岩城京介…人間の悪魔祓師。胸に『名も無きもの』の印を持つ為、下級悪魔
程度は手がだせない。
香藤洋二…元天使で『名も無きもの』。ルシファーの双児で彼に匹敵する力
を持っていたが、岩城を愛し、人間になる。
アスラン…人間の情報屋。悪魔に対しても天使に対しても中立を貫いている。
ニーソン牧師…岩城の恩師で故人。対悪魔用の武器を開発していた。
トマス神父…ニーソン牧師と対悪魔用の武器を開発していた神父。実はハーフ
ブリッドで今は天国に還っている。

ジェフ…警官で香藤の友人
エルンスト氏…ケルベロスの4人目の犠牲者
ペガサス(チビ)…白い小さな犬。セーラ・コールマンの飼犬で岩城と香藤に拾われる
セーラ・コールマン…18歳ペガサス(チビ)の飼主。行方不明
ニック・ジュドー…悪魔崇拝者メンバーの生き残り

要注意!
今回のお話はかなり残虐なシーンや描写を書く予定ですので、それらが苦手な
方は決して読まないで下さい;;

         名も無きもの ―ケルベロスの牙 6―

 信じられない程の激痛と恐怖が彼女を襲っていた。
 固い石の台座に縛りつけられ、その身体には何十本もの針が突き刺さって
いる。白いドレスは血で染まりきっていた。
 男か女か分からない真っ黒なマントに身を包んだ者達が彼女の周りを取り
囲み、忍び笑いをもらしながらまた新たな針を身体に突き立てる。
 彼女、セーラは悲鳴をあげ、助けを請うたがそこに集まった者共は聞く耳
をもたなかった。彼等にとってセーラの悲鳴は悲鳴でなく、心地よい音楽だ
ったからだ。
 悪魔崇拝という名目であったが、実はただのサディスト集団で、黒ミサに
名をかりてその歪んだ欲望のはけ口にしているだけだったのである。
 セーラは何故自分がこんな目に合うのか分からなかった。いきなり兄に無
理矢理家から連れ出され、この暗い地下室へ連れてこられたのである。兄は
この連中に自分を渡すと去っていった。牢獄のような場所に閉じ込められ、
愛犬のシリウスと共に怯えながら助けを待っていたが、助けは現れず、牢獄
から出された時に待っていたのはこの拷問であった。
 どうして、私がこんな目に……
 セーラの瞳から涙がこぼれる。
「そろそろ目に突き刺すか」
「まて、その前におもしろいものを見せてやろう」
 黒マントの一人の男がセーラの顔を覗き込み、シリウスを手に抱えている
のを見せる。シリウスは主人の替わり果てた姿を見てキャンキャンと鳴いた。
 男はシリウスの足を掴み、逆さに吊るすとナイフを取り出してシリウスの
腹を引き裂いた。シリウスは大きな泣き声をあげるとそのまま絶命した。
 シリウス!
「ほれ、お前の飼犬の膓だ」
 二人の男が両側からシリウスの身体を引っ張ったので、大きなお腹の傷口
から内臓が飛び出してきた。それをセーラの顔に落したのである。
 部屋にいた黒マントの者たちは、さもおかしそうに笑い出した。午前0時を
つげる鐘の音が鳴り渡り、暗い地下室の石の壁に反響したそれらが、セーラ
の頭にガンガンと響いた。
 コロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシ
テヤル!こいつらぜんいんころしてやる!
 セーラの心が憎しみで満たされた時、闇が降りてきた……
 黒ミサを行っていたその部屋には蝋燭の明かりがあったが、闇へと変化し
たのである。まるで日食によって太陽が光を失うように……
