黒い白衣

「俺、そんなに似てますか……」
 里見龍二は、船着き場で公村雅也に尋ねた。
「……ああ、生き写しだ…弟の洵也が生きていれば、まさに君そのものだったろう……」
「………」
 龍二は複雑な心境で雅也の言葉を聞いていた。
「もうすぐ最終便が出発するようだな。そろそろ乗船するよ」
「あ、すみませんでした。いきなりお引き止めして……」
「いや、話ができて良かったよ、君を見ていると死んだ弟の洵也と話をしているようで、楽しかった……」
「………」
「では、失礼するよ、里見君」
「はい?」
「三谷先生の事を頼むよ。彼は弟の死を無駄にしない為にと、すべてを投げ出してくれた……」
「……はい……」
 そういって雅也は船に乗り込んでいった。
 そして、岸から離れるまで、龍二は船をじっと見送っていた。

 三谷良一がこの無医島に来たのは、今から二年前の事である。
 それまで、病気になっても、怪我をしても、船で本島にいかなければならなかったので、医者が来ると知った時の島民の喜びは並々ならぬものであった。
 しかし、どんな医者が来るのだろうかという、不安もあった。こんな島に派遣されるからには、すごいやぶ医者とか、新米のルーキーとか、本土ですごい問題をおこした医者ではないかと噂が飛び交っていたのである。
 だが、島に来た三谷はそんな皆の不安を吹き飛ばすほどの名医だった。しかも、人柄も誠実で温厚で、真夜中に呼び出しても、嫌な顔ひとつせず治療してくれる。そんな三谷に島民が絶対的な信頼よせるのに、時間はかからなかった。
 龍二は健康な男で病気ひとつした事がないが、祖母が慢性の糖尿病を煩っており、しょっちゅう三谷の診療所に付き添っていったり、薬をもらいに行ったりしていた。そして、三谷は龍二の親が管理人をしている借家に住んでいるという理由もあり、すぐに親しくなったのである。
 真面目で優しくて、でもどこか不器用で、純粋で……
 そんな三谷に、次第に龍二は惹かれていった。なにより龍二が一番気になったのは、三谷が時折辛そうな、淋しそうな瞳をする事だった。
 彼は一人で何かを抱え込んでいる。一人で辛い思いをしているのだ。でも、何を……
 龍二は三谷の抱え込んでいるものを知りたかった。何か自分にできる事はないだろうかと思った。彼の力になりたいと……
 その時龍二は三谷を愛しく想っている自分に気がついたのである。我ながら、10才も年上の同性を好きになるなんて、とまどったが、好きになってしまったのは仕方が無い。明るく、前向きな性格の龍二は自分の気持ちに素直に従おうと思った。
 そして、ある日、龍二は三谷に告白した。いろいろとあったが、三谷は自分の想いを受け入れてくれて、今、二人は恋人同士なのである。まだキス以上の事はしていない。
 三谷は純粋で傷つきやすい人だと分っていたので、ゆっくり時間をかけよう、と考えていたのだった。
 触れるだけのキスでも三谷は耳まで真っ赤にして、恥ずかしそうに俯くのである。龍二はそんな三谷が可愛くて仕方なかった。
『10才も年上のくせになんでこんなに可愛いのだろう』と。
 しかし、昨日、公村雅也という男が三谷を訪ねて来た事から、龍二は意外な事実を知った。
 三谷が昔、大きな総合病院の医師だった事。そこの院長の娘と婚約しており、将来を約束されていたが、病院を訴えた為にすべてを失った事などである。
 それだけであれば、龍二は何も感じなかっただろう。しかし、病院を訴える事になったきっかけは、公村洵也という患者が院内感染で亡くなった事であり、その公村洵也が、自分に生き写しであるという事実を知り、龍二は不安になった。
 もしかして、三谷は自分の中に、その公村洵也という患者を見ているのではないか……と……
