何故桃が総代なのか?


さて「男塾」には各号生ごとに「筆頭」という長みたいなものが存在する。「男塾」全体の長は「総代」らしい。桃が二号生筆頭でありながら総代についていた事から、筆頭の上に別の誰かが総代になるのではなく、筆頭のうちの誰かが総代になるものらしい。桃の前は邪鬼様だった。
初期の男塾では
一号生筆頭は剣桃太郎。
二号生筆頭は赤石剛次(名前からして赤石先輩お兄さんいるのかな?いや、お父さんが剛とか?関係ないんだけどふと思ったのよ;ほら冨樫の兄さんが源吉だし;)
三号生筆頭、兼総代は大豪院邪鬼。
だった。
筆頭も総代も任命方法は明らかにされていない。原作では桃は初めから筆頭で、アニメでは富樫が筆頭だった(らしい)がその後「今日からお前が筆頭じゃ!」の富樫の一声で桃が筆頭となっている。
塾長や教官達の許可は不要らしく、筆頭は各号生達に委ねられているとみていいだろう。しかし、選挙とか話し合いが行われた様子はない。
前筆頭が指名するのだろうか?「総代」は確かに邪鬼様が桃を指名していた。けれど、桃をあの二号生達が指名したとは考えにくい。
では、どうやって筆頭が決定されるのか?
ある時、教官が
「筆頭よ、前に出ろ!」
と言って
「押忍!」
と名乗りをあげた者が筆頭になるのだろうか?それが不満を持つ者がいたら
「俺が筆頭であります!」
と、自分が名乗りをあげる。名乗りをあげた者同士、決闘で決着をつける。なんて方法が男塾らしいかもしれない。確かに総代は挑戦を受けたら拒めなかった(東郷の時みたいに)
不服があるなら挑戦しろ、って事なんだろう。とするとやっぱり力が一番強い者が筆頭になるのだろうか?
力があるのにこしたことはない、と思うけれど、実力よりも大切なものが筆頭には求められるんではないでしょうか?
「統率力」「信頼性」とかね。
Jや伊達や三面拳加入以前の一号生が上級生にあれだけ肉迫できたのは、「団結力」が抜きん出ていたからだと思う。これまでの一号生とひと味違っていた筈。
八連制覇の最終闘場へ向かっている時、でかい鉄球が転がってきたけど、椿山の危機に桃が「全員、続け!」と声をかけて球を止めに駆け出し、皆もそれに従って球を止めに走った。
ここで私が指摘したいのは、桃がまっ先に先頭きって球を止めに行っている事である。
あの大きな球は当然人間一人の力では止められない。「全員、続け!」と言いつつも、もし、皆がその声に従わず球を止めに来なかったらおしまいなのである。にも関わらず桃は迷う様子もなく飛び出している。皆を完全に信頼しているからだ。その信頼に応える可愛い一号生達。
なんて素晴らしい信頼関係。心震わされますな。
「信頼する」っていうのは一番難しい事だと思う。
「愛する」よりも難しく、心が強くなくては出来ない事。
桃が戦闘能力において劣る一号生達をこれ程無条件に「信頼」出来るのは、桃自身の心が強いからだろう。
伊達は将としての実力も器もあるけれど、そういう部分では桃と違っていたような気がする。
「実力があるものでないと信頼しない」ところが無きにしもあらず。
もちろん、それは「犠牲者を出したくない」という心理が根っこにある。実力不足の者に無理をさせて犠牲にさせる訳にはいかない、って理由だと思う。
だから、どちらがいいのか、と簡単に決められるものではないのだよね〜難しい。
伊達が教官殺しで「男塾」を出奔した事件は
「伊達と塾生達の間に信頼関係がなかった」
から起きたような部分があったのでは?と妄想してしまう。伊達の「犠牲者をだしたくない」理由からくる冷酷な態度を「暴君」として受け取っていた可能性がある気がする。
伊達が教官に傷をつけられる際、誰も教官に野次とばしたり止めたりしなかったもんね。怖いから?;
伊達は「将としての孤独」感じてたんじゃないのかな〜その孤独を埋めてくれたのが桃で〜(妄想が膨らんでしまうので、ここらへんで止めます;)
