漆黒の瞳 4

伊達は男塾に帰ってきた。
そして、「驚邏大四凶殺」と「八連制覇」という戦いを経て、今新たな戦いに挑もうとしている。
だが、伊達は戦いに出る前に、どうしても桃に言わなければならない事があった。
「驚邏大四凶殺」で、桃はまた伊達を救った。
『しっかり捕まっていろ、もうすぐこの地獄ともおさらばだ』
自分を殺そうとした人間を、どうしてこうも簡単に許してしまえるのか?俺は本気でお前を殺す気だったんだぞ。
『今さら、そんな勲章に未練があるかよ』
ああ…もういい…
どうせ、一度、お前に助けられた命だ。お前に返すだけだ…
だから、伊達は手を離した。
思えかけずに生き延びた時、桃と共に戦いに挑む事になろうとは思ってもみなかった。どんなに憎まれようと構わないと覚悟していたが、桃はあっさり自分達を仲間と認めた。
彼は誰でも許してしまう…
その強さと優しさに感嘆する。
だから、彼の優しさにこれ以上甘えていてはいけないのだ。
自分は桃に対し、偽りなくありたいと思うから。
その結果、桃が自分を憎んでも、恨んでも、拒んでも、自分はそれを受け入れよう、と伊達は決意した。
「話ってのはなんだ?伊達」
桃が呼び出しに応じて男塾の裏庭にやって来る。
伊達が桃を陵辱した林の近くで、彼にとっては避けたい場所だろうが、伊達はあえてこの場所に桃を呼び出した。桃に脅えた様子はない。
夕暮れのオレンジ色の世界の中で、風にはためく鉢巻の白さがやけに目に止まる。
微かな疑いさえもたない桃の瞳を見て、伊達は一瞬だけ躊躇する。
未練…だな…
自分にこんな女々しい一面があるとは思わなかった。
桃の事だからか…
彼の事だと自分はいつも感情の波を荒ら立ててしまう…
伊達は大きく息をはいて心を決めた。
「桃…」
「なんだ?」
「お前…ここである男に襲われただろ」
「…え…?」
「犯された、だろ」
「…伊…達…?」
「…その男は俺だ…」
桃の息を飲む気配が伝わってくる。
真実を告げられた桃の表情は、驚愕と混乱の色が浮かんでいた。
「…………」
目を閉じて少し俯くと、桃は長い間黙って何かを考え込んでいた。伊達は目を反らさずに彼の様子を見つめ続けた。
「八連制覇」の前に伊達が告白しなかったのは、もし、桃が伊達を拒んだ場合、三面拳も戦いから離脱する可能性があったからである。
自分も三面拳も不在では、あの三号生に勝てる見込みは皆無だった。
しかし、今は違う。三面拳は「男塾」の塾生としての自覚を持ち、桃を大将と認めている。自分がおらずとも戦いに参加するだろう。
桃が自分の顔を二度と見たくないと言えば、伊達はその通りにするつもりだ。どんな侮辱の言葉を投げ付けられようとも、受け止める覚悟は出来ている。
桃はやがて顔を上げると
「何故だ?」
と、伊達に尋ねる。
「何故…とは?」
「…どうしてあんな事をした…」
「…………」
意外な桃の言葉に伊達は返答に窮してしまう。
本当かどうかを問われる事はあっても、陵辱した理由を聞かれるとは思ってもみなかったのだ。
なんと答えればいいのだろう?
桃が自分を忘れていたのが許せなかったと?
黎明寺で助けられた話をするのか?
話をすれば桃はまた自分を許してしまうだろう…
どんなに伊達の一人よがりの勝手な理由だったとしても、相手の想いを汲もうとしてしまう。謝罪の言葉を口にしない理由もそこだった。
謝れば、桃は相手を憎めなくなる…
「…理由はない…したかっただけだ…」
「違うな。お前はそんな男じゃない」
