Regret Memory 4

『あ…ああ……』
 黒い髪が白いシーツの上を泳いでいる。
 彼が頭を振る度にそれは乱れ、シーツの上に黒い影を作った。
『岩城さん………』
 男の手が逃げようとする岩城の身体を押さえ込む。その感触を楽しむように、優しく肌の上を愛撫する。
『あ…や…やめて………』
 岩城の抵抗の声を無視して、長い足を掴んで肩にかける。息を飲んだ岩城が涙を流した顔を向けた。
『……や…やめてくれ……宮坂君……』
「え!」
 宮坂圭吾は驚いて飛び起きた。高鳴る心臓をかかえながら、荒い息をつく。辺りを見渡し自分の部屋のベッドの上であると気がついた。隣には昨日、夜を共にした女性が眠っている。
「夢…か……」
 宮坂は軽いため息をついた。
 窓から差し込む朝の光が眩しかった。

 それから一時間程たった頃、マネージャーが迎えにきて、宮坂はTV局に向かった。今日は一日中例のテレビドラマの撮影が行なわれる予定である。ドラマは終盤に差し掛かっており、後少しで撮影は終わる筈であったが少々押していた。
 放送されてから岩城の人気は爆発的なものだった。局には岩城に関する問い合わせが殺到し、もっと出番を増やして欲しいと言う要望も後を絶たない。結果、脚本を少々手直しするはめになり、またそのせいで押しに拍車がかかってしまったのである。しかし、視聴率を見れば誰も文句は言えなかった。
「おはようございます宮坂さん」
「おはようございます」
 スタジオに入り、スタッフ達と挨拶を交わしていると、監督と話す岩城の姿が目に入る。途端に宮坂の胸が高鳴る。
「あ、おはよう宮坂君」
 岩城がくったくのない笑みを浮かべて言葉をかけてくる。
「お、おはようございます……」
 まともに顔が見れず、宮坂は急ぎ足で歩きながら返事をした。今朝見た夢のせいで罪悪感のようなしこりを胸に感じる。しかし、宮坂は台本を読む振りをしながら岩城を盗み見た。
 いつもと変わらない彼の様子。スタッフと話す仕草も、台本を読む姿も、まるで何も見のがしたくないかのように、見つめ続けた。が、岩城が視線に気付き顔を上げると、急いで顔をそらす。しばらくたつと、また岩城に目を向ける。その繰り返しであった。
 あの時、二日前に偶然見てしまった岩城と香藤の情事が忘れられない。
 岩城の濡れた瞳に反らされた首筋。香藤に抱えられた腿の白さが強烈に目に焼き付いている。そして夢にでてくる岩城の乱れた姿も………
『宮坂君………』
 耳元で岩城に囁かれたような錯覚を覚えて、宮坂は頭を大きく振って払おうとした。体温が一気に上がった気がする。
「おい、宮坂、何してんだ?」
「小野塚か、なんでここに?」
「第六スタジオでドラマの撮りがあるんだが、セットの組み待ちでさ。そこでお前に陣中見舞いでも、と思ってな」
「ようするに暇つぶしかよ」
「ま、そんなとこかな。でも、ちょっとお前に聞きたい事があってな」
「なんだ?」
「香藤と岩城さんの事だよ」
「え!」
 宮坂の胸がどきりと跳ねた。
「二人はできてんのか?」
「な、なんでそんな事聞くんだ?」
「見ちまったんだよ、俺も。お前も見ただろ?」
「そっか、見たのか……」
「ああ、二人は恋人なのか?でも香藤からそんな事一言も聞いてないしな〜」
「……俺も分からない……」
「どうした宮坂?元気ないな。心配事でもあんのか?」
「え!べ、別に何も……」
「ふ〜ん…でもな〜あの二人が恋人だとすると…ちょっと面白いかもな。結構なネタだと思わないか?」
「ネタ?」
「ああ、記者に流したらおもしろい事になるだろうな。特に今はあの岩城さんの人気が出たばかりで、彼に対する問い合せが殺到してるって言うじゃないか」
「小野塚、お前チクル気なのか?」
「いや、今はそんな気ねーけど。ちょっと香藤の奴をからかってやろうかな〜と思ったんだよ。おもしろそうじゃん」
「…………」
「どうした宮坂?お前なら絶対のってくると思ったのに。本当に心配事とかあんのか?」
「い、いや、何もないさ…撮りが押しててこのところハードスケジュールだったから…」
「……ふ〜ん…どうだ?ちょっと香藤の奴からかってやろぜ」
「どうやって?」
 二人はなにやらこそこそと話をし始めるのだった。

