名も無きもの

注意:これは映画「コンスタンティ○」の世界観を元にしております。
  (物語ではありません。あくまで世界観です)でも、映画のイメージを
  壊したくない人や、今から映画を観る人でネタバレを知りたくない方は
  読まないで下さいませ。また、エログロな話かもしれませんので、そん
  な話が苦手な方も読まないで下さいませ。よろしくお願い致します。

 それは岩城が十六歳の時だった。
 夜、ベッドで眠っていると、ふとした気配で目を覚ました。
『なんだ?』
 と、頭を横に向けるとシーツの上に横たわる自分の手が見えた。丁度頭の
高さにある。
 岩城は手を毛布の中に戻そうとしたが動かなかった。
『え……』
 力が入らない。
 反対側を振り向くと、やはり同じように手があるが動かせなかった。
『どうしたんだ!?』
 岩城が混乱していると、かけてあった毛布が勝手にふわりと舞上がり、ベッ
ドの下に落ちる。同時に岩城の腰のあたりに重い衝撃がおちた。
『何かが乗った?!』
 岩城の腰の上に何かが乗っているのだ。岩城は必死に目をこらすが、何も
見えなかった。
 暗闇で見えないのではない。現にベッドの向いにある壁や飾られた絵は月
光に照らされた姿を見る事ができる。しかし、自分の身体の上に乗っている
もの、手を押さえ付けているものの正体は見えず、感触だけがある。
 見えない何かが自分の上に乗っている。
 岩城は恐怖に震え、身体が冷たくなっていくのを感じた。

――十五年後――

「…すごい……」
 古いアパートのドアを開けた香藤は思わず息を飲んだ。
 その狭い部屋の中には壁、床、机、戸棚、更にはベッドの上にまで、あら
ゆる所に十字架が置かれていたからである。
 大きさも、質も様々で、5cmぐらいの木の粗末な十字架もあれば、壁にか
けられている金でできた40cm程の立派なものまであった。
「いくら牧師って言ってもなあ…これはちょっと異常だな……」
「ああ…本当に……何かから身を守ろうとしてたらしいけど、俺達は頭がお
かしかったってみてるんだ。だいたい牧師のくせに自殺するなんて、そっか
らして変だよ……(キリスト教で自殺はタブー)とにかく、香藤、早くして
くれよ。言ったとおりこれがばれたら俺は始末書もんなんだからな」
 刑事のジェフは香藤をせかすように言った。
 彼はジュニアハイスクールからの友人で、このロス市警の殺人課の刑事で
ある。探偵稼業の香藤は彼に頼み込んでこの部屋をこっそり見せてもらった
のだ。
「ああ、分かってる」
「10分だけだぞ。じゃあ俺は表にいるから誰か来たら口笛で合図する」
「済まないな」
「いいか、10分だぞ」
 ジェフは念を押してドアを閉めた。
 ここは一週間程前、遺体で発見された牧師の借りていた部屋である。遺体
が発見されたのは今は使っていない病院のプールで、ほとんど廃虚と化して
いる場所だった。牧師はそこで溺死していたのである。
 使っていない筈のプールになぜ水が満ちていたのか?なぜ牧師がここに来
たのか?という疑問はあったが、誰かと争った形跡もなく、物をとられた様
子もない事から自殺だろうと警察は見当をつけているらしい。
『自殺する為にわざわざ水を入れるなんて普通するかな?』
『ばか、頭のおかしい人に理屈なんか通用するかよ』
『でも自殺するだけなら簡単な方法はいくらだってあるのに……』
『香藤、狂人のする事ってのは、ほんとーに分かんないぜー』
 先程かわしたジェフとの会話を頭に主思い浮かべつつ、香藤は部屋の中を
調べ始めた。
 牧師の持ち物は粗末で質素な物ばかりであった。十字架以外、生活に必要
最低限のものしか置いておらず、どれも年期が入っている。目をひくものと
いえば部屋の大半を閉めている大きな本棚で、中は所狭しと本が詰め込まれ
ていた。
 香藤は本棚を開けて中を調べた。本の内容は超自然学や、宗教、信仰に関
するものばかりである。
「ん?」
 奥に並べられている一塊の本に目を止めた。そこにあったのは悪魔や悪魔
信仰に関する本が並べられていたのである。
『牧師が悪魔信仰の本を?敵を知る為にかな?』
 何冊か手にとり、パラパラとめくっていると、ある本の裏表紙がやけに厚
い事に気が付いた。よく見ると裏表紙に最後のページが貼りつけてある。
 手でなぞってみると、裏表紙と貼紙の間に何かが挟まれているようだった。
 香藤は胸ポケットから小型ナイフを取り出し、貼紙をはがしてみる。中に入
っていたのは折り畳まれた1枚の紙切れだった。
『なんだ?』
 開いてみるとヘブライ語かアラビア語のような文字の手紙で、家紋のような
ものが描かれている。紋は円の中に蔦が絡まった模様で、見慣れないものだ。
『これじゃ読めないな。この紋様は家紋か?なんだろう?』
 どうしようか一瞬迷うが香藤はその紙切れをこっそりポケットに忍ばせる。
『コピーとったら返すから。許されてくれジェフ』
 心の中で謝りつつ、本を戻した香藤はまた部屋をさぐり始めた。

