※「誘惑」「モナリザの微笑み」の続編となります。
オリジナルキャラの設定と話が続いておりますのでそちらを先にお読み下さい。
この話はオリジナルキャラがメインで進みますので、そういった話がお嫌いな
方はご注意下さい。


fall in love 中編


彼が芸術の世界で生きる事を決意したのは、10歳の時、システィーナ礼拝堂を観た時だった。
あの時の雷に撃たれたような衝撃は忘れられない。
まさしく、恋に落ちた瞬間だった。
自分には制作的な才能がないとすぐに分かったが、別にショックではなかった。芸術を守る方が
自分には向いていると、初めから思っていたからである。
大学に進学する時は父親ともめたが、母親は賛成してくれた。母親は彼が身分や人種に関係ない
分野に興味を持った事を心良く思っていた。
上流階級の出で、父親が国会議員となると、差別意識を持ってしまう子供が少なくないからであ
る。
家から出て生活していたが、父親に会うのが嫌でほとんど家には戻らなかった。
なのに、あのパーティーで剣桃太郎という男性に出会って、彼の言葉に素直に従って家に戻った
のは何故か。
父の知人だという剣氏の話を父から聞きたいと思ったからであった。
母は剣氏が日本の国会議員だという以外は何も知らなかった。
「とても紳士で良い人よ」
と、母は繰り替えした。
これから付き合っていきたいと考えているので、家にお招きする機会が増えるだろう、と言って
いた。即座に彼は家に戻る決意をした。
家にいれば、また彼に会えるかもしれない…
父は剣氏を、若いにも関わらずやり手で次期総理にもなりえる人物だと評価した。懇意にしたい
と思っていると話していた父の言葉通り、剣氏は時折家に遊びに来るようになった。
父や政界関係者といっしょにいる事がほとんどだったが、少しの時間を見つけて話すようになっ
た。
最初の印象通り、剣氏は不思議で魅力的な人だった。
話すのは大抵彼の方で、剣氏はもっぱら聞き役である。それでも、剣氏との会話は刺激的で楽し
かった。頭の回転が早いのだろう、目からウロコの言葉を返してくる時もあれば、気のきいた
ジョークで笑わせてくれる時もある。
親しくなればなる程、彼は次第に剣氏に惹かれるのを感じていた。
しかし肝心の剣氏に関して、彼は何も知らなかった。
聞き出そうとしても上手く躱されてしまう。剣氏は掴みどころのない人物で、捕まえようとし
てもスルリと逃げられてしまうのだ。
それが、かえって彼の執着を強くさせた。
父の目は確かだったようで、剣氏は日本の総理となった。
途端に剣氏の訪問はピタリと止まってしまい、彼は淋しかった。
報道で情報をいつもチェックしていたが、型破りな剣氏の行動にはいつもハラハラさせられた。
そして、あの日。
剣氏の乗っていたセスナ機が墜落したというニュースが飛び込んできたのである。
目の前が真っ暗になったような気がして、剣氏の生存が確認されたというニュースが耳にはい
るまで、自分はどうしていたのか記憶がないほどである。
剣氏が生きていると分かった時は神に感謝した。
それから、まもなく、父の心臓の病気が発覚した。
南の島に家族で静養に来た時「剣氏も招待している」の父の言葉に彼は胸が踊った。
総理になって以来、剣氏とは会っていないのである。何年振りだろうか?その間、彼は大学を
卒業して、小さな現代美術館の創設に尽力を注いでいた。
剣氏がくるのを夜遅くまで待っていたが、なかなか来なかった。
島全体が貸しきりとなるこのホテルでは、すべてクルーザーを使って行き来している。それし
か交通手段がない為、完全にプライベートが守られるという訳である。剣氏もここなら安心し
