危険な密会4   


アガサ公爵未亡人の開く仮面舞踏会は社交界では評判だった。豪華で淫らで妖しいという噂があり、
上流階級の者はこぞってその招待状を手に入れたがっていた。
岩城のところにも、兄夫婦と彼への招待状が毎回届くが、お堅い性格の兄が行く筈もなく、いつも
丁寧に不参加の旨を伝えていた。
が、今回は違った。
香藤から「参加するように」と言われたのである。「私を連れて」の言葉付で。
どうしてお前の言う通りにしなければならない。
岩城は反論しかけたが、次の香藤の言葉を聞いて思いとどまった。
「…英国に亡命していたフォード伯爵が、その仮面舞踏会に来るらしいのです」
「フォード伯爵って…君の妹の…」
その先を口にするのは躊躇われた。
「そうです…なんでも、英国へ亡命してから、安心した彼は放蕩にふけっているそうです。同じ道
楽者の親戚達といっしょに、噂高い仮面舞踏会にも足をのばしてくるようです」
穏やかな口調だったが、その裏に潜んだ軽蔑と怒りを岩城は感じ取った。
「彼に会うのか?」
「…ええ…」
「…会ってどうする?」
「洋子の居場所を聞き出します…フォード伯爵の領地は広すぎる。洋子と奥方が地方の領地に行っ
たと分かりましたが、どこの領地か分からないのです…探り出すにしても、その動きを誰かに気づ
かれる可能性があります。危険は出来るだけ避けたいのです…」
「だが、フォード伯爵は我先に逃げたのだろう?行き先を知っているのか?」
「奥方はおそらく手紙を送っていると思います。国に残した財産のこともあるでしょうから…」
「ああ…アラミス国はいかなる場合も、当主でないと財産を動かせないんだったな」
「そうです…まったく…不合理にもほどがある。国を捨てて逃げた当主なのに…」
「…聞きだせるのか…?」
「聞いてみせる…」
香藤の瞳の奥に鋭い眼光が見えた気がして、岩城は微かな戦慄を覚えた。
「そんな訳ですから、招待を受けて参加して下さい。私だけでは玄関払いされてしまう」
「…しかし…」
「何か不都合なことでも?」
「兄がなんと言うか…真面目一徹で融通のきかない人だから、許してくれるとは思えない」
「ならば、黙っていればいいでしょう」
「え?」
「なんです?まさか、岩城さんはお兄様の許可がなければ、パーティーの参加も出来ないんです
か?」
「そんなことある訳ないだろ」
ムッとして言葉使いが荒くなってしまう。
「では、受けて下さい。当日は別宅に馬車で迎えに行きます。少し遅れて行きましょう。皆がお酒
が入ってほどほど出来上がっていた方が都合がいい」
「…分かった…」
何もかも香藤に決められているのが気に入らないが、仕方ない。岩城は彼に弱味を握られているの
だから。
しかし、岩城はそうは考えずに可哀想な女性を助ける為、と考えてモヤモヤする気持ちを押さえ込
んだ。
香藤はそんな岩城の心が手にとるように分かった。
日頃、一癖も二癖もある商売人を相手にしているのだ。腹のさぐり合いは日常茶飯事である。だか
らこそ、岩城の心を隠さない素直さは新鮮だった。
妹を救う為に活動していると知った時から、岩城の自分を見つめる視線が変わったのも分かってい
た。それを感じて身体にゾクリとした感触が走ったが、香藤は深く考えないようにした。認めれば、
自分の奥底に眠る岩城への感情が爆発するような気がしたからである。
初めて会った時に感じた突き上げるような欲求…
この人は、他人の不幸を悲しみ、幸せを喜べる人なんだろう…
そんな人物は滅多にいない。容姿と同じく、心も美しいのだろう…
香藤はあの時触れた岩城の滑らかな肌の感触を思い出して、身体が熱くなるのを感じる。
胸元から沸き上がってくる何かを、香藤は必死に押さえ込んだ。