 それは一瞬の事で、すぐに元の状態に戻った。しかし、部屋にいた者は異様
な気配を感じ、無言になった。そして一斉に床に描かれた床に描かれた紋を
振り返る。
 紋の中から白いもやが吹き出していた。部屋の温度が急速に下がり、皆の
息が白く変わる程になり、身体がガタガタと震えた。
 紋から出た白いもやは、ぼんやりとだが人の形となった。本当に悪魔を呼
出す気などなかった者達は呆然とした。一番先に我に返ったのが司祭のハワ
ードであった。
「皆、何をしている。ルシファー様がご降臨下さったのだぞ。ひざまづけ」
 その声にハッとなった皆は急いで膝を折る。
『望みは何か』
 ルシファーがまさに地獄からの声で囁きかける。
「おおルシファー様、我々の望みを聞いて下さるのですか?」
 ルシファーはハワードの言葉を無視した。自分を呼出したのはこの男では
なく、台座に血まみれになっている少女だからだ。
「殺して!」
 セーラは「助けて」ではなく「殺して」と叫んだ。彼女の心には悲しみで
も痛みでも怒りでもなく、憎しみしかなかった。
『お前の願いは聞き届けられた。力を与えよう』
 ルシファーが手をかざすと、ぼろ雑巾のようになって床に転がっていたシリ
ウスの身体が膨らみ始めたのである。
 傷が塞がり、虎ほどの大きさになった身体からは炎がふきだし、瞳は憎悪
の為に赤く染まっていた。
 轟音のような咆哮をあげると、呆然となっていた者達に襲い掛かり始めた。
秘密結社の者達は悲鳴をあげて逃げだした。扉に殺到するが、ケルベロスと化
したシリウスが立ちはだかる。外で見張りに立っていた仲間は中からの悲鳴を
聞いて恐ろしくなって逃げ出していた。
 密室となった部屋で、ケルベロスはメンバー達を次々に食い殺していった。
血肉と砕けた骨が飛び散り、壁も床も天井さえも赤い飛沫がとぶ。悲鳴と咆哮
が轟く部屋で逃げまどっていたハワードは、祭壇の下に抜け道があるのを思い
だし、急いでその小さな扉を見つけて部屋を逃げだした。それを見ていたエル
ンストとジュドーは自分達も逃げ出そうと、扉に駆け寄った。だが、何度ノブ
を回しても扉は開かなかった。ハワードが後から追い掛けられないように錠を
降ろしていったからである。
「司祭様、ハワード様、開けて下さい!」
「助けて!」
「お、おいあれを見ろ!」
 二人は部屋の隅に置かれていた石の棺に気がついた。二人がかりでその重い
蓋を開け、急いで中に隠れて蓋をしめた。二人は知らなかったがその棺は透視
できない銅で出来ており、ケルベロスは二人の気配を感じられなかったのであ
る。エルンストとジュドーはガタガタと震えながら神に助けを求めた。
 どれ程の時間がたっただろうか?悲鳴が聞こえなくなっている事にエルンス
トとジュドーは気がついた。が、すぐに蓋を開ける勇気がでず、また、しばら
くその中に隠れていた。
 かなりの時間がたった頃、ジュドーが腕時計を眺め、正午過ぎである事を知
った。
 いつの間にか夜が明けていたのである。
 日が上ったのでケルベロスは去ったのだろうと見当をつけ、ようやく石の蓋
を動かして外に出た。
 そこは死体の山だった。
 顔形も分からぬ程に引きちぎられた同体や顔、手足、内臓が散乱し、異常な
臭気を放っている。二人は発狂したように悲鳴を上げながら逃げ去っていった。
 生贄の台座には悪魔と契約したセーラーが血まみれの姿のままで笑っていた…

