Regret Memory 2

 次の日、岩城は自分の部屋のベッドで、朝の光に目を覚ました。
『あ……俺は……』
身体がだるい。
霞みがかった頭で起きようとした時、下腹部に鈍い痛みを感じる。
「………う……」
痛みに身体が再びベッドに沈む。
その痛みで昨夜何があったのか思い出した。
『……香藤が……俺を……』
記憶が蘇った岩城は恐怖を感じた。思わず自分の肩を抱きかかえてしまう。
『……香藤……!どうして………!』
なぜ優しかった香藤が突然豹変したのか分からない。なぜ自分にあんな事をしたのだろうか。
あんな乱暴をするなんて………
頭が、気持ちが混乱する。
「……あ………」
その時、居間で気絶したのを思い出す。今、岩城は上だけだが寝間着を着ているし、自分の部屋のベッドにいる。
『運んでくれたのか……香藤が……?』
ゆっくりと起きあがり、身体がさらりとしている事にも気付いた。どうやら香藤がタオルか何かで拭って清めてくれたらしい。
途端に岩城は恥ずかしくなり膝を閉じてシーツで隠した。
頬が熱くなる。
岩城はそのままシーツにくるまりながら浴室へ向かった。熱いシャワーを頭からかぶり、シーツを落とす。
ようやく、頭がはっきりしてきて、岩城は昨夜の出来事を冷静に考えようとした。
香藤は自分を愛している、と言った。
でも、何故、あんな乱暴をいきなりしたのだろうか?
何かあったのか?俺が何かしたのか?彼をあんな風にかりたてる何かを……
確か宮坂君がどうとか言っていたが……
そう考えていた岩城の瞳に、鏡に映った自分の身体が映った。
香藤のつけた赤い印が刻まれた身体を………
「あ………」
香藤の手の感触が蘇って、岩城は目をそらした。
昨夜の香藤の強引な、しかしどこか優し気な手の感触………
触れてくる濡れた舌や唇………
耳元で囁かれる彼の甘い言葉………
「やめてくれ……香藤………」
岩城は両手で耳を塞ぐ。
それは甘いものを感じさせるようで、岩城は怖くなった。
自分がその甘美なものに溺れてしまいそうな予感がしたからである。

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 仕事場で香藤は深い後悔と自己嫌悪に襲われていた。
岩城さんにあんな事をするなんて!俺はどうかしている!
しかし、香藤は自分の胸にあった岩城への熱い想いに、ようやく気付いたのであった。
『こんなにも、俺は岩城さんを愛していたんだ………』
誰にも渡したくない!自分だけのものにしたい!と………
宮坂の胸に抱き締められた岩城を見た時、激しい嫉妬に自分でも驚いた。
これ程一人の人に執着するなどと、今までの香藤からは考えられなかった。
『きっと、俺は昔から岩城さんが好きだったんだ………』
岩城があの事故に合わなければもっと早くに気付いていただろう。
7年間という歳月の中でずっと胸の奥深くに眠っていた想いが一度に溢れた。
だからあんなにも激しく、押さえる事が出来なかったのである。
しかし、あんな事をしてしまって、もうとりかえしがつかない………!
そう考えると香藤の胸は張り裂けんばかりに痛むのだった。
「よう、香藤、おはよう」
声をかけられ顔をあげると、宮坂だった。途端に香藤の表情が険しくなる。
「なんだよ、その顔は?どうした?俺なんかしたか?」
そうだよ、っと言ってやりたいところだが、実際彼にはなんの責任もない。
それでも、不機嫌顔になるのは仕方なかった。
「なんだよ〜返事もなしか?」
「……おはよう……」
「愛想ね〜な〜どうした?元気ないじゃねーか」
「…………」
「ちぇ。じゃあな、俺も他のスタジオで撮りがあるから」
「宮坂……」
「なんだ?」
「……昨日、俺の実家の部屋で岩城さんと何か話したのか?」
「いや、話ってんじゃないけどな………」
「何かあったのか?」
「う〜ん、部屋入ったらさ……あの人泣いてて………」
「え………」
「なんかアルバムかなんか見てたみたいだったな〜昔の事思い出したんじゃねーの?」
「……そうだったのか………」
香藤は岩城を想って苦しくなった。
「……あの人綺麗だな……」
「はあ………」
「いや〜なんかすごい雰囲気ある人だよな、こう普通の人になない色気があるっていうか……いいよな……役者目指してたんだろ?惜しいな〜事故なんてなきゃきっと売れっ子になってたぜー」
「…………」
宮坂の言葉に香藤はまた嫉妬心が沸き上がるのを感じた。
「宮坂さん、ちょっといらして下さい」
女性スタッフが慌てた様子で宮坂に手招きしている。
「はい、今行きます。じゃな、香藤」
「ああ………」
宮坂は呼んだスタッフに近付いた。
「どうしたんすか?慌てて?」
女性スタッフはどう見ても落ち着きをなくしていた。
「それが…ちょっと困った事に………」
「ん?」

