靴泥棒


桃は面会時間ギリギリになって病院を訪れた。
赤石の息子である十蔵少年が入院している病院である。
一週間程前、富樫から電話があり、十蔵が目に怪我をしたらしいので、信頼出来る
病院を紹介してくれないか、と頼まれたのだ。
桃はすぐに確かな医者のいる病院を紹介し、入院する事になった時は付き添いの看
護婦も手配した。
富樫が十蔵の怪我を知ったのはまったくの偶然で、それまでは街医者に診察と応急
処置をさせ、家で寝かせているだけであったという。
高熱にうなされ、意識不明だった十蔵を病院まで運んできたのは桃自身である。
富樫の話では、赤石は今、物騒な連中に付け狙われているらしい。
自分には手が出せないからと、息子の十蔵に危害を加える可能性があるようだ。そ
んな理由から、十蔵が怪我をした事を外部にもらしたくないのだと言う。
そこら辺の事情を考慮して、桃は富樫の名前で十蔵の入院手続きをした。
見舞いに行きたいと思っていたのだが、多忙でなかなか時間が作れず、今日やっと
訪れる事が出来たのである。
三階の南館に行き、部屋の名札を確認してノックしたが返事が無い。
「十蔵君?入るよ」
眠っているのかもしれない、と小さな声をかけて、部屋に入ったが誰もいなかった。
ベッドはもぬけの殻である。気持ちの良い風が吹き込んでくる窓の下を覗いてみると、
中庭のベンチに腰かけている十蔵の姿が見えた。
桃はその時入ってきた付き添いの看護婦に、持って来た花束を渡して中庭に向かう。
「十蔵君」
桃が声をかけると十蔵は顔を上げた。
怪我をした左目を覆う為、頭にも包帯がグルグルと巻かれている。
どういう経緯で怪我をしたのかは知らないが、医者の話では完治は不可能らしい。
本人も、それを知っている。
8、9歳の子供にとっては酷な話である。
怪我は刀傷であった。
原因がなんなのか桃は知らないし、医者にも聞かなかった。
赤石か十蔵が直接自分に話すのでなければ知る必要はない、と思ったからだ。
「横に座ってもいいかな?」
桃の言葉に十蔵は小さく頷いた。
「寒くないかい?」
日中はポカポカ陽気で暖かいが、日が落ちると少し肌寒く感じる季節である。
十蔵は無言で首を振った。
この人は誰だったかな?
と十蔵は考えていた。
目がズキズキと痛くて熱くて、熱にうかされて朦朧としていた時、聞こえてきた優
しい声に似ている気がする。
『十蔵君、しっかりするんだよ。もう大丈夫だからね』
この人だろうか?
それでも十蔵は尋ねる事はせず、右目だけで真直ぐに前を見ていた。
桃は強い意志を宿した十蔵の瞳を見て、彼なら大丈夫だな、と思う。
しかし、先程声をかけた時、顔を上げた十蔵の顔が期待に輝いていたのが分かった。
自分の姿を認めて、その期待が失望に変わったのも。
付き添いの看護婦の話では、赤石は一度も病院に来ていないそうである。
彼の姿はただでさえ目立つ。
十蔵が入院している事や、病院を敵対している奴らに知れるのを防ぐ為なのだろう
が、息子の十蔵にしてみれば淋しいに違いない。
桃は異国の地で暮らしている自分の息子を思って、胸がズキリとした。
赤石も自分の息子が可愛く無い筈が無い。
富樫が時々、十蔵の様子を赤石の携帯電話に知らせているらしいが、いつも1コー
ル鳴り終わらないうちに出てくるそうである。
第一、赤石が携帯電話を持っているなど聞いた事がない。
この件だけの為に用意したのではないだろうか。
本当は見舞いに来たいだろう。
時計を見て
「そろそろ夕食の時間みたいだから、病室に戻っておこうか」
桃が十蔵の身体を抱き上げる。が、途端に十蔵は身を堅くして強張ってしまった。
「え…あ…下ろせ…」
戸惑った口調で、顔を少し赤くしている。
どうやら抱き上げられる事に慣れていないらしい。
桃は微笑んで十蔵の身体をまたベンチの上に座らせた。そして、ある気配に気づく。
「十蔵君、靴が汚れているみたいだから、洗ってきてあげるよ。脱いでくれるかい」
「え?」
意味がよく分からない様子の十蔵を後目に、桃は屈んでさっさと彼の靴を脱がせて
しまう。
「ちょっと待っててくれ」
そう言葉を残して桃の姿が中庭から消えた。
建物の柱の影から、赤石は中庭をちらちら覗いていた。
周りに人気がないとはいえ、その姿は完全に挙動不信人物である。
十蔵の側から桃が消えている事に気づいた時、後ろから声をかけられる。
「先輩、何しているんです?」
「…………」
赤石はしぶしぶ振り返る。
十蔵に気をとられていたとはいえ、こうも簡単に赤石の背をとれるのは桃だけであ
ろう。
「十蔵君が心配で見舞いに来たんですか?」
ニコニコしながら桃が知ってるくせに尋ねてくる。
「…もう帰る…」
「会っていかないんですか?」
「必要ねえ…桃…」
「なんです?」
「…世話になったな…礼を言う…」
「…いえ…」
「兼正を返してきたようだが、あれはお前に譲ったんだ。持っていけ」
「返したんじゃありません。十蔵君に譲ったんです」
「ん?」
「あれにふさわしい遣い手になったら、先輩から渡してやって下さい」
「…………」
「…先輩、十蔵君を病室まで連れていってくれませんか?」
「は?」
「俺は十蔵君の汚れた靴を洗ってくるところなんで、彼、今裸足なんですよ」
桃の手には新品同様の綺麗な子供靴が握られている。
「…………」
「まさか病人を裸足で廊下を歩かせたりしませんよね?」
「…………」
「じゃあ、頼みます」
返事も聞かずに桃は去っていってしまう。赤石はため息をついて中庭に入った。
父の姿がいきなり現れたので、十蔵はびっくりして声も出ない様子だった。
「…部屋に戻るぞ…」
声をかけるや否や、十蔵は身体を抱き上げられる。
赤石は軽々と肩に担いで歩き出した。
父に抱っこされた記憶など無い十蔵はドキドキした。少し落ち着いて辺を見渡すと、
目線が驚く程高くて世界がまるで違って見えた。
『…お父さんの肩って広いな…』
十蔵は自分を軽く抱えている赤石の首にそっと手を回し、可愛い頭を肩にのせる。
『…あったかいな…』
大きな暖かさを感じて、十蔵はほっとするような安心感に包まれていた。
『結構、大きくなったな…』
十蔵を抱えながら赤石はそう思った。
生まれたての十蔵を初めて抱いた時は、片手でも余るぐらいであったのに…
赤ん坊ってこんなに小さいのか?
と驚いたものだ。
同時に、これ程愛しい者がこの世に存在するのだという事にも…
中庭から建物の中に入ると、目の前にエレベーターがあったが、
『エレベーターは身体の不自由な病人や、急いでいる人が使うだろう』
と、いう理由を思って、赤石は一番遠くにある階段に足を向けた。
『けが人に振動は身体に悪いだろう』
と、いう理由を考えて、赤石は出来るだけゆっくりと歩いた。

