Regret Memory 3

 役を引き受ける事になった岩城は台本を渡された。代役探しに時間をとられてしまったので、撮影は明日早速行うと言われたのである。自分の台詞はないが、どういった状況でどんな気持で登場人物達を見守るのか掴まなければならない為、岩城は必死になって台本を読んだ。こうしていると、演劇部で芝居をやった時の事を思い出す。あの時の情熱が蘇って、岩城は夢中になって役づくりに没頭した。

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 そして初めての撮影が野外の公園で行われた。なんの問題もなく進み、監督のイメージ通り、岩城は不思議な存在感を漂わせてカメラに収められた。
「お疲れさま」
「はい、お疲れさま」
 初めてのTVドラマの撮影に、多くの知らない人と接して緊張しっぱなしだった岩城はかなり疲れてしまった。スタジオに戻り、楽屋で着替えを済ませると椅子に深く腰かける。
「岩城さん、お疲れ様です。大丈夫ですか?」
 宮坂が明るく声をかけてくる。
「ああ、大丈夫。ちょっと疲れたけど………」
「ほんとはもっと時間かかると思ってたんですけど、早く終わりましたね。あの監督が一回でOKだすなんて滅多にないんですよ」
「そうなのかい?」
「ええ、おまけに岩城さんの事イメージ通りだって誉めてましたから、それにも皆驚いてました」
「へえ………」
 宮坂の言葉に悪い気はしない岩城だったが、もっと役をつかまないと、と身が引き締まりもする。
「今度は明後日の撮影の時ですね。そん時はまたよろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ。ところでその格好は衣装かい?」
 宮坂は浴衣姿をしていた。がっしりした体格なので、よく似合っているが、少し着崩れている。
「ええ、これからポスター撮りなんですけど」
「わざと着崩れさせているのか」
「いや〜動いてたら段々こうなっちゃって…着物ってよく分からないんですよね」
 岩城はプッと軽く吹き出した。
 香藤みたいだな………
「どれ……」
「え……?」
 岩城は立ち上って宮坂に近づき、崩れを直してやった。
 香藤も昔お盆祭りなどいっしょに行く時、浴衣を着ていた。彼は絶えず動き回るのですぐに着崩れをおこし、その度に岩城が直してやったものだ。
『香藤…どうしているのだろう………』
 あれから会っていないし、尋ねても来なくなっている。自分に会うのをあきらめたのだろうか……
 岩城の胸がちくりと痛む。
 一方、宮坂は岩城に間近にこられてドギマギしていた。息が届きそうなくらいの距離に岩城の顔がある。こんなに近くで見るのは初めてだったので、岩城の肌の白さに驚いた。
 透き通るような白さに、肌理の細かいそれは触れれば吸い付いてくるような感触を伝えるのだろう。思いのほか睫毛が長くて、瞳が黒曜石のように黒い。宮坂は宙に浮いている手を岩城に回したくなった。
「はい、ちょっとはましになっただろう」
「あ、ありがとうございます……」
 岩城がそう言って少し離れたので、宮坂ははっとして手を引いた。
『何、考えてたんだ俺は………』
「……あの…宮坂君……」
「は、はい」
「……香藤……どうしているか知っているかい……?」
「あ、ああ、香藤ならロケでロスアンジェルスに行ってますよ」
「え……そうなのか……」
「はい、岩城さんの今回の事、相談しようかと思ったんですけど、そんな訳で日本にいなくて。で、俺が直接岩城さんに電話したんですよ」
「そうか………」
「香藤が何か?」
「いや、なんでもないんだ、ありがとう……」
「あ、じゃあ、俺行きますね」
 宮坂が楽屋を出ようとした時
「宮坂君」
「はい?」
「ありがとう…俺にこの役をやらせてくれて……」
「え………」
「すごく楽しかった。これからも頑張るつもりだからよろしく」
 岩城が優しく微笑みながら言ったので、宮坂は自分の身体が熱くなるのを感じた。
「あ、ああ、じゃあ!」
 慌てて楽屋を出る。急にバクバク鳴り始めた心臓を抱えながら廊下を歩いた。
 一人になった岩城は目が覚めてからの出来事を思いだしていた。
 目が覚めてからの辛い現実を受けとめるのには時間がかかった。認めたくなかった気持ちもあって、夢である事を願ってもいた。でも、これは現実なのだ。そしてここからまた自分は歩いていかなければならないのだ。どんなに辛くても……
 宮坂と話すのは楽しかった。岩城は彼を知らなかったし、彼も昔の自分を知らないのだから、なんの気兼ねもなく話せるのだ。それに、彼はどこか香藤に似ている………
 香藤………
 岩城は香藤の顔を思い出した。それは、昔の少年だった彼ではなく、今の精悍な男に成長した彼の顔だった。ずっと彼は時間の許す限り自分に会いに来てくれていた。会って優しく自分を励まして、なにげない話をして元気づけてくれて………
 こんな風に役の話が来た時、なんとか臆せず振る舞えたのは香藤のおかげだと気がついた。彼が外との繋がりを自分のもたらしてくれていたからであると………
 彼がいたから、自分は殻にとじこまれずにすんだのだと………
 いつも彼の側は暖かかったのに………
 自分は香藤に会わなければならないと岩城は思った。その時、自分が何を感じるのか、何を思うのか分からない。しかし、会って話をしなければと………
 香藤に会いたいと、岩城は自分の気持ちが見えないまま、しかし強く思ったのだった。

