※「誘惑」「モナリザの微笑み」の続編となります。
オリジナルキャラの設定と話が続いておりますのでそちらを先にお読み下さい。
この話はオリジナルキャラがメインで進みますので、そういった話がお嫌いな
方はご注意下さい。


fall in love 前編


静まりかえった美術館。
夜も更けて、警備員以外誰もいなくなったが、館長室で二人の男がチェスを興じていた。
時間制限は無し。審判もいない。
「ナイトをg5に」
白で先手の桃が駒を進めて、彼のコマを一つ弾いた。
彼はチェス盤を睨み、次の手を考えながら、ちらりと桃の顔を覗き見る。
桃はいつも通り、余裕のある表情で落ち着いているようだ。
自分が負けるなどとは、思ってもいないのだろう。それが、彼のプライドを傷つけた。
『…絶対に勝つ…』
この美術館の館長である 彼は再びチェス盤を睨みつけた。
リザイン(投了)でもドロー(引き分け)でもなく、チェックメイトで勝ってみせる。
チェックメイトとは、相手のキングの逃げ場を奪う事である。
もう、絶対逃がさない。
一夜限りでもいい。
勝って桃を自分のものにするのだ。
このチェスの勝負をする時、桃は、はっきりと約束した。
『君が勝ったら、今夜は君のマンションに行く』
と。
長年の想いが叶うかもしれないのだ。このチャンスを逃せば、もう二度と触れられない
だろう。
いつから桃を想っていたのか?
彼は桃と初めて会った時の事を思いだしていた。
     *
彼が初めて桃に会ったのは、大学の寄付金を募るパーティーであった。
通っていた大学で、来年から美術学部における奨学金を減額する事が決まり、学生の何
人かが学費を払えなくなるかもしれない危機に陥ったからであった。
芸術において優れた才能を持つ者が、お金の都合で埋もれてしまうなんて…
放ってはおけないと、同じ気持ちの大学生の友人が集まって慈善パーティーを開催する
事にした。
幸い、彼の父は国会議員として地元の名士で知られているので、多くの著名人が集まっ
てくれた。
しかし、寄付金の集金は今ひとつであった。
招待客は到着した時こそ集金箱に寄付金を放り込んでくれたが、それ以後は箱の存在も
パーティーの目的も忘れたかのように世間話しに突入している。
このままでは目標額には到達しない。
「やばいな〜どうする?」
「う〜ん、マイクで寄付して下さ〜い、って催促するのも失礼だしな〜」
「オークションとか催しものを考えておけばよかった〜」
奨学生達の描いた絵は壁に飾って買えるようになっているのだが、絵はほとんど壁の花
と化している。
パーティーの主催者である友人達と頭を抱える。
なにしろ、パーティーの主催などするのは初めてだったし、失礼のないようにと会場の
準備の方にばかり気をとられて、どうやってより多く寄付させるか、なんて考えてなか
った。
父に相談すれば、それなりのアドバイザーの意見が聞けたかもしれないが、父とは進学
をめぐって冷戦状態なのだ。
このパーティーに協力してくれたのは、もっぱら母である。
そこに凛とした声がかけられる。
「ゲームでもやって集金箱に気を向けさせたらどうだい?」
「え?」
振り返ると、そこに黒髪の背の高い男性が立っていた。
「こんにちは」
その男はにこり、と人懐こい笑みを浮かべる。自分の名は剣桃太郎で父の知り合いだと
話した。
日本人だと知って、彼は少なからず驚いた。
今までもっていた日本人のイメージから、彼がかけ離れていたからである。
まろやかな英語に優雅な物腰なので、てっきり東洋系フランス人かイギリス人かと思っ
た。
「ゲームって?」
「招待状を出したお客は何人?」
「30人だったかな?友人や親戚の方もお連れ下さいって言ったんで、会場にいるのは100
人ぐらいですけど」
「マイクを貸してくれるかい?」
寄付してくれ、なんて言うのではないか、と思ったが彼のいたずらっ子のような笑みをみ
て、それはなさそうだ、とマイクを渡す。
「お客さんの気がこちらに向いたら、絵の説明でもして関心をもたせたらいい。君、説明
