※脇役ですが、オリジナルキャラが出て来ます。
 お嫌いな方はご注意下さい。

桜の香り(後編)

崖を降りると、マオが不安気な表情で待っていたが、伊達の他に男がいるのを見て
驚きの表情に変わった。
「待たせたな、マオ」
「伊達さん、その人は?」
マオの前に桃は膝をついて目線の高さを同じにしてから挨拶した。
「はじめまして、俺は剣桃太郎という者だ。彼の級友だ」
桃が優しく微笑みながらマオに手を差し出す。
「あ、こちらこそはじめまして。フォン・フー・マオです」
二人は握手をしてお互い微笑みあった。桃の丁寧な挨拶にマオは好感を抱いたよう
である。
「上で会ったんですか?」
「ああ、全くの偶然でびっくりしたよ。なあ、伊達?」
「…そうだな、宿のとれるところまで走るか」
伊達はまだ、桃に再会した時の衝撃が残っていて、まともに桃を見れなかった。一
度見つめれば、二度と目が離せなくなりそうな気がする。
「マオ、負ぶされ」
伊達はマオを抱え、桃は荷物を背負い、二人とも夜道を駆け出した。まるで風のよ
うだとマオは思った。
町に着き、適当な宿をとった三人は部屋でそれぞれの事情を話した。
伊達はマオを河南省に連れていくところで、桃は重慶にあるイギリス領事館を目指
しているところだった。
桃は日本の大学を卒業した後、米国の大学に留学しており、そこで法律と政治の勉強
をしていた。師事している英国人弁護士の教授が、ある裁判で有力な証拠書類を入
手する算段を取り付けた。
が、その証拠種類は郵送出来ず、この中国まで取りに来て欲しい、と言われたので
ある。
「それで、俺が取りに来たんだ」
「お前を襲っていた連中は?」
「その証拠を裁判に持込まれたら困る連中さ」
「危険だからお前が取りに来たって訳だな」
「確率の問題だ。教授が取りに来るより、俺が来た方が無事に持って帰れる確率が
高い」
「イギリス領事館に話はついているのか?」
「持っていけば保護してくれる事は間違いない。書類も無事、本国に送られる」
重慶に行くのは伊達とマオもいっしょなので、桃と行動を共にする事にした。
桃は自分といっしょにいるのは危険だ、言ったが
「俺はさっきの連中に顔を見られているんだ。この先狙われる可能性がある。もう
無関係じゃねーぜ」
伊達の言い分はもっともである。同じ狙われるのなら、行動を共にした方が安全だ。
「では、明日早くに出発しよう」
「じゃあ、もう寝るか?」
「どこで寝ます?」
「…………」
ここは安宿なので、ベッドなんて気のきいたものはなく、布団が3組あるだけである。
「川の字になって寝ようか」
という桃の言葉とおり、居間に布団を並べて敷き、マオを真ん中に三人は仲良く並ん
で眠った。
伊達は、夢を見ているのではないか、という思いがぬぐえなかった。

