岩城京介…人間の悪魔祓師。胸に『名も無きもの』の印を持つ為、下級悪魔
程度は手がだせない。
香藤洋二…元天使で『名も無きもの』。ルシファーの双児で彼に匹敵する力
を持っていたが、岩城を愛し、人間になる。
アスラン…人間の情報屋。悪魔に対しても天使に対しても中立を貫いている。
ニーソン牧師…岩城の恩師で故人。対悪魔用の武器を開発していた。
トマス神父…ニーソン牧師と対悪魔用の武器を開発していた神父。実はハーフ
ブリッドで今は天国に還っている。

ジェフ…警官で香藤の友人
エルンスト氏…ケルベロスの4人目の犠牲者
ペガサス(チビ)…白い小さな犬。セーラ・コールマンの飼犬で岩城と香藤に拾われる
セーラ・コールマン…18歳ペガサス(チビ)の飼主。行方不明
ニック・ジュドー…悪魔崇拝者メンバーの生き残り

要注意!
今回のお話はかなり残虐なシーンや描写を書く予定ですので、それらが苦手な
方は決して読まないで下さい;;

         名も無きもの ―ケルベロスの牙 5―

 その小さな白い犬は間違い無くチビであった。だが岩城はどうしても
違和感がぬぐえなかった。
 初めて会った時とは違う印象がする。異様な雰囲気をまとっているの
である。なにより、何故ここに?
 その時、玄関ホールにあった大きな時計が0時の鐘を鳴らせた。
 途端にチビのつぶらな瞳が赤く染まった。瞳だけでなく、全身が炎に
包まれ、身体がみるみるうちに巨大化していったのである。
 口元がぱっくりと引き裂かれ、鋭い牙をのぞかせ、赤く染まる口から
だ液を垂らす姿はまさに地獄の魔犬ケルベロスそのものの姿であった。
 岩城はその信じられない光景に身体が硬直して立ちつくしてしまった。
 鼓膜が破れるかと思う程の咆哮が轟き、ケルベロスは窓ガラスを突き
破って呆然と立っていたジュドーに飛びかかった。
「ぐわ!」
「チビ!」
 右肩のあたりに食い付いたケルベロスはジュドーの身体を大きく捻り、
振り回した。遠心力と鋭い牙のせいでジュドーの右腕はちぎれ落ち、お
びただしい血渋きをあげながら身体は階段の側に飛んでいく。ケルベロ
スの牙はそれだけでは止まらず、再びニックの身体に食いつき、肉をむ
しりとった。
 ジュドーの悲鳴が辺りに響きわたり、岩城はそのおそろしい光景をた
だ黙ってみていた。
 驚愕の為に身体が動かなかった。
 信じられない。あのチビがこんな…ケルベロスだったなんて…信じた
くなかった…
 一方、気絶したマイクの身体に見つけてきた縄を巻いていた香藤は、
マイクのポケットから覗いていた紙切れに気付いた。
「なんだ?」
 取り出してみると、それには地図が書かれてある。
『どこの地図だろ?地下みたいだけど…』
 地図を眺めていた香藤の耳に、ガラスの割れる音と悲鳴が飛び込んで
くる。
「!なんだ!岩城さん!」
 香藤は廊下に飛び出した。
 喉に食いつかれてジュドーは息絶えた。そして、ケルベロスはゆっく
りと岩城を振り返る。
「…チビ……」
 岩城は小さな声で語りかけるが、赤く燃えるチビの瞳には憎悪しか映
っていなかった。
 立ち尽くす岩城に向かってケルベロスが飛びかかる。
「岩城さん!」
 ケルベロスの爪が岩城の身体届くより前に、飛び出して来た香藤が岩
城を突き飛ばした。が、代わりに香藤がケルベロスに身体を倒されてし
まう。
「香藤!」
 突き飛ばされた岩城が香藤を振り返ると、香藤はケルベロスによって
床に組み敷かれていた。香藤は必死にケルベロスの頭を押さえ、なんと
か迫ってくる牙から逃れようとしていた。
 岩城は急いで銀の弾の入った銃を取り出し、ケルベロスを撃った。
「ギャン!」
 ケルベロスは叫び声をあげ、香藤から離れるとぶち破った窓から外に
逃げていった。
「香藤!」
 岩城は床に倒れる香藤の側に駆け寄った。
「…い、岩城さん……」
「だ、大丈夫なのか!怪我は!」
「う…ん…大丈夫だよ……たいした怪我はしていないよ……」
「ばか!どうしていきなり飛び出したりしたんだ!」
「どうしてって…岩城さんが襲いかかられそうだったから…」
「お前だって銃をもってるだろ!なんで使わなかったんだ!」
「そんな事言われても…岩城さんが危ないって思ったら身体が勝手に動
いちゃったんだよ」
「………………」
「咄嗟で…それ以外何も考えられなかった…」
「……ばか……」
「そんなにばか、ばか言わないでよ〜岩城さんこそ怪我はない?」
「ばか!お前はばかだ!」
 岩城の瞳から涙が溢れ、気持ちが堪えきれずに岩城は香藤にしがみつ
いた。
「岩城さん…」
 香藤はしがみつく岩城の身体をそっと優しく抱き締め、岩城が落ち着く
までずっと背中を撫でてやったのだった。

