岩城さんの恩返し

 岩城が香藤のマンションに来てから、かれこれ三ヶ月になろうとしている。
『いい加減はっきりさせなきゃいけないよな……』
 リビングでコーヒーを飲みながら香藤は思った。
 三ヶ月前の冬の日、突然岩城が香藤の無くした帽子をもって現れたのである。
「こんにちは、岩城京介といいます。この帽子は香藤さんのですよね?」
 11月頃、香藤は休暇を利用して友人の別荘にスキーに出掛けたのだが、その時無くした毛糸の帽子であった。
「ありがとう……」
 いきなり見ず知らずの男性に、いきなり雪山でなくした帽子を渡されたのだから、初めはかなりとまどった。もしかして、マスコミ関係者か変な業者のまわし者じゃないだろうな、と疑ったりもした。こう見えても香藤は売れっ子の俳優なのである。
 しかし、岩城は悪びれる風もなく、美しく微笑んでいるだけであった。その笑顔は変な下心も邪心もまったく感じさせないものだ。それでなくても、岩城はかなりの美貌の持ち主であった。艶のある黒髪に黒真珠のような瞳。肌は白くて透明感があって、ずっと見あきるという事がない。
 普段見ている着飾った人工的な女性とは正反対の、内面からにじみ出る美しさである。
『こんな綺麗な人が悪徳業者の訳ないな』
 そう思った香藤は
「あがっていく?」
 思わずそんな言葉を口にしていた。
 その日は、岩城と話したり、いっしょにいるのがとても楽しかった。岩城は外見と同じくらい綺麗な心をしていて、純真で、香藤は惹かれずにはいられなかった。このまま帰したくないと思った香藤は「一晩ぐらい泊まっていけば?」と申し出て、岩城は泊まっていった。
 次の朝、香藤は朝から仕事で先に家を出ていかねばならなかった。合鍵は管理人さんに預けてくれよう頼んで岩城に渡した。長いつきあいの友人にでさえ、鍵を渡した事などなかったのに、なぜか香藤は岩城にだけは、なんにためらいもなく渡せたのである。
 が、その日の深夜、マンションに香藤は重い足取りで帰ってきた。
『岩城さん帰っちゃったんだろうな〜』
 そう考えると、つい気持ちが暗くなってしまうのである。
 なぜだろう、昨日あったばかりの人だというのに、香藤は会いたくてたまらなかった。目をつぶれば岩城の美しい姿が、端正な横顔が、まろやかな声が蘇ってくる。
『また、会いたいな〜。ちゃんと住所とか電話番号とか聞いておけば良かった!』
 香藤は何度も岩城の住所や携帯番号など言葉巧みに聞き出そうとしたのだ。が、岩城の応えは妙にあいまいで携帯も電話も「持っていない」と言うばかりなのである。あまりしつこく聞いても不快に感じるだろうと、香藤もそれ以上追求できなかったのだが、今になって激しく後悔した。
『変な奴だって思われてもいいから聞いておけば良かった〜!』
 そんな風に思われたら嘘の電話番号を教えられそうだが、香藤にそれを気付く余裕はなかった。
『帽子を拾ってくれたんだから、あの辺りに住んでいるのかな?だったらその地区の住所を調べれば分かるかも!?そうだ、そうしよう!早速あいつに電話しなきゃ!』
 自分と同じように遊びに来ていたという可能性は考えないのだろうか?今の香藤にそれを気付く余裕は(以下同文)
 幾分気持ちを向上させながら香藤が家の扉を開けると
「おかえり」
 信じられない事に岩城が優しく出迎えてくれたのである。
「い、岩城さん〜ど、どうして〜」
 香藤は呆気にとられた表情で岩城を見つめた。
「今夜、遅くなるって言ってたろ?簡単なものだけど夕食作ったんだが、食べてくれるか?」
「…う、うん…で、でも岩城さん…どうして……」
「あ、すまない勝手な事をして…迷惑だったか……」
 岩城が寂しそうに俯く。
「ううん!全然迷惑なんかじゃないよ!すっごく嬉しいよ!ありがとう!」
「本当か?」
「うん!俺、岩城さんがここにいてくれてすごく嬉しかった、ありがとう」
「そうか、良かった」
 岩城は美しい微笑みを香藤に見せてくれた。

