脇役ですがオリジナルキャラが出て来ます。お嫌な方はご注意下さい。

誘 惑

いつ見ても華のある男だな…
伊達はホテルのエレベーターの前に立つ元総理を、偶然目にしてそう思った。
この階にあるバーに来ていたようである。先に帰る女性の見送りらしく、エレ
ベーターが来ると女性を優雅な仕草で誘導している。彼女らが乗り込んでから
も扉が閉まるまで見届けていた。
しかし、このNYのホテルに何の用事で来たのだろうか?
先程帰った女性もそうだが、桃自身も正装している。
おそらく、何かのパーティーに呼ばれたのだろう。
それまでも人脈はある方であったのに、総理という職に付いてから一気に拡大
したらしく、職を退いた今もあちこちからお呼びがかかっていると聞く。彼等
は総理という肩書きをもつ人物でなく「剣桃太郎」という一人の男に惚れ込ん
でいるのだ。
桃はこちらに気付いていない。
声をかけるべきかどうか迷っていると、正装した米国人らしき若い男が桃に話
しかけてきた。
何を話しているかは聞こえないが、親し気に談笑している様子から、政界とは
関係ない付き合いのように感じる。二人はバーに引き返すようで、共に歩きだし
た。若い男が桃の腰にするりと手をまわしたので伊達は眉をよせた。
「親分?」
「…ああ、今行く…」
伊達も隣にあるレストランに食事に招かれていたので、不快な気分をかかえた
まま歩きだした。

約束していた人物と食後のコーヒーを飲んでいると、子分が伊達に「失礼いた
します」と声をかけてきた。
「こちらのプレゼントとカードをお届けするように、とボーイが言い使って来
やした。いかがなされますか?」
見ると、箱に納められたブランデーの瓶が一本に、カードが添えられている
(箱は中身が確認できるように蓋が開いていた)
カードを取り出して読むと
『偶然に感謝』
と日本語で書かれている。
桃か…
いつ、気付いたのだろう?誰からか自分がここにいるのを聞いたのだろうか?
いや、そんな事を洩らす奴はここにはいない。
相変わらず怖い奴…
伊達は思わず苦笑する。
裏の世界に精通していると自他共に認められている伊達だが、微塵の気配も感
じさせない桃の情報収集力はいつも無気味だ。
「受け取ろう。礼を述べていたとボーイに伝えように言ってくれ」
「分かりました」
伊達は箱を控えていた子分に渡し、何事もなかったように話を続けた。

時計の針が、午前1時を指そうとする頃、桃はそろそろ部屋に戻ります、と挨拶
をして席を立った。
先程の若い男が、お送りします、と桃の後に続く。
桃はこのホテルの最上階にあるスイートルームに泊まっていた。手配してくれた
のは彼である。
「今日はお忙しい中、セレモニーに出席して下さってありがとうございました」
「いや、君が主催する美術館が開館するんだから当たり前だろ。長年の願いが叶
って良かったな」
「はい」
エレベーターの扉が開いたので、桃が乗り込むと彼も乗ってくる。
「ここでいいよ」
「いえ、部屋の前までお送りします」
桃がフフッと意味ありげな笑みを見せると、彼の頬が心なしか赤くなった。
「お父さんの具合はどうだい?」
「大分良くなりました。近く退院出来るそうです」
「そうか、良かった」
隣に立つ桃の顔を彼はチラリと覗き込む。腰に手をまわした時、見掛けよりも細
い事に気付いて胸が高鳴ったのを思い出す。
この密室空間で二人きりでいると、隣の桃の香りが迫ってくるようで胸がさらに
高鳴った。彼は夢心地な気がしたが、階についてしまえばそれも終わるのだと、口
惜しく感じてしまう。
いっそ、想いを告白してしまおうか…?
もう一度、桃の腰に手をまわして、力強く引き寄せる。
そのまま抱き締めようとした彼の手はむなしく空をきった。
『えっ?』
彼がどういう事態が起こったのか把握出来ずにいる間に、エレベータが止まり扉が
開く。
いつの間に外に出たのか、桃が優しい笑みを向けて立っている。
「…あ…」
「見送りありがとう」
彼が慌てて外に出ようとするが、桃が片手をあげて制する。
「ここまででいい」
「…でも…」
「おやすみ…」
エレベータの扉が閉まり下降し始める。中に一人残された彼は「あ〜ちくしょう〜」
と頭を抱えた。

