竹林の郷 5

 香藤がそれを知ったのは、例の竹林に出かけた時の事だった。反対の道から駐在さんが自転車を必死の形相で走らせていたのである。
「おはようございます。何かあったんですか?慌てているようですが……」
「あ、ああ、あんたかい!これからあの竹林に行くんかい?」
「ええ…何か?」
「じ、実は、そこで野崎家の忠男が死んでるのが発見されたんだよ!」
「ええ!本当ですか?!」
「い、い、今封鎖してるから入っちゃいかんよ!」
「いつです?!」
「あ、ああ…今朝だ。近道だからって通りかかった田中さんとこの坊主が見つけたんだ!」
「バラバラになった遺体を子供が発見したんですか?それは……」
「いや、今度はバラバラになっとらんよ。竹が喉元に刺さっとった」
「……それで遺体はどこに?」
「とりあえず警察所に運んだよ。遺族に遺体の確認もしてもらわなきゃならんしね。じゃ、急ぐから」
「待って下さい、俺も行きます」
「え?」
 驚く駐在さんをしり目に、香藤は無理矢理自転車に乗り込み、駐在さんを後ろに載せて走りだした。空の雲行きがあやしくなり、辺りが暗くなってきている。もうすぐ雨が降りそうな気配であった。

 警察所の遺体安置所に、忠男の遺体は置かれていた。隙をみて、香藤はこっそり中に入った。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、成仏しろよ」
 香藤は目をつぶり、手を合わせて拝んだ後、かけてある布をめくる。
 忠男は喉と口から血を流して死んでいた。駐在さんが言っていたとおり、まるで生えているかのごとく、喉に一本の竹が刺さっている。両目は見開かれ、苦悶の表情が顔に刻まれていた。
 ざっと遺体を見たろころ、死斑の出方や死後硬直の具合から、死後、半日程であると予想された。
『あの時、学校から逃げ出していった後に殺されたのか』
 もしかしたら、その直後かもしれない。争ったような形跡はない。しかし、何故今回はバラバラにしなかったのだろう?それに、竹など、武器としてはあまりに使いにくい道具だし、力も相当いる。
 もう一度傷口を調べた香藤はおかしな点に気がついた。切り口の皮膚がところどころ外に飛び出しているのである。
『これは、竹を一度抜いて、また刺したのか?』
 それとも、ねじこむように突き刺したか?
 と、いう事は、竹を喉に刺した時、忠男はすでに死んでいた?
『そうか、犯人は一度刃物で忠男の喉を切り裂いて殺しておき、それからその傷を隠す為に竹をわざわざ突き刺したんだ。御竹様の祟りにみせかける為……』
 刃物で殺したのであれば、力のない者でも犯行は可能だ。
「それじゃあ、遺体の確認は終わっているんだな?」
「はい、母親の杉子さんが確認しました」
 外から声が聞こえ、ドア開かれる。
「誰だお前は?」
 いかにも刑事です、といった感じの中年の男が香藤に怒鳴り口調で言い放った。
「あ、こんにちは、俺は香藤洋二といいます」
 香藤はペコリと頭を下げる。
「何してるんだ、こんなところで?早く出ていけ!」
「実は昨日彼と会っていまして…もしかしたら、別れた後に殺されたのかと……」
「何?」
 香藤は昨日学校で彼に会った事を話した。一応岩城を襲った事は黙っておく。
「それは何時頃の事だ?」
「暗くなりだした頃ですから午後6時前後です」
「殺されたのはその後か……」
「遺体は竹林の中で発見されたんですよね?運ばれたり、引きずったような後はありませんでしたか?」
「そんなものはなかった。あそこで殺されたのに間違いない。血も多量に辺りに飛び散っていたしな」
『血?そうだ…先生の時はどうだったのだろう?』
「駐在さん、寺島教授が殺された時、辺りに血は飛び散っていましたか?」
 香藤は刑事の後ろにいた駐在さんに声をかける。いきなり話をふられて、駐在さんはびっくりしてしまう。
「へ?血?さ、さあ、気がつかなかったな〜……」
「犯行現場の写真とかありませんか?」
「おい、お前何聞いてるんだ?」
 刑事が怪訝そうな顔つきで香藤を睨んでくる。
「素人が何関係ない事聞いてるんだ。さあ、帰った、帰った」
 と、香藤は警察所を追い出されてしまった。
「ちぇ〜」
 民宿に一旦帰ろうかと思ったが、香藤は岩城の事が気になり、野崎家に向かった。