次の日、まだ日も登りきらないうちから三人は宿を出発した。
桃は宿屋の店主に話をつけて、車を店主から購入していた。荷台のあるトラックで
ひどいボロ車だったが、なんとか動いた。
「免許あるのか?」
中国では、特別な許可がない限り外国人は運転できない事になっている。国際免許
証も通用しない。
「いいや。だけど、そんなのに構ってられないだろ」
「まあな」
「伊達」
「なんだ?」
「…何かあったら、マオを選べよ」
「…………」
伊達はいつも、大切なものはその時に一つだけと決めている。
大切なものは一つでいい、一つなら守りきる自信がある。二つも同時に持てるほど
器用ではない。
自分の命と自分の信念なら、自分の信念を選び、自分の命と桃の命なら、迷わず桃
の命を取るのだ。
その点において伊達は迷いを持たず、残酷なほど潔い。だから強い。
桃はそれを知っていて、今度は自分ではなくマオを選べ、と言っているのである。
桃の凛とした眼差が伊達を見つめる。それを感じた伊達は、
いつもの桃だ。変わらない彼が目の前にいる…
夢ではない事を実感して嬉しくなった。
「分かってる。俺には責任があるからな」
「…伊達…」
「お前の言った確率の問題だ。お前も俺もマオより自分でなんとか出来る確率が高
い」
「…ああ…ありがとう…」
その時マオがやってきて、三人は車に乗り込んだ。
出発した当初は何も怪しい動きはなく、順調に走り進んだ。が、重慶までもう少し
という山道で、妙な車が後ろについてきた。
「尾けてるか?」
「多分…」
「奴らだな。銃を撃ってくるかもしれないか?」
「いや…ここら辺りは奴らと対立するマフィアの牛耳っている土地なんだ。因縁を
つけられる真似は出来るだけ避けたい筈だ」
「だから昨夜も銃は使わなかったのか」
「そう予想してるんだが…絶対ない、とは言い切れない」
ありがたい事に、桃の予想通り奴らは銃を撃ってこなかった。
代わりに車を近付けて、体当たりしてきたのである。
「おっと」
ボロトラックが大きなきしみをあげてふらつく。馬力では勝てない。
「事故に見せ掛けるつもりか…」
「みたいだな…マオ、伏せてるんだよ」
マオは桃の言われた通り、頭を抱えて座席の下に伏せていた。桃は巧みなハンドルさ
ばきで、体当たりを上手く躱したが、馬力の違いはいかんともしがたく、ボンネット
から煙が出てくる始末である。
「あらら…」
スピードが落ちてきたのを察した連中は車から出ると、トラックの荷台に乗り移って
きた。
「ちょっと行ってくる」
伊達は窓から荷台に飛び移る。
「伊達さん!」
「彼は大丈夫だ」
自信満々な桃は荷台を振り向きもしなかった。
荷台に乗り移ってきた二人の大柄な男は、外家拳を修得しているらしく、大きな剣を
派手に振り回して襲いかかってきた。
伊達は槍も出さず、剣をかわしつつ拳をくり出し、あっけなく二人を荷台から叩き落
とした。
「落ちるんなら、こっちだぜ」
そのうちの一人は奴らの車の前方に当たるように落としてやる。
「うわ!」
相手の車は人が落ちてきた衝撃でボンネットが凹み、フロントガラスが割れ、視界と
バランスを失って失速する。もう、追ってこれる状態ではなくなった。
「やった〜!伊達さんすごいや〜」
マオの言葉に、隣の桃がふふっと笑みを浮かべた。

重慶に入ると、大都会らしく人と車がひっきりなしに行き来していた。
そのおかげで連中も手が出せず、領事館の前までなんとかたどりつけた。だが、この
場所は連中も張っている筈である。
「さて、どうするか?」
イギリス領事館の目の前を通る大通りの反対側で、伊達、桃、マオの三人は唸った。
この通りは人も多く、車も渋滞しているので目立った行動はしてこないだろうが、こ
こは連中にとって最後の砦である。対立するマフィアなど構わずに、領事館に入ろう
とする者は撃ち殺そうと待ち構えているかもしれない。
「一般人への危害はさすがにしないだろう。そんな真似をしたら対立するマフィアと
全面抗争にぼっ発するからな。殺すとすれば俺だけにしておく筈だ」
「何人張っているかも分からねーか…」
「どうします?」
「…騒ぎを起こすから、その隙に乗じて領事館に飛び込め」
「騒ぎって…何をする気だ?」
「金よこせ」
「…え?ま、まさか伊達…」
桃は一瞬呆れたような表情を浮かべて苦笑した。それでも、財布を取り出して伊達に
渡す。
マオはまったく意味が分からなかった。
とにかく、この二人は言葉がなくとも通じる事が多すぎるのである。
「俺は銀行に行ってくるから、お前達は紙でも切っとけ」
「分かった…じゃあ、あのビルの屋上で待ち合わせないか?」
自分達のいる通りで一番高いビルを桃は指さした。
「そうだな」
伊達と分かれた後、桃は白い紙と鋏を買ってマオと屋上に登った。幸いな事に昼休み
まで時間があるせいか、誰もいなかった。二人で紙を7cm×15cm程の大きさに切り
分け、風で飛ばないように袋に入れる。マオはまだ意味が分からなかった。
そうこうしている間に伊達が戻って来る。大きな袋を3つも抱えていたので、季節は
ずれのサンタクロースみたいだとマオは思う。
「これぐらいあれば大丈夫だろ」
「そうだな」
「これなんです?」
「所持金全部、いろんな額の紙幣に両替えしてきた」
「え?」
「じゃあ、お前は領事館にすぐ飛び込める位置で隠れとけ」
マオの疑問をよそに、伊達は桃に声をかけた。
「10分後でいいか?」
「ああ…伊達…ありがとう…」
「…いや…」
二人は無言でしばらくの間見つめ合っていた。
言いたい事がお互いあるのに、口にするのを躊躇っている…そんな沈黙に包まれてい
た。
「…マオも、ありがとう…」
そんな雰囲気を振り切るように、桃はマオの前に屈みこんで礼を言った。
「いいえ、気をつけて下さい」
「ああ…じゃあ…」
桃は二人に軽く手を振って屋上を去っていった。
10分後、伊達は紙幣の入っている袋を持って屋上の柵を超えてギリギリまで際に近付
き、中身を外にぶちまけた。
「ええ〜!」
驚いたのはマオである。呆然とする間もなく
「次の袋寄越せ」
と、伊達が言ってくる。
「ええ〜!だ、伊達さん。な、なにこれ〜!」
「これで騒ぎが起こるだろ。早く次の袋寄越せ」
言われた通りマオが次の袋を渡すと、伊達はまた中身を放りだす。そして全部の袋の
中身を出しきった。
何百枚という紙幣と白紙の紙が風に乗って、ビルの間を舞っている。
下を覗くと、思った通り、領事館の前の通りは大パニックに陥っていた。
人々が紙幣を拾おうと群がり、車を止めて中から出てくる人も大勢いる。多くみせる
為に白紙の紙も混じっているが、本物がある以上あまり関係ない。その大混乱の中、
誰かがさっと風のように領事館に入っていくのを伊達は認めた。
すばやい動きだったので、気付いた者はほとんどいなかっただろう。
再会した時も忽然と現れて、去る時も忽然といってしまった。
夢のように、香りのように、ただ記憶と存在だけを自分に焼きつけて…
手に触れる事は出来ぬまま…
伊達とマオは屋上の柵に頬杖をつきながら、その光景を眺めていた。
「剣さん、無事領事館に入れましたか?」
「…ああ…」
「良かったですね」
「…そうだな…」
風に舞う紙吹雪は、桜吹雪を思い出させない事もない。あの日のような桜の花びら
に…
「…それにしては下世話すぎるか…」
伊達はぼつりと呟いた。
美しさ、という点ではほど遠い…
金などこの世で価値の低いものの一つなのだが、下の騒ぎを見ていると、それが分か
っていない人間の多さを思い知る。
「綺麗ですね」
「…そうだな…」
二人は下の騒ぎを見ないように、ただ、風に舞う紙吹雪だけを目で追っていた。

