favorite color


「今日は何が映ってる?」
「洋画が映っているようじゃの〜」
一週間程前、田沢がテレビを拾ってきた。少し直すと画面が映るようになったので、
天動宮の娯楽室に置かれる事となった。テレビが「男塾」に存在するのは初めてらし
い。
映るようになったものの、チャンネルは選べず、その時に受信できた映像を観るしか
なかった。
が、皆は久し振りに眺める文明の力を、楽しんでいた。
本日の受信出来たチャンネルでは、洋画を放送している。内容はラブストーリーらし
い。「男塾」では一万光年も程遠い世界である。
『…ごめんなさい…私達…まだ早いと思うの…』
『…………』
『お互いの事を、もっとよく知ってから…』
『そ、そうだね…好きな色とか…』
映画では、恋人達が夜を共にするかでもめている。女性はまだ早い、と言い、男性も
それに同意した。
「けっ!何グズグズしてんだよ!とっとと押し倒しちまえ!」
「軟弱な男じゃの〜」
秀麻呂や田沢が画面に向かって文句を垂れる。他の塾生も似たような野次をとばす。
「ま〜ったく、観ててイライラするぜ。ん?どうしたんだ桃、顔が赤いぜ?」
「え…?そ、そうか…」
「風邪でもひいたのか?」
「いや、違うよ…気のせいだろ…」
そう言った桃だったが、自分が顔を赤くしているのは分かっていた。
今の映画での女性の台詞が、先日、桃が伊達に言った言葉と似ていたからである。
三号生になった時、伊達が桃に告白して、二人は恋人になった。
抱き締めたり、口付けを交わすようになり、二人の関係はだんだんと濃密なものになっ
てきていた。
そして、とうとう夜を共にするようなムードになった。のだが、桃が『まだ、早いか
ら…』と言って拒んだのである。
テレビで同じようなやりとりを聞いて、その時の事が思い出されて、照れてしまった
のだ。
ふと顔を上げると、伊達と目が合う。
恥ずかしくなった桃はますます顔を赤くした。
桃とて、もっと伊達の事を知りたい。身体でも想いを感じ合いたい、とは思っている。
けれど、あの時は恥ずかしくて、少し怖くて拒んでしまった。
伊達が何も言わず、あっさり引き下がったのも意外であった。
桃の額に口付けただけで、身を引いたのだ。
正直に言うと、拍子抜けした部分もある。
『もうちょっと強引だったら…な、何を考えてるんだ俺は…!』
自分の思考に自分で照れる。
「あれ?桃、やっぱり顔が赤いぜ。大丈夫か?」
「だ、大丈夫…お、俺は塩を届けに行ってくるから」
塩を届ける、とは塾長の友人で、仙人になる修行を始めた爺さんのところにである。
ちょうど、男塾の裏にある山に籠り始めたのだ。さすが、塾長の友人だけあって、変
わり者である。
食料は自給自足で生活しているらしいが、さすがに生命の維持に不可欠な塩だけは不
足しては危ない、と塾長の命令で一ヶ月に一度、桃が届けに行っているのだ。
「今からか?」
「往復三時間ぐらいだから、暗くなる前には戻ってこれるよ」
「夜は雨になるって言ってたから気をつけてな」
「ああ、じゃあ、行ってくるよ」
桃は伊達にやわらかな笑みをちらりと向けて、娯楽室を出ていった。
伊達は桃の後ろ姿を見えなくなるまで見送った。
先ほどの映画のシーンで、思い出したのは伊達も同じであった。
確かに伊達は桃の事を何も知らない。
だが、それがなんだというのだろう?
何を知れば、その人の事を知っていると言えるのだ?
家や学歴や生い立ちや産まれか?それを知れば、知ったと言えるのか?
自分は桃がどういう人間か知っている。だから、伊達は関係ない、と思っている。
あっさり引き下がったのは、無理強いをしたく無かったからである。
身体だけが欲しいのではなく、心を伴っていなければ嫌だ。
だから、伊達は桃が許してくれるまで、いつまでも待つつもりであった。

