竹林の郷 4

  民宿の部屋で香藤はこれまでの経過と分かった事を、紙に書きあげてみた。
 まず野崎家の人間関係から。
 家の主人だった寅男は他界。それから遺産相続の争いが起きている。
 本妻の松江と、松江の息子の義男。妾の杉子と、杉子の息子の忠男との間である。
 弁護士の馬場は昔、寅男からそれとなく聞かされていたので、外に他に子供がいないか調査中。雇った探偵は今のところ連絡なし。調査費を持って逃げたのでは、という噂もある。
 明智先生に実際その雇った探偵を調べてもらったが、評判は良くないそうである。場合によっては依頼主を脅したりして、確かにあいつならトンズラしそうだ、と回りからも言われていたらしい。また、詳しい調査をして報告してくれると約束してくれた。その他に香藤は気になる事があり、先生に頼み事をしていた。
 そして、もう一方の御竹様に関する事として分かったのは……
 まず77年に一度咲く竹の花に生け贄を捧げる風習が合った事。生け贄になる血筋は決まっている事。そしてそれが岩城さんだという事……
「……はあ〜……」
 香藤は畳の上に仰向けに寝転がった。
 なぜ彼なのだろう。
 岩城の顔を思い出して、香藤は胸が痛くなった。
 あれから、香藤は毎日でかけ、学校から帰る岩城を待ち伏せして話すようにしている。彼が思いつめて自ら犠牲とならない為に、見張っていようと考えたのである。
 最初は人助けなんだと、自分に言い訳していたが、そんな言葉では通用しないくらい、彼への想いは大きくなっている。
 もう香藤は自分の気持ちに気付いていた。
『俺は岩城さんが好きなんだ……』
 初めて会った時から惹かれていたのだ。いつも、いつも彼を思っている。
 毎日話しているうちに、彼は次第に自分に心を許してくれるようになっていた。岩城はとても純粋な心の持ち主で、嘘など知らないのでは、と感じるぐらいだ。時折、香藤は自分が本当は探偵なのだと打ち明けたくなった。
 自然な微笑みもたまにだが、見せてくれる。しかし、岩城はいつも怯えたような、悲しい瞳をしていた。理由を知っているだけに香藤は見ていて辛かった。彼の心からの笑顔が見たい、と切に思ったのである。
 だから、香藤はなんとしても、事件の真相を見つけだし、生け贄など捧げる必要はないと、証明しなければならない。
 寺本教授が、自分が生け贄にならなかったせいで死んだと思っている岩城の為にも……
 岩城は地主の息子で10年程前、母親が亡くなってから野崎寅男が引き取っている。恩人への恩返しのつもりらしい。
 野崎家の家政婦である久子に聞いたところ、寅男は岩城を非常に可愛がっていたそうである。絶えず、側においておきたがり、大学にもやりたくなかったようだ。が、松江の陰湿ないじめを受けていたので、やむをえず許可したのだ。ただし、卒業した後は帰ってくる条件で……
 松江の息子の義男は見てのとおり白痴である。そんな息子には目もくれず、他人の岩城ばかりを可愛がる夫を見ていれば、松江のいじめも分からないでもない。かと言って同情はできないのだが……
 義男の方はといえば、岩城を兄のように慕っていて、いつも甘えているらしい。岩城も彼に辛抱強く勉強を教えたり、本を読んでやったりと、世話をかってでているのだとか。
『岩城さん優しいもんな〜』
 本当に、あの家にそぐわない人だ。
 家政婦の久子は元々、岩城家に仕えていた人で、幼い頃から岩城さんの面倒をみていたそうである。彼女は岩城さんをとても心配していた。彼女がいるからこそ、岩城はあの家でも耐えていられるのだろうと分かり、香藤は彼女に感謝した。
 野崎家にいる人々は、金の為なら人殺しくらいやりそう奴らばかりである。偶発的に寺本教授を殺すぐらいやるだろう。
『竹林の中で何があったのだろう……あの闇の中で…それに何故遺体をバラバラにする必要があったのか?』
 教授は竹を調べにこの村に来ていた。竹の華が咲くのは60年とも100年に一度とも言われ、その生態は詳しく分っていない。なにしろ周期が長過ぎる。一人の研究者が一度見れるかなのだから。
 大抵は華を咲かせた後、竹は枯れる為、竹の華は不吉なものとされている。竹に生活がかかっているこの村では死活問題だったろう。
 しかし、この村では竹は華が咲いた後も枯れないのである。村のすべての竹林が咲く訳でもなく、左回りの集落ごとに咲いているそうである。そして今年は寺本教授が殺された場所の竹林が咲くと、予想されているのだが……
『もしかして……』
 香藤は、身を起こした。
『昔、竹が枯れていた時期があったのかもしれない…ところが生け贄を差し出した時だけ枯れなかったとか……そこから、こんな風習が根づいてしまったのかもしれない……』
 では、その竹の生態を調べて、それが偶然の産物であった事を証明すれば……
「って何年かかるんだよ……あ〜もう〜」
 香藤は頭を掻きむしって、また仰向きに寝転がった。と、壁にかけられた時計が目に入る。岩城が学校から帰ってくる時刻である。
 香藤はすばやく起き上がり、少し胸を弾ませながら岩城がいつも通る道に向った。

