伊達と桃の性格について(脳内妄想)


注意:あくまで私個人の脳内妄想ですから、これが正しい、なんて露程にも思っておりませんです。
そして「自分が書くにあたっての脳内妄想」ですので、読む分にはまったく全然これっぽっちも関係ありません。それをふまえた上でお読み下さい。
★「伊達について」「桃の謎」と重複するところがあるのはご勘弁下さい;

まず、伊達ですが、私は伊達って「強い人間」だと思ってます。精神的にも肉体的にも。
でもって、ずっと「自分の居場所」を探してたんじゃないのかな〜とか思ったりしております。アニメの主題歌じゃないけど
「どこだ、どこだと探す、俺の居場所を探す」
って感じで。
三年前に「男塾」に入塾したのも、「ここに俺の居場所があるかも?」だったような気がするんですよね。その後「豪学連」に入ったのもそんな感じかと。周りは伊達ほどの男を放っておかないし、求められるままに総長になったりしたのは「自分の居場所探し」した結果だったのかと。「家」と言ってもいいかな。
しかし、やっぱり「ここ」ではなかった。
「男塾」に再入塾して八連制覇を成し遂げた時に初めて「自分の居場所」を見つけられた。
それは、桃という自分が認める男がいたから、っていうのもあるだろうし、富樫や虎丸や「自分を理解」してくれる人の存在があったからだと思う。
「何も求めてこないのに自分がいる事を当たり前だと思ってくれる人の存在」
これって家族と似たような感じではないでしょうかね。
某マンガで
「俺は今まで自分が「居てもいい」と思える場所が少なかった。しかし、ここは違った。なんの事はない。振り返ると誰かが自分に温かい笑みを自然に返してくれる。そんな場所だった」
みたいな台詞があるんですが、これが私の「伊達の設定」にピタッとはまるのです〜
だから、大四凶殺以降の伊達の方が、断然強い、と私は思っております。感情隠さず、敵をおちょくる余裕もあるし;
それ以前の伊達はちょっと不安定かな〜と。「力こそすべて」みたいに思っている感じで。(そう思わされる環境におかれたからだろうけど)でも、こういう考えって他の言い方したら、力に頼っている、とも言える訳で〜自分の内に確固たる信念を持って「強い」わけではない、と思うのです。
「帰るところがある」「理解者がいる」っていうのはやっぱ芯が強くなれるですよ。
「男塾」も「豪学連」も伊達が作った場所ではない。
けれど「天より高く」では「伊達組」という「自分の家」を自分で作っていた。この時はもう伊達ってどしっと安定しているように感じる。芯が通ってる感じがする。
ただ、「冷酷な判断」しなきゃいけない大将という立場だけど。
もちろん、伊達は後悔なんぞしないし、疑問ももたないと思っております。「本当の意味で強い人間」だから。
いきなりですけど(もしかしたら不快に思われる方がいるかもしれないけど)私、伊達って煙草吸わないと思ってるんですね;吸ってる姿はカッコ良いと思うので、読んだり見たりする分には全然違和感ないのですが、自分が書く、となるとなんか違和感があって書けない;これは書き始めてから気付いた;
多分、原作にも伊達が煙草吸っている姿ってなかったと思う(「男塾」にも「天より〜」も)他の人もそうでしたけど、私が覚えている限りは卍丸先輩ぐらいかな?
