竹林の郷 3

  岩城は闇の中を歩いていた。周りから吹き付ける生温い風が頬をかすめる。漂う香りから竹林の中にいるのだと分かった。
 遠くから自分を呼ぶ声がする。こっちにおいでと手招きしながら呼んでいる。
 岩城は恐くなって駆け出すのだが、足が思うように動かない。
 背後に迫る長い手を感じる。自分を捕まえようとのばしてくる。見えない筈なのに、手をのばしてくる存在が長い舌をだしているのが分かった。
 岩城はそれが何を欲しがっているのか知っていた。
 必死に逃げるが、手は確実に近付いてきて、岩城の肩を掴んだ。
 岩城は布団から飛び起きた。荒い息をついて、額は汗でじっとりと濡れている。
『また、いつもの夢か……』
 幼い頃、あの事を知ってから、岩城はこの夢を頻繁に見ている。が、あの教授が殺されてからは毎晩この悪夢にうなされるようになったのだ。
 時が近付いている証拠なのだろうか?
『もう、限界かもしれない……』
 障子から差し込んでくる朝日は眩しかったが、岩城の心は闇に塗りつぶされていた。

 翌日、香藤は村の役所に電話を借りに出かけた。香藤が働いている東京の探偵事務所の明智先生に、野崎家で雇われたという探偵を調べてもらう為である。行く途中、子供達と歩いている岩城を見かけ、胸が高鳴った。
 岩城は初めて会った時の印象のまま美しい。
 黒髪に、黒く濡れた瞳。白い肌に優雅な物腰。
 品のある美しい微笑みに浮かべていて、それが自分にむけられていないのが腹立たしかった。
 竹林の中では自分に向けてくれた微笑みが、今は他の人のものなのだ。香藤の胸がずきり、と痛む。同時に何か違和感を感じる。
『なんだろう?』
 考え続けたが、結局分からないまま役所に着いた。
 明智探偵に頼むと、香藤は犯行現場である竹林に向かった。昨日は現場を調べたので、今日は周辺を調べるつもりだった。
 もちろん香藤は祟りなど信じていない。教授を殺したのは人間だ。怨恨は教授の人柄から見て考えにくい為、何かの事件に巻き込まれたものと考えている。しかし何の?
 香藤は行方知れずになっているという探偵が怪しいと思っていた。聞けば、教授が殺された時分から連絡がないらしいのである。
 その探偵の何かを見てしまい、殺されたか?
 また、もう一つ、民宿の娘さんから聞いた御竹様の話も気になっていた。
 もし、この村の御竹様への信仰が尋常でないとした、村ぐるみで生け贄を捧げる儀式などやっている可能性もある。大人達が事件以来神経質になっているようだし……
 香藤はこの二つの点から探りをいれるつもりであった。
 竹林を調べながらも香藤はその見事さにしばしばみとれた。
 長く延びた竹は美しい曲線を描いている。何千本ものそれは大きくしなり、空を覆いつくしている。こぼれ日が差し込んだその眩しさも美しかった。この竹に77年に一度咲く華とはどんな華なのだろう?きっと神々しく美しいに違い無い。その時香藤は奥に小さなけもの道があるのに気付いた。
『どこに通じているんだろう?』
 確かめようと、香藤は道を歩こうとした。が、背後から誰かに呼び止められる。
「そっちに行っては駄目だ!」
「え?」
 振り返ると、声をかけてきたのは岩城であった。香藤は身体の体温が一気に上昇したのを感じる。冷静を装いながら彼の前に立った。
「い、岩城さん……先日はどうも……」
「そちらの道は通っては駄目だ。先は迷路みたいな道になっていて、地元の者でないと帰ってこれない。底なし沼もあってとても危険です」
「あ、そうなんだ…教えてくれてありがとう……」
 見ると岩城の手には花が握られている。また供えにきたようである。
「ありがとう、先生に花供えにきてくれたの?」
「え、あ、ああ、まあ……」
「優しいんだね、岩城さん」
「……そんなのではないのです……」
 罪の意識からだ……
 という、言葉は心の中で呟いた。岩城は微笑んでいたが、それを見た香藤は先程感じた違和感の正体が分かった。
『無理している……』
 子供達に向けていた笑顔と違い、初めて会った時から自分への笑顔はとても人工的なものだった。初対面の時には分からなかったが、岩城の自然の美しい笑顔を見た後なら分かる。
『よそ者だから、警戒してるのかな?』
 それとも、あんな家にいるから、処世術でも身につけてしまったのだろうか?
