名も無きもの SCENE3

 探査機で岩城のアパートメントをつきとめた香藤は早速そこに引っ越した。
岩城と会った時はしらじらしく
「偶然だね〜」
 などと言って声をかけた。そして岩城に付きまとい始めたのである。
 岩城も最初は香藤を無視していたが、次第に我慢できなくなり、なんとか
やめさせようと怒鳴ったり、おどしたり、忠告をしたが、無駄だった。
 何度追い払っても香藤はくったくのない笑顔を浮かべて何時の間にか側に
いるのだ。
 とうとう岩城は根負けした。
 結局岩城は香藤と共にニーソン牧師の死の真相を探る事となった。
 いっしょに捜査を行う事にした岩城は天使と悪魔の存在の話をした。香藤
はなんと言っていいか分からずず、言葉につまってしまった。
 まあ、無理も無い、と岩城は依頼が入ったので、実際に悪魔払いの儀式を
見せた。
 少女の身体に聖水をかけ、猫(猫は霊感がある)を使って、悪魔を少女か
ら鏡に乗り移らせた。鏡に乗り移ったところでその鏡を破壊するのだ。媒体
を失った悪魔は地獄に帰るしかなくなる。
 悪魔が去って行った後、香藤は呆然と岩城を見つめていた。
 岩城は香藤の視線を感じていながら、目をあわせる事ができなかった。
 きっと怯えた瞳で自分を見ているに違い無い。その視線には慣れっこ筈だ
ったのに、なぜか香藤にはその瞳で見られたくなかったのである。
 それは自分に対する恐怖や怯えを映しだした視線である。
 悪魔を目撃した恐怖、怯え、驚き、そして悪魔を追い払った自分への、異
人への恐怖………
『俺といっしょに調査するのを止めると言うかもしれないな………』
 と、岩城は思った。
 そうなった方がいいと思っていたのに、なぜか岩城の胸は寂寥感が満ちてい
る。だが、岩城の耳に飛び込んできたのは思いもかけない言葉だった。
「……かっけー……」
「は?」
「すごいよ岩城さん!すっごいかっこよかった〜!」
「は?」
「悪魔も追い払っちゃうなんてすごいね!どうやったらそんな事ができるの?
すげー』
 岩城は一瞬呆気にとられた。香藤のあまりに緊張感のない言葉に力が抜ける。
張り付けていた自分がばかみたいではないか。
「……まったく……」
 お気楽な性格というか、楽観的というか………
 実際に悪魔を見てもびびっていないところは大物ぽいといえるが、ちゃんと
現実だと理解しているのだろうか?
『本当にこいつと調査して大丈夫かな?』
 とも思うが岩城が感じる限り、香藤に霊感はまったくないようだった。これ
ぐらい恐怖心が湧きにくい性格である方が、悪魔にとり憑かれる心配がなくていいかもしれない。
 岩城は小さくため息をついた。

