名も無きもの SCENE10

 香藤は岩城の身体を抱え、急いで水中を登る。
 水面に顔をだすと、そこは元のプールの中であった。
「岩城さん!」
 岩城は気を失っており、顔色が真っ青である。
「しっかり岩城さん!」
 香藤はプールサイドに岩城の身体を横たえ、自分もあがると岩城の
顔を覗き込んだ。
 一瞬息をしていないように見えて香藤の心臓が凍り付く。だが次の
瞬間、岩城の胸が大きく動いてむせだした。
「はあ〜良かった〜……」
 香藤は緊張が溶けて泣きそうになった。うつ伏せで苦しそうに咳を
する岩城の背中を撫でていると、背後に凄まじい負のオーラが降り立
つ。
「ベルゼバブ……」
 ベルゼバブが人間の姿のまま立っていた。
「貴様には失望した。人間などに堕ちた愚かな貴様を救ってやろうと
したのに……」
「……ニーソン牧師を殺したのもお前か……」
「あの人間には地獄の餓鬼供が何匹もやられていたのでな」
 岩城を水の中に引きずりこんだと同じに、牧師も水中に引きずり込
んで溺死させたのだ。
「丁度人間界にいたので、門が出現した気配を感じて来てみたのだ。
めざわりだったあの牧師の死に様は結構なみものだった」
「……トマス神父を殺したのも貴様だな………」
「それがどうした?」
「……なぜ牧師は召還できなかったんだ……俺は香藤を喚べたのに……」
「岩城さん……」
 岩城が床に伏せた恰好のまま、苦しそうにベルゼバブを睨みながら尋
ねた。ベルゼバブの姿は十日程前に自分を襲った悪魔と同じ顔をしてい
る。
『やはりベルゼバブだったか……』
「……あの時は名も無きものはこの世に存在していないも同じだった……
本人の自覚がないので喚ばれても応えられなかったのさ。お前が召還で
きたのは痣のおかげだ」
 岩城は反射的に胸の痣を押さえた。
「あの愚かな男は結局召還はできず、呪文の力でルシファーが反応した
のさ」
「なんだと!?」
「お前とルシファーを喚ぶ印は同じもの。ルシファーが気付き、門が一
時的に出現したのだ」
「…じゃあ………」
 もし自分が牧師の召還に気がついていれば、彼は死なずにすんだのでは
ないだろうか?
 香藤の胸が罪悪感でキリキリと痛み、一瞬気がそれた。
「いまいましい人間よ。今度こそお前の命をもらう。前のようにはいかん
ぞ」
 ベルゼバブが手を前にかざすと、岩城の身体が吹き飛び壁に激突した。
「う!」
「岩城さん!」
「例の護符の十字架を持っているようだが、地獄の門が近くに存在してい
る以上今は私の力に分がある!」
 そのまま壁に手足が大の字になって張り付き、身動きがとれなくなって
しまう。と、足下からいきなり炎が沸き上がった。
「あう!」
「岩城さん!」
 香藤が駆け寄ろうとすると、またも炎が燃え上がり行く手を遮る。
「何もかも燃きつくす地獄の業火だ!直接引導を渡してやれぬのが残念だ
が、存分に苦しんで死ぬがいい!」
「ベルゼバブやめろ!炎を消せ!」
 炎は勢いをまして部屋中に燃え上がり岩城を襲う。近付こうとしても、
意志をもっているかのような炎が香藤の邪魔をするのである。
「岩城さん!」
『どうすればいいんだ!』
「復活しろ!貴様の本当の力をもってすれば簡単に救いだせるぞ!」
 ベルゼバブが香藤に囁きかける。人の欲望を煽り、悪へ堕とす魔物の声
で……
「黙れ!」
 ベルゼバブの思惑は分からないが、香藤が天使として復活すれば、なんら
かの方法で地獄界への門を開かせる手筈をしているかもしれない。ここで封
印を解く訳にはいかなかった。
「では黙ってあの男が死んでいくのを見ているがいい!」
「やめるんだ!」
 香藤はベルゼバブに突進していった。ベルゼバブは薄ら笑いを浮かべて香
