岩城京介…人間の悪魔祓師。胸に『名も無きもの』の印を持つ為、下級悪魔
程度は手がだせない。
香藤洋二…元天使で『名も無きもの』。ルシファーの双児で彼に匹敵する力
を持っていたが、岩城を愛し、人間になる。
アスラン…人間の情報屋。悪魔に対しても天使に対しても中立を貫いている。
ニーソン牧師…岩城の恩師で故人。対悪魔用の武器を開発していた。
トマス神父…ニーソン牧師と対悪魔用の武器を開発していた神父。実はハーフ
ブリッドで今は天国に還っている。

要注意!
今回のお話はかなり残虐なシーンや描写を書く予定ですので、それらが苦手な
方は決して読まないで下さい;;

         名も無きもの ―ケルベロスの牙―

 暗闇の中、寒さに震える小さな存在があった。
 暖めてくれるものもを奪われ、冷たい孤独に苛まれ、ただ怯えているだけ
のものだった。しかし、いつしか孤独と恐怖は憎しみと怒りに変わっていっ
た。
 イタイ…イタイ…イタクテタマラナイ……サムイ……サムイ……
 アイツラダ、アイツラガワタシヲコンナメニ……
 ニクイ……ニクイ……ニクイ……ニクイ……ニクイ……
 コロシテヤル…コロシテヤル…コロシテヤル…コロシテヤル…コロシテヤル…
コロシテヤル…コロシテヤル…オオ……オオオオオオ……オオオオオオオオオオ
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ………………………………………
 そこは憎悪の炎で満たされた。