      *

 いつもの田んぼのあぜ道で待っていたのだが、いくら待っても岩城はやって来なかった。日が暮れ始め、香藤の胸に不安が広がる。
 用具入れの掃除を近くやろうと思っていると言っていたから、それで遅くなっているのかもしれない。
 だが、どうしても嫌な方へと考えがいってしまうので、香藤は学校へ行く事にした。掃除をしているのなら、手伝えばいいのだ。
 少し歩くと、学校というにはあまりに小さな、古い建物の屋根が見えてきた。その時、校舎の一番奥の小さな窓から誰かが顔をだしているのが見えた。なにやら、辺りを伺うような様子である。よく見るとそれは忠男で、香藤は意外な人物に胸騒ぎを覚えた。
 彼は香藤に気がつかず、誰もいない事を確認してから窓を閉めた。香藤は思わず走りだしていた。
 辺りには誰もいない事を確認してから忠男は用具室の窓を閉めた。足下に気を失って倒れている岩城を眺め、下卑た笑みを浮かべる。
 岩城は白いシャツに黒いズボンという軽装で、両手は後ろで一つに縛られていた。
 岩城の身体を仰向けにすると、シャツのボタンをはずすのももどかしく、そのまま引き裂く。彼の白い、美しい肌が露になる。
 忠男は思わず息を飲み、手で肌をまさぐりだした。項に口付け、徐々に胸元へと舌を這わす。胸の突起に触れると軽く歯をたてた。
「…あ……う……」
 岩城が小さな甘いうめき声を漏らしたので、忠男は顔をあげた。
「おい、岩城」
 岩城の顔を覗き込みながら、忠男は手の甲で軽く彼の頬を叩く。
「起きろよ、これからなんだぜ、いい声聞かせろよ」
「…う……」
 岩城が身じろいだ時、後ろの扉が突然開いた。驚いた忠男が振り向くと、そこに香藤が立っていた。
 目に飛び込んできた情景に、香藤の怒りが一気に沸き上がる。
「貴様!」
 忠男に飛びかかり、頬に一発食らわせる。
「この野郎〜!」
 忠男も負けじと拳を振るが、香藤は難無くかわし、今度は彼のみぞおちに蹴りを入れた。
 忠男は苦しそうに咳き込み、身体を折り曲げる。
「お、覚えてろ!」
 負け犬の決め台詞をはいて、忠男はよろめきながら用具室を出ていった。
「岩城さん!大丈夫!」
 香藤は急いで岩城にかけより、手を縛っている縄をほどいた。外見を見るかぎり、どこにも怪我はない。香藤がほっと息をついた時、岩城の美しい身体が目に入ってしまう。
 大きくはだけられた白い肌。無造作に投げ出された長い手足。細い腰が綺麗な曲線を描き、胸の突起が濡れて光っているのが目に入る。あまりに妖しいその姿に、香藤は身体が熱くなるのを感じた。それは情欲の熱だと分っていたので、香藤は慌てて目を反らした。
『だ、だめだ、これじゃ、さっきの忠男と同じじゃないか』
 香藤はそっぽを向いたままシャツの前を合わせる。ボタンをとめようとしたが、無かったので出来なかった。
「岩城さん?岩城さん…」
 身体を軽くゆすり、声をかける。
「ん…あ……ああ……か、とう……」
 うっすらと開いた潤んだ瞳の美しさに、香藤はまたも目を奪われてしまった。
「…どうしてここに……って俺は一体……」
 岩城はゆっくり起きあがって辺りを見渡した。
「いつもの道で岩城さんを待っていたんだけど、あんまり遅いから来ちゃったんだ。忠男がいたけど……何かあったの?」
 香藤はできるだけ、自然に尋ねた。忠男が何をしようとしていたか、知らないなら、そのままの方がいいかと思ったのである。
「…忠男君が……あ…そうだ、掃除していたら彼が来て……」
 岩城は先程の出来事を思い出していた。
『よう、俺はもう町に帰るわ』
 用具室に入ってきた忠男はいきなりそう言った。
『こんなつまんねーところにいたら身体が腐ってきちまう。後はおふくろがやってくれるだろしな』
『……そうですか……』
 岩城は何故そんな事をわざわざ自分に言いにきたのか不思議だった。
『あんた、この先どうするつもりだ?寅男もいなくなったんだし、これからはあの家にいたって松江にいびられるだけだぜ』
『……………』
『それとも、生け贄になれって村人から言われたらなるつもりか?』
 岩城の身体がびくりと動いた。
『もったいないな〜綺麗な身体してんのに』
『は?』
『竹にやるには惜しいんじゃねーの』
『なんの話ですか?』
『竹にくれてやる前に俺に味わわせろよ』
『え?何を言って……』
 岩城が言い終わる前に、忠男はハンカチのようなものをポケットから取り出し、それで岩城の口を塞いだのである。それからは意識を失い覚えていない。
「……何か薬の匂いがした……」
『クロロホルムか何を嗅がせたな……』
 なんて奴だ!と、香藤はまた新たな怒りが沸き上がるのを感じた。
「それから俺はどうしたん……」
 岩城は香藤に聞こうとしたが、自分のシャツのボタンがない事に気付いた。
『え?なぜボタンが……?』
 岩城はしばらく考えていたが、分かったらしく、慌ててシャツの前を掴んで合わせた。香藤が見ると、頬が真っ赤に染まっている。
 不謹慎だと思いつつも、香藤はそんな岩城の姿を可愛いと思ってしまうのだった。