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 二週間ものロスでも海外ロケを終え、香藤は日本に帰ってきた。
 現地にいる間中、香藤は岩城の事を考え続けていた。結局、何も言えずに発ってしまったのだから、気にするなという方が無理であろう。
 そして、帰ってきた香藤は速効岩城に会いに行き、謝るつもりであった。
 殴られても、罵られてもいいから会って謝罪しなければならないと思っていた。
『グジグジ考えているなんて俺らしくない!行動あるのみだ!』
 少し時間が過ぎたせいか、香藤は気持ちが落ち着いた気がしていた。が、一旦テレビスタジオに戻ってきた香藤は意外な事実に驚愕した。
『なんで、岩城さんがテレビに出てるの?』
 大きなリラックスルームでつけられているテレビの中に岩城の姿を見て、香藤は呆然とした。そんな彼にテレビを見ていたADらしき男達の話声が耳に入る。
「あ〜この人、岩城京介だっけ?放送された途端すごい反響だったらしいぜ」
「やっぱりな〜すごい雰囲気ある人だもんな。納得だ、絶対ブレイクするよこの人」
「まだ、二回しか放送されてないのに視聴率鰻登りだってさ。ところで、この人一体何者なんだ?」
「さあ〜詳しい事は知らないけど、共演してる宮坂圭吾の知り合いらしいぜ」
『宮坂!』
 それを聞いた香藤の胸が苦しくなった。
「どういう知り合いなんだろ?」
「さあ〜でもさ〜綺麗な人だと思わないか?」
「おお、思う思う。なんかこう…男の俺でもドキッてする表情したりするよな〜」
「なんだお前、その気があるのか〜」
「ばか、ある訳ないだろ。でも天使って性別ないんだろ?んじゃそう思うって事はそれだけ役を完璧に演じてるのかもよ。でも、その気がある人が見たら惚れてしまうかもな〜」
「Pプロデューサーなんか超危険だ!」
「危ない危ない」
 男達は笑い声をあげていたが、香藤は笑うどころではなかった。
 胸の中を黒い影が渦まく。危険なサイレンが点滅しているのに気付いていたが、香藤は押さえられなかった。
「そういや、さっきまでこの番組撮影してたんじゃないか?第8スタジオで」
「ああ、終わったみたいだけどな」
 その台詞を聞くや否や、香藤は第8スタジオに駆け出していた。