藤を跳ね飛ばそうと手をかざす。が、香藤に力は効かなかった。
「ばかな!?」
 ベルゼバブは、はっとした。
『”白い力”か!?』
「この〜!」
 香藤は怒りの拳をベルゼバブの右頬にぶつけた。ベルゼバブが床に倒れ伏
すと同時に岩城の身体が自由になり、岩城は炎からすばやく飛び出す。
「……貴様…よくも………」
 ベルゼバブが起き上がり、怒りのオーラを漲らせて香藤を睨み付ける。
 香藤に殴られた頬は人間の皮がはげ、悪魔の表皮がそこから飛び出していた。
目は真っ赤に燃え、口が頬まで裂けている。
「……許さん……殺す……」
 ベルゼバブの身体が大きく膨れ出し、着ていた服がボロボロとただれ落ち
て悪魔の姿が現れだした。
 コウモリの翼が背中から生え、尾が伸びてゆく。全身ブロンズ色をした爬
虫類を思いおこさせる皮膚で覆われた姿に変貌した。鋭い牙とドラゴンの爪
が部屋一面に燃え盛る炎を映している。腐った肉と血の臭いが鼻をかすめ、
香藤は顔を歪めた。
「本性を現わしたか………」
 香藤は懐から拳銃を取り出し、人間より二倍程の大きさになったベルゼバ
ブに銃口を向けた。
 いくら悪魔といえど人間界ではその力は完全ではない筈。もしかしたら効く
かも知れないと思ったのである。
「くらえ!」
 香藤は発砲し、弾はベルゼバブの心臓の位置に命中したが、まるで堪えなか
った。
『ばかめ!そんなおもちゃが通用すると思っているのか!』
 気分の悪くなる悪魔の声であざ笑う。
「くそ!」
『死ね!』
 ベブゼバブが爪をふりかざして香藤に襲いかかろうとした時、銃声が轟き、
ベルゼバブの胸に穴が開いた。
『…な…に……』
「……え…………」
 ベルゼバブは信じられない、といった様子で自分に胸に開いた穴を見つめ
た。
 香藤も一瞬訳が分からなかったが、銃声のした方向には散弾銃を構えた岩
城が立っているのに気がついた。
「岩城さん……」
『……貴様……なぜ………?』
「これはニーソン牧師とトマス神父が創った対悪魔用の武器だ。お前達悪魔
がもっとも苦手とする銀の弾がこめられている」
『……銀の弾だと……』
 トマス神父の残した封筒には手紙の他に鍵が一つ入っていた。それは教会
の地下にある金庫の鍵で、中にはおそらく二人が開発したであろう武器が入っ
ていたのである。岩城はここにくる前、その中の銃を一丁持ってきていたのだ。
『ぐおおお〜………』
 胸に開いた穴がみるみる広がっていく。悪魔らはなぜか銀に対してアレル
ギー反応を起こし、中和できず腐りだしてしまうのである。聖水も似た反応を
示すが聖水の威力は弱く、あまり大きなダメージを与えられない。
『……人間ごとき…人間ごときが………』
 ベルゼバブは咆哮をあげて岩城に向って突進した。岩城は身じろぎもせず、
黙って銃を打ち続けた。
『ぐわ!』
 弾を受ける度にベルゼバブの四肢が次々と吹き飛んで、最後に首が同体から
弾かれた。
 床に転がるベルゼバブの身体はみるみる灰になって消えていく。
 部屋に燃え盛っていた炎も鎮まり、辺りは煙と沈黙で満たされた。
 岩城は瞳をつぶり、大きく息を吐いて銃を下ろした。
『……牧師……神父……仇はうちました………』
「……岩城さん……」
「…香藤………」
 香藤が岩城の側に歩み寄ってきた。哀しい色をその瞳に映して、申し訳な
さそうに少し項垂れている。
「…岩城さん……俺は……」
「……何も言うな……」
「でも……岩城さんを苦しめてきた痣をつけたのは俺なんだ……どんな理由が
あろうと……言い訳できない……」
「………………」
「……ごめんなさい……でも……俺…岩城さんが好きで…好きで…大好き
で…」
「………………」
「……側にいたかったんだ……」