      *

いつもなら、三時間で帰ってきていたのに、桃は日が落ちて大分たっても戻ってこな
かった。
予報通り雨が降り始める。
塾生達が心配して探しに行こうか話し合う中、伊達は桃を探しに一人で山に向かった。
飛燕がそれに気づき、とりあえず伊達に任せて、夜が明けても二人とも帰ってこなかっ
たら皆で山狩りをしよう、と提案した。
夜の雨の山では、新たな遭難者を出してしまう危険性がある。
「きっと、あの二人なら大丈夫でしょう」
飛燕の言葉に皆は頷いた。
伊達は懐中電灯を持って山道を歩いていた。
明かりで道を照らし、桃のいつも歩くところを探る。雨のせいでところどころ足跡が
消えているが、それでも伊達は目を凝らして微かな跡をたどって雨の中を歩き続けた。
時折、大声で呼ぶが返事はない。
すると、ある場所で桃の微かな足跡が、完全に消えているのに気づいた。
周りを調べると、左側の崖に靴痕が残っている。木々のおかげで雨が当たりにくかっ
た為に残っていたらしい。見渡すとその周辺だけ泥の跳ねが多い。
「桃!近くにいるのか!いたら返事しろ!」
伊達は大声で呼び掛けた。
「…伊達か!ここだ!」
遠くから桃の声が小さく聞こえ、伊達は思わず大きく息をついた。
声の聞こえた方向に懐中電灯を照らして探る。2メートル程崖下にくぼみがあり、中で
蹲っている桃の姿が見えた。伊達は急いで桃のところに降りていった。
「どうしたんだ、桃?」
「帰り道にここを通りかかったら小鹿が崖下の落ちているのに気づいて。助けてよう
と思って、降りて持ち上げたんだが、怖かったらしくて暴れられちゃって」
「怪我したのか?」
「暴れるのでバランスを崩してな。無理な体勢で支えようとしたから捻挫しちまった」
見ると左足首にさらしを巻いている。
小鹿はなんとか上に押し上げられたが、桃はすぐに登る状態ではなくなった。
腫れと痛みが引くまでしばらく休んでいよう、とこのくぼみに入ったのだが、そのう
ち日が暮れて雨が降り始めてしまった。
「今は大分腫れがひいたんで、どうにか歩けるんだが、夜の山道でしかも雨だろ。へ
たに歩いたらまた足を挫きそうで」
そこで夜明けまで動かない事にしたのだ。
「…まったく…心配させんなよ…」
伊達が桃の頭をくしゃりと撫でる。
「…ごめん…」
「これからどうする?確かに明るくなってからの方がいいとは思うが…ここで待つ
か?」
「少し離れたところに、壊れかけのお堂がある。そこまでなら行けると思うけど…」
「じゃあ、そこまで肩を貸すから行くか。懐中電灯もあるし気を付けていけば大丈夫
だろ」
壊れかけのお堂でも、吹きさらしのくぼみの中よりはましだろう。凍え死ぬ季節では
ないが、身体への負担は軽い方が良い。
桃は伊達に肩を貸してもらってなんとか崖上に上がった。
「伊達は塾に帰ってくれ。皆心配しているだろうから、知らせてくれるか?」
「…お前を置いて行けってのか?怒るぞ…」
「……伊達…」
「……………」
「…ありがとう…」
「…行くぞ…」
お堂は伊達が思ったよりも近くにあった。
桃の言った通りほとんど廃屋状態で、戸はなかったし、中に入ると天井に空いた大き
な穴から雨が降り注いでいた。
それでも、雨のかからない隅に身を寄せた。伊達が濡れていない石を拾ってきて組み
上げ、お堂の床板を少々引っぺがしてその上で火を起こす。濡れた身体を乾かす事が
出来て、桃はほっとした。
「楽な姿勢で横になっておけ」
「…ん…」
伊達に言われて桃は素直に横になる。
「疲れてんだろ。眠れ」
「伊達は?」
「俺は火の番だ。消えるまで見ておく」
「…ありがとう…伊達の声が聞こえた時、本当に嬉しかった」
うす暗い山の中、ひとりぼっちで、怖くはないが少し心細かった。
「……俺も嬉しかった…」
「…え…?」
「……お前の声が返ってきて……」
「……………」
桃は身体を動かして、伊達の膝に頭を乗せる。伊達が優しく髪を梳いてくれるのが気
持ち良くて、すぐに安らかな眠りに落ちた。