即答され、伊達はまた戸惑う。自分を見つめる桃の瞳はどこまでも真直ぐで、胸が苦しくなってくる。
伊達は桃から目を反らし、自嘲ぎみに答える。
「…何を言ってる…お前は俺をかいかぶりすぎだぜ、桃」
「お前も俺をばかにしすぎだ」
伊達の言葉を諌めるような、いつにない厳しい桃の口調に伊達は振り返った。
「俺にそんな嘘が通用すると思っているのか?」
「…………」
一欠片の憎しみも嫌悪も浮かんでいない桃の瞳。その美しさを自分はどれだけ愛しく想っているか…
真実を告げても、そんな瞳で俺を見てくれるのか…?
答えなければならないか?どうしても…?
伊達の胸はさらに苦しくなってくる。
答えれば…桃は思い出すのだろうか?
あの日の事を…
自分に新たな生が与えられた日の事を…
珍しく迷う伊達よりも、桃が先に口を開いた。
「伊達」
「…なんだ?」
「殴るぞ」
また、意外な桃の言葉に伊達は一瞬戸惑うが、彼にはその権利があるのを感じた。
「分かった」
身体を桃の方に向け、歯を食いしばる。途端に桃の容赦のない一撃が伊達の左頬に決まり、伊達の身体は2、3m程後ろに吹っ飛ばされた。
「…うー…」
強烈な拳をくらって意識が飛びかける。目の前を星が舞い、ガクガクする顎を押さえながらも伊達はなんとか上半身を起こす。
「大丈夫か?」
「…効いたぜ…」
「当然だ。手加減なしだからな」
顔をあげた伊達が見た桃は微笑んでいた。偽りのない、いつもの風のような笑みだ。そして、手をのばしてくる。
「…………」
自分が身体を起こすのに手を貸そうと、桃は手をのばしているのだ。
伊達は信じられない思いで、その手をじっと見つめる事しか出来なかった。そんな伊達の態度に焦れた桃は自ら伊達の手首を掴み、引っ張った。
立ち上がった伊達の顔を正面から見つめる。
「話はそれだけだな?」
「…………」
「じゃあ、行こう。もうすぐ夕飯だ」
「桃…」
「なんだ?」
「…何故だ…?」
「今度はお前が聞くのか?」
「…………」
「伊達。お前は俺達の仲間だろう。お前を信じている」
「信じる?」
「お前は理由もなく無体な真似をする男じゃない。何か理由があるんだ。けれど、俺に言いたくないのだろう」
「…………」
「それだけ分かっていればいい…」
「…仲間だという理由だけで、簡単に信じるのか?」
「信じられない奴を仲間と呼ぶのか?」
伊達の心臓がわし掴みにされたかのように痛む。
桃の恐ろしいくらいの無防備さと無条件な信頼には呆れてしまう。
が、同時にその強さに怖くなる。
こいつに勝てる訳がない…
どんな奴であろうとも。自分も…完敗するしかないのだ。
だから、大将なんだな…
お前は俺の、すべてを預けられる唯一の人間で。
伊達の覚悟は桃の前では呆気無いくらい不必要なものだった。
けれど…
大きな安堵を感じながら、伊達は心のどこかに淋しさを抱えていた。
その理由は、分からぬまま…
「行こうか」
桃が歩き始めたので、その横に並ぶように伊達も歩く。
伊達に告げた言葉は桃の本心だった。
陵辱した行為は許せないが、伊達を憎む気持ちは起きない。
伊達は苦しんでいる…
彼は心に大きな傷を抱えていて、おそらく、それに関わる事なのだろう、と桃は察していた。「驚邏大四凶殺」で簡単に命を捨ててしまえる伊達だ。きっと重い訳がある。何より、伊達は自ら告白してくれた。
俺に対し、誠実であろうとしてくれた証拠だ…
理由はあるが、伊達が言葉にしたくないのならば、自ら語るまで聞くまい、と桃は思う。
彼の傷も、理由も知らなくても、自分は伊達がどういう男か知っているのだから。