「……それで人間になったのか……?」
「……うん……自殺した少年の身体を借りて……」
「……ばかな奴だ……」
 天使から人間になるなんて……それが俺といっしょにいる為なんて……
 岩城は香藤の頬にそっと触れた。
 そして手を香藤の背中に回して抱き締めた。
「……岩城さん………?」
「もういい……」
「…え………?」
「もういいんだ……」
「岩城さん……いいの……?許してくれるの……?」
「お前は俺を護ってきてくれたんだろ……ありがとう……」
「岩城さん……」
 嬉しくて香藤も岩城の背中に手を回して強く抱き締めた。二人はお互いの存
在を確かめるように、強く抱き合っていた。
 二人ともお互いの事しか目に入っていなかった為、ベルゼバブの落ちた首が
動いているのに気がつかなかった。ベルゼバブは牙を鳴らして、岩城を睨みつ
けた。
『絶対に許さん。最後にあやつの首をとってやる!』
 岩城を殺す方が香藤は苦しむだろうとベルゼバブは気づいていたのである。
悟られぬようゆっくりとにじり寄り、様子を伺う。
 二人の身体が離れ、お互いの顔を見つめあった。
『今だ!』
 ベルゼバブは岩城の首にくらいつこうと牙をむいて飛びかかる。
「あ!」
 岩城の目の前にベルゼバブの牙がせまったその時
 バン!と、ものすごい音がしてベルゼバブの首は塵と化して辺りに散った。
「な、なんだ……?」
「岩城さん!あれは!」
 呆然としていた岩城が香藤の声で顔をあげると、頭上からやわらかい光が差し
込み、誰かが光の中から降りてくる。
「……そんな……」
 降りて来た人物はトマス神父であった。
 以前と違うところは生前よりも深く穏やかな表情をしている事と、背中に白
い翼がある事だった。
「……トマス神父………」
「危ないところでした……もっと早く来るつもりだったのですが、結界がはっ
てあったもので。無事でなによりです……」
「……ハーフブリッドだったのですか……」
 岩城は驚きの瞳で神父の姿をした天使を見つめた。
「ええ……天使としての記憶は封印していましたがね……人間に悪魔に対抗でき
る手段を模索させ、その手伝いをするのが私の役目でした」
「それでニーソン牧師と……」
「ええ。ですが人間として死した以上もうここにはいられません。天界に帰ら
なくては……」
「……牧師の魂は……天国へ……?」
「もちろん彼の為に天国への門はいつでも開かれています。これから彼の魂を
導くところです」
「まだ、登っていないのですか?」
「あなたの事が心配で彷徨っていたのです。でも、もう安心して登る事ができ
るでしょう。あなたには彼がいる……」
 トマス神父は優しい瞳で香藤を見つめた。
 香藤は照れくさくなって、ピョコンと頭を下げる。
「では、さようなら……イワキ……君に会えて本当に良かった……」
「神父……また、会えますか……?」
「……もう私が人間界に来る事はないでしょう………」
「……え?どうして……?」
「……天使はあまり長く人間界にいてはいけないのです……人間を愛しく思い
すぎてしまう……」
「……え………」
「あの方に寵愛される人間が愛しくて……人間になりたいと思ってしまう……」
 トマス神父はまた香藤を見つめ、香藤は強く澄んだ瞳で見つめかえした。
「……いつかまた会える時がくるかもしれません……幸せになるのですよ……」
「……神父………」
 トマス神父に姿は光に変わり、天に登っていった。
「……牧師……神父……」
 岩城はいってしまった二人の姿を思い浮かべた。優しかった二人の姿。いつ
も自分の事を心配して、想ってくれていた。今はもうどこにもいない。だけど、
二人はきっと満足して逝ったのだろうと思う。