       *

「で、マイク・コールマンは逃げたのか?」
「うん、ごめん…」
 香藤は頭を軽く掻いてジェフに謝った。
 ケルベロスが逃げていった後、落ち着いた岩城と香藤は警察に連絡しよ
うと部屋に戻ったのだが、そこにマイク・コールマンの姿はなかった。
 香藤が拘束を途中で放りだしてしまっていたので、目を覚ましたマイク
は逃げていったのだろう。
 とりあえず警察に通報し、ジェフが来てくれた。二人はジュドーの死体
の説明とこれまでに分かった事を話した。
「秘密結社の奴らが黒ミサをね…」
「セーラは生け贄にされたらしい。すぐにマイク・コールマンを逮捕して
くれ。妹を犠牲にした最低の男だ」
「ああ、行方は追うが…証拠がない以上、逮捕は難しいかもしれない…証
人も死んでしまったしな」
 ジェフと香藤は運びだされていくジュドーの死体を見つめてため息をつ
いた。
「あいつを殺したのはマイク・コールマンじゃないんだろ?」
「…ああ…ケルベロスだ…」
「おい香藤頼むよ、そんな非現実的な事言われても説得力がないんだよ」
「…ケルベロスに見えただけだよ…犬が人襲ってるなんてショッキングな
現場見たから…ホームズの小説に出てくる狂犬みたいなものかもしれない」
「『バスカビル家の魔の犬』ってか?とにかく殺したのは人じゃないんだ
な。操られている可能性は高いな」
「……………」
 香藤は、ケルベロスが殺された主人の仇を討つ為に、地獄から戻ってきた
飼犬のペガサスなのだという話は黙っておいた。言っても信じぬだろうし、
ヘタすればマイク・コールマンに逃げ道として利用される恐れがあるからだ。
「ハワード氏の事だけど」
 香藤の言葉にジェフは眉を寄せた。
「事情調書とれる?」
「…無理だな…」
「だが、奴が司教なんだぞ」
「会話の中に出て来ただけだろ?それにハワードって同じ名前の人かもし
れない」
「マイクのアリバイは彼のパーティーに出席していたって話だったじゃな
いか。そして、他のメンバーに嘘の証言をさせたんだ。あのセレブ達に命
令できるなんて、他の人物ではありえない」
「証拠も証人もいないのに元市会議員に事情調書なんてできる訳ないだろ」
「……………」
「香藤…俺の立場も分かってくれよ」
「…何か分かったら知らせてくれるか?」
「ああ…お前達は事件の目撃者でもあるしな。また、話を聞かせてもらう
と思う」
「じゃあ、今日は帰ってもいいか?」
「いいぜ。大丈夫か、お前の相方?顔色が真っ青だぜ」
 香藤は車の中で蒼白な顔色をしている岩城を見て、胸が痛くなる。
『あのチビがケルベロスなんで、ショックだったんだろうな…しかも撃っ
てしまったし……』
「…うん…すぐに連れて帰って休ませるよ…」
「そうしろ、じゃあな」
「ああ……」
 香藤は岩城の乗っている車の運転席に乗り込み、エンジンをかけた。
「岩城さん、帰ろう」
「…ああ……」
 岩城の顔色はまだ悪かった。