       *

 忌むべき黒ミサが行われた場所に岩城と香藤は来ていた。
 ジュドーの別荘で香藤が見つけた地図に黒ミサを行う場所が記されていたので
ある。
 ここも、以前見つけた場所と同じく大きな公園の地下にあった。昔は貴族の所
有していた土地で、地下にワイン貯蔵庫があったようだ。そこで黒ミサで行って
いたらしい。
 警察に言おうかとも考えたが、そこはハワード氏の所有地なので、何かの証拠
がない限り警察は動けないだろうと判断し、岩城と香藤が偵察に来たのである。
 地図を頼りに探して、ようやく二人は蔦に覆われた半分崩れた壁を見つけた。
その下の地面を探ると、地下に通じているだろう扉があった。
「ここから入れるみたいだよ、岩城さん」
「……………」
「岩城さん?」
「え、あ、ああ、行こう…」
 岩城の顔色は少し悪かった。香藤は一瞬止めようか迷うが、岩城は苔だらけに
なった扉を開いて先に入ってしまったので、仕方なく後に続いた。
 暗く、長い廊下を二人は懐中電灯を灯して進んだ。冷たい地下の空気は湿気が
すごく、天井からひっきりなしに水滴が落ちてくる。壁にいく筋もの水が流れて
いた。
「地下水脈があるみたいだね。老朽化しているからいつ崩れてもおかしくないか
も」
「……………」
「岩城さん…大丈夫?」
「…ああ………」
「岩城さん、俺に嘘は止めてよ」
 香藤は歩を止めて岩城に向き合った。
「感じるんでしょ?負のオーラを」
「………………」
 香藤の言う通り、地上の入り口に立った時から、禍々しい気を感じていた。歩
を進めれば進める程、その気は強くなり、岩城を苛んでいたのである。
「セーラの憎悪だね……」
「……おそらく……」
 ルシファーを呼出す程の憎悪だ。生半可なものではないのだろう。
 二人はこれまでの経緯から黒ミサの最中に何かが起きて、セーラがルシファーと
契約したのだろうと見当をつけていた。悪魔の力を授かったセ−ラがペガサスをケ
ルベロスに変えたのだろうと。
「ここからは俺一人で行くよ。岩城さんは地上で待ってて」
「駄目だ、そんな!」
「何があるのか確かめてくるだけだから。確認できたらすぐに戻ってくるよ」
「……しかし……」
「お願い、岩城さん…たまには俺の言う事聞いて……」
 本音を言えば岩城は行きたくなかった。しかし香藤を一人で行かせる等出来る
筈もない。けれど、このまま進めば自分がどんな状態になるのか想像出来ず、不
測の事体が起きた時、香藤の足を引っ張る可能性もあった。
「……分かった…ここで待っているから何かあったら呼べ。気をつけるんだぞ」
 今は日中なので、ケルベロスは現れないだろう、と判断した岩城はしぶしぶだ
が一人待つ事を承知した。
「うん、岩城さんも何かあったら呼んでね」
 香藤は一人で進んでいき、岩城は不安そうにその後ろ姿を見つめていた。
 歩を進めるうちに香藤は鼻につく異臭に気付き顔をしかめた。だんだんとひど
くなるその悪臭に堪えられなくなった香藤は用意していたガスマスクを取り出し
て装着した。これは地図を見てかなり大きくて古い地下室だと分かったので用心
の為に用意していたものである。普段使われていない地下にはガスが発生しいる
可能性があるからだ。
 暗い廊下を歩き続けてようやく大きな部屋にたどりついたが、その中の現状を
見た香藤は息をのんだ。
 部屋の中にはかつて人間の形をしていただろう血肉と骨がとびちっていた。そ
れに群がるネズミと無数のうじ虫。湿気で腐乱したのだろう、悪臭で満ちている。
『岩城さんがこなくて良かった……』
 香藤は心からそう思った。
 少し落ちついた香藤は部屋を見渡した。そして中央にある台座に気がついた。
その台座の回りだけ、ネズミもウジ虫も群がっていない。意図的に避けるかのよ
うに、台座に丸い形でよけている。その上には血まみれになった人が横たわって
いた。
「……セーラ……」
 香藤はゆっくりと近付き、確認しようとした。
 セーラの状態を把握した香藤は思わず嗚咽を漏らした。
『なんて、ひどい事を…どうしてこんな事ができるんだ……』
 香藤の瞳に涙が溢れる。生死を確認しようと歩を進めた途端に銃声が響き、弾
が頬をかすめていった。
『何!』
 また、銃声と共に弾が飛んで来たので、香藤は横に飛んで祭壇の下に隠れた。
「誰だ!」
 マスクをはずした香藤は銃を取り出し、どこから撃ったのか視線をめぐらせた。
「貴様何故ここにいる!何しに来た?目的はなんだ?」
 マイクの声である。おそらくセーラの死体を取りに来たのだろう。
『性根の腐った男め!』
 香藤は胸が悪くなる程の嫌悪を感じた。
 と、その時、遠くから爆発音が聞こえたような気がして香藤は耳をすませた。
『なんだ?』
 すると足下が揺れだしてきた。
『地震か?!いや、違う!』
 低い地鳴りが響いてくるのが分かる。だんだんその地鳴りが大きくなるにつれ、
揺れも激しさを増していく。何か巨大なものが近付いてきているのだ。
『一体なんだ?!』
 香藤がそう思った途端、部屋に通じている一つの通路から大量の水が飛び出
しててきた。
「うわ!」
 マイクが水に驚いて柱の影から飛び出して、部屋を逃げ出して行った。
『地下水脈が決壊したのか!』
 水はみるみるうちに部屋を埋めつくし、他の通路にも破竹のいきおいで流れ
ていった。死体もセーラも黒ミサの儀式の痕跡もすべて濁流に飲まれていく。
 すぐにこの地下室は水没するだろう、早く避難しなければ!
『岩城さん!』
 祭壇の上に避難しながら香藤は携帯電話を取り出し、岩城にコールした。
 先程微かに聞こえた爆発音から自然に壁が崩れたのではなく、誰かが意図的
に破壊したのだと香藤は確信していた。
『一体誰だ?この場所を知っているのは俺と岩城さんと秘密結社のメンバーだ
けだ』
 あのマイクが自分の命を危うくするような真似をする筈がない。となれば残
る一人は…
「…ハワードだな……」
 すべての証拠を消す目的でここを破壊したのだ。おそらく、マイクがここに
来るのを知っていたに違い無い。もしかしたら尾行していたのかも。彼もろと
もすべての証人と証拠を消し去るつもりだ。
『そうはさせるか!』
 香藤は怒りを燃やしていたが、岩城が電話にでないので、次第に不安になっ
てきた。
『岩城さん!どうしてでないんだ?まさか何かあったんじゃ?』
 水は香藤の足下に迫ろうとしている。上を見上げると上段の壁にガラスのない
窓があるのに気付く。他の通路に通じているかもしれないと、香藤は柱を上り始
めた。

