ダーク・ファング1

意識が海の底から浮上してくるのを感じる。
桃は大きく息をつき、覆いかぶさる形で自分を抱き締めている伊達の表情を見ようとした。
が、桃の肩口に顔を埋めている伊達の顔はまったく見えない。耳元に微かな息使いが聞こえるだけだ。
仮に伊達が顔を上げていたとしても、真っ暗な室内の中、窓から差し込む僅かな月明かりだけでは、その表情は確かめられないだろう。
お互いの身体をからみ合わせ、何度か共に登り詰めた身体はけだるさを感じ始めている。
しかし、伊達に揺さぶられ、快楽の海に飲まれ沈んでいこうとした桃の身体は、伊達が急に動きをとめた事で放り出された形となってしまった。
「…伊…達…」
中途半端な昂りのままで焦れた桃は身体を捩る。
「もう少し…このままで…」
耳元で囁く伊達の言葉。優しい仕草で桃の前髪を梳く。
けれど、熱い身体をもてあました桃は、また身を捻った。
伊達の愛撫はいつだって巧妙で、手慣れていて、それに翻弄される自分を悔しく思う時もある。しかし、彼だから自分は身体を許している事も、逆に自分が伊達を抱く時も、愛しさからつい焦らせたりする事もあるのは分かっている。
どんな自分でも伊達は受けとめてくれる。
自分が彼の全てを受けとめたいと思っているのと同じように、彼も自分を想っていてくれるのを知っているから。
だから、桃は持て余した感覚を隠さなかった。
「…動き…たい…」
「…もう少し…お前を感じていたい…」
その言葉に、桃は自分の内にいる伊達の存在を意識する。身体がはっきりとその存在を捉えれば、熱く濡れた襞がからみつくように蠢く。伊達がその刺激を感じて、思わずうめき声を漏らした。
「…桃…」
「…な、なに…」
自分の身体の反応が照れくさい。
「…お前…良すぎだ…」
「ば…!」
ばかやろう、と言おうとした言葉は伊達に唇を重ねられて、最後まで声に出来なかった。
「…ん…」
激しい口付けをかわし、唇が離れた後も舌をからませると、どちらのものともつかない密が桃の頬を伝った。鉢巻のとれた額に唇を落とすと、伊達はゆっくりと身体を動かし、桃の身体を揺さぶり始める。
「…あ…」
桃は再び、自分が大きな波に飲まれていくのを感じる。深い深い海にゆっくりと沈んでいく己の感覚。
…溺れて…いく…
深い海に沈んでいきながら、二人は意識を白く染めるべく、何度目かの交合に身を委ねた。