         *

 夜明け前の霧が立ち込める中、香藤はアスランの店の前で岩城を待っていた。
アスランから頼みたい事件があるから来て欲しいと言われたのだが、例によって
香藤は部屋の入り口で追い返されたのである。
 ニーソン牧師の事件から香藤は岩城と暮らし始め、仕事もいっしょに行うよう
になったが、アスランはまだ部屋に入る権利を香藤に与えてくれなかった。
「ちっくしょ〜アスランの奴〜嫉妬してるんじゃないだろうな〜」
 思わず愚痴がこぼれ、気をそらそうと香藤はもやのかかった街に目を向けた。
 白み始めた街は不気味な静寂と冷気に包まれている。音も霧に飲まれてか何も
聞こえず、世界に一人だけ取り残されたような孤独を感じてしまう。その時、霧
の中から小さなすすり泣く声が聞こえてきた。
「なんだ?」
 目を凝らすと、白い霧の中に小さな影が見えてくる。じょじょに香藤の方に近
付いてきたので、その影の正体は白色の犬だとすぐに分かった。スピッツ犬ぐら
いの大きさだが、それよりも短毛で雑種のようである。
『首輪をしていないようだから、ノラ犬かな?』
 すすり泣くような声はその犬が鼻を鳴らしていた声だったのだ。足に怪我をし
ているらしく、びっこをひいている。
「可哀想に…お前大丈夫か?」
 香藤はその犬の前に屈み込んで頭を撫でてやった。犬は立ち止まり、香藤の手
を嘗め始める。
「お前くすぐったいぞ。人懐っこい犬だな〜どれ、どこ怪我してんだ?」
「待たせたな、香藤」
「あ、岩城さん」
 岩城が店のドアから出て来たので、香藤は犬を抱きかかえたまま立ち上がった。
岩城は犬の存在を認めると、少し表情を曇らせた。
「…その犬どうしたんだ?」
「いや、道を歩いていたんだけど、足を怪我してるみたいで」
「…そうか…」
「どうしたの?犬は苦手?」
 心無しか距離をおいている岩城を香藤は不思議に思った。
「…いや…俺が苦手じゃないんだ……」
 岩城は動物に好かれた事がない。野性の本能が岩城の特異な能力を察知する
のか、近付いても威嚇されたり、逃げられたりするのである。猫だと逃げない
ものがたまにいるが、それでも触らせてはくれなかった。
「動物に嫌われる体質でな…」
「そうなの?でもこいつは大丈夫みたいだよ。岩城さんの方見てるけど、嫌な
そぶり全然ないし」
「…………」
 香藤の言うとおり、抱きあげられた犬は岩城を見ているが、威嚇したり怯え
たりする様子はまったくなかった。それどころか、岩城の方に顔を近付け、匂
いを嗅ぎ始めたのである。そんな事をされた事のない岩城は驚いた。
「撫でてみたら?」
「……え……」
「大丈夫だよ、ほら」
 香藤が犬を抱っこしたまま岩城に近付く。岩城はおそるおそる手をのばして
犬の頭を撫でた。犬は嫌がるそぶりを見せず、鼻を鳴らして岩城に甘えた。
「ね、大丈夫でしょ」
「…驚いたな……」
「岩城さん、こいつ家に連れて帰ろうよ。怪我の手当てしてやんなきゃ」
「そうだな…ただし怪我の手当てだけだぞ。今いるアパートは動物を飼うの
は禁止されているんだから」
「分かってるよ。じゃあ帰ろうか。話はもう終わったんでしょ」
「ああ……」
「話はなんだったの?」
「…歩きながら話そう」
 岩城と犬を抱えた香藤は、霧の中を歩き始めた。
「もしかして『ケルベロス事件』に関する事?」
 『ケルベロス事件』とは、今ロスアンジェルスを恐怖のどん底に叩き落し
ている事件である。
 一ヶ月前に獣に引き裂かれたような状態の人間の死体が発見された。それ
から今日迄の間に3人の同じような状態の死体が見つかっている。あまりに
ひどい状態なので人間の仕業とは思えず、犯行時刻と思われる時に無気味な
犬の遠ぼえを聞いたとの証言が相次ぎ、ケルベロスの仕業ではないかと噂さ
れているのだ。
 ケルベロスとは冥界の門番で、断わりもなく冥界に入ろうとする者、出よ
うとする者を引き裂く、三つの頭をもつ魔犬の名である。
 被害者に共通点はなく無差別の犯行と推測されているので、市民は恐怖を
覚え夜間の外出を控えるようになっていた。
「この事件のせいで皆ピリピリしちゃって、大型犬を飼っている家も白い目
で見られて、肩身が狭くなっているらしいね」
「ああ、ノラ犬が集団で撲殺されたっていう話も聞くな…もしかしたらこの
犬も心ない人間にやられたのかも…」
「そうだね…可哀想に…早く解決して欲しいよね。やっぱりアスランの話は
それだったの?」
「まだ、なんとも言えない……」
「と、いうと?」
「アスランの話は、最近大きな勢力になりつつある秘密結社の事だったんだ」
「秘密結社って?」
「それが、悪魔崇拝を目的としているらしいんだ……」
「…悪魔支持者って事……?」