 到着すると予想通り大騒ぎになっていた。おそらく杉子だろう、奥から女性の泣きわめく声が聞こえる。
「ごめんください〜」
 声をかけてみるんだが、誰も聞いちゃいない。おずおずと門をくぐり中を覗きこむ。
「まあ、香藤さん」
 久子が香藤に気付いてくれた。
「大変な事になりましたね…杉子さん、大丈夫ですか?」
「はあ…あまり……」
 暗い表情になる。
「岩城さんは……」
「まだ、帰ってきていません……知らせをやったので、子供達を送ってから帰ってくるのだと思います……」
「そうですか?」
「香藤さん、お願いがあります。京介ぼっちゃんが帰ってくるのを止めて下さい」
「え?何故です」
「それは……」
 久子が言いかけた時、皮肉にも玄関に岩城が現れた。走ってきたらしく、息があがっている。
「久子さん、忠男君が……香藤?どうしてここに……」
「岩城さん……」
「お前〜!」
 家からすごい声が聞こえ、三人は一斉にそちらに目を向けた。すると、出刃包丁を持った杉子が涙を流しながら岩城に飛びかかってきたのだった。
「やめろ!」
 香藤は咄嗟に杉子に体当たりをかました。一度倒れた杉子だったが、起き上がり、また岩城に包丁をふりかざして襲ってくる。
「お前のせいだ!殺してやる〜!」
「何をするんだ!やめろ」
 香藤は襲い掛かる杉子を後ろから押さえ込んだ。家にいた他の男達もやってきて、必死に杉子を押さえる。
「やめなさい、杉子さん!」
「何すんだ〜!」
「離して〜、こいつのせいで忠男は死んだんだ〜こいつが生きているせいで忠男が竹の祟りで〜!」
 杉子は完全なヒステリー状態ですごい力だった。香藤を含む、男が三人がかりでやっと押さえていられる程である。
「お前がさっさと死なないからだ〜!忠男が死んだのはお前のせいだ〜!早く死ね〜!」
 押さえながら、香藤達は杉子を家の中へ引きづるように連れていく。香藤が気になってちらりと見た岩城は真っ青な顔色で呆然と立ち尽くしていた。
 すぐに駆け寄ってやりたかったが、手を離す訳にも行かず、香藤は部屋に杉子を入れた。
 部屋に入ると杉子は畳に伏して、大声で泣きだした。なる程、杉子がこんな状態なので、久子は岩城が帰ってくるのを止めてくれ、と言ったのだ。
「絶対目を離さないで下さいね」
「は、はい」
 香藤は他の下男と家政婦達に言い残し、岩城のところに戻った。が、玄関に彼の姿はなかった。
「久子さん、岩城さんは!?」
「自室に入って行かれました…呼んでも、お返事がありません……」
「どこです?!」
「この奥です……」
 香藤は胸騒ぎがして、急いで岩城の部屋に行き、襖の前から声をかけた。
「岩城さん、大丈夫?岩城さん?」
 返事はない。
「開けるよ!」
 そういって香藤は襖を開けたが、岩城の姿はない。しかも窓が開けっぱなしで、ここから外に出て行ったらしかった。
『まさか、岩城さん!?』
 香藤は急いで野崎家を飛び出す。外は大雨が降りだしていた。 

 岩城は大粒の雨を身体に受けながら、あの竹林に向って走っていた。手には母の形見の小柄が握りしめられている。
 いくら足掻いても自分の運命から、この竹林の郷の掟からは逃れられないのだ。大学に行く為、この地を離れた時も、絶えずこの竹の事が頭にあった。うっそうとした闇に覆われた竹林が……
 この時が来るのは覚悟していた筈だ。
『それがやってきただけの事だ……』
 岩城は立ち入り禁止の看板がかけられた綱を跨ぎ、竹林の中に入っていった。そして、跪き、小柄を抜いた。
『…もっと早く、こうするべきだったのだ……』
 そうすれば、あの教授も、忠男も死なずにすんだかもしれないのに……
『……もう誰にも死んで欲しくない……』
 岩城は目をつぶり、刃を喉元にあてがう。
「岩城さん!」
 香藤が声とともに飛びかかり、岩城の小柄を持った手を掴んだ。
「香藤!?」
「岩城さん!ばかな真似はやめてくれ!」
「離してくれ!香藤!俺はこうしなければならないんだ!」
「何言ってるの?!そんな訳ないだろう!」
「俺が死ななければ、また誰か死んでしまうんだ!」
「岩城さん!それは違う!」
 二人は竹林の中、地面に倒れ込んで、揉み合っていた。竹にさえぎられて雨はほとんど降ってこないが、叩きつける音は外から響いている。まるで、閉ざされた空間のようであった。
 業を煮やした香藤は、いきなり刃を握りしめた。彼の指の間から血が溢れ、柄を持っていた岩城の手に伝ってくる。
『え!?』
 一瞬ひるんだ岩城の手から力が緩み、その隙に香藤は小柄を奪い取って遠くへ投げ捨てた。
「岩城さん!聞いて!」
 香藤は岩城の両肩を掴んで大声でさけんだ。
「教授や、忠男が死んだのは、祟りなんかじゃない!何者かによって殺されたんだ!」
「…で、でも……昔から竹の華の咲く時は……」
「竹は、自然は、人の血なんか欲しがったりしない!もし、人の犠牲を望むものがあるとしたら、それは人なんだ!」
「え……」
「人の欲望が、黒い気持ちが求めるものなんだ!」
 竹が枯れた時、人々の心に宿っただろう、恐怖が犠牲を欲するのだ。何かを犠牲にする事で安心を得ようとするからだ。
「そんなものに負けちゃ駄目だ!死んじゃ駄目だ岩城さん!」
「香藤……」
 香藤は岩城を強く抱き締めた。
「好きだ岩城さん……あなたが……」
「…か…とう……」
「愛してる……だから生きてくれ!俺がきっと証明してみせるから!死なないで!」
「香藤……俺は……生きていても…いいのか……?」
「生きてくれ!死んじゃ駄目だ!」
「香藤……!」
 岩城も香藤の背中に手を回し、彼を抱き締めた。
 ずっと聞きたかった言葉を香藤が言ってくれた。
 誰も何も岩城に言わなかった。死ぬべきだとも、生きるべきだとも。沈黙という名の圧力が、岩城にはなにより苦痛であった。
 生きたいと思う事は罪だと思っていた。そんな気持ちを、ずっと押し殺してきたのに……
 岩城は初めて、自分の気持ちを正直に見つめる事ができた。その勇気を、香藤が与えてくれたのだった。

            戻る      次へ