できるかい?」
大丈夫です、とアメリアが答える。
ladies&gentleman、と、桃はマイクで話しかけた。
「お集まりの皆さん、私と賭けをしませんか?」
賭け、と聞いて勝負好きの名士達の視線が一気に集まる。
「招待状を受け取った30人あまりの人がこの会場にいらっしゃると思いますが、その中で
同じ誕生日の方がいらっしゃるかどうか賭けませんか?私はいる方に10万ドル賭けます」
10万ドルと、聞いて彼は驚いた。集まった招待客も同じだったろう。
だが、額が大きい程、興奮も関心も高くなり、おもしろがった太っ腹な名士達は賭けを受
けた。
15人程うける客がいて、10万ドルになった。
桃が負ければそのお金を彼らに払う。勝てばそのお金を集金箱に入れてもらう、だったが
彼はハラハラした。
一年は365日であるが、招待状の客は30人足らずなのだ。しかも全員来ているとは限ら
ない。同じ誕生日の人がいる確率は10%未満なので、負ける確率の方が高い筈だ。
招待客が一人ずつ自分の誕生日を知らせ、同じ人がいないか尋ねる。
すると、7人目で同じ誕生日の人がいて、賭けは桃の勝ちとなった。
寄付金が集金箱に投げ込まれ、その興奮さめやらぬ中、アメリアがおもしろく絵の説明を
始める。
招待客は絵が買える事に気づいて、やっとそちらに関心を持ちだした。
主催者側はほっと胸を撫で下ろした。
パーティーも、そろそろ終わりに近づいてきた頃、集金箱には目標額を超える寄付金が集
まっていた。
彼はあの日本人に礼を言おうと探してが、剣桃太郎は会場の外の廊下で彼の母と話してい
た。
『そういえば、父の知り合いって言ってたけど、なんだろう?若手弁護士かな?仲間の議
員の息子かな?』
彼の父は彼に弁護士か軍人になって欲しかったのだ。
美術系の大学に行くと言った時は大喧嘩して家を飛び出したので、今は安アパートで生活
している。それから父には会っていない。
母が他の人に呼ばれてその場を離れたので、彼はすぐさま桃に近づいた。
「剣さん、先程はありがとうございました」
「ああ、寄付の方はどうだい?」
「あれから、絵も売れて目標金額を達成する事が出来ました。あなたのおかげです。ありが
とうございます」
「俺は何もしてないよ」
「でも、ひやひやしましたよ。同じ誕生日の人がいたから助かりましたけど…同じ誕生日の
人がいるって知ってたんですか?」
「いや、知らなかったよ」
「じゃあ、危ない賭けだったんですね」
「ふふ…同じ誕生日の人がいる確率はどれぐらいだと思う?」
「10%ぐらいでしょ?」
「実は25人だったとしても50%以上なんだ」
「え!?」
「おもしろいだろ。確率の錯覚だよ。ギャンブルなどはこの錯覚を利用して、絶対親元が勝
つようになってるんだ」
あっけにとられる彼を尻目に、桃はまたいたずらっ子の笑みを浮かべていた。
「さっき、お母さんと話したけど…」
「はい…?」
「大学に行ってから家に戻ってないんだってね」
「…そ、それは…」
「口には出さないけど、心配しているようだよ」
「……………」
あなたに関係ないでしょ。と言いそうになるが、何故だが言葉に出来ない。
「一度ぐらいは帰ってあげた方がいいと思うよ」
桃は優しい微笑を浮かべて、そのまま去っていった。
『…不思議な人だな…』
この日、彼の心に剣桃太郎という男は強烈な印象を残したのであった。



H21.6.21

もう、完全に趣味爆発の話です;すみません;確率の錯覚は「フェルマーの最終定理」から
いただきました〜
チェスのルールはよく知りません;ちょっとは調べましたが;
一応、自分の中での裏設定はあったんですけど、「彼」の話をこんなに書く事になるとは夢
にも思わず;かませ犬のつもりだったしな〜はっはっは;
でも、だんだん彼に同情が生じてきて;まあ、自分なりにケリをつけたくなりまして…
「彼」の名前もあるんですけど、出そうか迷ってます。
実は結末もまだ決まっていません;迷ってます;うごごご…;