一つしかないもの


「おい」
声をかけられ、振り返った豪毅は目を疑った。
自分に声をかけてきたのが、あの伊達だったからである。不頂づらで、上から
目線で睨み付けてくる。
この男とは決して相容れない…
と、豪毅は思っている。
天挑五輪の時から豪毅はそう思っていた。
ろくに話もしていないのに、それは確信に近い感情だった。男塾に入塾してから、
その感情はますます強くなった。
この男の不遜な態度が気に入らない。
揺るぎない自信に満ちたところが気に入らない。
あの男の側に常にいるのが気に入らない。
それが自然に許されているのが気に入らない…
が、気に入らないと思っているのは伊達も同じでお互い様だろう。それなのに、
一体何故、何の用事で声をかけてきたのか?
『ケリをつけたいのか?』
ある程度覚悟しながら、豪毅は言葉を返した。
「…なんだ…」
「松浦の爺の家の住所を教えろ…」
予想もしていなかった言葉に豪毅は一瞬気が抜ける。
伊達の言う松浦の爺とは塾長の知人で、先日、男塾を訪ねてきたじいさんの事で
ある。
財界ではそれなりの大物なので、住所などは公にされていない。一般人がたやす
く調べられる家ではないので、伊達は藤堂財閥の跡継ぎである豪毅に頼んできた
のだろう。頼むというより、その口調はほぼ命令に近かったが。
「…分かった…」
豪毅の返事に、伊達は踵を返した。
     *
真夜中過ぎ、伊達は松浦じいさんの隠居屋敷の外にいた。
豪毅に住所を聞いてから、その足でここに駆け付けた。財界の大物だけあって、
家にはそれなりの警護システムを取り付けているらしい。
高い塀に囲まれ、入口にはすべて監視カメラを取り付けてある。
が、伊達にはどうという事はない。
入口から離れた人気のない場所に来ると、高い塀をひらり、と飛び越え、なん
なく家の庭に入りこんだ。
番犬でも出てくるかと思ったがそれはなく、すぐに家の窓の下まで辿りつけた。
財界の大物とはいえ、じいさん事体は引退した身なので、それ程殺気だった警
護はしていないようである。
さて、窓ガラスでも割って中に入ろうか。
と伊達が思った時、人の気配を感じて振り返る。意外な人物をそこに見て、伊
達は目を疑った。
豪毅がそこにいたのである。
松浦家の住所を聞いてきた時、豪毅はすぐに伊達が何をする気なのか分かった。
伊達は忌々しそうに舌打ちして小さく声をかけた。
「何しに来やがった?」
「それは、こっちの台詞だ」
「…………」
伊達は無視して窓ガラスを割ろうと豪毅に背を向けた。
「剣の絵がある部屋は南館の端だ」
「…………」
豪毅の言葉に、伊達はゆっくり振り返る。豪毅は顎でついて来い、と合図する
と歩き出した。仕方なく伊達は後に続いた。
豪毅の言った『剣の絵』とは、邪鬼が桃を描いた絵の事である。
一号生の時、桃は邪鬼の絵のモデルにされた事があった。
随分苦しいポーズをとらされたらしいが、出来上がった絵にはポーズはまった
く反映されていなかった。
「…邪鬼先輩…あのポーズの意味は…?」
と桃が聞くと
「気分だ」
などと言い返された、と桃は苦笑していた。
しかし、その絵は桃の柔らかい笑みを映し出した綺麗な絵だった。最近、天動
宮で見つかり、塾生の皆は回し見て、その絵の上手さに感心していた。丁度、
男塾に訪れていた松浦じいさんが、それを一目見て気に入り「譲ってくれない
か?」と頼んできたのである。
塾長はあっさりあげてしまった。他の塾生も、桃自身もまったく問題にしてい
なかったが、伊達は嫌だった。
あの絵はとても綺麗で、桃はと〜っても可愛かった。
そのと〜っても可愛かった桃の絵が、見知らぬ爺の家に飾られているのが我慢
出来なかったのである。
伊達…二十年後には、桃の顔が国内中に、いや世界中に氾濫する事になるのだ
から、絵の一枚でめくじら立てていたら身がもたないぞ。
忠告してやりたいところだが、そういう訳にもいかないし、二十年後には伊達
もそれなりに大人になっているだろうが、今はまだそれ、若気の至りというか、
なんというか…という事で…
「この部屋だ」
豪毅が示した窓から中を覗くと、確かに壁に邪鬼の描いた桃の絵が額にいれて
飾ってある。
伊達は窓ガラスを割る為、槍を取り出そうとしたが、それより早く、豪毅が太
刀をふるっていた。
ガラスは音もなく斜に切られ、豪毅は割れたガラスを窓枠から外して、そっと
地面に置いた。
無言のまま、二人は開いた窓の隙間から中に入り込む。
「これ以上、中に行くな。赤外線センサーがはり巡らされている」
「何故分かる?」
「俺の家にも同じシステムがある。この部屋のドアの横壁にスイッチがあるの
が見えるか?」
伊達は目を凝らしてドアの近くを見ると、豪毅の言うとおり、確かに赤いスイッ
チがある。
「ドアを開けて、赤外線センサーのスイッチを切ってから中に入るようになっ
ている。ここからスイッチを切れ」
豪毅は暗視ゴーグルを伊達に渡す。
「…………」
伊達がゴーグルをかけて部屋の中を見ると、確かに赤外線センサーがはり巡ら
されている。
槍をとりだした伊達は、そのセンサーの網の目をぬうように、スイッチ目掛け
て槍を飛ばした。柄の方を向けて放った槍は、見事にスイッチに命中し、セン
サーが消えた。
槍はそのまま床に落ちたが、絨毯が敷きつめてあるので、大きな音はしなかっ
た。
センサーが消えたので、伊達は堂々と絵に近付き、壁からはずす。
二人は無言のまま窓から部屋を出て、屋敷を去って行った。

