竹林の郷 2

  次の日、香藤は少し遅くに目を覚ました。どうやら自覚していた以上に、身体は疲れていたらしい。慌てて民宿の食事部屋に飛び込む。
「おはようございます」
「ああ、おはようございます」
 この民宿の女将と、おそらく娘さんだろう十七、八の女の子が挨拶を返してくれる。
「朝食すぐに用意してますから、お座りになってお待ち下さい」
「ありがとうございます」
 温かい朝食が運ばれてくると、香藤は急いで食べはじめた。
 すると、娘さんが女将がいなくなったのを見計らって、香藤に声をかけてくる。
「ねえ、お客さん、東京の人でしょ。お母さん教えてくれなかったけど、あかぬけてるからすぐ分かったよ〜」
「え?ああ、そうだよ、ありがとう」
「教授さんの代わりで来たの?」
「ああ、そうだよ。ねえ、教授はここでどんな様子だった?」
「ご飯以外はずっと竹林の所に出掛けてたね。朝も夜もずっと寝ずの番状態だったみたい。いつ華が咲くかわからないからって。あんまりここに居なかったから、話しもろくにしてないよ」
「そうか…亡くなった前の日とか、おかしな様子はなかったの?」
「別になかったけど……ねえ、お客さん」
 娘さんは香藤に顔を近付け、小声で話す。
「悪い事言わないから、早く帰った方がいいよ〜」
「え?なんで?」
「お客さん、教授さんと親しかったの?」
「いや、全然。同じ大学っていうだけ」
 どうも、話したい事があるらしいので、咄嗟に香藤は嘘をついた。遠慮されて口をつぐまれては適わない。
「教授さんね、実は祟りで死んだんじゃないかって噂だよ〜」
「…祟り……?なにそれ?」
 予想外の話しで香藤は少々面喰らって、顔が弛んでしまう。
「本当だって〜御竹様の祟りだよ〜」
「御竹様?」
「今年って竹の華が咲く年なんでしょ。昔からの言い伝えで、竹の華の咲く年は生け贄を捧げなければならないんだよ〜。竹の女神様の為に、若い男の血を捧げて、その血で華が咲くらしいよ」
「じゃあ、教授が生け贄にされたっていうの!?」
「ううん、聞いたところによると、生け贄になるのは、決まった家の者なんだって。その家の血を引く者が生け贄にならないと御竹様がお怒りになるらしいのさ〜」
「だから?」
「その選ばれた者が血を捧げない限り、村に禍いがもたらされるんだって。だから、その御竹様の祟りで教授は死んだんじゃないかって…村の大人は噂してるよ」
「じゃあ、その選ばれた人が生け贄にならない限り、また人が死ぬっていう事?」
「大人達はそう思ってるみたい…特に教授は竹を調べにきたでしょ。それにもお怒りになったんじゃないかって…だから、お客さんも早く帰った方がいいよ〜。お客さん男前だし、かっこいいもん」
「…………」
「おさえ〜ちょっと手伝っておくれ〜」
「は〜い」
 と、娘さんは母親の声に答えて、食事部屋を出て行こうとしたが、間際に香藤に念を押した。
「今の話はお母さんに内緒ね。それでなくても村の大人達は今回の事件でぴりぴりしてるから……」
「分った、ありがとう」
 意外な話を聞いて香藤は少々考えこんでしまった。なんらかの事件に教授は巻き込まれたと予想していたのだが……
『もしかして、あの竹に何か?』
 昨日の無気味なまでの見事な竹林を思い出して、香藤は背筋が寒くなった。同時にその中に浮かび上がる岩城の姿も思い出す。
『岩城さん…今日も会えないかな…?』
 と、意味も無く、香藤は彼に会いたかった。

