漆黒の瞳

目を覚ましたところは、暗い穴蔵の中だった。
そこには自分と同じ年頃の子供達が大勢いた。
皆、訳が分からないらしく、呆然としたりしくしくと泣いたりしている。
穴の上から声が聞こえた。
助かりたいか?その穴から出たいか?ならば他の奴らを殺すがいい。生き残っ
た者だけ助けてやる。食い物も生き残った者だけにやる。殺し合をせねば食い
物もやらんし助けてやらん。
そして、壮絶な殺し合いが始まった。
後で気付いた事だが、子供達の中には殺し合いを誘発させる役目をもった者が
まぎれこんでおり、殺戮が必ず起こるように仕向けられていたのだ。
伊達は殺し合いなどしたくなかった。
だが、殺そうと向かってくる者は殺さねば自分が死ぬ。
自分が助かる為に人を殺す。
最初の頃に感じていた罪悪感とか恐怖感は次第に麻痺し、人を殺す事に何も感じ
なくなっていった。
そして…
「生きてるか?」
「ああ、どうやらこいつが最期の生き残りらしい」
自分は最期まで生き延びた。
穴蔵から引きずり出されると、今度は厳しい修行が始まった。
来る日も来る日も、武道の過酷な訓練を強要される。
だが、食事も睡眠も保障された待遇は穴蔵に比べれば天国だった。
伊達は何も言わず、逆らわず、言いなりになってすべての修行を享受した。して
いるように見せ掛けていた。
大人達が自分に対して油断を見せ始めた頃、伊達は逃げ出した。
行くあてなどない。自分がどこにいるのかも分からない。
食事も睡眠も与えられるのなら、居残っても構わないのではないか?
伊達の心の中で囁く声が聞こえる。
いや、駄目だ。
ここでだけは死にたくない。
自分を変えてしまった奴らの手の内にいたくない。自分のすべてを奪った奴らに意
志までも奪われたくない。
助かりたいとか、死にたくない、と言った思いではなく、微かに残った矜持と自分
に出来るわずかな抵抗の為に伊達は暗闇の中、走り続けた。

気が付くと夜が明けていた。
森の中、仰向けに倒れている。走り続けるうちに気を失ってしまったようである。
身体中が痛くて、寒くて、もう動けそうもなかった。
俺は死ぬんだな…
ぼんやりとそんな事を思うが恐怖はない。
あいつらのところで死ぬよりいいか…
伊達は死を覚悟して目を閉じ、意識を手放した。が、唇に冷たい感触を感じて、意
識が浮上する。
なんだ…?
うっすらと開けた目に飛び込んできたのは、澄んだ漆黒の瞳。思考が働き始めると、
小さな男の子が自分を見つめている事を理解する。
その男の子が伊達の唇に水の入ったコップを押し付けているのだ。
「…お水…」
不安そうな声。心配そうに見つめてくる瞳に伊達は警戒心を抱かなかった。
差し出してきたコップを掴み、一気に水を飲み干す。
その時伊達は初めて自分が喉が乾いていた事に気付いた。
「大丈夫?」
男の子が心配そうに尋ねてくる。伊達は地面に仰向けになりながら、その子を見上
げた。自分より少し年下で可愛い額に鉢巻を巻いている。
俺が怖くないのか?
美しい瞳には自分に対する怯えや蔑はなく、ただ優しさだけが浮かんでいる。
そんな瞳に見つめられるのは何年ぶりだろうか?
伊達はふいに胸が苦しくなって、再び意識を手放した。
次は柔らかな布団の中で目覚めた。
ぼんやりと部屋の天井を見つめていると、一人の年老いた僧がやってきた。
「おお、気が付いたかい」
「…………」
「安心しなさい。ここは黎明寺という寺じゃ。近くの森で倒れていた君を、客人
のお子さんが見つけての。ここに運び込まれたのだよ」
「…………」
「何も考えずにゆっくり休みなさい。粥を支度させているからあとで食べるとい
い。話はそれからしよう」
僧の穏やかな声は不思議と人を安心させるものをもっていた。
伊達は言われた通り、目を閉じて眠った。眠りに落ちる瞬間、頭にうかんできた
のは、あの小さな男の子の漆黒の瞳。
優しい、綺麗な瞳だった…
そんな事を思いながら…