        ***

所持金を全部使いきってしまった伊達とマオは、ボロトラックでなんとか重慶のはず
れにある覇極流の道場にまで辿り着く。
道場主は心良く迎え入れ、夕食を出してくれた。庭にある東屋で休むといい、と宿の
提供もしてくれたのである。
東屋は暖炉のある居間と小部屋があった。
小部屋の方はベッドがあったので、そこにマオの寝床を用意する。
「伊達さんはどこで寝ますか?」
「俺は暖炉の前に毛布を敷いて寝る」
夜になると寒くなってきたので、暖炉に火をつけた。この東屋には電気が通っていな
いので、暖炉の炎だけが光源となった。
昼間の疲れからか、マオが大きな欠伸をする。
「もう、寝ろよ」
「はい〜」
「ランプ持っていけ」
「でも、ランプは一つしかないですよ」
「俺は暖炉の火だけでいい」
「じゃあ、おやすみなさい」
「ああ」
マオが部屋に行ってしまうと、伊達は暖炉の前で桃の事を思い出していた。
昨夜から今日にかけての出来事は、現実なのか疑ってしまう程すばやく通り過ぎてい
った。
なのに、これ程までに、心を捕らえるのだ…
どんなに重要な日々も、他の日々と変わりなく過ぎていく。時間は、どの月日に対し
ても平等である。男塾に居た時もそうだった。かけがえない日々も当たり前のように
過ぎていくのだ。桃と過ごした時間までも…
けれど、時間の長さは関係なかった。
いつまでも、共にありたいのではない。どれ程桃と過ごした時間が短かろうが、輝き
が色褪せる事はないのだから。
その時、誰かが東屋の扉をノックした。
道場主だろう、と思って出た伊達は、そこに立っている桃の姿を見て、また夢かと思
ってしまう。
「…やっぱり伊達だったか…」
「…桃…どうして、ここが…」
「あのボロトラックがこの家の塀の脇に止めてあった」
「それだけで分かったのか…」
「分かるさ…お前だから…」
「…………」
「…昨日と今日は本当にありがとう…改めて礼を言うよ…」
「…いや…別にいい…書類は大丈夫なのか?」
「ああ、無事、本国に送られるよ。俺の手を離れても大丈夫だ」
「…そうか…」
「…マオはどうした?彼にも礼を…」
「…もう寝てる…」
「…残念だな…では、これ渡しておくよ」
桃は小さな鍵を伊達に渡す。
「なんだ、これ?」
「車のキーだ。これから河南に行くのに使ってくれ。あのボロトラックじゃ10kmも
走らないうちにエンコだろう」
「…ああ…」
所持金を使い果たしたのを察して桃は用意したのだろう。
「ボロトラックの隣に止めてあるから…」
「…ああ…」
「伊達に久し振りに会えて嬉しかったよ…楽しかった…」
「…俺もだ…」
「…五年振り…か…あの時から…」
「…そうだ…」
「……………」
二人は屋上での別れの時と同じく、無言で見つめ合った。
言いたい事がお互いあるのに、瞳の奥に宿るものに気付いているのに、口にするの
を躊躇っているような…
「…じゃあ…な…」
桃が去ろうと背を向けかけた時、伊達は彼の腕を掴んで引いた。
扉がしまり、中に引き入れた桃を壁に押し付ける。
「…このまま帰る気か…」
伊達が熱い瞳で桃を見つめる。
言いたい事があって、口にするのを躊躇っているのではない。自分達の間には言葉
はほとんど必要なかった。狂おしい想いがそこにあるだけだ。
「…マオが…寝てるんだろ…?」
「…俺は気にしねー…」
「……俺もだ……」
二人は激しい口付けをかわした。
暖炉の前に身体を横倒え、伊達は桃の襟を開いて肩に軽く歯をたてる。
「…ん……」
「…桃…抑えられねーかもしれねーぞ…」
「…いいんだ…俺も…欲しいから…」
桃の言葉を飲み込むように、伊達は桃の唇を吸った。
「……あ…う…」
揺らめく炎が桃の素肌を照らすので、その痕を追うように伊達は手をたどる。触れ
ていないところなど、どこにもないほどに。
「…ん…伊達…」
桃のもらす吐息が甘く濡れている。自分の名前に、愛しい人を呼ぶ色が含まれて
いた。
暖炉から火のはぜる音がする。
焼かれた木の匂い、湿った土と緑の匂いが辺りにたちこめているのに、伊達はあの
日の桜吹雪に包まれている感覚に捕われる。
薫る筈のない桜の香りを感じるのだ。桃をこの手に抱いていると…
「…あ……」
夢かもしれない…香りかもしれない…
けれど、華は今、この手の中に落ちている。
この時は一瞬かもしれない。
それでも構わない。
一瞬でいい、それは永遠に勝る瞬間なのだから。
二人にとって、共に過ごす時間の長さは関係ないものだった。
あの日と同じ桜の樹の下で、伊達は桃を抱き締めていた。