夜が明けて、空が白んできた頃、伊達と豪毅は男塾に戻ってきた。
校門をくぐり、校庭を歩いていると、今まで無言だった豪毅が言葉を投げる。
「その絵をどうするつもりだ?」
「…………」
返事がないのは分かっていた。豪毅は伊達の持っていた額を掴んだ。
伊達は振払おうとしたが、びくともしなかった。
「離せ…」
「…………」
伊達も豪毅から返事がこないのは分かっていた。
二人はしばらく、絵を掴んで綱引き合戦をしていた。
はっきり言って非常〜に大人気ない。君たちいくつだ?
埒が開かないので、伊達は豪毅めがけて拳を放った。豪毅はそれを躱して、自
身も拳を伊達にくらわす。
お互いの拳と拳がぶつかり合い、絵が弾きとばされ校庭の端に落ちた。
誰もいない校庭で豪毅と伊達は対峙する。
子供が冷蔵庫に残っていた一つのプリンを取り合うような、原因は幼稚だが戦
闘能力は極めてハイレベルな争いが始まった。
しかし、この諍いの本質は絵の所有権ではなく、別のところにある。絵は単な
るきっかけにすぎない。
こいつとは一度、やり合わねばならない
それが、今だ
互いにそう思っていたからである。
武器も使わず、二人は拳のみで全力で闘っていた。手加減は無用で、力は拮抗
していた。
心のどこかで、桃のこいつに対する信頼は、自分とは大きさが違うのだと豪毅
は分かっていた。
だが、それを認めろというのか?
何も確信出来ないまま、素直にこいつを認める程、俺は甘くはない
だからこそ、こいつに負ける訳にはいかないのだ
俺が認めるのは一人でいい…
たった一人でいいからだ…
「…二人共、こんな朝早くから何やってんだ?」
寝ぼけた声に、伊達と豪毅の緊張の糸が少し緩む。
目を向けると、寝ぼけ眼を擦りながら欠伸する桃の姿があった。
「…まったく…組手なら、朝飯の後か授業中にでもしろよ…」
「…………」
「…………」
「そんな殺気を振りまかれたんじゃ、落ち着いて寝てられないだろ」
桃はまた、大きな欠伸をする。
伊達と豪毅は顔を見合わせた。納得していないのがお互い分かる。
二人は再び拳を放って闘い始めた。
「おい、まだするのか?」
「…………」
「…………」
「…勝手にしろ。俺は寝直すからな…」
桃は闘い続ける二人に背を向けて歩き出した。その時、バリッという音がして、
桃が悲鳴をあげたので、二人は驚いて手を止めた。
「ごめん!踏んじゃったよ!うわ、穴が開いちまった!」
二人が獲って(盗って)来た桃の絵に大きな穴が開いていた。
伊達と豪毅の気がドッと抜ける。
「ごめん〜伊達の絵か?それとも豪毅か?」
桃の足は見事に絵のど真ん中を貫いていた。
それほど大きな絵ではなかったので、どんな絵か分からなくなる程の致命傷に
なった。
伊達と豪毅は思いっきり脱力し、気力が尽きて戦闘不能状態になる。
