大江戸文帳録7

十日後、この度の事件においての裁きが開かれた。
皆は白州に集られ、鎮座させられていた。
岩城は真ん中の蓑敷に正座しており、香藤は白州の一番後ろで座っていた。
浪人達は全員縄をかけられていたが、二人とも縄はつけていない。
香藤は事件に巻き込まれただけとされ、すぐ縄を解かれたが、出ていかなかった。自らの
意志でこの白州に来たのである。
岩城の身が心配でたまらなかった。
一方、岩城はまるで悟りを開いたかのような、とても落ち着いた表情を浮かべていた。
すべて受け入れる気でいるのだ。
そんな岩城を見て香藤は怖かった。
今にも目の前からかき消えてしまいそうで………
やがて、北町奉行が表れ、裁きが始まった。
「さて、今回の堀土佐守邸での事件だが、堀土佐守勘定奉行の話によれば、殺された谷山
新太郎を殺害しようとした岩城京之介が堀土佐守邸に忍び込み、これを殺害。発見した堀
土佐守の部下と死闘となったとある。しかも約八ヶ月前の廻船問屋の善三郎も、岩城京之
介が殺害したとある。ところが、一方の岩城京之介による話はまるで違う。六年前、阿片
密売という罪をきせられた兄の仇の善三郎は殺害したが、谷山新太郎は堀土佐守によって
殺されたとある。堀土佐守邸に行ったのも人質をとられて、という事だが相違ないか?」
「はい」
「そこを待ち受けていた浪人達に斬り付けられて、後ろに控えている香藤洋二郎と矢平な
る人物が助太刀したが矢平は殺された、のだな?」
「………はい……」
岩城は微動だにせずに答えたが、肩が少し震えていた。
「誘拐された源太という少年にも話は聞いた。岩城京之介の話と辻褄は合う。しかし、誰
にさらわれ、どこに閉じ込められていたかははっきりと分からないそうだ」
「……………」
そう、真相はすべて自分達の供述しかなく、明確な証拠は何一つない。
阿片窟は善三郎が死んでから、閉じられていたし、そこで働いていた者は堀土佐守を知ら
ないだろう。
唯一の証人足り得た谷山新太郎は殺されてしまった。
誰も堀土佐守の所行を証言できない。岩城は膝に乗せていた拳を固く握りしめた。
「…さて、数年前から江戸を騒がしている阿片だが、私もなんとかしたいと常々思ってい
た。そこで独自に調査を始めたのだ。六年前の事件のこともな」
奉行の言葉を岩城は意外に思った。
当時、あれ程訴えても聞き入れなかった奉行所が………
「……………」
「あの事件にはかなり不信な点が多かった。調べも裁きも尋常でない早さで行われたよう
であり、証拠も証人の証言しかない。しかし、当事者は自害したとの事だったから、それ
で片付けられたようであった。そなたにはたまらなかっただろうな岩城京之介」
岩城は驚きの目で奉行を見た。それに気付いたのか
「私は二年前にこの北町奉行という役職についたのだ。当時、奉行をしていた宮前奉行は
引退なさった」
「……………」
「この六年前の事件を不信に思った私は密偵をはなつ事にした。その者が今回の事件の一
部始終を見ておるので、そやつが証人になってくれる。証人をこれへ」
奉行に呼ばれて白州に現れた男を見て、香藤はあっと声をだしそうになった。その男とは
谷山の用心棒で堀土佐守を気絶させた人物だったからである。
「さて、その方、あの晩どこに居た?」
「はっ、谷山新太郎の用心棒として身辺警護をしておりましたので、堀土佐守江戸屋敷に
おりました」
「では、何があったか話してみよ」
「はい、まず屋敷についてから一つの部屋に通され、谷山新太郎が呼ぶまで待て、と言わ
れました。そこで待っているとなにやら中庭の方が騒がしくなってまいりましたので、何
か事件かと思いかけつけました。
そこでは堀土佐守が岩城京之介に話しておりました」
「ほう、何を話していたのだ」
「阿片の裏帳簿が見つかった為に岩城京之介の兄を殺した事です。そして谷山新太郎を殺
し、その罪をきてもらうとも言っておりました」
「なる程、そして乱闘になったのだな?」
「はい」
「御苦労だった。さがって良い」
「はっ」
「さて、今の証言により岩城京之介の言い分が正しいと分かった。即刻、老中に訴える
由、堀土佐守には厳しいお沙汰があるであろう。そして、そこの浪人共は全員島送りとい
たす。ひったてえ!」
浪人達は一斉に連れていかれ、白州は静寂に包まれた。
岩城はその中で心静かだった。やっと兄の汚名をはらす事が出来たのだから………
香藤も一応にはほっとしていたが、まだ岩城の裁きが終わっていない為、不安はぬぐいき
れないでいた。
「さて、岩城京之介」
岩城は奉行を真直ぐに見た。
「そなたの話では廻船問屋の善三郎は自分が殺したとあるが相違ないか?」
「ございません」
「死んだ矢平が殺したのではないのか?」
ここで矢平が殺したと言えば、岩城は無罪放免となるだろう、奉行もそれを薦めているの
だ。しかし………
「廻船問屋の善三郎は私が殺しました。間違いありません」
胸の痛みに堪えられず、香藤は思わず目を瞑った。
「………実は十日前の夕刻、北町の役所に文が投げ込まれたのだ」
「?」
「それは、矢平なる人物からの文で、娘を阿片によって殺された為復讐をする、という内
容が書かれてあった。そして岩城京之介なる者を利用して、廻船問屋の善三郎を殺させ
た、とな」
「な!」
「という事はあくまで主犯は矢平、そなたは利用された只の手下という事になる」
