大江戸文帳録5

清涼寺の裏にある墓は、龍安寺と同じく見事な竹林の中にあった。細い小道を辿って行く
と、反対側から桶を持った岩城が歩いてくるのが目に入る。藍鼠色の単を着た岩城は変わ
らず美しかった。
香藤は嬉しくて胸が締め付けられるようだった。
前に立つ香藤に岩城も気付き、驚いた表情を浮かべて足を止める。
あの、桜の舞う中、香藤が告白した時と同じように二人は無言で向かい合っていた。
風が間を吹きぬけてゆく。
「岩城さん……」
「…香藤……な、何しに来たんだ………」
岩城はそっぽを向き、足早に歩き出した。
「何って、会いにきたんだよ、あんたに!」
「…………」
香藤の横を無言で通り過ぎる岩城の後を追って、香藤も歩き出す。
「岩城さん、何か俺に言う事ないの?」
「……な、何かって……」
「俺はあんたが好きだ」
「…………」
岩城の足が止まり、香藤も立ち止まった。
「…お、俺は、お前の気持ちには答えられない………」
そうだ、俺はそんな事をしている場合ではないのだ………
「…………」
岩城の背中が震えていた。
「なぜ?嫌いなの?男だから?」
「………そうだ………」
泣いているような声だった。
「嘘だ」
香藤は岩城の肩を掴んで自分の方を振り向かせた。
「本当なら、俺の目を見て言ってみて」
「…………」
香藤が自分を見つめてくる。真直ぐに………
自分だってどれ程香藤に会いたかったか…彼の姿を見た時、どれだけの喜びが沸き上がっ
たか……
でも………
「岩城京之介だな」
竹林の中から一人の浪人らしき男が姿を現わした。殺気が漂っている。
「誰だ、お前は」
岩城が答えると同時に7、8人の浪人が二人を取り囲むように出てきた。
あきらかに殺すつもりである。
岩城と香藤は、お互い背中合わせの格好になって身構えた。
浪人達が一斉に切り掛かってくる。二人も太刀を抜き、打ち合うしかなかった。
多勢に無勢だったが力量が違った。二人は浪人達の剣をかわしながら、峰打ちで応戦し
た。
形勢が逆転する中、大粒の雨が降り出す。
「くそ!引き上げだ!」
力の差を悟った浪人達は早々に逃げ出した。
太刀を鞘に納めて息をつく。
「岩城さん……こっち」
香藤が手を掴んで雨の中を走りだす。あの日のように………
掴まれた手が燃えるようだ、と岩城は思った。
しばらく走ると小さなお堂が見えたので、二人はその中に避難した。
中は何もないがらんとした板間だった。床に引きずった後がある。
おそらく仏像か何か安置してあったが、中身だけ別のところに移動したのだろう。
岩城はじっと降り続く雨を見ており、香藤はそんな岩城の横顔を見つめていた。
何も話さず、どれ程の時間がたっただろう、香藤は重い口を開いた。
「……岩城さん、さっきの連中、何?」
「…………」
「なぜ、命を狙われるの?」
先程の連中は谷山と堀土佐守に雇われた連中だろう。
やはり、自分の事がばれてしまったのだ……
「船に乗っていた男と関係あるの?」
「…………」
岩城は黙っていた。答えられる筈がないではないか……。
「……命を狙ってきたさっきの男達は殺さなかったのに、なぜ善三郎は殺したの?」
「!」
岩城は驚いた瞳を香藤に向けた。
「……どうして………」
「あの日、善三郎が死んだところを偶然河原の下で見てたんだ」
「…………」
岩城は言葉が出なかった。
知っていた……香藤は……
知っていて自分を好きだと言ったのか………
「なぜ殺したの」
「…………」
「話してくれないなら、役人に言うけど」
「!」
咄嗟に岩城は抜いた太刀を香藤に向けた。
「俺を殺すの?」
「…………」
香藤が岩城に近付くと、岩城は後ろに下がった。
太刀を持つ手が震えている。
泣き出しそうな表情を、香藤はたまらなく愛しく感じた。
香藤が前に出る度に、岩城は後ろに下がっていく。そして、壁に付いてしまった。
彼はいつだって真直ぐに自分を見てくれていた、と岩城は気付いた。
初めて会った時から………手合わせの時も………どんな些細な言葉を話す時も………
本当の自分に語りかけてきてくれていたのだ………
そして今も………
香藤はそっと刀を構える岩城の手を取り、彼の懐にはいって優しく口付けた。岩城の手か
ら太刀が落ちる。
そのまま手を香藤の背中に回すと、二人は激しい口付けをかわした。
壁を伝うように身を落とし、二人は身体を床に投げ出す。
髪をなで、強く抱き寄せると岩城の身体から雨の匂いがした。
遠くで雷鳴が鳴り響いていた。

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「失敗しただと!」 堀土佐守が谷山に怒鳴った。 「はい、浪人達が言いますには、えらく腕がたつ奴だそうで、しかもいっしょにいた男 も、相当の腕前だったそうです」 谷山はビクビクしながら報告する。 「ふん、言い訳等聞きたくないわ!さて、どうするかな。正攻法では始末できないならば 策を練るしかあるまい」 「ど、どうするおつもりですか?」 「おびき寄せよう。確か、どこかの道場で子供に武道を教えているとか言っていたな。そ の中の子供を一人さらって来い。親しいやつの方がいいが、死んでも大事にならないやつ を選べ」