窓から差し込む朝日の光に伊達は目を覚ました。
隣に目を向けると桃の姿はどこにもなかった。
本当に昨夜、桃はここにいたのだろうか…?
毛布に残る微かなぬくもりと、銀色の車のキーだけが、その名残りである。
伊達は目を閉じ、消えていく桃のぬくもりをその手に感じた。
マオが起きて来ると、道場主に挨拶をすませて、早速出発した。
桃が車を用意してくれて事をマオに告げると。マオは桃に会えなかったのを残念
がった。
「あの車ですか?」
「みたいだな」
ボロトラックの横に、見事な小型のワゴン車が駐車してある。これなら車の中で
眠る事も可能だ。
マオはこんな立派な新車を見た経験があまりないらしく、はしゃいで車のあちこ
ちを触って見ていた。
伊達はそんなマオの横で、晴れた青い空を仰ぎ見る。
今度、桃に会うのはいつなのだろう?
それは伊達にも桃にも分からない。お互いこれからどこに行くのか、何をするの
か聞かないし、約束もかわさないからだ。
同じ道を歩むのではないが、互いに真直ぐに道を行く事だけは分かっている。
昨日のように、運命のきまぐれが道を交差させる時がくるかもしれない。
それまで、しばし、別れるだけ…
また、道が重なり合うその時まで…
湿った土と緑の匂いが辺りにたちこめているのに、伊達は自分だけしか知らない
桜の香りをその胸で聞いていた。


H20.11.10

香は「嗅ぐ」と言わず「聞く」と言うと知った時「なんて素敵」と思いました。
まるで「無音の音楽」を聞くようではないか、と。「沈黙」が雄弁である、と
理解したのはちょっと大人になってからですね〜。
見る事も触れる事も出来ないけれど「感じる」から「存在している」というもの
を表現するのは、何度も挑戦しているテーマです(オリジナルでも)夢とか無香
の薫りとか沈黙の音楽とかね。しかし、難しいのよ〜;満足出来た試しがない;
今回も難しかったです;
取りあえず、前半と後半の長さのバランスが悪すぎ;申し訳ないです;
マオは獅子丸でもよかったかな〜と思ったんですが、年齢が合わなくて。それに
獅子丸なら情事の最中に起きてきて、勘違いして「パパをいじめるな!」と伊達
の尻に噛み付いたりしそうで…それも良かったな…
よし、今度書きます〜v(予告v)初獅子丸書きですねv