私の勝手な感覚ですが、どうも私って煙草吸う人って繊細な人、というか弱い人(嫌な意味ではない)ってイメージあるみたいなんですよ;
例えるならヴィンセント・ヴァン・ゴッホみたいな。
繊細で感受性が高くて感情の起伏が激しくて、そんでもって人に自分の気持ちを伝えるのが下手な人で、なんとか自分を表現したくてああいった絵が描ける、というかね。芸術肌な人、というか。(だから芸人さんはヘビースモーカーが多いってイメージがあるな〜)
でも、武道家って「心身ともに鍛える」のだから精神は安定しているんじゃないかな〜と。だから煙草吸わないってイメージなんですよね。伊達だけじゃなく、桃や赤石先輩も吸わないイメージです。
伊達が煙草吸うとしたら凶殺以前かと。自分から進んで武道家になった訳ではなく、無理矢理ですからね。不安定でも当然かも(桃や赤石先輩は自分から修行したと思うし)んでもって「ゲホッゲホッ」と、むせてたりしたら、可愛くて萌える!誰か描いて!(言いたいのはそこかい;)
さて、お次は桃の性格について〜
「男塾」最大の謎の存在である桃ですが、伊達と同じく桃は「強い人間」だと思っております。精神的にも肉体的にも。戦闘能力的にもね;本当の意味で「強くて優しい人間」だと。
生い立ちは謎ですが、生まれは良さそう。
あの、おおらかさ見ると愛されて幸せに育ってると思う。素直だからみんなから愛されるし。感情を隠さないのは余計な劣等感がない証拠。でも、その幸せな期間は短かったんじゃないかって気がするのですよ。年上の人に懐いたり慕ったりするのもその表れかと。
決して世間知らずな訳じゃないのですよね〜;世間の汚さも知っているのに歪んでいない。これってすごいよ。
私が桃はすごい、と一番思うところは「憎まない」ところです。
「怒り」とか「悲しみ」とか持っても決して憎しみは抱かない。
大四凶殺の最終戦で伊達と対決しますが、伊達が腕に三面拳の名を刻んでるのを見て伊達を助ける。
しかし、この時点で桃にとって三面拳は「友を殺した奴」な訳です。勝負した結果だけど。
桃にとって殺された友が「たいしたことない友達」なんかじゃないのは、桃も皆の後を追おうとした事で分かる。
なのに「お前も俺も友を思う気持ちに変わりはない」
とよく言えるよ。並の器じゃ出来ません。「桃ってすごい」と思います。
「罪を憎んで人を憎まず」と言うけれど、これってすごく難しいのですよね。はっきり言って人を憎んじゃった方が楽なんだよね。感情のはけ口に出来るから。
「天より〜」で、ソラが桃を殺そうとする時、桃は微笑んでますよね。
「お前は笑って死ねる人間なのかよ」ってソラがいいますが、これも「憎まない」表れだと思う。また「いつ死んでも悔いのない生き方」してるんではないかと。
でも、始めの頃は、まだ甘ちゃんって感じがありますよね。
桃も強くなったのは大四凶殺以降じゃないかな〜って気がする。
伊達の言葉じゃありませんが「友を亡くす前とは別人のような戦う男の顔だ」ですな。
虎丸が指摘していたように「筆頭としてこの戦いのすべてを見届け、勝利するという義務がある」
その義務を背負う覚悟が出来たからじゃないでしょうか。
友(大切な人)は誰も死んで欲しくない。
でも、友が自分の信念と矜持を全力で賭けるのなら、どんな結果が出ようと受け止める。受け止められる人間にならないといけない。止める事は友の信念や生き方を否定する事になってしまうから。そしてどんな結果が出よう憎まない。
これって辛いよね〜
強くて、しかも包み込む優しさがないと出来ないと思う。
映画「グラン・ブルー」のラストシーンでございますよ。(ネタバレなので知りたくない方は以後スルーして下さい)
戻らない(死ぬ)と分かっていて海に潜って行く恋人(男)に恋人(女)が言います。
「go and see my love」(私の愛を見てきて)
というやつでございます。
愛情が深くないと駄目(変は意味ではありません)
やっぱり桃は本当の意味で「強くて優しい人間」なんだと思う。
しか〜し、あまりに愛情が深くて、皆を愛しちゃうんだよね〜;(変は意味ではありません;)「桃の謎」にも書いたけど、桃の「特別」になるのは本当にマジで大変だと思うのです;
究極のマドンナだよな〜桃って;(私の中では;)