桃の謎について(戦闘編)


※桃ちゃんは謎が多いうえに愛があるので、語りが長くなってしまいます。なので各項目に分ける事にするざますv

謎多き主人公である剣桃太郎について語ってみましょう。
過去や素性は一切明かされておりませんが、(私が勝手に考えた生い立ちは「キャラ考察」で)育ちは良さそう(実は勝手に妄想している桃の過去話がありまして(幼少期)いつか形にしたい、と思っています;)
おおらかな性格をしているところから、愛されて幸せな幼少期を過ごしたのだろうと推察。初期のいたずら好き、もめ事もおもしろい〜って感じから俗に言う「いい性格」である事も分かる;でも、歪んでいない。
ただ、優しいとか純粋なだけではなく、人の気持ちをくむ事が出来る。結構人の汚さなんかも知っているけど、自分は汚れないんだよね。
それに「もてもて」。
いや、変な意味ではなく、敵も味方も友達になれる(ライオンも;)魅力をもってる。みんな、その魅力の虜になっちゃうんだよね。しかし、虜になった者と虜にした桃の立場はあくまで対等。ここが重要。
桃は一号生筆頭を経てのちに総代になりますが、邪鬼様と違って桃に誰も敬語使ってない。むしろ先輩に対して桃の方が敬語使ってる。
桃ってかなり特殊な「将」だと思う。
総代としての責任や義務はきっちり務めるけど、部下となる塾生には何も強制していない。個人の自主性にまかせている。「部下」ではなく桃にとっては「仲間」「友人」「級友」であり、一号生のどんなに目立たない塾生に対しても、おそらく桃は態度を変えず、わけへだてなく接するのだろう。
そんな桃に対してみんな、彼の信頼に応えたい、役に立ちたい、と「自主的」に頑張る訳だ。
桃って太陽や月みたいなものなのね。
誰にでも平等に光を与える。
しかし、桃にとって
「特別」になりたい人は辛いとこかもしれない。
自分にとって桃が特別になったのなら、桃にも自分だけを特別に見て欲しい、と思うのは人の性。自分だけを照らす明かりを欲するよね〜それなのに、皆と同じ扱いされてたら…
やっぱり罪な男だわ桃ちゃんって;(妄想に突入しそうなんでここは押えましょう;)
さて、よく問題になる桃の戦闘能力だが、いつ、どこで数々の奥義を極めてたのか?どの戦いにおいても
「何故、初めから「虎」をださんのだ?」
等、謎が叫ばれている。
まあ、そんな事したら話が終わっちゃうからでしょう。
連載漫画なんだから、ページ数はもたせないといかんのよ「33分探偵」みたいなものなのよ、ウルトラマンにおけるスペシウム光線なのよ。
と、言ってしまうと元も子もないので、いろいろと考えてみましょう。
ネット内にも諸説あるようで
「危機にならないと実力が発揮できない桃太郎体質」
「あまりにマニアックな奥義を会得しているので、自分でも何が出来るのか忘れている」
など、非常に説得力があるものばかりで素晴らしい。
特に
「自分でも何が出来るのか忘れている」
は、かなり有力。
実際、「翔穹操弾」も「秘承鶴錘剣」や「逞気虎渾」(漢字間違ってたらすみません;)にしてみても、対戦相手がやってからだもんね。
相手がやってるのを見て
「あ、俺もあれ出来るじゃん」
と思い出してやったりとか。これが真相かも。
が、ここでは他の説も考えてみましょう。私が考えたのは
「だんだん桃が強くなっていった」
つーのはどうでしょう?
『桃は「翔穹操弾」も「秘承鶴錘剣」「逞気虎渾」も出来たけれど、使える場面がなかった。戦闘に使う程の破壊力はなかった』説。
「翔穹操弾」は邪拳として自ら封印していたし、弾がなければ使えない(嶺厳と戦った時も、自分に打たせて弾を手にいれてから打ったし)だから、戦いにおいて使用しなかったのだろう
「秘承鶴錘剣」を初めて見た時の衝撃(笑撃か?)は忘れられない…;
「こんな奥義いつ使うんだよ!?」と、すかさず突っ込んだよ;
民明書房によると
「足場の悪さを克服する為、とっさに考え出した〜」
って説明されてたけど「余計足場悪くなるだろ!」と思った…;マジでこの奥義使い道ないよね;(「翔穹操弾」といい、本当に桃ってマニアックな技ばっかり修得しとる;)
例えば大四凶殺においての伊達戦。
全然使えません;むしろ足場の綱を自ら切って奈落の底にまっ逆さまでジ・エンドだ!
この時「逞気虎渾」を使わなかったのは同じ理由ではないでしょうか?
一歩間違うと足場の綱を切っちゃう可能性があったから。
では、八連制覇においての邪鬼様戦は?
気を練っていますが、「逞気虎渾」は放っていない。
この時は「逞気虎渾」を何発も放てる程、桃の気は大きくなかったんではないでしょうか?
一発放って邪鬼様に避けられたらもうおしまい。
なので、確実な気功闘法にとどめたんではないでしょうかね?邪鬼様も気を練れるって知らなかったし。
天挑五輪に入っても同じ理由で使わなかったのではないでしょうか?
『「逞気虎渾」を放って、その後にどれぐらいの体力と戦闘力が残っているか不明だったので、戦いを経て、「逞気虎渾」を放っても大丈夫、という確信が持てるまで使わなかった』
という説はいかがなもんでしょうか?
奥の手を見せない
という意味もあったと思う。だから、最期の最期に見せたとか。
もしかしたら、藤堂兵衛を討つ時迄温存しておきたかったけれど、豪毅が使っちゃたのでやむを得ず出したのかも。
こんな説も使えませんかね?
次はいつ修得したのか?
ですが、私の勝手な持論でいくと、やはり
「武道家のお祖父様に連れられて世界各国をめぐり、そこで修得した」
かな。その根拠として「翔穹操弾」を邪拳として封印してるってところ。
正直、この奥義ってあんまり使い道はないと思う。
大勢で襲って来られたら駄目だし、弾が尽きても終わり。
この事から「暗殺」に使用するか、子供など力のない者が身を守る為の「護身用」ではないと考えられる。だから、桃が会得したのも子供の時じゃないでしょうかね?
技の性質とか考えない子供時代に修得したけど、大人になって「邪拳」であると悟り封印した、て感じかな、と思う。
授業中、居眠りしている間に国の裏側に電波飛ばして修得している、
という説もあるけど、思わず納得してしまった;