどっしりと腰を降ろした香藤に、岩城はブランデーが注
がれたグラスを渡した。
「…ありがとう…」
少し意外な表情で香藤はグラスを受取った。
「彼は…貴族じゃないんだな…どうして亡命を…?」
岩城も近くのソファに座って質問する。
「貴族を相手に商売していた商人でした…平民でもブルジョアと呼ばれる裕福な暮しをしてい
た者です。金で爵位も買おうとしていたし。貴族に媚びを売る奴は腐った貴族と同じ、という
扱いなんです」
「…処刑を宣告されたのか?」
「…いえ…裁判が開かれる前に助け出したから…でも、間違いなく有罪とされたでしょうね」
「…そんな…」
話に聞いていたが、実際に目の当たりにすると、やはり衝撃は大きい。
「無意味な流血はこれ以上、必要ありません」
「…君の妹さんがアラミス国にいるのか?」
「…ええ…」
「しかも、貴族と関わりがある…危険なのか…?」
「とても…」
二人はしばらく無言で暖炉の炎を見つめていた。
「妹の洋子は…明るくて綺麗な子でした…15歳の時、フォード伯爵が見初めて無理矢理あの子
を側室にしたのです。親子ほど年が違うのに…」
「……………」
「いつか、きっと助け出すと誓いました。きっと…助けてみせます…」
香藤の瞳に浮かぶ熱い決意を感じて、岩城は胸が痛くなった。
この男の貴族に対する憎悪は、昔、受けた理不尽さによるものだったのか…
複雑な思いが岩城の心の中で渦巻く。
しかし、これまでとは違った目で香藤を見ている事には気づいていた。


H22.7.7

もしかして長くなる?やばい、やばいぞ!巻きだ巻き!;ダークワールドよりは短くしたい;
ダルキア国ですが、
ジパング国にしようか迷いました;
でも、
ここで笑いをとってどうする…;と、思い留まりました;