たまゆらの夢



「後、どのくらいで着く?」
『五、六時間というところです』
藤堂豪毅は自家用ジェット機の客席から、マイクフォンでコックピットの
パイロットに尋ねた。
客席といってもそこは藤堂財閥の専用機にふさわしく、飛行機の客席とい
うより一流ホテルの客室のような内装だった。
「なんだって?」
一番奥のソファに腰掛けていた桃が豪毅に声をかけた。その目には痛々し
く包帯が巻かれている。
「五、六時間程だそうだ」
「そうか…」
「到着まで時間がある。寝ていたらどうだ?」
「このところずっと寝てばかりだな…」
「…………」
「以前も俺は寝てばかりいたがな…」
ふふっと桃は寂しげに微笑んでソファに横になった。
「じゃあ、お言葉に甘えて少し寝るよ」
「ああ…」
「豪毅も寝たらどうだ?」
「ああ…」
「本当に寝ろよ?」
「…………」
「最近、ろくに寝てないだろ?」
「…………」
「…おやすみ…」
桃がやすらかな寝息をたて始めたのを聞いて、豪毅は毛布をかけてやった。
そして、目に巻かれた包帯をじっと見つめる。
この目の怪我は豪毅のせいだった。
男塾の近くの民家で火事が起こり、塾生達が消化活動に駆けつけたのだ。
桃と豪毅は逃げ遅れた人たちを助けに燃え盛る家の中に飛び込んだ。
そこで崩れてきた壁から豪毅をかばって、桃は目に大怪我を負ったのであ
る。
すぐさま病院に運ばれたが、医者の診断で目の視力の回復は、ほぼ絶望的
と言われてしまう。
豪毅はなんとしても桃の目を治そうと、世界中の名医に片っ端から声をか
けた。
正規の医者でなくともいい、と財閥の力を使って裏の世界にも探りをいれ、
そのすべての医者に診察を依頼した。
実際に診察してもらう為、桃を連れて世界中を回ったが、良い返事をくれ
る医者はなかなかいない。
今はフィンランドにいるという眼科医に診察してもらいに行く途中なのだ。
この眼科医にさじを投げられたら、桃の目の完治は不可能だと烙印を押さ
れた事になる。
させてたまるか…
豪毅は知らずに拳を強く握りしめ、桃を熱い瞳で見つめていた。