 彼は時々自分を懐かしむような瞳で見つめている時があったのである。もしかして、それは……
 龍二は三谷の元へ向かって走り出した。

 三谷は診療所の椅子に腰掛け、雅也の言葉を思い出していた。
『先生は私達家族の為に、自分のすべてを投げ出してくれました。弟の死はあなたの責任ではないのです』
『……しかし……』
『私達も洵也の思い出が辛くて、あなたにこの事を言うのに時間がかかってしまいました。すみません……』
『……そんな……』
『もう、自分を責めるのは止めて欲しいのです。父も、母も、そう思っています』
 雅也はそう言ってくれた。しかし、三谷は自分を簡単に許せなかった。
 自分は何度、彼に助けると言ったのだろう……
 公村洵也はその言葉を信じ、自分を信頼してくれたというのに……
 結局、何もしてやれなかったのである。
『許してくれ……公村君……』
 三谷の瞳から涙が一筋、頬を伝って落ちた。
 その時、物音がして、三谷はそちらに目を向けた。すると、そこには公村洵也がいた。
「公村く……」
 三谷は立ち上がり、椅子が倒れる。
 しかし、それは公村洵也ではなく、里見龍二であった。
「あ……」
「……先生……泣いてるの?」
「え……あ……」
 三谷は慌てて涙を拭う。
「……俺を…公村洵也って男と間違えたの……」
 三谷の背中がびくりと跳ねる。その様子を見て龍二は苛ついてきた。
「そんなに似てるの?俺と公村洵也って男……」
「…………」
 この島に来て、初めて龍二に会った時の衝撃は忘れられない。公村洵也が生き返ったのかと思った程……
 当初、龍二に会うのは辛かったが、明るく、きさくな性格の彼に、三谷は安らぎを覚えるようになっていったのである。なにより、公村洵也が元気に笑っていてくれるように感じられて……
「もしかして、三谷先生……俺とそいつを同一化して見てない?」
「え……」
「俺の告白を受け入れてくれたのは、公村洵也への償いじゃないよね……」
「……な、何を…言ってるんだ……そんな事……」
 あるわけがない。そう言おうとした三谷だったが、言葉がでなかった。
 何故言えない?
 黙り込む三谷に、龍二は肩を掴んで自分の方に、無理矢理向けせる。
「違うよね。俺を俺として見てくれてるんだよね?」
「龍二……」
 そうだ、と三谷は言えなかった。
 本当にそうなのか、自分でも分からなくなっていたのである。
 里見龍二は里見龍二であって、公村洵也ではない。今までそう思ってきた筈なのに。
 雅也が現れて、公村洵也との思い出が鮮明に蘇ってきた。そして、今、自分の目の前にいるのは一体誰なのだろう?自分は誰として見てきたのだろうか、と三谷は混乱してしまった。
 龍二は三谷の言葉を待っていた。お前はお前だとはっきり言ってくれる彼の言葉を……
 それなのに、目の前にいる三谷は泣きそうな瞳をして自分を見つめるだけである。その瞳は自分を見ていなかった。俺を通して誰を見ているのだろ?龍二は胸がしめつけられような痛みを感じる。
 龍二はいきなり三谷の腕を強く掴んで、診療ベッドの上に三谷を押し倒した。
「あ、龍二君、な、何を……」
 驚いた三谷の言葉は、龍二の口付けに飲み込まれてしまう。
「ん…んん……」
 激しい口付けに、三谷は息も出来なかった。なんとか、ふりほどいて、身体を起こそうとしたが、龍二に身体を押さえ付けられて、動けない。龍二はそのまま、三谷の上にのしかかってくる。
「りゅ、龍二君……」
「…………」
 こわいくらい熱い視線を自分に向けている龍二の瞳が見えて、三谷は動けなくなる。
「ど、どうしたんだ……」
「……先生が…欲しい……」
「え………」
「先生が抱きたい……」
「な、何を言ってるんだ…冗談は……」