しばらく、戦う気分になりそうもない…
「ごめん〜大切なものだったんじゃ…」
桃は半ベソ状態である。
「…ただのゴミだ」
豪毅が桃の泣き声を遮った。
「でも…高価そうな額だぞ…ん?どっかで見たような絵だけど…?」
「気のせいだろ。そこらへんの道に落ちていただけだ」
絵を桃の手から取り上げると、豪毅はポイっとダストシュートに放り込んだ。
「…そうか…?」
桃は少し首をかしげる。
「…桃…」
「なんだ?」
伊達の声に振り返る。
「…絵のモデルなんか…二度とやるんじゃねーぞ」
「は?」
「やるな…」
「え?」
豪毅の声に桃はそちらも振り返った。
「なんだよ二人共…ま、まさか…」
二人は一瞬、絵を獲って(盗って)来たのがばれたかと思うが
「プッ…お前らまさか…絵や写真は魂を吸い取る、とか思ってんじゃないだろ
うな…」
桃が吹き出したので、杞憂だと分かった。
「中世時代じゃあるまいし…そんな心配してないよな?」
「…………」
「…………」
「絵や写真が何枚あろうが、俺はここにいるだろ?」
桃は自分の胸を指さした。
「今、二人の側にいる俺が本物だろうが。何か分からないけど、変な心配すん
なよ」
「…………」
「…………」
「じゃ、俺は寝なおすよ。二人も早朝トレーニングを止めたんなら少し寝たら
どうだ?朝食までにはまだ時間があるぞ」
桃が笑って歩きだしたので、伊達と豪毅は無言のまま後に続いて歩きだした。
桃の絵や写真を何枚持っていようが、本当に欲しいものでない限り価値はない。
本当に欲しいものが手に入れば、絵などいらないのだ。
だが、その欲しいものは、たった一つ…
分ける、なんて事は出来る筈もないもの。
誰かと共有するなど我慢出来ない。
自分だけ…自分だけのものにしなければ、決して満足する事はないのだから…
並んで歩きながら、伊達と豪毅はお互い顔も見ず、声もかけなかった。
しかし、相手が何を思っているのかは、分かっていた。

邪鬼の描いた桃の絵が他にもあるのが分かるのは、もう少し後の事であった…



H21.4.5

某サイト様のところで拝見した絵を見て、思いついたネタですvありがとうご
ざいましたv
私的に伊達と赤石先輩はお互い避けてるけど、認め合っている、と思ってます。
性格は似てるけど本質は違う気がするので。
でも、豪毅と伊達って絶対認め合わないんじゃないかって気がするのですよ;
なんか、同じ磁石のS極とS極、みたいな?
桃はN極なんで惹かれるですよね〜v(そう、引力には逆らえないざんすよ!)
だから同じS極同士の二人は反発するだけじゃないかと;
こんな話書いててなんですが、拳を合わす事さえやらないかも;
でも、そんな二人も見てみたいよ〜な…
って感じで書いてみました;おそまつ!(殴;)