「ああ…定期的に黒ミサを行い、集会を開いているらしい…アスランの見方
によると、その手の霊力などまるでないらしいんだが、社会的に地位のある
人物達がメンバーの中にいるそうだ」
「…地位のある人間が愚行に走るとやっかいだね。でもそれが『ケルベロス
事件』と何の関係があるの?」
「警察はまだ知らないが、被害者は全員この秘密結社のメンバーだったそう
だ…」
「ええ!どういう事?」
「分からない…『ケルベロス事件』と関係がないか調べなければ」
「そうだね…とにかく調べてみなくちゃね…あ、岩城さんどこ行くの?家は
こっちだよ?」
 岩城はアパートとは反対方向に歩きだしていた。
「実はこれから仕事なんだ。K地区の教会に頼まれて悪魔祓いをしなければ
ならないんだ」
「じゃあ、俺も行くよ」
「お前はいい。先に帰ってこの犬を獣医に見せた方がいいだろ」
「まだ病院は開いてないと思うよ。それに俺が行った方が早く終わるじゃん」
「…確かにな……」
 香藤は今は完全な人間だが、元は大天使である。そのせいか、香藤が現れ
ると人間にとり憑いた悪魔は、何もしなくても一目散に逃げ出してくれるの
だ。もっとも下級悪魔の場合のみで、ある程度力のある上級悪魔には通じな
いと思われる。げんにベルゼバブは香藤を恐れてなどいなかった。
「人間にとり憑くのは下級悪魔だから、今回も俺は効くと思うよ」
「…殺虫剤みたいだな……」
「何それ〜もっといい例えにしてよ〜」
「すまん、すまん」
「でも、最近悪魔祓い多くなったね。『ケルベロス事件』といい悪魔崇拝と
いいダークな事件ばかりだね」
「…本当にロスアンジェルス(天使のいない街)になったからかもな……」
「岩城さん……」
 ハーフブリッドであるトマス神父は天国に帰ってしまった……再びこの街
に天使は降りてきてくれるのだろうか?
「岩城さん、早く行ってちゃっちゃと終わらせちゃおう」
「そうだな……」
 二人は軽く微笑みをかわし、朝日を浴びながら共に歩いた。
 隣にいる香藤をちらりと盗み見た岩城は、香藤がこうして自分の側にいて
くれる事に感謝した。
 恩師であるニーソン牧師もトマス神父もいなくなって、自分はどうなって
いたのか想像もできない。恐ろしい程の孤独と暗闇の中に一人残され、押し
つぶされていたのではないだろうか。
 香藤がこうして側にいてくれるから、微笑んでくれるから自分もこうして
微笑みを返せるのだ。岩城にとって香藤はかけがえのない存在になっていた。
だが、一つ不安な事があった。
 それは、香藤の想いに応えられる時がくるだろうか、という事だった。
 香藤は自分を愛してくれている。
 その為に天使の姿を捨て、人間になったのである。
 香藤の望むものは分かっているし、自分も香藤を愛しているのだと思う。
しかし、どうしても16年前の恐怖を思い出して、身体がすくんでしまうのだ。
 あれは、融合を自分の精神が解釈した結果であって、本当に肉体の交わり
があった訳ではない。なにより岩城を守る為の行為であったと頭では分かっ
ているが、心はそう簡単に割り切れなかった。
 香藤はそんな岩城の気持ちを察して、待っていてくれている。香藤の優し
さに甘えているという自覚はあるのだが、今の友達以上恋人未満という関係
が心地よくて、踏み出す事を岩城はためらってしまうのであった。
 自分の裡に秘めた情熱が吹き出す時がくるのだろうか?
 その時、自分はどうなってしまうのだろう?
 まったく想像ができなくて、岩城は怖かった。自分でも知らない程の、ど
うしようない程の想いに触れるのが……

 それから二時間後。悪魔祓いを順調に終え、二人は家に帰った。何気なく
テレビをつけると、ケルベロスの第4の犠牲者が出た、というニュースが流れ
ていたのであった。

   

ケルベロス
 3つの頭に背筋から尾にかけて蛇が生えている魔犬。冥界の王ハデスのお気
に入りのペットでもある。
 ケルベロスはステュクス河の冥界側に鎖でつながれており、生者がハデスの
地に入ってくれない様に、死者が冥界から逃げ出さないように見張っている。
捕まった者はケルベロスに食べられてしまう。
 その為かは定かではないが、古代エジプトでは凶暴な犬に墓場の番をさせた
と言う。
 また英雄ヘラクレスの偉業の一つに、このケルベロスの捕獲がある。ヘラク
レスはステュクス川を力ずくで渡り、冥界の神ハデスとも戦い、その末に素手
でケルベロスを捕らえて地上へ連れ出した。初めて見る太陽の光にケルベロス
は吠え、その時に滴り落ちた唾液が猛毒を持つトリカブトになったという。
 母はエキドナ、父にテュポンを持つ。

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