「冬の蝉」のワールドプレミアム前、香藤は単身アメリカに来ていた。
岩城さんを妬むあまり、腐りかけていた自分から本来の自分を取り戻す為、常に
前に進む道を見つける為に。
小さなアパートを借りて、劇団のワークショップに通い始める。
通い始めた当初は言葉の問題などで戸惑ったが、演劇に関する情熱は同じなので、
すぐに皆と打ち解ける事が出来た。
そして、もうすっかり周りに馴染んだ頃、教室の劇団員で小さなシアターで芝居
をする事になったのである。
チャリティが目的の芝居であるから、舞台にお金はかけられない。内容だけで勝
負するので、役者の力量が求められる劇である。
香藤は日本人留学生の役をもらった。
ただ、今のままではパッと見で日本人という感じがしないので、黒髪の鬘にメイ
クをする事になった。
メイクを担当するのは、当然プロのメイクアップアーティスト、ではなく、同じ
劇団のメイクアップ教室に通う学生である。
教室の中にあるメイク室で、香藤は一人でメイクさんを待っていた。
そろそろ本番なので、メイクの確認をしておく為である。
香藤の担当のメイクさんは、まだ授業が終わらないらしいのだ。他の劇団員は終
わって、芝居の稽古に戻っている。
しかし、これはしょうがないだろう。同じ学生なのだし、こちらも無料でメイク
をしてもらう身だ。文句を言える立場ではない。
「はあ〜まだかな〜退屈だよ〜」
雑誌を手に取ってみても、当然、すべて英文である。
日常会話には慣れてきたが、英文となるとまだスラスラ読めるまではいかない。
今のところ、台本だけで手一杯である。手持ちぶたさな香藤は立ち上がって室内
を見渡した。
「ん?…これが、俺のかぶる鬘かな?」
鏡台の端に置かれていた黒髪の鬘を手に取る。
「なんか、岩城さんの髪型に似てない?」
ショートのサラサラの黒髪で、前髪が真ん中で分かれている。
もっとも、今の「岩城さん欠乏症の香藤」では、黒髪を見ただけで『岩城さん』
を連想してしまうのだが。
いたずら心が起きた香藤は、ちょっと鬘をかぶって鏡を覗いてみた。
「あ、やっぱり岩城さん風の髪型だよな〜」
「岩城さん欠乏症の香藤」というだけが原因ではなかったようだ。本当に似てい
た。
「はあ〜岩城さん〜」
鏡を見ながら目を細める香藤。何やら危ない雰囲気が漂っている。
『岩城さんはもう少し肌の色が白いよな〜』
そんな事を思った香藤の目に、白っぽいファンデーションが映る。
『メイクさんが来るまで、ちょっといいよね〜』
いたずらに香藤は自分の顔にそのファンデーションを塗ってみる。
『うんうん、岩城さんはこれぐらい白いよね〜でも、このたれ目がな〜』
そんな事を思った香藤の目に、岩城がよく使用するサングラスに似た形のサング
ラスが…
サングラスをかけ、鏡を覗き込んでみると、そこには…
「い、岩城さん!」
思わず、香藤は叫んでしまう。本当に岩城に似た姿がそこに映っていたのである。
「い、岩城さん…こんなところに岩城さんが…」
はあはあ、息を荒くする香藤。かなり危ない…
「香藤…今夜はお前の好きにしてくれ…」
鏡に向かって呟く。
「はう!」
ブホッ!(鼻血大量放出!)
香藤の放出した鼻血でメイク室は血の海と化した。
「…だ、だめだ…一人エッチより強烈にきいてしまった…」
ドクドク…
大量出血の為、貧血でくらくらする香藤であった。
「メ、メイクさんが来る前に、と、止めなきゃ…」
ポタポタ…
「あ、ふ、拭いておかなきゃ…」
ふらふらしながらも、なんとか飛び散った血を雑巾でふく香藤。
「…こ、これからは家でしよう…」
やる気なのか香藤?
その度に貧血を起こすぞ香藤。
血の海の後始末が大変だぞ香藤。
いいのか?

香藤洋二危険一人遊び

しかし、その一部始終はドアの隙間からメイクさんにすべて見られていた。
怖くて中に入れなかったのである。
後日、香藤担当のメイクさんが止めたい、と言い出し、芝居の責任者である学生
さんは、説得するのが大変だったとか、なんとか…

H21.1.4

岩城さんの次は香藤君小話をと思いまして;