       *****

「うわ〜降ってきやがった!」
ぽつり、ぽつり、と身体に当たる水の感触を桃が感じたと同時に、隣にいた富樫
が声をあげる。
「桃、こっちじゃ!」
腕を捕まれ引っぱられる。その仕種は乱暴なものでなく、桃を気づかう優しさが
あった。
「ここなら雨に濡れないから、ちょっと待っててくれ。近くのコンビニで傘買っ
てくら」
音の反響具合から、どこかのトンネルに入ったのだと分かる。
「少し待ったら小降りになるんじゃないか?ちょっとくらい濡れても構わないぜ」
「駄目じゃ。身体に悪いし、傷口からバイキンが入ったらどうする」
今の桃の目には包帯が痛々しく巻かれていた。
心眼剣を極める為に赤石に両目を切られた傷である。
目蓋の薄皮一枚を切られただけだったが、場所が場所だけに軽くみてはいけない
と、病院に連れてこられたのだ。細菌に冒されれば、折角無事だった眼球に影響
を及ぼす可能性があるからと。
「じゃあ、すぐ戻るから待っといてくれ」
富樫が雨の中、駆け出して行く足音が聞こえる。
「…まったく」
そんなに心配しなくていいのに。
ちょっと照れくさい感情を覚えながら、桃は富樫の優しさを嬉しく思う。
乱暴そうに見えて、情に厚く、真面目で真直ぐなんだから…
知らずに笑みが浮かべる桃が、近付いてくる殺気を捕らえた。
なんだ?
足音と共に殺気を放つ人物が近付いてくる。
殺気は自分に向けられたものではない。近付いてくる人物が漂わせているものだ。
誰かと争った後か?
その時の気の余波が残っているのだろう。微かに血の匂いがするので、それは確
信に変わった。
これ程の殺気…相当な手練だな…
桃がそう思った時、足音が自分の前で止まる。
なんだ?
桃は痛いくらいの視線を感じる。
その人物が桃をじっと見つめているのだ。自分に何か危害を加えようというので
はないらしい。あれ程の殺気が今は完全に消えているからである。
「なにか?」
桃が不思議に思い、尋ねるが返事はない。しかし、視線はそのままである。
「あの?」
「…目…」
少しハスキーな男の声が聞こえる。
「え?」
「…目をどうした?」
意外な言葉に一瞬とまどいを覚えるが、桃は律儀に答えた。
「ちょっと目蓋に怪我をしまして…」
「…見えてるのか…」
「はい、大丈夫ですが…」
なんだって、この人はそんな事を聞いてくるのだろう?
訳が分からず、桃の頭の中はクエッションマークが飛び交っていた。
近付いている気配を感じて桃は思わず後ずさるが、背中に壁がぶち当たってそれ
以上は動けなかった。
頬に触れられる。
ふりほどこうかと思うが、何も見えない今の状態ではまた触れられるのがおちだ、
と悟り、あきらめる。
「…あの…なんですか?」
「…見せろ…」
「は?」
「瞳を見せろ…」
「何言ってるんです?」
まったく意味が分からない。
この男は何を言っているのだろう?目を見せろ?医者か?そんな訳はないだろう。
あれ程の殺気を放つ医者などいる訳がない。
桃は見知らぬ男の言動に当惑するが、何故か強く振り払えなかった。男の口調や
気配が、どこか淋し気で余裕のない雰囲気をもっていたからである。
何か事情があるのだろうか?俺に似た人を知っているとか?
両頬が男の手に包まれる。
じっと自分の顔を見つめている視線を感じ、桃は気恥ずかしくなってきた。
「…あの…」
「…お前なのか?」
「え?」
やはり、誰かに似ているのだろうか?
「あなたは誰です?」
返事はない。
代わりに唇に柔らかいものが押し付けられる。
「?」
桃は何をされているのかすぐには理解出来なかった。口付けされていると気付き、
桃は全身がカッと熱くなって男の身体を突き飛ばした。
「な、何を!」
「待たせたの〜桃」
富樫の声が近付いて来る。
「と、富樫!」
「なんじゃ、桃?顔が赤いぞ?もしかして熱が出てきたのか?」
「い、いや…違う…この男が…」
「男?誰かがいたのか?」
「え?」
動転していたせいで、男の気配がいつの間にか消えていたのに気付かなかった。
一体、今のは…
「大丈夫か桃?なんかあったか?」
「…い、いや…なんでもない…」
富樫に嘘をつきたくないが、なんと説明すればいいのか分らない。桃自身が何が
起こったか理解出来ないでいるというのに…
だが、熱くなった身体と高鳴る鼓動は簡単に収まりそうもなかった。
伊達はトンネルから離れ、雨の中を歩いていた。
何をやってるんだ俺は…
瞳を見れば分るかと思った。忘れた事などないあの美しい漆黒の瞳…
今まで何度、悪夢から救ってくれたか分らない。
「ばかな…」
伊達は自嘲気味な笑みを浮かべる。
今の男が自分を助けたあの時の少年である筈がない。こんなところで会う訳がない
ではないか。なまじ、鉢巻などしているから錯覚しただけだ。
突き飛ばされてから気がついたが、男は男塾のガクランを着ていたのである。
男塾はいつか関東豪学連の参加にいれなければならぬ組織だ。伊達が決めたのでは
なく、豪学連という組織の目的がそうなっているのだ。
いつか相対する時がくる。
その時、また会えるか…
伊達は胸にざらつく感触を覚えながら、止みそうも無い雨の中をひたすら歩き続けた。

                              


目の見えない桃ちゃんって萌える!から思い付いたお話です;
これは続きの話も考えているのですが…どうしよう;