 岩城の瞳から涙が溢れた。
「……岩城さん……」
 香藤が優しく岩城の身体を抱き締めたので、岩城はその胸に顔を埋めて静か
に泣いた。
 辺りは闇が降りていたが、二人の心の中は優しさが満ちていたのだった。

       *

 お互い肩をかけながら、足下をふらつかせつつ、岩城の部屋に帰った二人は
ベッドの上に身を投げ出した。岩城の身体はあちこちが痛み、指ひとつ動かす
のさえ億劫な程疲れきっていたが、頭が冴えているので眠れなかった。しめつ
けるような頭痛もする。
 しばらく無言で横たわっていた二人だったが、香藤がぼつりと声をかけた。
「岩城さん……怪我………」
「……ん………?」
「怪我だよ…手当てしなくちゃ」
 と、言いつつ香藤が起き上がる。
「……いい………」
「駄目だよ。手当ては早いうちにしておいた方がいい。救急箱持ってくるね」
 香藤は自分が買ってきて強引に岩城に押し付けた救急箱を手に取り戻ってき
た。ベッドの傍らに置いてあった椅子を引き寄せて座ると、岩城に起き上がる
よう促す。
「さ、見せて」
 岩城は渋々起き上がると、ハーフコートを脱いだ。
 身体を動かす度に痛みがはしるので、ゆっくりとしか脱げない。
「大丈夫?」
「……ああ………」
「後ろ向いて背中みせて。すごく打ったから」
 シャツを脱いで後ろを向くと、岩城の背中が赤く腫れていた。
「やっぱり内出血おこして腫れてるね……痛いでしょ……」
「少し……」
「骨に異常はないみたいだけど……他に変な痛みを感じるところない?ちょっ
と息を吸ってみて」
 岩城は静かに深呼吸したが、変な呼吸音は聞こえず痛みもなかったのでろっ
骨に異常はないようである。しかし、足は軽い火傷を負っており、香藤は急い
で氷水を用意して濡れタオルで冷した。
「朝になったら病院に行ってちゃんと治療してもらおう。レントゲンも撮らな
くちゃ」
「………いい………」
「駄目だよ、ちゃんと検査しておかなくっちゃ」
「病院には行きたくない………」
「どうして……?」
「……………」
「絶対行ってもらうからね」
「……嫌だ……」
「どうして?診てもらった方が安心じゃない」
「……身体を……見られたくない……」
 香藤はハッとした。
 岩城が身体に対して警戒心が強いのは自分のせいなのだ。まだ少年だった岩
城に恐ろしい経験をさせ、その胸に自らの印をつけた。
「……痣……消そうか……」
「え………」
 背中を向けていた岩城は香藤の方に振り返った。
「俺のせいでしょ……」
「香藤……」
 香藤はゆっくりと岩城のシャツの胸元をめくり、そこにある痣を見つめた。
『これは俺の醜い欲望の象徴だな……』
 愛する人を護りたいという理由があったにせよ、こんな風に無理矢理自分の
力を与えるなど、してはいけなかったのだ。心の底では分かっていたのに………
 それでも……
 彼が…欲しかったのだ……
「消すよ……できると思う」
 香藤が痣に触れて消そうとしたが、岩城はシャツを寄せて痣を隠す。
「消さなくていい……」
「岩城さんの力はもうこの痣に頼らなくても大丈夫なぐらい強くなってる。あ
の護符の十字架もあるし……」
「………………」
「さ、消すよ……」
「……いい………」
 香藤は岩城の肩を掴んでシャツを開けようするが、岩城は胸元を掴んだ手を
離さない。
「駄目だよ。まるで所有してるみたいな、こんな事しちゃいけなかったんだ……」
「お前だからいいんだ……」
「……え………」
 驚いて香藤が岩城の顔を見つめると、頬が赤く染まっていた。
「……お前のもので……いいんだ……」
「岩城さん……」
「………………」
「……岩城さん…もしかして……俺の事………」