     *

「そうだ、これ、ニーソン牧師の部屋でみつけたんだけど」
 と言って香藤が差し出した一枚の紙切れを見て岩城は心臓が止まりそうにな
った。
 その紙に描かれていた紋が、自分の胸にできた痣とそっくりだったからであ
る。
「……ど…どこで………」
 声が掠れる。
「本の裏表紙のところに隠すように入ってた。読める?アラビア語かと思って
話せる友人に聞いてみたんだけど、アラビア語でもヘブライ語でもないってさ。
なにか分かる?」
「…………」
「おまけにそれコピーできないんだよ。何度やっても映らなくて白紙の紙しか
でてこないんだ。何かの特殊素材で作られてるのかな?」
「…………」
 岩城はじっとそこに描かれた忌わしい印を見つめ続けた。
 一体これはなんの印なのか?何故自分につけていったのか?ここに描かれて
いるものは本当に俺の痣と同じものなのか?
 それよりも何故ニーソン牧師はこれを隠していたのだろう?
 彼にだけは痣の話をしていたのに、自分は何も聞いていない。
『もしや彼の死にこれが関係しているのか?』
 岩城は無意識のうちに胸を指でなぞっていた。
「岩城さん…?」
「え……あ、ああ……そうだな……俺も分からない……アスランに聞いてみよ
う」
「アスラン?誰?」
「……人間だが中立を保っている人物だ。彼のテリトリーでは誰も争わないと
いう暗黙の了解がある。だが、金さえだせばなんでも探してくれるし、やって
くれる。いわゆる便利屋だな」
「へ〜」
 その日の夜、岩城と香藤はアスランのテリトリーであるクラブに出掛けた。
 一見普通のジャズクラブで、何も知らない人間が何人か来ているが、ある秘
密のドアをくぐれるのは許された数人だけなのである。ここにはハーフブリッド
(半人間の天使か悪魔の事)もごく稀にだが訪れる。
 ドアの前には同じ顔をした屈強な男が二人立っていた。
 岩城は合い言葉を言って通ったが、香藤は止められてしまう。
「え、なんで?彼のつれだよ」
 男は無表情のまま香藤を睨みつけた。強引に進もうとするが、簡単に押し返
される。
「ちょ、ちょっと…岩城さ〜ん、待ってよ〜。俺も行くよ〜」
 香藤の情けない声を後ろに聞きながら岩城は歩を進め、アスランのいる部屋
にたどりついた。
 真っ暗な円形状の部屋に置かれた小さなテーブルと椅子。彼はいつもそのテー
ブルの前に水タバコをふかしながら腰掛けている。黒い肌は闇色に溶けて、初め
て来た者はそこに彼がいるのがすぐに分らない。
「……これを調べてもらいたい……」
 岩城は先程香藤から預かった紙をとりだした。
 アスランは無言で受け取り、紙を広げて中を見つめる。
「……どこでこれを……?」
 地の底から呻いてくるような低く重い声である。何の感情もこもっていない。
「……ニーソン牧師が持っていた……」
「……………」
「なんと書いてあるか分かるか?それに……」
 その印はなんだ?と岩城は問いかけたが、声にだす事はできなかった。心臓が
早鐘のように鳴り響き、やけに冷たい汗をかく。
「これは古代ヘブライ語で暗号文字だ。俺でも読めん」
「誰か解読できる者はいないのか?」
「……一人いる……頼んでみるが時間がかかるぞ……金もかかる……」
「……いくらだ……」
「そいつに聞いてみる……かなりするぞ……」
「……構わない……必ず解読するならな……」
「……心配するな…すべてはビジネスだ……」
「……………」
 岩城は無言で部屋を出ようとしたが
「この暗号文には続きがある……」
 アスランの言葉に足を止める。
「何?」
「左上に『1』を表わす文字が印してある。つまり『2』以上があるという意味
だ……」
「なんだって……」
 岩城は呆然としてしばし、その場に立っていた。
 我に返ると急いで戻り、無表情の男相手に何か文句を喋っている香藤を見つ
ける。
「香藤」
「あ、岩城さ〜ん。ずるいよ一人でいっちゃうなんてさ」
「香藤、あの紙はあのだけか?」
「ていうと?」
「あの紙には続きがあるらしいんだ。あれを見つけた時、他の本にはなかった
のか?」
「気がつかなかったな〜なかったと思うんだけど……」
「もう一度調べてみよう」
「でも牧師の持ち物は全部処分されたって聞いたけど……」
「本や十字架は遺言で親友のトマス神父に引き取られる事になっていた筈だ。ト
マス神父のところにいってみよう」
 岩城と香藤はトマス神父のいるカトリーヌ教会に向った。

「久しぶりだねイワキ。元気だったかい?」
 トマス神父は白髪の優しい笑顔をした老人で、二人を快く迎えてくれた。
「トマス神父ご無沙汰しています。申し訳ありませんが、ニーソン牧師の持ち物
を見せていただけませんか?」
「ああ、彼の持ち物はまだ整理をしていないので、すべて地下室にしまってある
よ」
「見せて下さい」
「別に構わないが何か?」
「たいした事ではありません」
 岩城はそう言うと急いで地下室に降りて行き、香藤もそれに続いた。
 暗いじめじめとした地下室で、裸電球一個の明かりで二人は大量の本を調べに
調べたが、何もでてこなかった。おかしな事に香藤が隠されている紙を見つけた本
もなくなっていたのである。
「……一体どういう事だ…お前の見つけた本もないなんて………」
「俺はちゃんと元に戻したし、ジェフからもその話は聞いてないよ」
「……まさか…誰かが……持ち去った……」
「…そんな……何の為に?」
「ニーソン牧師を殺した奴かもしれない……」
「じゃあそこに犯人の手がかりが書かれていたからとか!?」
「人間とは限らないかもな……」
「……岩城さん……それじゃあ………」
 二人は無気味な暗闇に包まれた地下室の中、無言で見つめ合っていた。

堕天使の名 ルシファー
 元神の副官、元天使の最高位である大天使長。
 もっとも力を持ち、神の寵愛をもっとも受けていた天使がルシファーであった。
彼は唯一神の玉座の右側に侍ることが許され、天使の中でも最高の気品と美しさを
備えていた。
 そのルシファーは味方になる天使を集めて神にクーデターを企てた。が、反乱は
結局失敗に終わり、彼らを罰するために創った地獄へ落とされる。
 ルシファーがなぜ神に反抗したのか?それは驕りと嫉妬である。自分は服従する
側の存在ではないといううぬぼれと、神が自分達天使よりも人間に寵愛を注いだ事
への不満である。そして同じように不満を抱いていた天使達とクーデターを起こし
たのだ。
 地獄へと落とされた彼はサタンとなり、自分にかわって寵愛を得た人間たちを激
しく憎む。人間達を堕落させる事で神への復讐を果たそうとする。
(サタンは特有の者を指すだけでなく、悪魔の総称にも使われる)

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