       ***


天挑五輪大武會が始まった。
「男塾」は決勝トーナメントまで勝ち進み、三大会連続優勝をしている梁山泊と対戦する。
宗江将軍戦において、助っ人として参戦した赤石は、勝利をもぎ取りながらも重症を負ってしまう。
梁山泊戦を勝ち抜き、その日の戦いのすべてが終わった後、桃はまっ先に赤石が治療を受けてる医療施設を訪れた。
治療がすんでも赤石は薬で眠っていて、なかなか意識を取り戻さない。
赤石が眠る部屋の外の廊下で、長椅子に座りながら桃は赤石の意識が戻るのを待った。
「…桃…」
自分を呼ぶ声に顔をあげると、そこに伊達が立っている。
これ程近付くまで桃が人の気配に気付かないのは珍しい。例え、相手が伊達であろうとも。
「伊達…どうした…?」
「お前こそ…眠らない気か?」
時刻はすでに0時を過ぎている。
戦いが終わった後に、桃が医療施設に向かったのは知っているが、部屋に戻った気配がないので来てみたのだ。
「…先輩の様子が気になって…でも、もうすぐしたら部屋に戻るよ」
「そうか…」
桃の仕種がどこか幼くて、表情が頼りなげだ。
赤石の前だと桃は緊張の糸を緩め、甘える雰囲気を漂わせるのだ。それが、伊達はたまらなく苦しく感じる時がある。
本当は腕を掴んで、桃をここから無理矢理にでも連れ出したい。
そんな身勝手な思いがせり上がってくるのを伊達は押さえ込んだ。
赤石が生きていると分かった時に見せた、桃の涙が脳裏に焼き付いて離れない。
『先輩…あなたという人は…』
…分かっている。これは嫉妬だ…
『赤石先輩!』
陵辱されようとした時、桃が助けを求めたのはあの男だった。
お前が求めているのは俺じゃない…
ばかか、俺は…
桃を陵辱した自分に、そんな資格があると思っているのか?
自分を許し、仲間として受け入れてくれただけでは足りないのか?桃は自分を信頼している。背中も命をも預けてくれるではないか?これ以上何を望む?いつからそんな贅沢な男になった?
と、伊達は自分を叱責する。
けれど…
欲するものが手に入らなければ、何を手にしようと無意味である事も知っている。
俺は…
桃のすべてが欲しいのだ。
仲間としての信頼だけでなく、自分だけに向けられる桃の激情が欲しいのだ。
しかし、それは適わぬ事。
もう二度と、ばかな自分のエゴで桃を傷つけたくない…
「伊達…?」
桃の声にはっとする。気付かぬうちに、桃をずっと見つめ続けていたようだ。
「…俺は部屋に戻るが…お前も、いい加減戻れ」
「…うん…」
「明日の戦いに支障をきたしたらどうするつもりだ?」
これは本心からの忠告である。この天挑五輪大武會の戦いは半端ではないのだ。体調を万全に整えておかなくては命にかかわる。
「…分かった…あと少ししたら戻るよ」
「…………」
「大丈夫だ。本当に戻るよ」
「…必ず、だぞ…」
「…ああ…」
伊達が廊下から完全に姿を消すと、桃はほっと肩の力を抜いた。
最近、伊達の視線を怖い、と感じる時がある。眼は口ほどにものを言い、と言うが伊達の視線はまさにそれだ。
真直ぐに向けられる伊達の視線は、強い光をもち、雄弁で逸らす事さえ出来なくなる。
自分を見つめる時にだけに放つ強い光を宿す視線。
殺気を含んでいる訳でもない、むしろ優しさを感じる視線なのに、桃は怖いと感じる。
あの時の視線に似ているからか…?
陵辱されたあの時の視線に…
どうして、そんな目で見る…?
思い出した桃は身体が熱くなるのを感じ、膝を長椅子の上に乗せて顔を埋めた。
あの日の事を思い出すと、桃は赤石の顔が同時に思い浮かぶ。
何故だろうか?
あの時、自分は思わず赤石の名を呼んだ。
好きだから彼に助けを求めた。
赤石を好いているのは自覚しているが、それが恋慕の情なのか、と聞かれると言葉を失う。
彼になら助けを求めても許されると思ったからか?彼なら助けてくれると思ったからか?
『俺は…赤石先輩に、甘えているのだろうか…?』
逃げているのか…?
もし、赤石に身体を求められたら、自分は許すのだろうか?
自問してみても答は分からず、桃は振り切るように立ち上がって部屋に戻った。
迷路に迷いこんだような気持ちを抱えて。

       


H20.10.1

すみません…つ、次が最終回ですから;い、石は投げないで下さい;
それにしても、私の赤石先輩って本当にプラトニックです;ま〜ったく動かない;
恋愛に参加してる先輩とかって全然書けません;読むのは好きなのに〜グヘグヘ〜(変態;)
文才不足これに極めりって感じですかね;分かってましたが…;