     *

 夕暮れになって香藤は遺体の発見現場に足を運んだ。
 殺人事件ではないと断定されているから、厳重な警備はしていないだろうと
思っていたが、その通り現場には誰もいなかった。黄色の『CAUTION(警告)』
のテープが張られているだけである。
 使っていなかった、というだけあって廃虚と化した建物の周りは草や木がの
び放題で、夕暮れ時の赤い日射しと静けさが、いっそう無気味な雰囲気を醸し
出させていた。普段、まったく人気がない場所だろうとすぐに分かる。
『水を使わなければ、腐臭が匂うまで発見できなかったろうな』
 牧師の遺体が発見されたのは水道管の水漏れ検査の為であった。病院の本館
の設備室で水の使用量がやけに上げっているのが分り、どこかで水漏れをして
いるのではないか、と調べたのだ。水の使用量が多かったのは、牧師がプール
に満たしたせいである。
 そしてこの昔のリハビリ用プールで水漏れしているかもしれないと、警備員
が来て遺体を発見した。死後24時間以内だった。
『ま、俺にとっては誰もいなくて助かったけどね』
 香藤は一応辺りを伺いながら建物の中に入っていった。
 床に瓦礫やガラスの破片が散らばるエントランスを通り抜けると、男女別更
衣室があり、そこからプールへの入り口が見えた。更衣室は白い壁に白いロー
マ調の柱が建っている。装飾も細かいところまで施されていて、とても広い。
昔はセレブ達専用の治療用プールだっただけあって豪華な造りである。結局、
病院本館との距離がありすぎて便利が悪い、と苦情が出て使用しなくなったそ
うだ。
 香藤は音をたてないようにゆっくり歩き、曇りガラスで出来た入り口のドア
を開ける。
 途端に香藤は心臓が飛び上がる程驚いた。
 誰もいないと思っていたそこに、一人の男が立っていたからである。
『げ!警察の人かよ!』
 背の高いその男は香藤に後ろを向けているが、誰かが入って来た事は気付い
ている筈だ。
 なんと言い訳しようかと、頭の中で考えていると、男が香藤の方を振り向い
た。
『あ………』
 香藤は男の顔を見てドキリとする。
 うす暗い部屋の中に立つその男が、とても美しかったからだ。
 切れ長な黒い瞳が黒曜石のように輝き、白い肌が黒髪にとても映えてみえる。
細身なようだが均整がとれていて、凛とした印象がある。彼は黒いスーツに白
いシャツといういでたちで、ノーネクタイだった。
『…まさか………』
 香藤の心臓がドクンと跳ねる。この男の顔に心あたりがあった。
 男は香藤に足早に近付いてきた。香藤は声をかけようとしたが、男は香藤の
脇を何も言わずに通り過ぎた。
 香藤は慌てて後を追って外に出る。
 外はもうほとんど日が落ちて、物の見分けがつかないぐらい暗くなっていた。
「あの、待って…」
 香藤は男の後を追いかけながら声をかけたが、男はなんの反応も返さない。
「岩城さん…岩城さんでしょ……!」
 香藤の必死の声に、男はやっと足を止めて振り返った。
「やっぱり岩城さんだね……懐かしい〜……」
 嬉しそうに駆け寄る香藤とは違い、岩城は不思議そうな表情をしている。
「俺だよ、香藤洋二。覚えてない?十五年程前かな、アパートが隣同士だった
じゃん」
「……あ………」
「思い出した?」
「……本当にあの香藤か?随分変わったな。えらく大きくなったし……」
 自分と変わらない背の高さに、日本人離れした顔だちと、明るい目の色。体
格もがっしりしていて、逞しい身体つきである。これが、あの病弱だった香藤
なのかと岩城は驚いた。
『俺が知っている香藤は十一歳だ。十五年たっているから今は二十六歳か。こ
れぐらいにはなるもんなのかな……』
「あの頃の俺は病気がちでよく臥せってたもんね。でも、このとおり、元気で
丈夫に育ちました」
 香藤がおどけてファインティングポーズをとってみせたので、岩城は苦笑し
た。
「ほんとに久しぶりだね、懐かしいな〜。いきなり引っ越したからろくに別れ
の挨拶もできなくて、ずっと気になってたんだよ。このロスでせっかく知り合
いになれた日本人だったのに」
「……ああ……」
 あの夜の後、岩城は急いで部屋を出たのである。もう二度と戻らないつもり
だった。
「……じゃあな……」
「あ、待ってよ岩城さん〜」
 再び歩きだした岩城を香藤は慌てて追い掛けた。
「久しぶりに会えたのにつれないな〜ちょっとコーヒーでも飲んで話さない?
今、どこに住んでんの?前は留学生だったけど、卒業したの?仕事は何してん
の?」
 矢継ぎ早の香藤の質問を岩城は無視した。しかし、香藤は一向に気にする風
もなく喋り続けている。そんな、香藤の様子に呆れながらも岩城は不快に思わ
なかった。
 香藤の方はさりげなく話しかけているが、高鳴る心臓の音が聞こえるのでは
ないかと心配になる程興奮していた。
「俺は一人暮しして探偵やってんだよ〜。最近は溺死した牧師の事調べてんの」
「え……」
 岩城はまた足を止めて香藤の顔を見つめた。
「何を調べてるんだ?」
「それは企業秘密ってやつで言えないよ。依頼人との約束は守らなきゃね」
「……………」
「そういえば岩城さんもあそこで何してたの?」
「……………」
「牧師さんと知り合いだったの?」
「………友人だった……」
「……ああ…そうか……お気の毒だったね………」
「……………」
「牧師さんが自殺するなんて、よっぽど辛い事があったんだね……」
「自殺じゃない……」
「え……?」
「……あの人は自殺なんかしない……」
「じゃあ殺されたっていうの?」
「……………」
 岩城は質問に答えず歩きだそうとしたが、香藤に腕を掴まれてしまう。
「ねえ、待って岩城さん。何か知ってる事あったら教えてくれない?」
「……………」
「ねえ、頼みます。そのかわり俺も知ってる事はできるだけ話すから」
「……駄目だ……」
 岩城は香藤の腕を振り切って歩き出し、日の落ちた暗闇の中に消えていっ
た。
「ちぇ……冷たいな〜……でもいいもんね〜絶対逃がさないもんね〜」
 香藤はポケットから受信機を取り出し、発信機がちゃんと作動している
か確かめた。先程、岩城の腕を掴んだ時にこっそり彼に取り付けておいた
のである。
 我ながらこずるい手だと思うが、今、ためらっている暇はなかった。
「よし、大丈夫だな。これで岩城さんの住んでる所が分るぞ……せっかく
会えたのに…こんな偶然を見逃してたまるかって」
 そう、あの岩城にやっと再会できたというのに……
 小さな頃から、香藤は岩城をずっと憧れ続けてきた。隣同士に住んでい
た時、香藤はベッドの側の窓からいつも岩城を見つめていたのである。
 彼といっしょに横に並んで歩きたい……
 彼と話したい、いっしょに笑ったり、泣いたり、怒ったり、楽しい事を
してみたい……
 その為に早く元気になれなければ、と香藤は寝込む度に思ったものであ
る。
 だからこそ、岩城がいなくなった時のショックは計り知れなかった。
 香藤はもう二度と岩城を見失うつもりはなかった。