桃が部屋に戻り、上着を脱ぎ、ネクタイをはずしていると部屋のドアがノックさ
れる。
ドアを開けると和装姿の伊達が立っていた。
「分かったか?」
「まあな…」
部屋の中に入ると、受け取った箱をリビングのテーブルに置いて、カードをもう
一度眺める。
『偶然に感謝』
の言葉の中にある4つの漢字の一部が変型して書かれていた。変型した部分だけ
抜き出すと
『二、〇、二、一』
となる。
二〇二は部屋番号で、最後の一は時間である。このホテルはセレブの隠れ家的ホ
テルで202部屋しかないからだ。
「隠し文字とは凝り過ぎじゃないか?」
「ここの従業員は漢字でも数字くらいなら読めるんだ。盗み読むような質の低いの
はいないと思うが念の為さ」
「…なる程ね…」
「別に俺はばれても構わないんだがな」
桃が言うと冗談に聞こえないから怖い。
「何か飲むか?」
「じゃあ、お前がくれた瓶を開けよう」
「ここで開けるのか?」
「丁寧に持って帰るってがらでもないんでな」
「俺はバーで飲んだばかりだから水にしておくよ」
「ご自由に」
瓶を開けると、桃が用意したブランデーグラスに注いで伊達に渡す。
「メタクサだな」
「ああ、ブランデーの中でも香りは別格だろ」
室内は壁の間接照明がところどころ灯っているだけだ。小さな音だがクラッシック
音楽が流れ、セピア色に染まった室内はとても落ち着く雰囲気である。
二人はソファに座り、お互いグラスを傾けくつろいでいた。桃はシャツの上部の
ボタンをはずした格好でいるから余計にリラックスしているように見える。
ほのかに漂うブランデーの香りを楽しんでいた桃が先に口を開いた。
「伊達はどうしてNYに来たんだ?」
「…ある人物がこのNYに新居を構えて、その引っ越し祝いみたいなもんに招かれ
たんだ。今日はこのホテルのレストレンの味が評判だからと連れてきてもらった」
「じゃあ、その人の自宅に泊まってるのか?」
「まさか。他のホテルだ」
伊達は自分を招いた人物の名を言わないが、桃は知っていた。
華僑の大物でこの世界では名前を知らぬ者はいないと言われている人物である。
その人物が伊達に惚れ込み、娘を嫁がせたがっているのも知っていた。
別に伊達が誰と結婚しようと構わない。
自分も獅子丸という息子がいる身だし、伊達ほどの男ならば女性に不自由した事
はないだろう。
しかし、俺にまったく何も言わないのは気にいらないな…
と、桃は少し意地悪く思った。
「お前はどうしてこのホテルに?」
「俺も似たようなもんだ。総理時代に知り合った上院議員の息子さんが、美術館を
開館したんでオープンセレモニーに招かれた。このホテルのバーでアフターの場が
設けられたという訳さ」
「息子の美術館のオープンセレモニーに元総理がわざわざか?」
「家族ぐるみの付き合いをさせてもらってたからな。議員は心臓の病気で入院中だ
し、もしかしたら心細いんじゃないかと思って」
「…随分、気にかけてるんだな」
「まあね。彼が大学生だった頃から知ってるから付き合いは長いんだ。息子とまで
いかなくても甥っ子ぐらいの感覚はあるかな」
「…女性を見送ってた時にお前を迎えに来た男か?」
「見てたのか?」
「…まあな…」
「いい男だろ?」
「…まだ若いんじゃないか…?」
「青かった頃から知ってるから、いい男になったなーと思って」
「…お前を慕っていそうだった…」
「慕ってくれているだけならいいんだが…」
「…ん…?」
「どうやら俺に気があるらしい…」
「…………」
「自宅のマンションの合鍵くれたよ。いつでも好きな時にいらして下さいってな」
「…………」
伊達の脳裏に、桃の腰に手をまわす男の姿が蘇ってくる。
グラスが空になっているのに気付いた桃は、立ち上がってサイドテーブルに向かう。
伊達も後を追うように立ち上がる。
水と氷をグラスに注いだ桃が振り返ると、伊達がすぐ側まで来ていた。そのまま、
桃に迫るように歩を進めてくるので、桃は壁際に背中をつけるまで追い詰められる。
「桃、お前…俺を試しているのか…?」
「…違うさ…」
笑みを浮かべ、桃は持っていたグラスをサイドテーブルに置いた。
そして、伊達の羽織の紐を解きながら、耳もとで囁く。
「…誘惑してるんだ……」
羽織が足下に落ちた時、伊達は桃の唇を激しく奪っていた。
「…ならば、成功だ…」
「…ん…」
ブランデーの香りのする深い口付けに酔いながら、桃は伊達の帯に手をかける。
「知っているか?酒の中でもブランデーが一番酔いの醒めるのが遅いそうだ」
「…お前みたいだな…」
一度味わうと、醒めることができない極上の…




H20.10.15

アダルトな雰囲気目指してみましたが、目的が達成されたかどうかは疑問…;
某本で「ホテルで最上のもてなしをしようと思ったら、どうしても部屋数は
400以内となる。本当のセレブはヨーロッパ系のホテルに泊まる。部屋数が
2000もあるヒルトンに泊まりたがるのは、日本人かアメリカでも田舎者だ
けだ」というセリフがとても印象に残っております。
ブランデーが一番酔いの醒めるのが遅い、というのは科学的な結論だそうで
す(個人差はあるとの事)
メタクサは讃美の声しか聞いた事がなく、一度飲んでみたいです。値段知
らないけど高そうな気がして怖い…;