 岩城の頬がさらに赤くなり、恥ずかしそうに顔を背ける。
「岩城さん……こっち向いて……」
 香藤が優しく頬に触れると、岩城は顔を上げて香藤を見つめる。
「……香藤………」
 香藤はゆっくりと顔を近付け、岩城の唇に自分のそれを重ねた。
「……あ………?」
 岩城が不思議そうに呟く。
「どうしたの?岩城さん……」
「……頭の痛みが消えた………」
 先程までしていた頭痛が嘘のように消えている。
「え……?本当?」
「ああ………」
「岩城さん、後ろ向いてみて」
 岩城が後ろを見せると、シャツをたくし上げ、香藤はその背中に口付けを
落とした。驚いた岩城の背中がなめらかに撓る。すると、赤く腫れ上がって
いた患部がみるみる治っていくではないか。
「治ったよ。痛くないでしょ?」
「あ、ああ………」
 岩城はとまどいながら返事をした。
「じゃあ、ここも……」
 香藤が先程あてたタオルを取り、岩城の火傷を負った箇所に唇を押し当て
ると、やはり同じように傷は消えていった。
「治った……どうして………?」
 天使の力の一部が復活しているのだろうか?
 何にせよ岩城の怪我を治す事ができるのだから、治そうと香藤は他の箇所
も触れていった。もしかしたこの能力は今だけかもしれない、と思って少し
気が急く。そのせいで、岩城のとまどった様子にすぐに気がつかなかった。
「岩城さん、他に痛いところない?俺、今なら治せるみたいだから言って」
「……も、もういい……」
「でも、今だけかもしれないから……」
「だ、大丈夫だ……」
 岩城の声は小さく、くぐもっている。しかも俯いている為聞こえにくかっ
た。
「本当にないの……?」
 香藤は岩城の肩を掴んで自分の方に向かせると、朱色の頬に潤んだ瞳をし
ている岩城の姿が目に入る。
「岩城……さん……?」
 岩城は恥ずかしくて香藤の顔がまともに見れなかった。
 香藤の唇が触れるごとに痛みは引いていたが、代わりに岩城の内から熱が
込み上げてきたのである。
 この熱が何を求めているのか分っていた。
 あの、十五年前の夜の出来事を思い出す度に蘇っていた熱と同じものだ。
 自分が浅ましい人間になった気がして岩城はいたたまれなかった。
 早く香藤に離れてもらわなくては。
「香藤……もういいから自分の部屋に………」
 岩城がそう言いかけた時、香藤の両手が岩城の頬を優しく包んだ。
「……香…藤……」
 優しく、澄んだ瞳がまっすぐに自分を見つめている。
 自分を愛してくれる、守ってくれる瞳を見て、岩城は心がいっぱいになっ
て苦しかった。
「唇は…痛く無い……?」
 香藤が親指で岩城の唇をなぞる。
「……痛い………」
 二人は吸い寄せられるように深く唇を重ね、ベッドに倒れこんだ。
「……あ……香藤……」
 香藤の手が岩城の身体を優しくなぞり、衣服を脱がせていく。唇は岩城の
頬から項へとキスの雨を降らせていた。
 あの夜の感触と重なり、岩城の身体はますます熱くなる。高まっていく身体
に心がついていけず、岩城はとまどっていた。
『ど、どうしたらいい?お、俺は香藤が……』
 香藤が好きだ。それは分っている……でも……
「岩城さん………」
「か……香藤……待って………あ……!」
 香藤の愛撫が深くなり、岩城は甘い悲鳴をあげる。
『怖い……』
「香藤……いやだ………!」
 岩城の涙声に香藤は顔をあげて、不安そうな瞳をした岩城に気付いた。
「ごめん……俺……また……ごめんね……」
 香藤は急いで身を起した。
「ち、違うんだ……香藤………」
「え…………?」
「……お前が好きだ……でも………」
「岩城さん…………」
 香藤が好きだ。それは本当だが岩城はどうすればいいのか分らなかった。