「お待ち下さいお奉行様!矢平は私の手の者です。それに廻船問屋の善三郎を殺めたのは
私の意志です。矢平に利用されたのではありません!」
「……この事件の根本である六年前の事件は、奉行所が真実を見抜けなかったという負い
目がある。よって岩城京之介は十分に重々酌量の余地があるとみなす」
「お奉行!主犯は私です!どうか正当なお裁きを!」
「………岩城京之介、そなたは美しい………」
「え………」
「その容姿も精神もな。矢平にとってそなたは守りがいのある主人だったのだ」
「お奉行………」
「矢平は最後になんと言った?彼のここまでの心づくしを無駄にするのか?もしも自分の
中のなにかを捨て去って誰も悲しむ事がないのなら、そなたは誰の為に何を惜しむのだ」
「………………」
矢平の最後の言葉を岩城は思い出していた。彼の死にゆく顔とともにその心と………
そんなにも自分の事を考えていてくれたのだと…………
「岩城京之介には三年間の江戸所払いを申し付ける。香藤洋二郎なる者は、事件に巻き込
まれたものとして罪には問わず。これにて今回の事件の裁きを終える」

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「そうか…今日発つのか………」 「はい、中沢殿にはお世話になりました」 お縄を解かれた岩城は一度寺に戻り、身支度を整えて別れの挨拶に来ていた。 さすがに子供達には会うのを控えた為、稽古が終わってからの時刻である。 今日、江戸を離れる予定なのだ。 あれから堀土佐守はお役を解かれ、切腹して自害していた。させられた、の方が正しいだ ろうが……… 道場に現れた岩城の表情は、今までにないどこか晴れ晴れとした趣きがあった。 「源太なら元気だ。まあ、そなたに会えなくなると知った時は泣いていたがな………他の 子供達もな………」 「中沢殿………」 「岩城さん!」 道場の影に隠れていた他の門弟達が飛び出してくる。 「また江戸に戻って来て下さいよ。いっしょに稽古に励みましょう!」 「そうですよ。俺達、まだ一度も岩城さんに手合わせしてもらってないんですから」 「今度は絶対、勝負してください」 「その時まで腕を磨いておきますよ!」 「みんな………」 自分が人を殺めた罪人だと知っても、変わり無く接してくれる。 こんな事、想像もできなかった。 「それにしても。香藤はどうしたんだ?」 「来て無いのか?岩城さんに長い間会えなくなるって言うのに」 「本当に。ずるいよな。一人で助太刀しちゃってさ」 香藤が見送りにいない……… その事を淋しく思っている自分がいると同時に、ある期待に胸をはずませている自分もい た。 そうだったらどんなにいいだろうか……… 「……じゃあ……」 「あ、岩城さん。本当に戻って来て下さいね」 「三年なんてあっという間ですから」 「きっとですよ!」 「……ああ…きっとな……」 そう言って岩城は華が咲いたような笑顔を見せた。 門弟達はその笑顔にしばし見とれていた。 「では中沢殿。お達しゃで」 「うむ………」 別れを告げた岩城は網笠をかぶり道場を後にすると、日光道中を歩き始めた。 千住大橋まで来た時、橋のたもとで立っている香藤が目に入る。 こんな風に、香藤が待っていてくれるのではないか、そうであったらどんなにいいだろう か、と思っていた。 心の中でそれを願っている自分がいた。 そして、香藤は居てくれた………自分と共に行く為に……… 「遅いじゃない。大分待たされたよ」 「…………」 知らずに口元に笑みが浮かぶ。 そんな岩城を見て、香藤はどきっとしてしまった。 「なぜ、ここを通ると分かったんだ?」 「矢平って日光の方の出なんでしょう?故郷に遺骨埋めてあげるんだと思ってさ」 「……お前にしては勘がいいな」 「お前にしてはって何」 二人は顔を見合わせて微笑んだ。そしていっしょに歩き始めた。 岩城は不思議だ、と思った。 復讐を誓った時から、この命はないものと思い、生きてきた。それが今、こうして眩しい 空の下歩いているなんて……… 空を見上げて岩城は矢平の事を思った。 彼のくれたこの命を、決して無駄に生きるまい。一時、一時を大切に恥じる事なく生きて 行こうと思う。 「日光で遺骨埋めた後はどこに行くつもり?」 「別に決めてないが………」 岩城は真直ぐに香藤を見つめる。 「お前といっしょならどこでもいい」 あまりにはっきり言われて、香藤は顔を赤くした。 「そ、そうだね〜俺も岩城さんさえいれば極楽だし」 少し照れながらも香藤は嬉しくて仕方なかった。 でも、影のなくなった岩城さんが、こんなに可愛いいなんて知らなかった。これから他の 男が言い寄ってこないように気をつけねば。 と、心に誓う香藤だった。 「そ〜だ!あの北町奉行!腹たつよね!」 「?何がだ?」 北町奉行には感謝こそすれ、腹のたつことなどないと思うのだが、と岩城は思った。 「岩城さんの事、美しい、だなんて!あれはくどこうとしてたね!絶対」 岩城の身体から力が一気に抜ける。 「何いってる。そんな事思うのお前だけだ」 「もう、岩城さんって自分がどんなに綺麗か自覚なさすぎ!気を付けなきゃ駄目だよ!」 「何にだ!」 「絶対俺だけだからね!」 「な、何大声で言ってるんだ!」 そんな風に話しながら、二人は共に道を歩いていた。どこまでも、ずっといっしょに。