 心配なので、香藤は岩城を家まで送る事にした。もう大丈夫だとは思うが、またあのろくでなしの忠男が来ないとも限らないからである。
「あ、ありがとう…もうここで……」
 門の前で岩城は香藤に礼を言った。
「うん、ここまでくれば安心だね……岩城さん……」
「ん……?」
「大丈夫?」
「……………」
 香藤が心配そうに見つめてくる。
「……だ、大丈夫だ……」
 両親が亡くなってから、こんなはっきり心配してもらった事のない岩城はとまどった。香藤の視線が眩しく感じる。
「そう?でも、無理しないでね」
「あ……ああ………」
「じゃあ、俺は帰るよ。また明日ね」
「……ああ……」
 岩城は小さくなっていく香藤の後ろ姿を見送った。
 ずっと夕暮れに霞んで見えなくなるまで……
 無理をしないで
 前にも香藤に言われた言葉である。
 そうかもしれない……
 と、岩城は思った。
 長い間、うわべだけの自分を演じるのに慣れてしまっていた。仮面をかぶって生きる事に……
 村の者ではないせいだろうか、香藤の前だけは仮面をかぶる必要はなかった。彼の前だと自分の言いたい事が言えて、聞きたい事が聞けるのだ。彼はいつでも、はっきりと言葉を返してくれるから……
 彼はとても優しくて、太陽のように明るくて、彼といる時はとても暖かかくて……
 いつの間にか、香藤といつまでもいっしょにいたいと願っている。
 しかし、しょせん無理な話なのだ。
 時は無情に、確実に過ぎていく。
 その時はいつか必ずやってくるのだ。と、岩城は思っていた。

 

 そして、翌日。あの竹林で忠男が変わり果てた姿で発見されたのであった。

            戻る      次へ