   *****

次の日、桃は授業時間が終わると、塾の近くにある下町の花屋に来ていた。
天挑五輪大武會で亡くなった塾生達の為に、塾長が塾内に供養塔を建てたので、そこに備える花を買い求めに来たのである。
自分に出来るのは、これぐらいか…
天挑五輪大武會で「男塾」は何人かも犠牲者を出してしまった。
大将である自分に責任があると、桃は塾長に言い、可能ならばご遺族に直接お詫びを申し上げたい、と言ったのだが、願いは聞き届けられなかった。
それは儂の役目である。すべての責任は塾長である自分にある。お前には一切の責任はない。
また、お前が負い目を感じる事は、ある意味で亡くなった者を侮辱する事に繋がる。
と、塾長は桃を諭した。
桃自身もそれはよく分かっている。
天挑五輪大武會で散っていった塾生達は、戦いにおいて何の後悔も恨みもなく逝ったのだろう。
生き残った自分に出来る事は、彼等の死を無駄にしない、恥じない生き方を貫く事だ。
しかし、頭の中では理解していても、感情が追い付くには時間がかかってしまうものである。
花を片手に桃は少し空虚な気持ちになって道を歩いていた。
その時、帽子をかぶった一人の男の子が、転がったボールを追って道路に飛び出してきた。目の前にトラックが迫っている。
「危ない!」
桃は道路に飛び出し、男の子を抱えて地面を蹴った。
いきおいよく歩道に倒れ込むと、トラックは脇を通りぬけて去っていく。間一髪、激突をまぬがれたが、桃の持っていた花はタイヤに蹴られてしまい、辺りに花びらが舞い散った。
『轢かれたのが花でよかったぜ…』
桃は止めていた息を大きく吐き出し、男の子の無事を確認しようと声をかえた。
「大丈夫かい?怪我は…」
言葉を言い終える前に、首筋に鋭い痛みを感じる。
桃に抱えられた男の子が、針のようなものを桃の首筋に突きたてていたのである。よく見ると、自分が助けた人物は幼児ではなく、身長100cmにも満たない小柄な大人の男だった。
男は大人の不気味な顔でにやりと笑う。
桃は急いで腕をほどき、男から離れて立ち上がるが、視界がぐらりと回って膝をついた。
「…な、に…」
「心配するな。強力だが、ただの麻酔だ」
「…麻酔…だと…何故…」
背後から近付いてくる気配に気付き、桃は後ろを振り返った。黒服を着た数人の男がこちらに向かって歩いてくる。ただならぬ気配に桃は気力をふるい起こして立ち上がった。しかし、視界は相変わらずぐるぐると回わり、景色のすべて歪んで見える。身体がふらつくのを止められない。
「ほう、まだ動けるのか?」
黒服の男が驚いた口調で口笛を吹く。
からかうような様子に桃は怒りを覚えるが、意識が遠のき始めたのを感じて本格的にまずいと思う。
「さっさとこいつを車に放りこめ」
自分をどこかに連れていくつもりらしいが、男達の様子からろくな目的でないのは明らかだ。
簡単に捕まってたまるか。
だが、今の自分の状態では戦っても勝ち目はない。
36計逃げるにしかず、か…
桃は後ろに大きく飛んだ。
子供のふりをした男の頭上を飛び越え、全力で駆け出す。
視界が定まらないうえに方向感覚まで狂いだしてきて、どこを走っているのか分からないが、とにかく今は黒服の男達から離れるのが先決だ。
「何をしている!追え!」
黒服の男達が追い掛けてくるのを感じる。追い付かれるのは確実だ。そう思った矢先、肩を強く掴まれる。桃は大きく腕を振って払い落とし、拳を男に向けて放つが男の腕にガードされた。
こいつら、訓練を積んだ男達だ。素人ではない!
桃がそう確信した時、背後から強烈な手刀をくらって地面に伏した。身体がしびれ、意識が遠のいていくのを感じる。
「手間かけさせやがって」
倒れた桃の周りを男達が取り囲む。
「…貴様ら…一体…」
桃はなんとか起き上がろうと身体を動かすが、視界が真っ暗になって次の瞬間、完全に意識を手放してしまった。

   *****

「桃はまだ帰ってこんのか?」
「ああ、まだみたいじゃの〜どこ行ったんじゃろ?」
富樫の問いに松尾が答える。
「どっかでいいものでも食ってんのかな〜」
「虎丸、いじきたねぞ」
夕食も終え、男塾の寮では就寝前の自由時間で、各自が好きなようにくつろいでいた。しかし、その中に桃の姿はない。
「だってよ〜出て行ってからもう6、7時間はたつぜ〜遅すぎねえか?」
「伊達は桃がどこに行ったか聞いてんじゃねえのか?」
「さっき聞いたけど知らねえって言ってたぜ」
「ま、門限が過ぎても桃ならなんなく寮に帰ってこれるだろうけどよ」
「心配するこたあねーか」
と、皆は口々に言いながらも、寮の扉が開く音に耳をすませている状態だった。
桃は特別な時以外は差程目立つ存在ではない。
授業中はいつも眠っているし、力を誇示する事も目立つ言動もしないからである。
強力な存在感を放つでもなく、空気のようにそこに溶け込み皆を見守っているような、やすらかな安心を与えてくれる。そんな存在なのだ。だから不在の方が、あるべきものがないという、ぽっかりした気分になって落ち着かなくなるのかもしれない。
「何してるんです?」
「ん?」
部屋の窓枠に腰掛け、外を眺めている伊達に飛燕は声をかけた。
「別に何も…」
と、いいながら、伊達の視線はしっかり塾門に向けられている。
「桃が心配ですか?」
「まさか」
何かあっても桃は解決出来る力を持っている。心配などする必要はない、と伊達はいつも思っていた。しかし、今日は妙に胸騒ぎがして落ち着かない。
早く帰って来い、桃…
いつもの笑顔を見せて安心させて欲しい。この胸騒ぎをただの杞憂にして欲しい。
伊達は一晩中、窓から外を眺めて桃の帰りを待っていたが、結局、桃は帰ってこなかった。


H20.9.8

セブンタスクスはちょっとな〜;今までと違うパターンの戦いの話を読みた
かったような気が…;「こんな感じだったらどうだろう?」と考えたところ
から思い付いた話です。続きます。多分;