 家に着くと岩城は香藤の傷の手当てをした。
 香藤本人が言ったとおり、深い傷ではなかったが魔犬による傷なので油断
はできない。聖水で浄め、岩城が丁寧に包帯を巻いたが、その間、岩城は無
言であった。
「岩城さん……」
「……ん………?」
「…本当にチビがケルベロスだったの?」
「……ああ……」
「間違いないんだね……」
「……殺された主人であるセーラの仇をとろうとして蘇ってきたんだな…
魔物と化していたから俺にもなついた訳だ……」
「……岩城さん……」
「俺達が拾った時に足をひきずっていたのは、エルンストに銃で撃たれた
時の傷だろうな…普通の弾だったから効かなかったが、チビの姿に戻った時、
わずかに痛みが残ったんだろう……」
 岩城はずっと俯いたままである。
「…岩城さん…さっきチビを撃ったのは仕方なかったんだよ……」
 岩城の身体がビクリと揺れる。
「俺を助ける為だったから……」
「香藤……」
「岩城さんのせいじゃないよ……」
「違うんだ……香藤……」
「何が……」
「……俺は…簡単に撃てたんだ……」
「え?」
「チビを撃つのに、なんのためらいもなかった……お前を助ける為だった
ら……」
「……岩城さん……」
「…お前に…何かあったら…俺は……」
 岩城はやっと顔をあげて香藤をみつめるが、その瞳には涙が溢れていた。
堪えきれずに、岩城はまた香藤にしがみついた。
「岩城さん……」
 香藤の胸で岩城はケルベロスに襲われた時の香藤の姿を思い出して身震い
をした。
 あの時感じた恐怖。
 深い、黒々とした穴に落ちて行くような恐ろしさと絶望感。
 ケルベロスがあの可愛いチビなのだという事実をすっかり忘れていた。
 香藤を助ける為なら岩城は誰でも撃てただろう。そんな熱い想いが自分
の裡に潜んでいた事に、岩城は初めて自覚した。
『俺は…香藤を……』
 愛しているんだ……心から……
「岩城さん……」
 岩城の顔を香藤はそっと覗き込み、優しくキスをした。触れるだけだった
それは次第に深いものへと変わり、二人はお互いの唇を奪い合う。
 唇を離した時、香藤はどうしようもなく昂っている自分を感じたが、
無理強いしたくなくて、身体を離そうとした。けれど、岩城の手をそれを
許さなかった。
「…ごめん…岩城さん…離してくれる……これ以上岩城さんの身体に触
れてたら…俺…何するか分かんないや……」
「……いい……」
「……え……?」
「……いいんだ……お前を…感じさせてくれ……」
 十六年前の夜の恐怖がなくなった訳ではないが、それ以上に岩城は香
藤の存在を感じたかった。今、彼がここにいるのだという確信が欲しい。
香藤の全てを感じたいのだ。
「…岩城さん……」
 微かに身体を震わせているのが伝わってくる。まだ、不安が残ってい
るのだ。それでも、岩城は香藤を欲する瞳をしていた。その美しい瞳の
中に、自分への想いが映しだされているのを見て香藤は堪えられなくなっ
た。
 香藤はもう一度岩城に熱い口付けを落とし、その服を脱がせていった…

「あ……」
 暗闇の中、ベッドのきしむ音がやけにはっきりと聞こえる。
 香藤にベッドの上に倒され、彼の唇が項、胸に触れてくる。岩城は恥ず
かしくて身を捩った。
「岩城さん……」
 香藤の指が優しく岩城の身体を愛撫する度に、甘い言葉を耳元で囁かれ
る度に、岩城の身体は跳ね上がり、堪え切れずに声をあげた。
「……あ…あ……」
 足にシーツの波がまとわりつく。自分の身体が濡れてくるのを感じる。
 あの夜とまったく違う……
 あの十五歳の時の夜とはまるで違う。自分に触れているのが愛しい人と
いうだけで、こんなにも違うものなのだと岩城は初めて知った。
「…あ…!うん……か…香藤……!」
 指が岩城の内に入ってきて、岩城は思わず身体を堅くした。
「岩城さん…いい……?」
「あ……」
 一瞬、岩城の心を恐怖にも似た気持ちがかすめたが、それ以上に香藤を
欲している自分を自覚していた。
 小さく岩城が頷くと、香藤はそっと岩城の腰を持ち上げた。
「…う…ああ……!」
 あまりの衝撃に岩城は無意識に背を反らしたが、香藤はしっかりと岩城
の身体を支えていた。
「あ…あ……」
「……岩城さん……平気……?」
「…か、香藤……」
 香藤の熱い情熱が自分の内にあるのが分かる。鼓動が伝わって、岩城は
香藤を身体中で感じていた。
「…岩城さん…愛してる……」
 優しい香藤の声……
 頭の中に響いてきた恐ろしい声ではなく、暖かい愛情に満ちた言葉。岩
城はせつなさで胸が苦しくなるが、甘い苦しみだった。
「…香藤……」
 岩城は香藤の背中に手を回し、彼がもたらしてくれる暖かい波に溺れて
いった。