 そして、それから三ヶ月が過ぎたのである。何年も前からそうしていたかのように、当たり前に、自然に岩城は香藤の側にいた。岩城は香藤の為に毎日料理を作り、洗濯や掃除をしたりと、とてもこまめに世話を焼いてくれる。
 岩城の膝で耳掃除をしてもらう時などは、香藤にとっては至福の時であった。
 このまま時がとまってしまえばいいのに……、といつも思う。
 香藤は自分が岩城を好きなのだと気付いていた。
 これからも、ずっとずっといっしょにいたい……
 その為には、はっきりさせなければいけない事がある。
 先日、岩城は香藤にセーターを編んでくれた。真っ白でとても肌触りのいい、とても軽くて暖かいセーターだった。香藤は嬉しくて嬉しくて天にも上る気持ちだったのだが、本当に上がってしまったのである。
 それは、スタジオの廊下を歩いている時だった。仕事が終わり、これから岩城の所に帰れると思うと嬉しくて、香藤はスキップをしていた。
『もうすぐ岩城さんに会えると思うと嬉しくてたまんないな〜気持ちがふわふわしちゃうよ〜それこそ地に足がついてないって感じだな〜』
 と、香藤が思った時、本当に自分の足が床から離れているのに気がついた。
「え〜〜〜!!」
 幸い廊下には誰もいなかったが、再び香藤の足が地面に降り立つまで相当な苦労をさせられた。
 二度目は楽屋でもしやと思い飛んでみた時だった。やはり香藤の身体は宙に浮かんだ。そして着ていたセータを脱ぐと、身体は床に落ちた。
『この岩城さんの編んでくれたセーターのせいか!?』
 しかし、なぜ?
 そう考えた時、香藤はある事を思い出したのである。
『まさか、岩城さんが!?』
 自分の考えが正しいかどうか確かめなくてはならない。香藤はそう思った。いつ、岩城がいなくなってしまうのか分からず怯えるのは嫌だ。確かめた上で自分の気持ちを伝えよう、そして岩城さんにずっといっしょにいてもらうんだ!と、香藤は決意したのである。
「岩城さん、ちょっといい?」
「なんだ?」
「…うん、聞きたい事があるんだ、ここに来て俺の前に座ってくれる?」
「?分った」
 岩城は不思議そうに首をかしげつつ、香藤の前のソファーに座った。
 香藤は気持ちを落ち着かせようと深呼吸をした。
「岩城さん…この前俺にくれたセーターだけど、あれ、毛糸で編んだんじゃないよね。何で編んであるの?」
「え………」
 岩城はギクリとした表情を浮かべる。
「岩城さん、正直に答えて……」
「…どうしても…か……?」
「うん、どうしても、知りたいんだ……」
 香藤の真剣な瞳が岩城を見つめる。岩城は観念して小さな声で呟いた。
「……あれは……鶴の羽で編んだんだ……」
 なる程、それであれだけ軽くて、身体が宙に浮いてしまったのだ。
「……という事は……」
「……俺は……鶴なんだ……」
 やっぱり。と香藤は思った。
 あのスキーに行った雪山で、香藤は一羽の鶴を助けたのである。
 罠にかかっていた足を罠からはずし放してやったのだ。
「…じゃあ…ここに現われたのは……」
「ああ…あの時、助けてくれた恩を返そうと思ったんだ……俺の祖母のまた祖母は機織りをして恩返したらしいんだが、俺は機なんて織れないし……」
「今じゃ機なんて見かけないもんね」
「じゃあ、せめてセーターでも編もうと思いついて必死に練習したんだが、お前のサイズが分からなくてな」
「それで家に?」
「ああ、どうせ編むのに時間がかかるだろうし、その間、身の回りの世話でもさせてもらおうと考えたんだ……」
「そうだったんだ」
 はあ〜と香藤は緊張が溶けて息を吐いた。
「岩城さん、俺……」
「セーターが編めたら、故郷に帰ろうと思っていたんだ……」
「え………」
「でも、お前といると楽しくて……つい長居をしてしまった……しかし、正体がばれてしまったからにはこれ以上ここにはいられない!」
「ちょ、ちょっと待ってよ岩城さん!」
 香藤は慌てた。
「さようなら、香藤!」
 言うや否や岩城は白く美しい鶴となり、窓から空に飛び立とうとした。香藤は慌ててソファの後ろに隠してあったあるものを岩城に向った投げつけた。岩城は自分の頭上にいきなり蜘蛛の糸が広がったと思ったと同時に、その糸に身体をからめられ、床に落ちてしまう。
 香藤が岩城に向って投げたものは、こういう事態を予測して特別に造らせた網であった。翼を傷つけないよう絹の糸で紡いであり、綿で覆われている(本当にこんな網が造れるかは不明ですが、ここはそういう事にして頂きたい)
「岩城さん、大丈夫?ごめんね」
 香藤は網をはずしながら鶴になった岩城の身体をしっかりと掴まえた。
「香藤……」
 岩城は驚いたらしく、少し、キョトンとした顔をしている(鶴ですが…)
「ねえ、なんで正体がばれたらここにいられないの?」
「よく分からないが、祖母のまた祖母は正体がばれたら去っていったって……」
「じゃあ、岩城さんはいっちゃうことないじゃん」
「え……?」
 岩城は長い首を可愛くかしげてみせた。
「岩城さん、俺といるのが楽しくて、ここにいたって言ったよね?」
「ああ………」
「じゃあ、ずっとここにいればいいよ」
「香藤……」
「俺も岩城さんといっしょにいると楽しかった。ずっといっしょにいたいって思ったんだ」
「でも……」
「俺、岩城さんが好きなんだ」
「え………」
「岩城さんを愛してる……だから、ずっといっしょにいて欲しい……駄目?」
「でも、俺は鶴だぞ……」
「そんなの関係ないよ!今の姿の岩城さんも、人の姿の岩城さんも岩城さんだから好きなんだ!」
「…香藤……」
 岩城は胸がしめつけられるような感覚を感じていた。しかし、それは苦しいのではなくて、むしろ心地よくて、心が沸きあがるものだった。
「もし、岩城さんが嫌じゃなかったら、いっしょにいて欲しいんだ…駄目……?」
 香藤はもう一度岩城に尋ねた。
「いいや……」
「じゃあ、ずっといっしょにいてくれる?」
「ああ」
 岩城は長い首でちょこんと頷いてみせる。
「やった〜!ありがとう岩城さん!」
 香藤は岩城を(鶴ですが…)思いきり抱き締め、岩城もそんな香藤の背中に手を(翼を)回した。

 そしてふたりはいつまでも幸せに暮しましたとさ。