          *

 朝食をすませた香藤は、とりあえず教授が調べていた竹林に行ってみる事にした。遺体が発見された場所でもあるし、何か手がかりが掴めるかもしれない。
 ただ、その竹林は所有地なので、持ち主に挨拶をしておこうと考えた。許可はとってあるが、礼儀はわきまえておかなければ。それに、教授に携わった人々も調べておきたい。
「え〜と、野崎家は〜この地図わかんね〜」
 香藤は地図が分からず頭をかいていた。ふっと気を抜いて辺りを見渡してみる。田畑と竹林だらけの、普通の穏やかで静かな村の風景が目に飛び込んでくる。
 昔からこの土地の材木や竹は良質で評判がいい。特に竹は江戸時代から、各地での注文があり、この村の重要な輸出物資である。竹に生活を支えてもらっている為、竹を崇める風習が芽生えたのだろう。しかし、生け贄とは……
 橋を架ける時に人柱をたてるとか、雨を降らせる為に贄を捧げる話はたまに聞くが、香藤は悪習だと思っていた。
 時代は変わろうとしている。忘れてならない事も多々あるが、古い考えにとらわれていては駄目だ。変えるべきところを変える勇気をもたなければ。
『そうは言っても、簡単にはいかないのが現実だけどね〜』
 こんな田舎では保身的な考えをもつ大人が多いだろう。昨日あった駐在さんや、民宿の娘さんは少数派に違い無い。
 すると、噂をすればなんとやらで、自転車に乗った駐在さんが現れた。
「あれ、昨日の人ですか〜おはようございます〜」
「おはようございます。丁度良かった〜すいませんが、野崎家の家はどこにあるか教えていただけますか?」
「野崎家?あんたあそこに何しに行くの?」
「ちょっと挨拶に行こうと思いまして。竹林の所有者でしょ?」
「まあ、確かにそうだけどね…今、すごい状態だから、気をつけてね」
「は?すごい状態って?事件の事でですか?!」
「いやいや、事件が起こる前からだけどね。実は旦那さんが二ヶ月程前に亡くなってね〜遺産相続で大もめなんだ〜」
「遺産相続?何故もめるんですか?遺言書が無くなったんですか?」
「いや、遺言書はあるんだけどね、相続するもんがややこしいんだわ」
「というと?」
「まず、本妻と妾がいて、それぞれに子供がいるんだわ。おまけに隠し子までいるっていう話で、弁護士さんが探偵さん雇って調査中なんだと」
「探偵……」
「遺言書は相続人が全員そろわないと、開封できない事になってるから、探偵の結果出るまで、あの家で皆待ってるんだよ〜。もう、いがみ合っててすごい状態らしいよ〜」
「はあ〜」
 一応家族の名前などは、調べているが、そんな状態とは知らなかった。あまりそういう話は得意でない香藤は、聞いてるうちから気が重くなったきた。どこでも、金の亡者どもはいるものである……しかし、行かない訳にはいくまい。
「野崎の家はこの林を越えて、二つ目の田んぼを右に曲がったら見えてくる一番でかい屋敷だよ。すぐ分かると思うよ。ま、刺激させないように気をつけてね」
「ありがとうございます。あ、すみません、もう一つ岩城さんっていう学校の先生の家も教えていただけますか?」
「岩城さんの?どうしたの?」
「いや、昨日、この村に案内してもらったので、お礼を言いたいな〜と思いまして……」
 香藤は高鳴る心臓を押さえながら尋ねた。
「岩城さんなら、これから行く野崎家に住んでるよ」
「へ?な、なんでまた?!岩城さんも親戚ですか!?」
 昨日会った岩城の姿と、今聞いた骨肉の争いがあまりにもそぐわなくて、香藤はびっくりしてしまう。
「いやいや、岩城さんのお父さんが、昔の地主で、亡くなった旦那の恩人なんだと。道でいき倒れ寸前を拾ってくれたとかで。それで、両親を失った岩城さんを引き取ったんだ。成り金でごうつくばりだったらしけど、恩人には礼をつくすんだね」
「だったらしいって…駐在さんはこの村の出じゃないんですか?」
「ああ、三年前にここに派遣されてきたんだよ。最近やっとなじんできたって感じかな」
 村人ではないのか…どおりで、社交的な人だと思った。と香藤は納得した。
「じゃあ、御竹様の話とかは知らないですよね?」
「ああ、あんまり知らないね〜。この村の人達も話したがらないし…あんな事件があったから余計じゃないのかな〜」
『先程の民宿の娘さんも、大人がピリピリしてると言っていたな〜』
「誰か話してくれそうな人はいませんか?」
「そうだね〜寺の住職なら話してくれるかもしれんよ。村の北側にある黎明寺って寺だよ」
「ありがとうございます」
 香藤は駐在さんと分かれて、野崎家に向って歩き出した。
 言われたとおり、すごい屋敷であった。この家の主人だった野崎寅男は、先程話にでてきた地主のところで(岩城さんのお父さんだろう)下男をしていたが、大阪に出て、堺で商売が成功して戻ってきたのである。地元の町では成金屋敷と呼ばれているらしい。
『ここに、岩城さんが……って駄目駄目、ここには調査に来てるんだから』
 胸が高鳴る自分を必死に押さえる。門をくぐり、屋敷に入ると対応してくれた家政婦さんに訳を話す。いくら待っても返事がこないので、調査に弱気は禁物、とばかりに香藤は勝手に家に上がり込んだ。
 廊下を歩いていると、奥の方から大勢の話声が聞こえる。近付いてみると、一つの部屋に人が集まっていた。
「馬場さん、どうなっているんですか?!」
 と、中年の女性が五十過ぎの男に詰め寄っている。
「で、ですから杉子さん、もう少し待ってくれませんかな?」
「だから、どこの馬の骨とも分からない探偵なんか雇うのは反対だったんですよ」
「し、しかしですね、本当に隠し子がいた場合、その子にも遺産をもらう権利はある筈ですから……」
「本当に隠し子がいるかどうか分からないじゃありませんか!そんな曖昧な事の調査に大枚はたくなんて……弁護士としてあなた失格ですよ!」
「は、はあ……申し訳ありません……」
「ねえ、お母さま。本当に僕にまだ兄妹がいるの?たんていさんが連れてくるの?」
 年は香藤とあまりかわらないと思われる青年が、もう一人いた中年の女性に声をかけた。が、その様子も口調も小学生並みであった。
「大丈夫ですよ。仮に探偵が現れたとしても、そんないい加減な奴の調べなど、信用できませんよ」
『ははあ〜今のが本妻の松江と長男の義男だな』
 と、いう事はもう一人のヒステリックになっているのが、妾の杉子だろう。杉子の息子の忠男はここにいないようだった。
 どうも聞いていると、雇った探偵が全然連絡を寄越さず、行方しれずになっているらしい。皆の口ぶりでは調査費をもって逃げたのでは、という事だった。
『なんていう探偵だろ?後で弁護士さんから名前聞いて、先生に調べてもらおう』
 と、香藤が考えていると。
「誰だお前?」
 声に振り向くと、いかにも遊び人風の男が香藤を睨みつけていた。
『次男の忠男だな』
 挑戦的な目で見られて、思わず反抗心が沸き上がる香藤だった。
「私は香藤洋二といいます。亡くなった先生の代わりに竹林を調べにきたので、ご挨拶にまいりました」
「ああ〜」
 と忠男はうんざりした顔をして通りすぎた。
「おい、あの学者の代わりの奴がきたぜ」
 部屋にいた全員の視線が香藤に集まる。皆、怪訝そうな顔で、好意的なものはまるでなかった。
『きびしそ〜』
「香藤洋二と言います。これから竹林を調べさせていただきますので、ご挨拶にと……」
「分かりました。せいぜい邪魔にならないように頼みますよ」
 松江がうっとおしそうに口を開く。
「まったく、こんな時に面倒起こされて、こちらはいい迷惑よ。警察にいろいろ聞かれるし……」
 杉子の言葉にはさすがの香藤もムッとする。
『面倒だと?先生の死をそんな風にしか考えてていないのか?』
「そうそう、せいぜい、隅っこでこっそり頼むぜ。あんな事件があって辛気くさい村が余計暗くなってきた。もらえるもんもらって、早く町に帰りたいぜ。おい、弁護士、まだなのかよ、その探偵の報告は!?」
「は、はあ…すみません……」
 馬場はオドオドした様子で汗をぬぐった。
「がくしゃさんって先生の事だよね?岩城さんが教えてくれたよ」
「まあ、そう良かったわね。義男はお利口さんだものね」
 どうやら松江の息子の義男は白痴のようである。二人の様子は少々不気味だが、美しい親子愛ともとれるかもしれない。それより、香藤は岩城の名前が出て来て、胸が跳ねるのを感じた。
「岩城さんはどうしたの?まだ、帰ってこないの?昨日の絵本を読んでくれるって約束していたのに……」
「岩城さんはまだ学校よ。もうすぐ帰ってくるわ」
「忠男、どこに行くの?」
「町に出てくる。このばかの甘ったるい声聞いてると、胸が悪くなってくる!」
 吐き捨てるように言うと、忠男は部屋を出て行った。
「まあ、なんて子なんでしょう!お里がしれるというものですわね」
「松江さん、どういう意味です?」
 松江と杉子の嫌味合戦が始まった。なる程、教えてもらったとおり、かなりの修羅場らしい。今日のところは退散しようと、香藤は屋敷を出た。

