満月と草原と君と…

伊達は竹林の中にいた。
見上げれば空には美しい満月が輝いている。煌々と照るその明かりのおかげで、夜の暗さを
まったく感じなかった。
伊達は何も考えず、ゆく宛もなく歩き始めた。そして、何か自分の身体に違和感を覚える。
なんだ?妙に視線が低くないか?
いつもの歩いている感触と違う。側に小さな池があったので覗き込んでみると、そこに映っ
ているのは一匹の虎だった。
あれ?これが俺か?そうか虎になっちまったのか。まあ、なっちまったものは仕方ない。
伊達は別に驚きも悲しみもせず、その姿を自然に受け入れた。そして、また歩き始める。
しばらく竹林の中を進むと、広い草原に出た。
一気に視界が広がり、迫ってくるような満月が怖いくらい美しい。
さわさわ…とさわやかな夜風が吹き、草原の上に波を作って通り過ぎていく。
その草原の上に一人の男が寝転んでいる。伊達は虎の姿のまま近付くと、自分の予想通りの
人物である事を確かめた。
白い鉢巻を風に揺らし、桃が気持ちよさそうに眠っている。
本当によく眠る男だ。
意識していなくても、常に辺りの気配を警戒して浅い眠りしかつけない自分とは正反対であ
る。
桃があまりに幸せそうな寝顔をしているので、伊達は頬に鼻先を寄せた。途端に桃の目がう
っすらと開く。
起こしてしまったかな?あ、自分は今虎だ。びっくりするだろうか?
などと伊達は思ったが、目を開いた桃は微笑みを浮かべて虎の姿をした伊達に話しかけてく
る。
「どうした?お前もここに寝転がりにきたのか?」
桃の手が虎の頭を優しく撫でる。
「ここは気持ちいいもんな」
フフっと笑った桃の笑顔は、この草原を駆ける風のようで…伊達は訳もなく胸が苦しくなる。
「ん?くすぐったいぞ」
衝動のままに桃の頬を舐めた。
「こら、ははっ」
何度も舐めると桃が楽しそうに笑う。彼の唇が目にとまり、伊達はとても艶やかに見えたそ
こに思わず歯をたてた。
「痛っ」
桃の声に伊達は、ハッとして顔を引いた。
見ると、桃の唇にはうっすらと血が滲んでいる。
自分がやったのだ。
伊達の胸が罪悪感に溢れ、鉛を飲み込んだように重くなる。身を退こうとすると、桃が笑顔を
浮かべてまた頭を撫でてきた。
「これぐらい、大丈夫だ。気にするな。そんなに耳まで垂らす程落ち込む事はないぞ」
自分はそれ程耳を垂らしていたのだろうか?落ち込んでいるのはあからさまに分かる程?
伊達が恥ずかしくてくすぐったい気持ちになった時、桃が小さなあくびをした。
「俺は寝るよ。お前もいっしょに寝るか?」
返事をする代わりに桃の横に身を横たえる。桃はそれを見ると、また風のような笑みを浮かべ
草原に寝転がって目を閉じた。
「おやすみ」
桃がやすらかな寝息をたて始める。伊達はその横顔をずっと見ていた。見ているだけで気持ち
が満たされてくるようだ。この気持ちはなんと言うのだろう?
彼に出会ってから自分が随分と変わってしまった気がするが、悔しさはない。この男塾に戻っ
てきた事にも後悔はない。
この男の側にいたい、いつも彼の笑顔を見ていたい、と思う。
背中を預けられる人間がこの世にいるとは思わなかった。いっしょにいるだけで心が落ち着く
人間がいるなんて…
桃の寝顔を見ていると、伊達も眠りの世界に誘われて目を閉じた。

翌朝、伊達は男塾の寮の部屋で目を覚ました。
夢か…
考えてみれば当たり前だ。いきなり虎なんぞになる訳がないのだから。思えば自分がまったく
驚きもしなかったのは、無意識に夢だと認識していたからだろう。
眠りの浅い伊達は夢など滅多にみないので、少し新鮮な気分がした。
「…惜しい事した…」
「なんです?」
同室で起きていた飛燕が伊達に尋ねてくる。
「なんでもねえ…」
と、伊達は答えつつ、夢ならあんな事もこんな事もいろいろ桃にやっておくんだった、滅多に
見ないしかも良い夢だったのに…と残念に思っていた。
一方、桃の部屋では…
「桃、もう起きたのか?珍しいな〜」
「…う〜ん…」
寝ぼけ眼だが桃がベッドの上に身を起こしているのを見て、富樫は驚きの声をあげた。いつも
は同室の者がどんなに音をたてようと、どんな大声で起こそうが眠り倒している桃であるのに。
「あれ、桃。唇怪我したのか?血が滲んでるぜ」
「え?」
富樫に言われて桃が自分の唇に指を当てると、微かに滲みる感触がする。
「これ使うかい?」
椿山が律儀に手鏡を差し出してきたので自分の顔を映してみた。言われた通り、血は乾いてい
るが唇に傷が付いている。
「なんでそんなとこに怪我したんだろう?大丈夫?」
「…ああ、ありがとう」
心配気に見つめる椿山に鏡を返す。
「寝ぼけてどっかにぶつけたんじゃないか?この木製ベッドもあちこちささくれが立っている
からの〜」
「…噛まれたんだ…」
「…誰に?」
「…大きな猫さ」
富樫の問に、桃は風のような笑みを浮かべて答えた

                              


自分がみた夢が元ネタになってます。伊達だったら黒豹もありかな〜
と思うのですが今回は虎で;(桃のイメージは隼かな?)