 あの夜の事は精神世界で出来事だった事も、悪意がなかった事も理解して
いるのだが、心がついていけないのである。
「俺は……」
「いいんだ……岩城さん無理しないで………」
 香藤は岩城を優しく抱き締めてベッドに横になった。
「…香藤………」
 香藤の腕の中は暖かくて、ほっとする。
 岩城はやすらぎを感じて香藤の胸に顔をうずめた。
「…あ…岩城さん……夜が明けるよ……」
「……本当だ………」
 ビルの谷間からじょじょに登りつつある光が、朝をもたらそうとしている。
 先程までの戦いなど、なかったかのように当り前に朝は巡ってくるのだ。
「岩城さん……俺…今ここで生まれたような気がする……」
「ん……?」
「今、この瞬間に……新しい命をもって生まれたような気がするんだ……人間の
香藤洋二として……」
「香藤……」
「……岩城さん……俺の名前呼んでくれる?」
「ん?」
「岩城さんの呼んでくれる名前が、俺の名前だから……」
「香藤……俺もだ……」
 香藤の腕の中で岩城はもう一度新しい生をうけた気がしていた。生まれ変わっ
たかのように、見るものすべてが今までと違って見える。
 これから自分達はお互い離れる事はないだろう。最後の時が訪れる瞬間まで、
共に人生を生きて行くのだと、二人は確信していた。
 二人は抱き合いながら、太陽の光が星を消していく瞬間を見つめていた。
 眩しい始まりの朝を……

    *
エピローグ

「香藤、お金の使い方はこの前説明しただろ」
 両手にバケツサイズのアイスクリームカップを持った香藤を見て岩城はため息
をついた。
「うん、大体分かったんだけどさ、どうして同じ紙なのに、こっち(1ドル札)を
渡すとアイスクリームが小さいカップに一つで、こっち(100ドル札)を渡すとこ
んな大きくなるのかが分からないんだ」
 天使である事を思い出した途端、香藤は天国へのぼった『香藤洋二』の記憶をい
っさい失ってしまったのである。と、同時に人間界での生活方法をほとんど忘れて
しまった。
 その為、岩城は人間界でのルールを香藤に一から教えねばならなくなった。しか
し、元天使だった香藤は超天然で、このところ岩城は常識を教えるのが、いかに困
難か思い知らされてるところなのである。
「ん、これおいしいよ岩城さん、いっしょに食べようよ。一人じゃとっても無理だ
もん」
「まったく……」
 岩城は苦笑しながらも香藤に渡されたスプーンをとってアイスクリームをすくっ
た。
「ん、おいしい」
「だよね。でも本当にどうしよう……こんなにたくさん……捨てるなんてもったい
ないし……そだ、近くの保育所の子供達にあげようか?」
「それがいいかもな……でも、いきなりこんなプレゼントして変に思われないか?」
「大丈夫、たまに子供達と遊んでるから」
「そうなのか?いつから?」
「道に迷ってるのを先生と散歩中の子供達が案内してくれたんだ。で、近くに住んで
るって事が分かって時々遊んでるんだ」
「そうか……」
 香藤のくったくのない明るさが子供達は分かるのだろう。
「……お前らしいな……」
「え?何か言った?」
「いや、なんでもない……じゃあ溶けないうちに渡した方がいいだろ」
「そうだね、じゃあ一緒に行こうよ」
「俺もか?」
「うん、子供達に紹介するって約束してたんだ。丁度よかった」
「紹介って?俺をか?」
「そうだよ。俺にはどの世界よりも大事な素敵な恋人がいるって……」
「そ、そんな事話してるのか……」
「うん、他にもいろいろと……」
「ど、どんな事だ……」
「え〜そりゃあ〜岩城さんがどんなに可愛くて、どんなに綺麗かって事を話
してるんだ…痛!なんで殴るの〜」
「ばか!子供達になんて事話してんだ!」