て休めるだろう。
待ち疲れた彼はうとうと眠ってしまった。
夜明け前に目を覚まし、バトラーに剣氏が到着したか尋ねる。
かなり遅くに着いて、お部屋に案内したとの事。
お疲れのご様子でした、というバトラーの言葉は耳に入らず、彼はすぐに剣氏のヴィラに飛ん
でいった。
天蓋のついた大きなベッドに、桃はうつ伏せで眠っていた。
砂浜に続くテラスの窓は開けられていて、夜明け前のさわやかな風が吹き込んでくる。
本当に疲れているようで、ベッド脇にまで近付いても目を覚まさない。
腰までかけたシーツで下は分からないが、桃の上半身は裸だった。傷跡の残る背中に彼はドキリ
とした。
触ってみたいという衝動が沸いてきて、彼はそっと背中をなぞる。
シルクを思わせる肌触りが指に伝わってきて、彼はますます胸を高鳴らせた。
「…ん……」
桃が身じろいだので、彼は急いで手を引っ込める。動きに合わせて傷跡が蠢いて、なまめかしく
感じた。
「…あ……」
目を覚ました桃がベッドに仰向けになる。
「…おはよう…」
彼の姿を認めると軽く欠伸をして挨拶してくる。
「お、おはよう…ございます…」
いけない事でもしていた気分で、彼は後ろめたい気持ちになった。
「早いな…どうした?」
「…い、いえ…到着したと聞いたので、つい…起こしてしまってすみませんでした…」
「ふふ…別にいいよ…」
優しく微笑む桃はまるで変わらない。むしろ寝起きのせいか、以前より子供っぽく見える。
それとも、自分が大人になったからだろうか?
彼がそんな風に思っていると、桃がシーツをはね除けて起き上がった。やはり、裸体で彼は慌て
て後ろを向いた。どきどきしながら、背中越しに桃が何かを身につけている気配を感じる。
「いっしょに夜明けでも見ないか?」
「え…夜明けですか…」
「ああ、ちょうど、陽がのぼってくるところだ」
振り向くと、桃は日本の簡単な着物を着ていて、テラスに出るところだった。彼も追ってテラス
に出る。
横に並んで海を見ていると桃が声をかけてきた。
「久し振りだな。元気だったかい?」
「ええ、なんとか…無事、大学も卒業出来ました。今は美術館の開館に向けて頑張ってます…」
「すごいな」
「いえ…父の名前があったから…いろんな面で助かっています」
「ふふ…素直に認めるようになったんだな」
「…あ……」
「自分一人で出来る事なんて、たかが知れてる。誰かの協力を得て成し遂げられるのであれば、
それでいいんだ。協力させるのも本人の力量だ。自分に出来る事と出来ない事が分かったなら、
大人になった証拠だな…」
「……………」
桃は視線を前に戻した。
「…剣さんは…随分と無茶しましたね…」
「ん?」
「命を危険にさらして…かなり心配しました」
「…そうか…すまなかったな…」
「もう、無茶しないで下さいよ」
「…う〜ん…それは、どうかな〜」
「剣さん…あなたに何かあったら……に、日本はどうなるんですか?」
彼は一瞬、私はどうなると思っているのか、と言いそうになって自分で驚いた。
「…どうもならないよ…」
「え?」
「私一人がどうなったところで、狂った世界はビクともしない…この美しさが変わらない
ように…」
彼が視線を向けると、太陽が上ってくるところだった。
「…星が消える瞬間だな…」
彼は太陽では無く、その陽に照らされる桃の横顔を黙って見ていた。
凛とした気品が漂い、美しい瞳が陽を受けて輝いてくる。風が髪を揺らして着物の裾で遊んで
いる。
あまりに美しすぎて言葉がでない。
あの時の、システィーナ礼拝堂を観た時の衝撃が蘇る。
それは、恋に落ちた瞬間だった。