筆頭を誰も名乗りでない場合は
「お前がやれ」「嫌だよ」「お前だ」「いや、お前だ」
などと、塾生達の間で押し付けあいが行われたりして。なんか赤石先輩なんかこのパターンに入りそうな気がする。誰も名乗りをあげない塾生に教官が
「今年の一号生は腑抜けばかりじゃの〜」
の言葉にキレて無言に前に出て、そのまま筆頭になってしまった。うむむ…ありえる…
どうも、赤石先輩って筆頭らしくない気がするのよ;
「実力がない」とか「人の上に立つ器ではない」のではなく「邪魔くせえ」とか言い出しそうな雰囲気が;
「誰もならないから仕方なく感」が漂っているんだよな〜
赤石先輩が停学処分になった時も、新しい筆頭ではなく、あくまで「筆頭代理」として江戸川先輩がついていた事からも、誰も「筆頭」になりたがらなかったんだろうと思われる。お気の毒な赤石先輩;
そう考えると、邪鬼様が総代に赤石先輩を選ばなかったのは、彼の気持ちを見越していたのだとすれば納得がいく。性質、と言ってもいいかもしれない。赤石先輩は総代の性質ではないのだろう。
赤石先輩は「孤高」を好む気がする。自ら部下を欲さず、自分の始末も自分一人の力でつける。だから他人にもそれを求める。という気がするんですよね。
邪鬼様は生まれながらの帝王って感じがします。良くも悪くも人の上に立つよう運命づけられているというか。カリスマ性があるんですよね。自分の元にやってきた人は、すべて受け入れる器があるし、実力もある。
邪鬼様は何故桃を総代に選んだのか?
天挑五輪の時、桃はこの戦いにおいての「大将」ではあったけど、総代ではなかった。だから天挑五輪が終わったら普通に「一号生筆頭」だけに戻ったのだろうと推測する。が、邪鬼様は桃に総代を譲って消えてしまった。うるるるる…
桃は力の実力だけでは「男塾」最強ではないと私は思っている。人外魔境だけれど…;
ただ、人の思いとか背負っているもので強くなれるのは桃だけだと感じる。
伊達や赤石先輩、邪鬼様は、誰かの思いを背負っていてもいなくても、戦いにおいての力は変わらないのではないでしょうか?いつも持てる力を100%だせる。
だけど、桃は人の命や思いを背負うと、時に120%の力を発揮する事がある。
あの八連制覇の最終闘で、自分だけでなく一号生の命がかかっていたから、桃は邪鬼様に勝てた。塾長もそれが分かっていたから宙秤〜なんてやったんではないでしょうかね。
雷で敗北した時、邪鬼様は桃に負けたとを認めたんだろうか?
私個人の勝手な意見ですが、そこは疑問に思うところなんですよね。確かに頭脳プレーとも言えるが。
あの時邪鬼様は自ら切腹したけど
「これ以上戦えない状態になった」→「時間切れで三号生全員が死ぬ」→「自分の責任=自分だけ生きている訳にはいかない」→「切腹」
という流れなんではないかと(時間があったら他にやりようがあったかも?)
オリンポス戦でゼウスが「もう適わない」と分かっていても邪鬼様に戦いを挑んでボコボコにされたけど、ああいうゼウスみたいな事を邪鬼様はしないのでしょう。自分の「負」も誰かの「想い」もすべて己で責任をとる。潔い。
邪鬼様は桃に対し、「負けた」ではなく、桃を「認めた」んではないでしょうか?
自分にないものを桃は持っている。
桃を認めたから、自分の亡き後の総代を彼に譲ったんではないか?
そう、結局のところ、みんな桃を「認める」んだよね。
戦闘力だけでなく、他の部分も含めて「こいつには適わない」と思わせるものを桃はもっている。
現代武道の最強と詠われた合気道の塩田剛三は、弟子に
「最強の技とはなんですか?」
と聞かれ
「最強の技とは、自分を殺しに来た相手と友達になる事だ」
と答えた。
それが出来る桃は間違いなく最強だと言える。
戦闘力においての力だけでなく「こいつには適わない」とか「こいつと闘いたくない」と思わせる人物。
だから「男塾」の総代は桃なのだろう。