       *

 次の日の朝、目を覚ました香藤は隣に岩城がいない事に気付いた。
『どこに行ったんだろう?』
 起き上がって、手早く服を着るとリビングに行ってみる。バルコニーに通
じる窓が開いており、岩城はそのバルコニーにから空を見上げていた。手に
はチビの寝床にした籠がある。
 チビはケルベロスに変身して、このバルコニーにから飛び出していったの
だろう、復讐の為に…
「岩城さん……おはよう……」
「…おはよう……」
「身体大丈夫?」
 昨夜、乱れてしまった自分を思い出して、岩城は頬を赤くする。
「…大丈夫だ……」
 そう答えつつ、手にとった籠に視線を落として表情が曇った。
「チビの事…気になる……?」
「ああ……どこに行ったんだろう?」
「マイクも襲う気かな…?」
「おそらく……セーラを死に追いやった超本人だからな……」
「止めなきゃね……」
「…どうして止めなければならないんだ?」
「え?」
「…あんな、実の妹を生け贄に差し出した最低の男なんて…」
「岩城さん……」
 香藤は岩城の手に自分のそれを重ねた。
「…すまん…つい……」
「いいんだ…俺もそう思う…でもこれ以上チビに罪を犯させちゃいけない…
俺達が止めるのはあの男を助ける為じゃなく、チビの為にだよ…」
「……香藤……」
「そうでしょ?」
「……ああ…そうだな……」
 岩城の目に香藤に巻かれた包帯が映る。
「包帯を変えよう。傷は痛むか?」
「ううん大丈夫。あの時チビは俺に襲い掛かってたけど、警戒してたと思う
よ」
「え?」
「なんか牙を向けるのを不安そうにしている感じがした。ほら、下級悪魔と
同じような俺を怖がっている様子があったんだ。だから、たいした怪我をし
なかったんだと思う」
「……何か…変じゃないか……?」
「ん?何が?」
 岩城は妙な違和感を感じた。
 もし、本当にチビがケルベロスだとしたら、なぜ二人が拾った時、大人し
く香藤の腕に納まったのだろう?なぜ、この部屋に平気で入ったのだろう。
香藤の気のおかげで、そう簡単に魔物は近付けなくなっている筈なのに……
「…チビじゃない……」
「何が?」
「香藤…チビは復讐の為に蘇ったケルベロスじゃない……」
「え?どうして?でも、現に岩城さん見たんでしょ?」
「ああ、変ぼうするのを見た。確かに殺したのはチビかもしれないが……」
「しれないけど何…?」
「本当にチビが自ら変ぼうしたのならその魂は魔物と化しているから、た
とえチビの姿のままでもお前の姿を見れば逃げた筈だ。ところがチビはお
となしくお前に抱かれ、この部屋に来ても平気だった」
「確かに…警戒している様子も怯えている様子もあの時はなかった…」
「…巫童だ……チビはその身体を魔力の器に使われているんだ。魔力によっ
てケルベロスの姿に変わってしまうがチビの意志じゃない」
「じゃあ誰かが操っているって事?でも一体誰が?」
「……犬が従うとしたら飼主しかいない……」
「…飼主ってセーラ?……でも彼女は……」
「……セーラ・コールマンは生きているんだ…生きて、自らの復讐の為にケ
ルベロスを操っているんだ……」

   

リリス
悪魔の母とも言われる女性の名で、生まれたての赤子をさらい、睡眠中の
男性のもとに現れて性交し、悪魔の子を産むとされる。自分の正体を隠す
ためのたくさんの名前を持つといわれている。
カバラの文献によれば、イヴの前の最初にアダムの妻となった女性がリ
リスであるという。彼女はアダムに性的に対等の関係を望んだが、
アダムがそれを拒んだ為に彼の元を飛び出した。神に遣わされた三人
の天使が紅海まで逃げてきたリリスを見つけ、説得にあたるが彼女は応じ
ようとしなかった。その為、彼女は毎日無数の子供たちを生むが、その子
供たちは毎日百人ずつ死んでいくという運命を背負わされてしまう。地上
に生まれたばかりの赤ん坊たちの運命を自由に操る力を持つが、この三人
の天使の名が書かれた護符を持っていた場合は手を出さないという誓いを
している。
キリスト教では、その後のリリスは悪魔たちを相手に性交を繰り返し、サ
タンの花嫁になっている。リリスと悪魔との間に生まれた無数の子供たち
が、聖職者を誘惑する美しい悪魔リリムだといわれている。

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