 龍二の深い口付けに、三谷の言葉はまた飲み込まれた。龍二の手は白衣を脱がせ、その下に着ていたシャツのボタンをはずし出した。三谷の白い、滑らかな肌がさらされる。均整のとれた身体で、普段は白衣に隠されているが、見た目よりも細い腰だった。医者はデスクワークのイメージがあるが、結構な重労働である。特に三谷はこの島で唯一の医者という事もあり、いつも島をかけまわっている。無駄な贅肉などつく暇がないのだ。
「ま、待ってくれ…龍二君…あ……!」
 肌に直接触られて、三谷は思わず声をあげる。龍二の唇は三谷の項をたどり、シャツはすでに肩から脱がされていた。手が、胸のそこに触れる……
「あ……!」
 三谷の身体に電流のような快感が走る。自分のあげた甘い声に驚き、思わず口を塞いでしまう。そんな三谷の様子を気にする風もなく、龍二は三谷の服を脱がせながら、身体を愛撫していく。
 時間をかけようと思っていた。純粋な三谷が、自分を受け入れてくれる気になった時でいいと思っていた。
 しかし、龍二はもう我慢できなかった。もしかしたら、三谷は自分を愛していないのではないか?只の身替わりかもしれないという思いを、否定したかった。彼をこの手にかき抱いて、自分のものだという証が欲しいのだ。今すぐに……
「う…りゅ、龍二君…やめ……」
「何故?先生も俺が好きなんだろ?SEXしたっていいじゃないか!」
「…龍二君……」
 龍二は熱い瞳で三谷を見つめていた。そして診療所の電気を消すと、自分の服を脱ぎ始めた。逞しい男の身体が現れ、三谷の上に覆いかぶさる。
 もう、逃げられない……と、三谷は思った。

 真っ暗な診療所のベッドで、二人は抱き合っていた。
「あ…あ…やめ…てくれ……」
「本当にやめていいの?先生のここ、もうこんなになってるのに……」
 龍二は軽くそこに触れた。
「ん……ああ!」
 三谷の腿は自分の放ったもので、ヌメヌメと濡れている。暗闇の中で妖しく光り、誘っているようで、龍二は身体が熱くなった。彼は三谷の身体を追い詰め、欲望を何度も吐き出させたのに、自分の昂りを与えようとしなかった。三谷の身体が自分を求めて啼くのが見たかったのだ。
「あ…い…いや……」
 少し愛撫するだけで、三谷の身体は震え、腰を揺らす。龍二のもたらす快感に濡れている。甘い声をあげて、熱い吐息が耳に響く。普段の凛とした彼のイメージからは想像もできない程乱れていて、龍二はその淫美な姿に目眩がした。
「先生…いやらしい身体してるね……」
 龍二は一度島を離れ、本土の大学に通っていた事がある。その間結構な数の女性と付き合ったが、今の三谷はその女性達と比べ物にならないくらい煽情的だった。
『誰にも渡すものか!先生は俺のものだ!』
 龍二は三谷の足を抱え上げ、腰を上げさせた。
「……あ……」
「先生…はいるよ……」
「…え……あ、ああ!」
 熱い龍二が内に入ってきて、三谷は逃れようと身体をねじらせる。が、龍二に腰を掴まれて、身動き出来ない。
「…すげー…先生の内…熱い……」
「…龍二…く……う……」
「動くよ……先生……」
「ひ……あう……!」
 今まで味わった事のないような激しい快感に襲われる。意識がとびそうになるのを堪えようと、三谷は龍二の背中に手をまわして縋り付いた。濡れた淫乱な音と、ベッドの軋む音が遠くから聞こえるようだ。
『先生ってさ…綺麗ごとばっかだよね』
 揺れる身体を感じながら、三谷の脳裏に過去の、公村洵也との思い出が蘇る。
『…俺…2%じゃ…ないよね……』
『はじめまして、里見龍二です』
「…う……あ……」
 誰だ?今、自分を抱いているのは誰なのだ?三谷は分からなくなっていた。
 自分は誰が好きなのだ?いや、本当に好きなのだろか?ただの同情なのか?償いたいのか?
 分からない、分からない……
 三谷の瞳から涙が溢れ、快感に溺れながら、意識は暗闇の中に落ちていった。