桃の名誉の為に一言。
靴は付き添いの看護婦さんが預かって、きちんと十蔵の元に戻ってきたので
御安心を。



H21.5.8

「暁!男塾」をようやっとまともに読みました。
それまで、クロちゃん(伊達のクローン)の出てくる巻と桃が洪大人と対決する
巻しか読んでなかった;(また、バラバラに読んでしまった;このクセ直さんと
いかんのう…;)
十蔵君、赤石先輩より不器用なんじゃないでしょうか?;いろいろと心配です;
可愛いけどv
赤石先輩も子供が可愛いから、甘くしたいけど「甘やかしてはいかん」と思って
無理に厳しくしてそう。
何かしてやるにしても、いちいち理由作らないと出来無さそうな気がする。
不器用ですから(高倉健かい…)
携帯電話鳴ったらガッって急いで取るけど、わざとらしく「なんだ?」と冷静を
装う赤石先輩は容易に妄想出来て笑える(オイ…;)
十蔵君が逆らうようになってからの方が赤石親子はおもしろそう。
「なんで俺が肩パットつけなきゃなんねーんだよ!」
「プロテクターと言え!」とか(親子漫才)
剣親子はどっちも素直だから(小悪魔と天使だけど;)仲良し親子を地でいって
そう(ある意味こっちも親子漫才)
私の中で赤石先輩はやっぱ「兄」とか「父」ってイメージなんだな〜と実感しま
した。いつもより書きやすかったv