 屋敷を出てからその足で現場である竹林に向う。
『岩城さんに会えなかったな〜』
 しかし、今見た屋敷の様子と岩城の雰囲気があまりにも不釣り合いである。
『あんなところで本当に岩城さん暮しているのかな?』
 だとしたら、辛い思いをしているのではないだろうか、と香藤は岩城が心配になった。
 何故、こんなにも気にかかるのだろう?昨日始めて会った人なのに……
 考えながら歩いていると、竹林が見えてきた。そして、その竹林の前に人影が見えて、香藤は足を止めた。
『岩城さん?!』
 人影は岩城であった。竹林の前に腰をおとし、目をつぶって手を合わせている。
 見ると、岩城の前には花が供えてあった。寺本教授に手を合わせているのだ。
 見ず知らずの人に花を供えるなんて、信心深い人なのだろうか、と香藤が思っていると、岩城のその瞳から涙が一筋こぼれ落ちた。
『え……』
 驚く香藤が見つめ続けていると、岩城は目を開け、立ち上がった。香藤は咄嗟に身を隠す。
 岩城は香藤に気付かず、立ち去っていった。残された香藤は訳が分からなかった。
『どうして、岩城さんが寺本先生に涙するんだろう?なぜ?』
 いくら考えても分からなかったが、香藤は岩城の悲し気な横顔が、瞳に焼き付いて離れなかった。涙を流す岩城は儚気で、しかし、美しかった。
 何がそんなに悲しいのだろう?何故、悲しいのだろう?
 なにか自分にできる事はないだろうか、と香藤は本気で思った。
 彼の、岩城の悲しみを取り除いてやりたい、と、彼の事が知りたいと、香藤は狂おしい程の気持ちを抱き始めたのだった。

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