次に桃が眠りから覚めた時、雨はすっかり止んでいた。火も消えていたが、伊達は横
になっていなかった。
眠った時と同じ姿勢で、膝枕をしてくれている。
身じろぐと、伊達が顔を上げて、何かをじっと見つめているのに気づく。
「…伊達…」
「…ん…起きたのか…?」
「何、見ているんだ?」
「…星だ…」
伊達の視線をたどると、天井の穴から美しい星空が覗いているのが目に入る。桃は起
き上がって、その美しい夜空を見上げた。
「…綺麗だな…」
「…穴蔵から見た時も…綺麗だった…」
ボツリと伊達が呟く。
穴に落とされ、殺戮を続けていた時に見た星も同じように美しかった。
あの頃、これを見上げている時だけは、死の恐怖も、憎しみも、血の匂いも忘れる事
が出来た。
この時間があったから、正気でいられたのかもしれない。
「…お前の瞳と同じだな…」
「…え…?」
視線をずらし、伊達は桃の美しい瞳を見つめた。
真直ぐに自分を見つめる濡れた黒曜石の中に、美しい瞬きが煌めいている。
あの時の星空が降りてきたかのようだ。
愛してやまない人の瞳…
自分はどれだけ愛しく想っているのだろう…
伊達は桃の頬に触れ、口元を綻ばせた。
桃は彼のどこか淋し気な表情を見て、胸が苦しくなった。
せつなくて、自分の内の彼への想いが溢れてくる…
…いつも…伊達は俺の気持ちを考えてくれる…あの時もそうだった…
いつも…いて欲しい時に側にいてくれて…
彼が側にいるだけで、幸福感を覚えるのは…
「…伊達…」
「なんだ…?」
「…ブルーだ…」
「…ん…?」
「…俺の好きな色…ブルーだ…」
桃が伊達に優しく口付ける。
少し驚いて、夢心地な気持ちになった伊達は桃を強く抱き締めた。
ゆっくりと身体を床に倒すと、桃は伊達のすべてを受け止めた。

雨上がりで、空気は少し肌寒かったかもしれない。
しかし、熱くなっていく二人の身体には関係なかった。
…星が降ってきそうだ…
桃は肩越しに見える満天の星空を見上げてそう思う。
「……星に…見られてる…」
「俺と同じだ…」
「…え……」
「お前に見とれてる…」
「……ばか……あ…!」
繋がりが深くなって桃は背中を反らした。二人の身体が溶けて、一つになっているか
のような感覚に、指先まで痺れが走る。
「…あ…あ……」
「…桃…苦しいのか…?」
涙を零している桃に伊達が囁いた。
「…違う…」
胸が苦しくて上手く言葉に出来ない。
強引なくせに、優しくて…少しずるい、と思ったりする…
「…幸せで……」
「…ん……?」
「……伊達が…好きで……苦しい……」
こぼれる涙を伊達が唇でぬぐってくれる。
「…俺は…自分が嫌いだ……」
「……伊達……」
「…でも、お前に好かれていると…少しだけ…そうでもなくなる……」
自分のような血まみれの人間でも、人を想える。
愛せるのだと桃が初めて教えてくれた。
こんな想いがあるなんて、今まで知らなかった。彼に会うまで…
桃は伊達の背中に手をまわして抱き締める。
「……俺は好きだ……」
例え、お前が自分を嫌いでも……
「…桃……」
「…なに……?」
「…愛してる……」
「……うん…知ってる……」
そうだ…俺は知ってたんだ…伊達が愛してくれているのを…
一番大事なその事を知っていたんだから、怖がる必要はなかったんだ…
触れてくる唇から、指から、肌から、自分への熱い想いが伝わってくる。
もっと深く感じたくて、桃は伊達の指に自分のそれをからみ合わせた。
伊達がそれに感じて、強く引き寄せてくる。
幸せな気持ちに満たされて、桃はまた夜空を見上げた。
降ってくるような星を…

      *

翌朝、晴れ渡った空の下、伊達に支えられながら桃が山道を歩いていると、二人の姿
を見つけた塾生達が駆け付けて来た。
朝になって、二人を探しに来たのである。
訳を話すと、皆、一安心した。
早速、ガクランと木の枝で即席の担架を作り、桃を交代で運ぶ事に決める。
伊達は桃の身体に触れる奴は許しちゃおかない気分だったが、担架なら直接触れる訳
でも無いので、大目にみてやる事にした。
捻挫で普通に歩けないせいもあって、ほとんどの塾生は桃の動きが緩慢なのに気づか
なかった。
ただし、一部の人を除いて、であるが。



H21.5.26

好きな色を教えるのが「いいよ」の意味、という某映画を観て、一度書いて
みたかったんです〜v
初めての英単語タイトルですね。この程度でも辞書ひいて調べましたさ…;
「青」より「ブルー」って言った方が色彩の幅が広がる気がしたのでブルー
にしました。コバルトブルーとかマリンブルーとか。
本当に桃ちゃんが好きがどうかは知りません;あくまで想像です;