「魁」の時代と「暁」の時代


「魁!男塾」が少年●ャンプに連載されたのは昭和の時代、1986年〜1991年である。
「暁!〜」はスーパー●ャンプにて2001年から連載中。
漫画が登場した時代が違うので比較する事は難しいが、どちらの作品のクオリティが高
いかといえば、やはり「魁」の方であろう。なんといっても訳の分からんパワーが違う。
気を抜くと読んでいる方が置いていかれるぐらいの無茶久茶なパワーがある。
「魁」を知らない人が「暁」を読んでみたところ「あんまりおもしろくなかった」とい
う感想を聞いた事がある。確かにそうかもな〜「暁」を十分楽しめるのは、あくまで
「魁」を知っている人かもしれない。出てくる登場人物が「魁」の二世キャラな事から
みても、そのところを狙っている感はある。
が、「暁」のキャラもそれなりに個性があっておもしろい、と思う。
では何が「暁はあんまりおもしろくなかった」なのかというと、やはり「ストーリー性」
であろう。
「暁」→「魁」という順番で物語を読んだ人は「魁の方がおもしろい」と言うのだろう
か?
う〜ん、なんとも判断しずらい。
「魁」の魅力は上記でも言ったように「そんなバカな…」な無茶ぶりパワー。こちらに
常識を考える余裕を与えさせない程のゴリ押しぶり。
残念ながらこの手法は「週刊漫画」という形式において最大限活用されるし、内容は話
が進めば進む程パワー不足になって失速してしまう。
悲しいかな「強い力」を頂点とする格闘マンガの宿命なのだ。
少年●ャンプはトーナメント式格闘マンガが主流である。最初に「学園もの」「青春も
の」だったとしても、この形式に変型させられる確率が高い。
格闘漫画の主人公は勝たなくてはならない。勝ち残る為には強くなくてはならない。強
い敵が現れて倒して、また次の強い敵が現れて…の繰り返しで物語が進行していく。
この形式の物語で「魅力的で強大な敵キャラ」は必須である。
主人公が強大な敵に勝ってこそ「カタルシス」を感じ、読者は満足するのだ。
が、そんな魅力的な敵キャラが毎回誕生させられる筈がない。作者のイマジネーション
も限界がある。その為、どこかでいつか見たようなマンネリキャラやマンネリな闘いに
なってしまう。
そして最後は物語事体に魅力がなくなって終わってしまうんである。打ち切り〜みたい
な…;悲しいな〜
「ドラゴンボール」「北斗の拳」「セイントセイヤ」「幽々白書」などの時代を一世風
靡したマンガといえど、その宿命には逆らえなかった。「魁」も然り、である。
珍しい例外として「ジョジョの奇妙な冒険」があげられる。
この話が終わらないのは、闘いのゲージを「力」ではなく「質」に置き換えたからだ。
「力」は大きい方が常に勝つので、どんどん強くなってインフレ状態になるが「質」は
戦略次第で勝てる。「力の弱いものでも状況次第で勝てる」状態を作り出す事によって、
緊迫感を生み出し、マンネリ感を払拭したのであった。お見事である。
「暁」の場合はどうだろう?
私は「魅力的な敵キャラ」において、「暁」はパワー不足だと思う。
それは敵ボスキャラに「魁」の藤堂を登場させている事からも感じられる。
あのじじい…ゴホゴホ;失礼…あのご老人を越える敵キャラクターを宮下氏は生み出せ
なかったのではないだろうか。
「魁」で藤堂が初登場してきた時は、ちゃんと彼の過去や性格を説明するシーンがあっ
たが、「暁」では、すでに既存のキャラだからバックボーンは省かれている。これでは、
初読した人は愛着は湧かないだろう。既読の人も「またか…」という感は否めない。ワ
クワク感というか緊迫感が湧きにくいのだ。
もう一つの格闘漫画で必要なのは「闘う理由」である。
「魁」においての闘う理由は、問題のある事が多かったが、「暁」ではその点は配慮さ
れている。
どちらにおいて問題なのは「理由が単純」という事である。
「魁」の時代において、闘う理由は「正義」の為であり、戦いは常に「善VS悪」であっ
た(その「善」の設定も問題ありましたが;)
これは「魁」の時代は通用したが、今の時代では通用しないのだ。
戦いは単純な「善VS悪」ではない、という事を今の子供達はうすうす知っている。
それぞれの事情や信じるものの為に戦う。
つまり、どちらもある意味で正しく、ある意味で間違っているのだ。
その中でどうやって問題を解決していくか、糸口を見つけるか、答えを見つけることが
物語の中心になってくる。
そういった「濃い内容」の話を今の読者は求めているんではないだろうか?
「暁」はこの内容が「薄い」のである。
「闘う理由」が単純な「善VS悪」ではなく、訳の分からない「オリンピック」とか
「塾長」を助ける為、などに現代的になっているが、やっぱり基本は「格闘漫画」になっ
ている。
それに、「男」の定義がいまいち古臭いかもしれない。
話の中に描かれる「男」の姿が、今の時代にシンクロしないんである。
今は昔よりも「男はこうなくちゃ駄目」とか「女性は結婚して子供を産むもの」などの
社会の押し付け定義が弱まってきている。
「男性」「女性」以前に「人として」魅力のあるキャラクターが求められるんではない
だろうか?だから「男塾」という学校の存在自体に必要性やリアリティーを感じられない
し、感情移入も出来にくいのではないだろうか?
う〜ん;やっぱり今の読者にはうけなくて当然かも…;
週刊ジャンプで一世風靡した「スラムダンク」というバスケ漫画がある(私も夢中になっ
て読んだ)
この話を「全然おもしろくない」という人に理由はといえば
「バスケやってるだけじゃん」
だそうである。
………そうね…そうとも言うわね………妙に納得しました……;