 岩城は昨日の花をとり、新しい花を供えて手を合わせる。香藤も同じように手を合わせて拝んだ。
 香藤がいるせいだろう昨日のように涙は流さなかった。香藤は理由を知りたかったが、いきなり聞く訳にもいかず、じれったい気持ちであった。
「じゃあ……」
 岩城が立ち去ろうとしたので、彼とまだいっしょにいたい香藤は焦る。何か話題はないかと頭の回転を猛スピードで回転させる。そして、岩城の提げている鞄の中の本に目がとまった。
「岩城さん、洋書読むの?」
 それは仏語の原書の小説であった。
「ああ、一応……」
「原書読めるとはすごいね〜俺は日常的な簡単なものしか読めないや〜」
「そうなんですか?」
「留学したおかげで聞き取りは強くなったけどね」
「留学していたのですか?どこに?」
 岩城の顔がパッと輝く。
「え、巴里に……」
「巴里か…素敵だな…どんなとこでしたか?」
「そりゃ〜すごい都市だったよ。建築物もすごくて、圧倒されたよ」
「日本との違いはどこが一番感じましたか?」
「やっぱり技術かな。常に新しいものを取り入れようとする姿勢があるから、いいものはどんどん吸収されていくんだ。地下の下水道なんかそりゃすごいよ」
 岩城と香藤は長い間、そんな話をし続けていた。最後の方には日本のこれからのあり方や、変わらなければならないところなどを論争しあった。
 岩城はこんな田舎に住んでいるのに、最新の知識をもっており、考え方も進歩的で、不思議だった。が、神戸の大学に通っていて、卒業後、村に帰ってきたのだという。
 二人はまるで、前から知っていた友人のように意見をかわした。
 話ながら香藤は岩城がとても純粋な心の持ち主であると分った。どんどん、彼に惹かれていくのが分かる。
「実は留学する話が出ていたんです……」
「え、何故行かなかったの?」
「帰ってくるのが野崎さんの条件だったから……その条件で大学にいかせてもらったんです……」
「そうか……でも、これからいくらでも機会はあるんじゃない?それだけ語学力があれば通訳とかさ」
「……そう…ですね……」
 岩城の表情から笑顔が消えた。正確には自然な笑顔が、だ。話している間、岩城は心から楽しんでいる表情を見せてくれていたのに……
「あ、すみません、長い間話こんでしまって……御迷惑おかけしました」
「いえ、全然。俺も楽しかったです。それで、俺に敬語使わないで下さい」
「でも……」
「俺は24才で岩城さんより年下なんです。気にせず名前も呼び捨てして下さい」
「あ……はい……」
「それと、無理に笑わなくていいですよ」
「…え……」
「俺に気を使わないで下さい。不機嫌な時は不機嫌な顔でいいですから、無理して笑わないで」
「……………」
「生意気言ってごめんなさい。でも俺、岩城さんの笑顔好きだけど、無理に笑ってる顔見るのは辛いから……」
「…香藤……じや、じゃあ……!」
 岩城は慌ててその場を離れた。
「うん、じゃあね岩城さん」
 今まで誰にも言われた事のない事を言われて岩城の心は乱れていた。
 どうして香藤には分かってしまったのだろう?