******

仮面舞踏会の日。香藤の馬車は真夜中頃にやって来た。豪華な2頭立ての馬車で、かなり立派な作
りだった。
岩城が御者に促されて中に入ると、黒い礼服に黒いマントを身に付けた香藤が座っていた。向いの
席に腰を降ろすと、馬車は走り出した。
「岩城さん、仮面は持ってきましたか?」
「いや…」
「仮面舞踏会なのに仮面なしですか?」
「…持ってないんだ…」
仮面などと気のきいたものは家に置いていなかった。買えばいいのだが、兄に見つかって追求され
るのが嫌だった。それを香藤に言う気は無い。
「幾つか持ってきましたので貸しましょう」
「…いや…なくてもどうという事はないだろう…」
「いえ…あなたの顔を覚えられない方がいい…」
「え?」
「フォード伯爵に…」
「ああ…確かに…では借りよう」
香藤は箱を取り出して、その中に納められている仮面をいくつか取り出した。岩城は上半分顔を覆う
型の白いものを選んだので、香藤は同じ型の黒い仮面を選んだ。
馬車を降り、岩城と香藤はアガサ公爵邸の前に立った。
屋敷を見て気が重くなった岩城は、チラリと香藤を見た。背は高く、スラリとした身体に堂々とした
雰囲気を纏った彼は貴族の子息にしか見えない。
いや、並の貴族よりも高潔さを感じるのは何故だろう?
そんなことを考えている自分に気づいた岩城は
『…何を考えてるんだ、俺は…!』
振り切るように軽く頭を振る。
「岩城さん何やってるんです?眠いんですか?眠るなら屋敷に入ってからにして下さい。舞踏会に入
り込めた後は、あなたは何もしなくていいですから」
あなたは役立たず、と言われた気がして岩城はムッとする。
「私がいないと何かと不都合なことがある筈だ。離れないようにしろ」
「…ほう…」
疑わしい顔つきの香藤は放っておいて、岩城は扉の側に立つ従僕に招待状を渡した。
「こちらの方は?」
香藤の方を見て岩城に尋ねてきた。
「連れです」
「ご婦人ではないのですか?」
「…野暮は言わないでもらいたいですね…」
香藤は岩城の手を取り、意味ありげに岩城を見つめながら手の甲に唇を押し当てた。
途端に岩城の身体はカッと熱くなって、自分でも頬が紅く染まるのが分かった。怒鳴りかけた言葉を
どうにか飲み込む。
「失礼致しました。どうぞ、お入り下さい」
従僕はバツが悪そうに脇にどいた。
薄暗い屋敷の中に入ると、近付いてきたメイドにコートを預け、奥に進む。香藤は中に入ると岩城に
はお構い無しに早足でズンズン進んで行く。岩城は怒りを香藤にぶつけるべく後を追って、駆けなが
ら小声で悪態をついた。
「どういうつもりだ、香藤!」
「…どういう…とは…?」
「とぼけるな、さっきのことだ!あれじゃ…俺とお前が…」
「同性の情人みたいだとでも…?」
「そ、そんな風にも受け取れるぞ!誤解されたらどうするんだ!」
「別に気にすることはありませんよ。お互い仮面をかぶってますし…それとも、岩城さんは誤解され
たマズイ人でもいるんですか?」
言いながら、香藤の胸がズキリと痛む。今迄考えてもいなかったが、岩城には恋人がいるかもしれな
いのだ。恋人でなくてもこの歳の貴族なら婚約者がいてもおかしくない。
「そんな人はいないが、変な噂でもたてられたらどうする!」
岩城の言葉に、香藤の心は一瞬にして軽くなった。ムキになって突っかかってくる岩城が可愛いこと
に気づく。
「その方が都合がいいかもしれません」
「なに?」
「岩城さんと私が接触している事がバレても、恋人だということにしておけば疑われずにすむ」
アラミス国の貴族を亡命させる組織「ブランカ」は、一応「お尋ね者」である。
「じょ、冗談じゃないぞ!ふざけるな!」
「静かにして下さい岩城さん。余計、注目を浴びますよ」
「…ぐ…」
不承不承岩城は黙り込んだ。
こちらの言う通りに口をつぐむ岩城の素直さを、香藤は微笑ましく思う。
気がつくと二人は大広間に来ていた。通常のパーティーと違って照明がかなり落としてある。うす
暗い部屋の中は白檀の香りと、ゆったりとしたピアノの音色が漂っている。そこにいる人々は給仕
もメイドも含め、全員マスクをつけている。自分の正体を隠しているという気持ちからか、広間は
どこか背徳的な雰囲気に満たされていた。
ほとんどの者が酔っているようで、時折、かん高い笑い声が響くが、誰も気にしない。
香藤は必死に目を凝らしてフォード伯爵を探した。マスクを付けているので視野が狭い。悪条件の
中、人々の間を歩きまわり、目を巡らせる。すると…
「…いた…」
「え?」
広間を出て行こうとするマントを来た黒づくめの男。ドアのところでマスクをはずしたので、香藤
は彼がフォード伯爵であると確認出来た。
憎悪が込み上げてきた香藤は、真直ぐに伯爵に向かって歩を進めて行く。
香藤の瞳が尋常で無い色をおびるのを見た岩城も、慌てて後を追った。
今の香藤の心情は、何をしてもおかしくない状態だった。


H22.9.16

久し振りの更新です;そのわりに物語はたいして進んでません