どれほど時間がたっただろうか。桃が静かに起き上がった。豪毅はすぐさ
ま駆け寄り、ソファの前に屈む。
「どうした?」
「ん…少し喉が渇いて…」
「分かった」
「…自分で取りに行くよ」
桃はそっと立ち上がった。
「なら誘導する」
豪毅は桃の手をとり、ゆっくりと歩を進めた。
「ここにグラスがある。こっちが水差しだ」
「ありがとう」
桃の手に触らせて説明する。
グラスと水差しの場所が分かった桃は、ゆるやかな動作だが、危なげなく
水を注いだ。グラスを手に、またも豪毅に手を引かれて近くのソファに腰
を降ろす。豪毅もその向かいに座わり桃を見つめた。
世界中を共に旅する間、豪毅は常に桃の側にいて、こんな風に世話を焼い
た。彼の手をとり、何事からも桃を守るつもりだった。
こんなに人と触れ合う事など、これまでの豪毅の人生の中にはなかった。
慣れない事に初めは戸惑った。しかし、桃がこんな状態になったのは自分
のせいなのである。
彼に対し、自分は責任があるではないか。
そう思うと、自然に彼の手をとっていた。
いつしか、それが…
「豪毅…」
桃がグラスを手に持ったまま声をかけてくる。包帯が巻かれているせいで
顔の向きが豪毅からわずかに逸れている。
「なんだ?」
「もし、俺が失明したとしても、それはお前のせいじゃない」
「…………」
「あの時、俺は自分の判断で飛び出したんだ。その結果がどんなものであろ
うと、それは自分の行動が招いた事で、誰にも責任はない」
「…………」
「だから、お前が気に病む必要はない」
「…気に病んでなどいない…」
「…豪毅…」
「お前に多くの医者を紹介出来る力を持っているのが、たまたま俺だった
だけだ…」
「…そうか…?」
「そうだ」
「…今回の診察が終わって駄目だったら、俺は男塾へ戻るよ」
「…………」
「塾長に聞いてみなければ分からないが、塾生として認めてくれるかどう
か聞いてみる」
「まだ、早いだろう…」
「…もうずっと考えていた事だ。もし、失明したならその事実を受け入れ、
早く慣れなければ」
「諦めるな…」
「諦めてはいない。だが、最悪の事態は覚悟しておかないと」
「…………」
「今まで俺の為に尽力をつくしてくれて…ありがとう…」
まるで別れのような言葉を口にする桃に、いつになく狼狽している自分
に豪毅は戸惑った。
何故、そんな事を言う?
自分から離れて行こうとしているのか?
…まだ、早い。
まだ、諦めずにもっと探し回ればいい。世界中を旅すればいいではないか?
二人で…いっしょに…
「塾生として認められない時は、それからの身の振り方も考えないとな」
「なら、俺のところに来ればいい」
自分の口から出た言葉に一番驚いたのは豪毅だった。
何も考えずに咄嗟に出た言葉。しかし、それは豪毅の本心からの言葉であ
った。
桃は一瞬驚いたようだったが、口元を綻ばせて
「やっぱり気にしてるんだな…」
と、小さく呟いた。
「…………」
違う…気にしているのではない…
「お前のせいじゃないと言っただろう。俺は豪毅に怒りも憎しみも感じて
いないよ」
「…………」
訳もなく、豪毅は苛立ちを覚える。
「いろいろしてくれて、嬉しかった」
「嬉しいのなら、これからもそうすればいいだろう」
豪毅は知らずに声を荒げていて、驚いた桃は口をつぐんだ。
自分が桃の世話をやくのは、世界中の医者を訪ねて回るのは、罪悪感から
でも義務感からでもない。
他でもない、自分がそうしたいからだ、と豪毅は気づいた。
こうしている間、桃は自分の側にいるからだ。
彼の目が見えない間は、自然に彼の手をとり、ずっといっしょにいられる
のだ。
初めは責任があるからだと思っていたが、ただの言い訳にすぎなかった。
いつしか、それが自分の喜びになっていたのである。
桃といっしょにいられる事が…
ソファから立ち上がり、豪毅は桃の前に膝をついて彼の頬に手をのばした。
逸らされていた顔を自分の真正面に向けなおす。
見えていない目が痛々しい。
けれど、同時に安堵も感じている。
彼が見えていないから、恥ずかしげもなく、桃を見つめていられる。本心
を語る事が出来る。
見えていないから、自分の腕の中にいる…
「お前は俺のところに来ればいいんだ…」
「…豪毅…」
「一生…俺が…側にいるから…」
あの男ではなく、自分が桃の側にいる。
豪毅は優しく桃を抱きしめ、目を閉じた。桃の手からグラスが落ちて床に
転がる音がする。
一生…俺が…守るから…
桃を腕の中に感じながら、豪毅は暖かな気持ちに満たされていた。
なんだろう?この幸福感は…
「豪毅様」
秘書の声が聞こえる…ああ…着いたのか…?医者のところに行かなければ…
いや、もう行くのは止めようか…?
このまま、君とどこかに行ってしまおうか…最果てまで…?
…二人で…いっしょに…
「豪毅様」
再び呼んだ秘書の声に、豪毅は目を覚ました。
「…………」
自家用ジェット機の天井が目に飛び込んでくる。
「日本に到着しましたよ」
「…………」
豪毅はどれが現実なのか分からなくなりそうだった。起き上がって寝転ん
でいたソファの上に座りなおす。
「豪毅様がうたた寝をするなんて珍しいですね。お疲れですか?」
「……いや……」
そうだ、俺は財閥の用事でアメリカに出掛け、帰ってくるところだったのだ…
思わず、自分の腕の中を確認する。
そこには誰もいなかった…
先程までこの腕に抱きしめていたその人は…
例えようもない喪失感が、豪毅の胸に広がった。


「お帰り豪毅」
男塾に戻ると、笑顔で出迎えてくれた桃の瞳は美しく輝いていた。
包帯など巻かれていないその姿に、豪毅は寂寥感を覚えずにはいられなかった。
「家の用事は済んだのか?随分長かったな」
「…ああ…」
「桃、早くしろ」
「ん、今行く」
少し離れたところから桃に声をかける男がいる。
自然に桃の隣にいる彼を見て苦い気持ちになる。
ただの夢だと思いながら、桃の辛そうな姿など見たくないと思いながら、心の
どこかで夢が現実であったなら、と豪毅は願っていた。
幸福に満たされていた、あの一瞬の夢が…



H21.2.2

元ネタはかなり昔読んだ同人誌(男塾ではない)から(かなりアレンジしてますが;)
豪毅は結構好きなキャラなんで書きたいと思ってるんですが、赤石先輩同様、動かしにくいです;
「決勝前夜」書いた時は、こんなに書きにくいとは思いませんでした;
某サイト様に書かれていた豪毅に感動して挑戦してみたんですが、見事に玉砕;難しい〜;
豪毅らしく、っていうのがすんごい難しい;(書ける人尊敬します!)
桃との友達でもない、敵でもない、恋のような違うような、微妙〜な距離感が…;
目の見えない桃ちゃんは大好物なわりに一度しか書いてないんで、これも再度挑戦…;
しかし活かせたかどうかは疑問…
予断ですが「セブンタスクス」の前の宴会で桃が豪毅に「俺はお前の親父を…」って言った時
豪毅は「血の繋がりはない」と言いますが、これ嘘なんじゃないか、って思ってます(私はね)
桃に気にさせない為だったんじゃないか、と。
藤堂の発言聞いてたら、多分本当の息子だったと思うんですよね〜兄妹とは異母だったとしても。
伊達は桃には嘘はつかないような気がしてます。どんなに悲しい事でも辛い事でも言うような。
でも、豪毅は嘘をつける人間かも?(嫌な意味ではなく)
伊達と豪毅の違うところってそこらへんかも。