 あの事を知ってから、岩城は村人達が恐くなったのである。皆、心の中で何を思っているのか分からなくなった。本当は自分の死を望んでいるのではないかと疑ってしまうのである。気を楽にして話せるのは子供達だけ…
 平静を装おう為に笑顔という仮面をつけた。そして、誰にも見抜かれた事はないのに……
 香藤は見抜いていた……
 香藤と話していた間、いつも頭の片隅にあるあの事を忘れていた。彼と議論し、意見を交換していた間、どれだけ楽しかっただろうか。
 彼の暖かい笑顔を思い出して、岩城は胸が熱くなった。

 岩城と別れてから、香藤は黎明寺を訪れた。例の御竹様について聞く為である。
 寺の住職は温厚で人のよさそうな老人だった。
 そういった儀式が行われているならば、和尚も関与している可能性があるが、とりあえず話は聞いてみたい。
「御竹様の事ですか?」
「ええ、本当に生け贄などが捧げられていたのですか?」
「……らしいですね……」
「前回は江戸時代末期となりますが、その時もですか?」
「……正しくは地主の息子が自ら生け贄になったという話です」
「自ら?」
「御竹様に魅入れた一族である地主は、なんとか息子を助けたかった。そこで、村人の男を一人、代わりに生け贄に捧げたのです」
「ひどいですね……」
「ええ、御竹様はお怒りになり、竹が枯れ始めたといいます。この村にとっては死活問題でした。他にも竹林で男が死んでいたり、と災いが次々と起こりました。罪の意識に耐えかねた地主の息子がある夜、こっそり竹林へ出かけ、そこで自害したのです。翌朝、彼の遺体が発見された時には竹の華が見事に咲き誇っていたという事です」
「……それは本当にあった話ですか?」
「ええ…77年前ですからね。村には当時を知る老人が何人かいますので確かです」
「では、今年も生け贄を捧げるつもりなのでしょうか?」
「……私にはなんとも……」
「その生け贄になる一族の者はいるのですか?」
「……ええ……一人だけ……」
「誰です?」
「…………」
 和尚は口をつぐんで俯いてしまった。香藤は先程の話をもおう一度考えてみる。
『地主の息子って事はこの村の権力者か…ではかなりの財力がある筈…野崎家は……最近金持ちになった成り金だしな……まてよ……』
 香藤の頭に駐在さんの言葉が横切った。
『岩城さんのお父さんが、昔の地主で、……』
「ま、まさか……」
「……………」
「岩城さん!?岩城さんが魅入られた一族の末裔なんですか?!で、でも地主だったんでしょ。どうして野崎家の世話に?」
「……岩城の大旦那様は人がよろしくて、貧しい者達に財産を分け与えて散財してしまったのです」
「……あ……」
「村人達は岩城の大旦那様も奥様も好いていました。京介ぼっちゃまもです。生け贄にしようなどと考えておりませんでした。しかし、今回の事件で村人らに不安が広がっています。また災いがくり返されるのではないかと……」
「……そんな……」
 なんて事だ……
 香藤はふらつきながら寺を出た。頭に岩城の涙を流していた時の顔が浮かんでくる。
 あの時、先生に花を供えて泣いていたのは、自分のせいで先生が死んだと思っていたからだ。自分が生け贄にならなかったせいだと……
「違う…絶対…違う……」
 無意識のうちに香藤は呟いていた。生け贄などあってはならない行為だ。人の犠牲の上に成り立つ平和などまやかしだ。絶対にそんな犠牲を許してはならない。これにはきっと裏がある。
「俺が暴いてみせる……」
 香藤はそう堅く決意した。
 無邪気に自分の話を聞いていた時の彼の瞳はキラキラと輝いていた。少し話しただけなのに、彼がとても純粋な心の持ち主なのだと分かる。そして大きな器をもっている人だという事も。
 もっと飛躍していける人なのだ。大きく羽ばたける翼を持っているに違い無い人だ。きっとたくさん押し殺してきた事があるだろう。香藤は彼を救いたかった。彼のもつ翼を広げさせてやりたいと、心から思った。

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