       *

 アパートに帰った岩城は疲れ果てていた。
 服を脱ぎ、寝間着に着替えてすぐにベッドに潜り込む。
 疲れている筈なのに、頭が妙に冴えていて、なかなか眠りに落ちなかっ
た。
 亡くなったニーソン牧師を思い出すと胸が痛んで涙が溢れる。
 彼は岩城を救ってくれた恩人であったのだ。
 岩城に悪魔払いの方法を教え、能力をコントロールする術を教えてくれ
た。彼と共に戦い、今まで何十もの悪魔を地獄に送り返してきた。
 天国と地獄は存在する。
 悪魔も天使も亡者も餓鬼もこの世に存在するもので、空想の産物ではな
い。
 悪魔と神は互いに盟約を結び、人間界には侵入しない事になっているが、
悪魔はたびたび人間界の支配をもくろんできた。
 悪魔は文字どおり人間の皮をかぶって人間界に侵入してくる。彼等は人
間界に存在するものの体内に入りこむ。そこでなければ侵入できないので
ある。
 そんな悪魔を監視する為に、天使も人間の姿を借りて地上に降りてくる。
 しかし、人間というバリヤーに包まれている以上、本来の力を100%発
揮できない。さらに媒体となった人間(あるいは物や動物)から無理矢理
外に出ると、他界の圧力に耐え切れず消滅してしまう。これは悪魔も天使
も同様である。
 だから彼等は囁くのだ。人間の耳に囁き、悪へと破滅させたり、善の方
角へ導いたりする。
 自分達のかわりに人間を利用し、戦わせるのである。
 岩城は幼い事から普通の人には見えないものを見てきた。
 子供の頃は怖くて堪らなかった。大きくなってからは自分は頭が変なの
だと思った。そしてできるだけ人に気付かれないよう、黙って一人で生き
てきたのだ。
 しかし、あの夜から岩城は知った。
 自分の見ているものはすべて本当なのだと。
 十五年前のあの夜から――