「ふう……」
 岩城は楽屋で一人畳に寝転んでいた。さすがに体力が完全に回復してないところに、連続の撮影は疲れてしまった。でも、どこか心地よい疲労感。そろそろ出ようと思い、身体を起こした時、背後でドアの開く音がする。
 誰だろうと?と振り返ると、香藤が息を切らせて立っていたので、岩城は心臓が飛び上がる程驚いた。
「……香…藤……」
「岩城さん………」
 謝ろうと、思っていた。
 自分がどんなにひどい事をしたか自覚はあるつもりだった。
 冷静になれたと思っていた。だが、それは目の前に岩城がいなかったからにすぎないと、気付いた。
 今、瞳を潤ませている岩城を見て、あんな話を聞いて冷静でいられる筈がないのだ。
「岩城さん」
 香藤は岩城を強く抱き締め、畳の上に押し倒した。
「か、香藤……ん…んん……」
 香藤はそのまま激しい口付けで岩城の唇を奪った。息も出来ぬ程の………
「……香…藤……」
 やっと唇を離した岩城は苦しそうに声をあげたが、香藤の手が自分のシャツの中に入ってきたのを感じて息をのんだ。
「…香藤……何をする気だ!よせ!」
「……………」
「…香藤!」
「嫌いだって言って………」
「え………?」
「俺なんか嫌いだって……なじってよ……」
「……香藤………」
「…でないと俺……止まんないよ………」
 香藤の唇は、また岩城のそれを奪った。
「……う…ん……」
「…岩城さん……」
 香藤はゆっくりと岩城のシャツのボタンをはずした。そして、中に手をすべりこませると、滑らかなその肌の上を優しく愛撫する。
「……あ………!」
 自分の口から甘い声が洩れて、岩城は慌てて口を手で押さえた。こんな所で、いつ誰が入ってくるかも分からないのに。
「……香藤……やめて……くれ……」
「…じゃあ言って……俺なんか大嫌いだって……」
「…………」
 なぜ言わない?岩城は自分が分からなかった。
 こんな所でたまらなく恥ずかしいから、本当に止めて欲しいと思っているのに……
 岩城は香藤に嫌いだと言えなかった。
 先程香藤が目に飛び込んで来た時、驚きと共に喜びを感じた自分に岩城は気付いていたのである。香藤に会えて心から嬉しいと感じている自分に………
 だから言えなかった。香藤を嫌いだ、と……
「う………!」
 岩城は必死に声がこぼれないように押さえていたが、香藤のもたらす快感は大きくなる一方であった。あの夜、恐怖を感じた時と同じだったが、違うのはその中にある甘美な波を知っている事だった。自分に触れるその手がもたらす快感を知っている。
 溺れてしまう……!
 岩城は必死にのがれようと手足を振ったが、香藤になんなく押さえこまれた。
「……岩城さん…俺…もう駄目だ……いい……?」
 岩城は首を横に振る。
「嘘……だって岩城さんも……感じてるよ……こんなに濡れて……」
 岩城は頬を真っ赤に染めて顔をそらした。
 香藤は岩城の腰を掴み、膝に乗せるとゆっくりと岩城の内に自分を入れた。
「ああ!」
 堪えられず、岩城は香藤の背中に手を回す。もう手で口を押さえられなくなった岩城は、香藤の肩のシャツを噛んで声を押さえた。
 そんな岩城は、香藤が思わず煽っているのか、と聞きたくなるぐらい煽情的であった。更に身体の熱くなった香藤は激しく岩城を揺さぶりだした。
「…う……うう……」
 白い喉をのけぞらせて快感に堪えている岩城を見て、香藤は自分の中の凶暴な想いを感じた。
 誰にも渡したくない!
 もう一度、岩城さんが眠ったのなら……そうしたら、自分の所に閉じ込めて、誰に目にも触れさせないのに!自分だけのものにしてしまえるのに……!
 二人は大きな波にのまれながら、高みへとのぼりつめていったのだった。

「よう、宮坂、何してんだそんなとこで」
 小野塚が廊下でぼんやり立っている宮坂を見つけて、声をかけると、彼はビクリと身体を震わせ大きく振り返った。
「どうした?声かけただけなのにそんなに驚いて?なんか顔赤いぞ?何してんだ?」
「…べ、別に………」
 宮坂は小声で呟き、足早に去っていった。
「なんだあいつ?」
 宮坂の立っていた場所は楽屋の前であった。小野塚が札を見ると『岩城京介』と書いてある。
『何してたんだ?』
 小野塚が近寄ってみると、少しだけドアが開いているのが分った。何気なくちらりと覗くと、香藤と岩城の情事が見えた。
『え!』
 驚いた小野塚は後ろへ飛び退いた。しばらく呆然と立ちつくしてしまう。そして、宮坂もこれを見たのだと気がついた。
『一体どうなってるんだ』
 小野塚は混乱しながらも
『でも、ちょっとおもしろい事になってきたかもな』
 と、胸がワクワクするのを押さえられなかった。