********************

 その夜、いつものように香藤は岩城に会いに岩城家に訪れた。
簡単に許してくれるとは思わないが、どうしても岩城に会って謝らなければ、と思ったのである。
そして、自分の気持ちが本物である事を分って欲しかった。
殴られたり、蹴られたりするのは覚悟している。侮辱されても当然だと思っていた。
でも、どうしても岩城に会いたかったのだ。
しかし
「京介さんは熱をだして寝込んでいます」
玄関先で香藤は冬美にこう言われた。
冬美達が病院から帰って来た時、岩城はベッドの中にいて、高熱をだしていたそうである。
『俺のせいか………』
香藤はがっくりと頭を垂れて、「ではまた来ます」とだけ告げて去っていった。

二日程、岩城は熱をだして寝込んでいたが、三日後には熱もさがり、体力も回復した。しかしそれは表面的なものでしかなかったのだが………
その日、思いもよらない人から電話が入った。
『もしもし、岩城さん?俺です、宮坂です、覚えていますか?』
「ああ、宮坂君、覚えているよ。どうしたの?いきなり電話なんて?よく番号知っていたね」
『ええ、香藤の実家の隣でしょ?その地区の連絡先名簿見せてもらったんです』
香藤の名前を聞いて、岩城の胸がどきりと跳ねる。
冬美から香藤が毎日会いに来ていたと聞いたところだった。
「そ、そう…で、俺に何か………?」
『それなんですけど…岩城さん役者だったんですよね?』
「役者にはなっていないよ。目指してたけど……」
『ちょっと、ドラマに出てみる気ありませんか?』
「え…………」
宮坂の言葉の意味がよく分からない岩城であった。
話によると、宮坂の主演するドラマのある重要な役をする俳優が、怪我で入院してしまい、出演できなくなってしまったらしい。その役を岩城にやってもらえないかと言うのである。
その役とはドラマでははっきりと言葉にしないが、地上で主人公達を見守る天使だった。
台詞もなく、ただドラマの中に出て来る登場人物達を影で励ますという役。衣装も普通の人間と同じで羽やリングがある訳でもない。だからこそ、不思議な、他の登場人物達とは違う存在感や神秘性が求められる役だった。有名な俳優達はどうしても、今まで演じた役のイメージがついてしまい、視聴者にいまひとつ人間ではないとうイメージを与えるのは難しい。考えた末、バレエ団からやっとイメージにあう子を見つけたのだが、そのバレエの講演中に怪我をしてしまったのだった。
宮坂は咄嗟に岩城の事を思い出し、監督に言ってみたそうである。彼は一度会って見たい、という返事だった。
『どうでしょ、岩城さん?一度監督に会ってくれませんか?』
「で、でも、俺はまだ劇団員だったし、それに事故で………」
『あ、それについては俺一言も言ってませんから。病気で長い間入院してた、って事になってますけど。それに体力使うシーンとかないですよ』
「………でも………」
『顔が知られていないってのも強みなんですよ。ねえ、岩城さん、監督に会うだけでもお願いしますよ。分からない事はその時聞けばいいし、嫌だったら断ればいいんですから』
「……う……ん……」
『じゃあ、いつ時間ありますか?俺、迎えに行きますよ』
「え…でも………」
『明日の2時頃はどうです?何か用事ありますか?』
「いや、ないけど……」
『じゃあ迎えに行きますから、よろしく』
そう言うや否や電話は切れた。強引な宮坂に半場呆れながらも、彼の明るさに岩城は微笑みを浮かべていた。
「役者か………」
俳優は自分の昔の夢だった。いや、昔などではない、今もそうだ。
いきなりの出来事に岩城は胸が高鳴るのを感じた。

そして次の日、宮坂が迎えに来て、岩城は監督に会った。
岩城を見ると監督は一発で気に入ってしまい、岩城は宮坂とドラマで共演する事が決定したのである。