 岩城は耳もとまで真っ赤になった。
 これでは恥ずかしくてとても行けない。
「俺は行かないからな!」
「え〜どうして〜?」
「………………」
 岩城はそっぽを向いたまま、リビングのソファに腰を降ろし、本を読み始
めた。
「岩城さ〜ん、いっしょに行こうよ〜ねえ〜」
「………知らん………」
「お願い〜岩城さんってば〜」
 香藤の情けない声が、長い間二人の部屋で聞こえていたのでした。


天使の名 ウリエル
「神の炎」を意味する名前を持つ厳格な天使。懺悔の天使として罪人を永遠の
業火で焼き、不敬者を舌で吊り下げて燃えさかる炎にかける。最後の審判の日
に黄泉の門を開き、すべての魂を審判の席に座らせる役目を持っている。また、
雷と恐怖を監視する天使と同一視されることがある。
四大天使の一人だが、他の天使に比べ知名度が低いのは、745年のローマ教会
会議によって堕天使として非難された為であろう。民間で加熱し過ぎた天使信
仰を押さえるための処置だったと考えられている。その後、ウリエルは復権す
るが、天使ではなく聖人としてだった。
人間から天使になった者はいるが、ウリエルは記録の中では初めて天使から人
間になった者である。

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後書き

 お疲れさまです。ようやく書き終える事ができました。「アダルトだから
はめはずしちゃってもいいじゃ〜ん」と軽く考えて書き始めてしまいました
が、計画性のなさで後半苦しんでしまいました…;;途中、目のアクシデン
トなどあり、アダルトのくせに書き上げるのに随分長くかかってしまいまし
た。しかも、正確には完全ではないですし…;;
読んで下さった方はお気付きかと思いますが、このお話の番号は所々飛んで
おります。途中書き足していく予定だったのですが、かえって間延びするは
めになってしまう気がして、足すのやめました。ジグソーパズルのように謎
解きっぽく進行させつもりだったのですが、話自体が謎解きなのに、進め方
までややこしくしたら、読みづらくなるだけだ、と思いまして。
本当は岩城さんと香藤が親しくなっていく過程とか、トマス神父の正体を臭
わせる部分とか入れようかな〜と考えておりました。
しかし、書き終えてみると確かに読みやすいかもしれないけど、唐突すぎる
展開になってしまいましたね;;特にラストに詰め込みすぎた感が有;;;
もしかして、ない部分を書いて完全な形になったら、表の方へ移動させても
いいかな?とも考えておるのですが…さてさてどうしよう?(オイ…;)
アクションシーンは相変わらず迫力なしで…;殺陣のシーンといい、もうちょ
っとなんとかならんもんでしょうかのう…;;この課題がクリアできるのは
いつの日か…;;
実はラストにアダルト的なシーンを入れる予定だったのですが、どうも岩城
さんの心情的にまだ無理があるな〜と今回は断念しました(ますますアダル
トじゃないじゃん!;)このお話は続編とか書けそうな気がしておりますの
で、もしかしたら書くかもしれません。それには元ネタの「コンスタンティ
○」の続編が出てくれないかな〜と思っております。刺激されるもんがない
と、なかなか;;
天使や悪魔の説明文が挟んでありますが、あれは某サイトの文献を元に私が
勝手にまとめたコメントですので、違う解釈をされている方や、別の説など
多々あるものと思われます。あくまで私個人の遊び的解釈と受け止めて下さ
いますようお願いいたします。
では、お読み下さった皆様、本当にありがとうございました。
がっかりさせてしまったのなら、申し訳ありませんでした〜;;
ひらにご容赦を〜;;m(__)m