 見えない何かが自分の上に乗っている。
 岩城は恐怖に震え、身体が冷たくなっていくのを感じた。
 すると、岩城の来ていた寝間着のボタンがひとりでにはずれだしたで
はないか。
『なに!?』
 上着が脱がされると直接肌に触れてくる感触があった。優しく、なぞ
るように触れている………
「……あ………」
 ぞくりとした感覚が岩城の背中をかけぬける。
 何かが岩城の身体に覆いかぶさり唇が塞がれた。するり唇を割って柔
らかい濡れたものが入ってくる。
「…う……ん………」
 怖くて岩城は目を固く閉じた。
 感触は岩城の身体の至るところを愛撫し、身につけている物を取り去
った。
 足を開かされると、その間に触れられる。
「…ああ……!」
 恐怖よりも快感が岩城の身体を苛んでいた。全身に沸き上がってくる
熱から逃れたくて、岩城は身を大きく捩る。だが、腕はシーツに縫い付
けられたように動かない。足を閉じようとしてもそれも叶わなかった。
岩城の瞳から涙が零れる。
「う……!」
 大きな熱を吐き出して、岩城の頭は一瞬真っ白になる。
 頭の中が霞がかり、荒く息をついていると、腰が少し持ち上がった。
『……え……な…に……』
 持ち上がったまま、動かない。足も開かされたままだ。
 瞳を閉じていた岩城は急に視線を感じた。
 そいつは自分の秘部を見ているのだ。
 岩城の身体が羞恥心でカッと熱くなる。必死に身体を動かすが振り
ほどけない。
 そして岩城のそこに何かが押し当てられる。
「…い…いや……」
 次の瞬間、熱いものが岩城の内に入ってきた。
「ひ………!」
 激しく揺さぶられ、岩城はもう快感しか感じなかった。
 初めて受け入れるというのに、岩城のそこは待ち望んでいたかのよう
にそれを受け入れている。
 まるでねだるように絡み付いていた。
 身体が欲している。
『どうして……?』
 そんな岩城の疑問はすぐに、快感に打ち消された。
「…あ…う……ああ……!」
 瞳を開けても何もいない。
 見えるのは只、闇ばかり。
 闇に犯されている。
 再び瞳を閉じた岩城の頭に言葉が思い浮かぶ。
 キレイダ
『…なに………?』
 アイシテル
 声を聞いたのではない。何故ならその言葉だけでは、男か女か何歳ぐ
らいの人がどんな声で喋ったのか分らないからである。
 頭に入り込んできた言葉だ。
 今、岩城を犯している闇が岩城の頭に囁いた言葉なのだ。

「……う………」
 岩城はベッドの中で熱くなっていく身体を必死に押さえようとした。
 あの夜の事を思い出すと、またあの時の快感を欲して身体が啼くのだ。
 そんな自分を岩城はいつも嫌悪感を抱いていた。
 ベッドから飛び起きるとバスルームに飛び込み、頭から熱いシャワー
を浴びる。
 バスルームの背にもたれ、そのままずるずると床に座り込む。
「……くそ……」
 熱いシャワーが岩城の上に降り注がれる。
 濡れた寝間着が身体に張り付く。透けたそれは胸にある、コイン程の
大きさの痣を浮かび上がらせていた。
 岩城は自分の胸にできたその痣を指でなぞった。
 この痣はあの夜の後、出来たものである。
 次の日の朝、バスルームに飛び込んだ岩城の瞳に飛び込んできた。
 円の中に蔦が絡まった模様の痣だ。
 これはあの闇が残していったものだと岩城は分っていた。
 家畜に印を押すように、自分に印をつけていった。
 所有物であると示すように……
「……絶対許さない……俺をこんな身体にしておいて……」
 あの夜から岩城は自分を凌辱したものを探し続けていた。
 キレイダ
「……やめろ……」
 岩城は耳を塞ぐ。
 アイシテル
「………うるさい………!」
 頭に無理矢理くい込んできた言葉。
 その言葉にさえも犯される。
 岩城は絶対にあの闇の正体を暴き、捕まえてみせると誓っていた。
 あの夜奪われた自分のすべてを取りかえす為に………