*********************

 数日後、撮影完成を祝うパーティーが某ホテルで行なわれた。
 TV会社の30周年記念もかねたパーティーだったので、かなり盛大なものとなった。当然、大勢のマスコミも詰め掛けており、役者達にたくさんのマイクが向けられた。中でも岩城にせまる記者の数は相当なものだった。
「こんにちは、岩城さん。今回のドラマであなたの人気は一気に爆発しましたけど、それについてはどう思われますか?」
「デビュー作でこれ程の人気が出てしまった事へのプレッシャーはありますか?」
「特殊な役を演じるにあたってどのシーンが一番難しかったですか?」
 等々、矢継ぎ早に質問され、岩城は戸惑ってしまう。元々、こんな華やかな場所は苦手なのである。なんと返事をすればいいか分からなくて困っていると、一人の記者がどこで嗅ぎ付けてきたか、例の事故の話をしだした。
「岩城さん、あなたは交通事故にあい、かなり長い間入院されていたと聞きましたが、本当ですか?」
「え………」
 岩城の胸が誰かに掴まれたかのように苦しくなった。
 あの、目が覚めて世界が変わってしまったと知った時の衝撃を、思い出してしまったのである。
 両親がもうこの世にいないと知った時の苦しさを………
「どうなんです?岩城さん」
「あ……の………」
 何も言えずに俯く岩城の側に、一人の男が歩み寄った。
「岩城さんがしばらく入院していたのは本当ですよ」
 聞き慣れた声に驚き、岩城が顔を上げると、思ったとおり、香藤が側に立っていた。
「……香藤……」
「香藤さんは岩城さんとお知り合いですか?」
「はい、そうです」
 記者達の間から驚きの声があがる。
「それでは岩城さんが長期入院されていたというのをご存知ですか?」
「はい、知っています」
「なぜですか?その原因は?」
「別に知る必要はないでしょう。岩城さんはすっかり良くなっているのだし、これからの事になんの関係ありませんから」
 香藤のにっこりと笑いながら、しかし、うむを言わさない口調に、記者達はそれ以上追求できなくなってしまう。そんな香藤の隣で、岩城は高鳴る胸を、喜びを感じている自分をおさえられなかった。
 あの日、楽屋で香藤に抱かれた日、香藤は立てなくなった岩城を抱きかかえて家に連れて帰ってくれた。自宅の前で車から降りる時に香藤は自分を愛している、と告白したのである。
『岩城さん、俺は岩城さんを愛してるんだ…誰よりも………』
『香藤………』
『俺のした事はごめん……悪いと思ってる……でも、俺は本当に岩城さんが好きなんだ。これだけは信じて………』
『………………』
『……じゃあ……おやすみ……』
 あの日から一週間が過ぎようとしていた。久しぶりに見る香藤の姿に、岩城は安堵感さえ感じていた。あんな事をされたのに………
「よう、香藤じゃないか」
 後ろから声をかけられ、振り返ると宮坂と小野塚がそこにいた。
「宮坂さん、ドラマの無事終了おめでとうございます」
「ありがとうございます」
 記者らの視線は宮坂と小野塚に向いた。
「小野塚さんも次に放送されるドラマの撮りが始まっているとか?いかがですか?」
「宮坂さん、今回の役は演じてみてどうでした?」
「岩城さんとの共演はどうでした?」
 皆の注意が向こうに向いている間に、この場を離れようと、香藤は岩城の手をとって歩き出した、が。
「岩城さんは香藤から紹介されたんですよ」
 宮坂の言葉に、記者達の視線はまた二人に注がれてしまった。
「先程、香藤さんから岩城の知り合いであるとお伺いしましたが」
「確か、幼馴染みの筈ですよ。なあ、香藤」
「あ、ああ………」
 くそ〜小野塚め!
 香藤は心の中で毒づいた。
「そうだったんですか〜」
 記者達はまた近付いてきて、四人を囲みだした。
「それに、香藤は岩城さんの影響で俳優を目指したとも聞きました」
「本当ですか、香藤さん」
「え、は、はい……まあ……」
「きっかけはなんですか?」
「……岩城さんの演技を見て………」
「では、香藤さんにとって岩城さんは先生みたいな存在ですか?」
「え………?」
「やはり尊敬するべき方ですか?香藤さんの中で岩城さんはどのような存在ですか?」
 俺の中で…岩城さんがどんな存在かなんて……そんなの決まってる………
 香藤は岩城を真直ぐに見つめた。岩城は、少し困ったような戸惑ったような表情をしている。
「……誰よりも…大切な人です………」
 香藤は岩城から目を反らさずにはっきりと言った。そんな香藤の言葉を聞いた岩城の瞳は驚きで見開かれる。
「え…それはどういう意味ですか香藤さん?」
「この世で一番好きな人です」
「……という事は………」
「俺は岩城さんが好きです。恋人になりたいと真剣に思っています」
 そうだ、俺は本気でこの人が好きだ。誰にだって堂々と言える。恥じる事無く……!
「……香藤………」
「おいスクープだ!香藤洋二があの岩城京介に告白したぞ!」
「香藤さんこっちを向いて下さい!」
「岩城さん、あなたのお気持ちは!」
 二人の周りをまばゆいばかりのフラッシュが浴びせられる。
 岩城は呆然と香藤の顔を見つめ返す事しか出来なかった。まっすぐに自分を見つめる香藤の熱い視線を全身に感じながら………