 岩城は足下が揺れ、地鳴りが響いてくるのを感じていた。
『これはなんだ?何があったんだ?』
 携帯を取り出し、香藤に連絡をとろうとした途端、目の前に大量の水が押し
寄せてきた。
「あ!」
 水をかぶった拍子に手がすべって携帯電話を落し、あっという間に水に流さ
れてしまった。岩城自身も水の圧力に足をとられ、流されそうになるが、なん
とか壁にしがみついてふんばった。しかし、水はだんだんと水かさを増し、岩
城の腰の下にまでなろうとしていた。このままではいつか流されてしまう。
『一体何が起こったんだ?香藤は無事なのか?』
 岩城が香藤の安否を心配した時、香藤の声が聞こえた。
「岩城さん!」
「香藤?!」
 水の音でどこから聞こえるのか分からなかったが、周りを見渡して、通路の壁
から顔をだしている香藤を見つける。小さな通路があるようだ。
「岩城さんこっち!」
 そう言うと香藤はすぐに顔を引っ込めた。岩城は何か違和感を感じながらも、
香藤のいた通路に向かって進んだ。押し流されないよう慎重に歩いてやっと辿り
つく。頭ひとつ分ぐらい上にあるそこを覗くと香藤はいなかったが狭い通路が奥
へと続いていた。まだ、浸水されていないところで、岩城は急いでその通路に上
り、人ひとりが入れる狭い通路を這いながら前へ進んでいった。
 しばらく進むと少し大きな空間に出たので、香藤もそこにいるのだろうと岩城
は通路から飛び下り、ほっと息をついた。
 が、そこにたちこめる異様な冷気に一瞬で言葉を失った。
 全身が震えてくる。自分の後ろに、禍々しい存在が立っているのを感じる。
 この狭い空間に、自分の背後に…!
 岩城は身体が硬直して身動き一つ出来なかった。
「こちらを向け」
 香藤とまったく同じ声が語りかけてくる。振り向きたくないのに、勝手に身体が
従ってしまう。
 振り向くと、そこに香藤がいた。
 いや、これは香藤ではない。
 香藤とまったく同じ顔と声を持っているのに、どうしてこれ程違うのだろう。
 彼の持っている太陽のごとき暖かさは微塵もなく、そこには冷気と今だかつて感
じた事のない負のオーラを全身にまとった存在がいた。
 なぜさっき気付かなかったのだろう。
 こんな危険な状態で香藤が岩城を見つけたなら、手を差し出さずに去る筈がない
のだ!
「お目にかかるのは初めてだな」
 声さえも凍り付きそうな程冷たい。
「分かっているだろうが、私がルシファーだ」
 岩城は香藤と同じその姿に、恐怖しか感じなかった。

   

グリゴリ
「神の子、見張る者」という意味をもつ二百からなる天使の一団。地上に
降りた際、神への背徳行為と承知でアダムの娘達を妻に娶った。そして
人間達に禁じられた知識を与え、その結果、地上には悪行がはびこるよ
うになったという。
さらに、グリゴリと人間達の間に産まれた子は背丈1350mにもなる巨人
で、地上のすべての作物、鳥や獣、人間を食いつくし、最後に巨人同士で
共食いを始めてしまった。
その事を知った神は大洪水を起こして地上のすべての生き物を滅ぼす事に
決めた。
事態の収拾に、四大天使ミカエルとラファエロはグリゴリの指導者と仲間
達を洞窟に閉じ込め、ガブリエルは堕落した者達に内乱を起こさせて滅ぼ
し、ウリエルはノアの元に訪れ洪水の事を知らせる。
これが、かの有名な「ノアの方舟」へとつながるのである。
(ユダヤの伝承では正反対で、グリゴリが地上に現れる前から地上には悪
行がはびこっており、グリゴリの天使達が事態の収拾に降り立った。しか
し、娘達の誘惑に負けて婚姻を結び、禁じられた知識を教えてしまったと
いう)

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