     *

目覚まし時計の音に彼は飛び起きた。
汗をびっしょりとかきながら、胸の鼓動が跳ねている。
…また、あの夢を観てしまった…
横たわる桃の上に、黒い影が覆いかぶさって陵辱している夢である。
彼はなんとか止めさせようとするのだが、身体動かなくて、いつも黙って見ているしかなかっ
た。
『…あん…や…はあ…』
電話で聞いた桃の甘い喘ぎ声が耳にこびりついて離れない…
そして、あの男の声も…
『誰も知らない表情を見れるのは俺だけでね…』
「くそ!」
彼はいきおいよく起きて、シャワー室に飛び込んだ。
身支度を整えると、美術館に向かう。
今日は休館日だが、例の金庫の修理が終わって、宮里氏が持ってきてくれるのだ。
桃自身、後から来るかもしれないと話していた。
どうしても彼は桃に会いたかった…
会って確かめたい事が山ほどある…
美術館につくと、警備員とマネージャーがすでに金庫を受け取っていた。すぐに地下の倉庫
室に運ばれる。
「遅くなって悪かった」
「いえ。金庫の方の確認はすませました。修理は完璧です」
「そうか良かった。宮里氏はどこに?」
「それが、宮里氏は急病の為に来れませんで、代理の方がいらしてます」
「代理人?誰だ?」
「伊達とおっしゃる方です」
「伊達…?」
聞いた事のある名前だ…あ、そうか…確か桃の親友と公言された男だ。
『ジャパニーズ・マフィアだったよな…』
桃が親友と言うからには、変な人間ではないだろうが…
「…どこにいる?」
「あの観音像の前にいましたが」
「分かった」
彼は少し気を引き締めて足を向けた。
観音像のガラスケースの前に、長身の男が立っている。彼の足音に気がついたらしく、顔を向
ける。
ネットなどで写真は見たが、さすが本物。傷にも眼光にも迫力がある。
『いい男っぷりだな…』
背広を着こなした伊達は体格といい、漂うオーラといい、並の人間ではないとすぐに分かった。
「伊達さんですね、初めまして。私が館長です。わざわざ金庫を持って来て下さってありがとう
ございます」
彼は握手をしようと手を差し出そうとしたが
「…ああ……お前と正面から会うのは初めてだな」
その声を聞いて彼の身体が強張る。
『…この声は…!』
目を見開いたまま、しばらく呆然とする。
……気づいたか…思ったより、聡いな……
伊達が口元を綻ばせるのを見て、ムッとした彼は手を引っ込めた。敵意のこもった視線で伊達
を睨む。
「…そうですね…電話では、お話しましたでしょうか…」
「…少しな…」
「……………」
「宮里氏がくれぐれもよろしく伝えてくれと、礼を述べていた…」
一昨日の夜に宮里翁から伊達に電話があって、体調がすぐれないから、自分の代わりに金庫を
返しにいって欲しいと頼まれたのである。
あの観音像がNY市に寄贈されるニュースが流れた時の博信の顔を見せてやりたかった
と笑っていた。
…じじい…長生きするぜ…
と、伊達は密かに思った。
断ろうと思えば断れた。だが、伊達はこの横恋慕男に会うのも悪くないか、と思ったのである。
「…それは、どうも…」
伊達は視線を観音像に戻した。
この観音像はNY市に寄贈、という形になっているが、当分の間は彼の美術館に展示される。
まだ無名の美術館の良い宣伝になるからだ。
「やはり、本物は違うな…」
「あなたに分かるのですか?」
「俺に芸術的な意味は分からない。だが、美しいものは美しい。それは感じる」
「……………」
「お前とは趣味が似ているか…?」
からかうような伊達の言葉に、彼の視線はますます険しくなる。
「じゃあ、用がすんだんで帰るぜ」
伊達は廊下を歩きだしたが、途中で足を止めた。
「あ、そうそう。桃が夕方頃、NYに着くって言ってたぜ」
「…え…!」
「多分、電話がかかってくると思うが。こっちの方に来るつもりのようだから、会いたくなけ
れば帰っておけ」
「あなたにそんな事を言う権利は…」
「鍵を返すそうだ…お前がいなかったら警備員に預けるつもりだとな」
「…!…」
「じゃあな…」
再び歩きだした伊達は、二度と振り返らなかった。
彼は悔しさと怒りのこもった目で伊達の背中を睨みつけた。
それしか出来ない自分に腹がたつ。
男としての力量の違いをまざまざと見せつけられ、惨めな気分だった。
悔しくてたまらず、彼は指の色が白くなるほど、拳を堅く握りしめた。



H21.6.24

だ、だから趣味大爆発の話だとお断りしたじゃありませんか〜;
一度書いてみたかった場面とか台詞とか、バンバン入れさせて頂きました〜;
悪いやっちゃな〜伊達…もっとやっても…い、いや、ゴホゴホ…;
他の誰でもない、私が、私が、私が楽しいでせう〜!;