Regret Memory 6

「……雨か………」
 香藤はマンションの窓から外を眺めて呟いた。二、三日謹慎するにはしたが、香藤への仕事は減るどころか増す一方で、すぐに職場に復帰したのである。今日は少し早くあがれて日付けが変わる前に帰ってこれた。食事は外で済ませてきたので、早く寝てしまおうと風呂に入ってあがってきたところだった。
 あのパーティでの件で行く先々で記者に囲まれる香藤だが、自分の事よりも岩城の方が心配で堪らない。
 どうしているだろう?迷惑をかけてしまって、怒っているだろうか?
 しかし、あの楽屋で岩城を抱いた時、岩城は一度も嫌いだと言わなかった。少しは自分を想っていてくれるのか?
「俺っていつも………」
 岩城さんに迷惑かけてばかりだ………
 いろんな考えで頭をぐるぐるさせていると、玄関のチャイムが鳴る。
「誰だ?こんな時間に?」
 不思議に思いながらもインターフォンにでる。
「はい」
『……………』
 いたずらか?
「誰?」
『……香藤………』
「い、岩城さん!?」

 部屋に入って来た岩城はびしょ濡れだったので、とりあえず風呂に入らせた。
 一体、どういう事だろう。岩城が自分のマンションにやってくるなんて。
 疑問を感じならがも、香藤は踊る心を押さえられなかった。
 もしかして、マスコミの取材のせいで、家に帰れないんじゃ!?
 その時、着替えをすませた岩城がリビングに入ってきた。岩城の服は乾燥機に放りこんでいるので、香藤の服を貸したのだった。同じような背格好だが、岩城の方が多少細いので服に皺がついている。
「はい、岩城さん、コーヒーだけど」
「……ありがとう……香藤……」
 二人はソファの向かい合わせで腰かけた。
「……でも、どうしたの?こんな時間に俺のところに来るなんて……よく場所知ってたね」
「……香藤のお母さんから聞いてたんだ……」
「そうか……」
「……………」
「……マスコミの方、大丈夫?」
「……………」
「あ、大丈夫な訳ないよね……ごめん………」
「……………」
「とりあえず、今日はここに泊まっていって。俺は別のところに行くから」
「……え………」
「俺がいたら、岩城さん安心して眠れないでしょ。それに………」
「…それに………?」
「……俺が自信ないんだ…岩城さんといて………」
「……香藤………」
「俺ばかだから、すぐ行動に起こしちゃうんだよね。それで後から後悔するんだ。もう、岩城さんを苦しめたくない」
 今だって、雫の落ちる髪に、淋し気な岩城の姿を見て、抱き締めそうになるのを必死に堪えているのだから。
「……じゃあ、この部屋にあるもの勝手に使っていいよ」
 立ち上がる香藤の手を、岩城は思わず掴んでしまう。香藤ははっと岩城を見た。
 濡れた黒い瞳に自分の姿が映っているのが分かる。香藤はその瞳に自分が吸い込まれるかのような錯覚を感じた。
「……岩城さん……キスしていい……?」
 岩城は香藤の言葉に軽く笑みを浮かべた。
「……初めてだな……」
「……え………?」
「お前がする前に聞くのは初めてだ……」
「ごめん……なさい……」
 香藤が項垂れてリビングを出て行こうするが、岩城は香藤を掴んでいる手を離さなかった。
「岩城さん?」
 岩城は香藤の唇の触れるだけの口付けをした。
「……岩城さん……」
 香藤は驚きながら、岩城を見つめていた。そんな香藤の首に岩城はそっと手を回す。
「……だ、だめだよ岩城さん……俺…止まんなくなっちゃうよ……」
「………いい……」
「……え………」
「……いいんだ……お前なら……」
「……岩城さん……」
 香藤は信じられない気持ちで岩城を抱き締めた。

 目を覚ました時、置いていかれたと思った。すべての人に……
 何もかもがすべて変わっていて、自分だけが取り残されいると感じていた。そして、その事を認めたくなくて逃げようとしていた。でも………
 変わりたい、と岩城は思った。自分も新しい自分に生まれ変わりたい。今、この時を生きたい。その勇気が欲しい。自分の気持ちを素直に認めてしまいたい。他の誰でもない、七年前の香藤でもなく、この目の前にいる男といっしょにいたいと思っているのだから……
 二人は微かな明かりが灯るベッドルームで深い口付けを交わしていた。
「……ん………」
 香藤が静かに岩城の身体をベッドに横たえる。
「岩城さん………」
 耳元で囁かれる優しい声に、岩城は涙がでそうになる。
 産まれたままの姿になった二人は、ベッドの上でその身体をからみ合わせた。
「あ……ああ…か、香藤………」
 肌を合わせるのは初めてではないのに、初めて触れられているようだった。香藤の熱が伝わってくる……
「……岩城さん……いい……?」
 また聞いてくる香藤に、岩城は微笑みながら頷いた。
「あ!……ああ……香藤………」
「岩城さん……動くよ……」
「あ……あ…ん……い……いい………」
 香藤のもたらす快楽に身をゆだねるのは初めてだった。激しく揺れながら岩城はやすらぎを感じていた。
 自分は何を怖がっていたのだろう。ほんの少しの勇気があれば、自分の本当の気持ちに気付く事ができたのに………
 自分は香藤が好きなのだと………
 その夜、二人は本当の意味で身も心も結ばれたのだった。

 次の朝、目が覚めると、ベッドの隣に香藤がいなかった。不安になった岩城が起き上がった時、部屋に香藤が入ってきた。
「あ、岩城さん起きたの?おはよう」
「…おはよう……」
 今さらながら昨夜の事を思い出して、岩城は顔を赤くした。
「これから仕事があるんで出かけなきゃいけないんだ。なるべく早く帰ってくるつもりだから…岩城さん、待っていてくれる?」
「え………」
「この部屋で俺の帰りを待っていて欲しいんだ。今日だけじゃなく、これからずっと………」
「……香藤………」
「俺、ばかだから気持ちばっかり先走っちゃって、岩城さんにひどい事ばっかりしちゃったけど……本当に岩城さんが好きなんだ。愛してる………」
「……………」
「これからの時をいっしょに過ぎしたいんだ………」
「……香藤………」
「返事は今すぐでなくていいから……でも、今日は待っていてくれるよね?」
 岩城はこくん、と頷いた。その仕草が可愛くて、香藤は思わずキスをしてしまう。
「か、香藤!」
「えへ、じゃ、いってきます岩城さん」
 香藤が出ていった後で、岩城はそっとベッドを抜け出す。香藤のものだろう上着だけ寝間着を羽織っている。また、香藤がしてくれたのだろう、身体も清められていた。岩城の体温が上がる。
 考えてみれば、昨夜の自分の行動は随分と大胆だった。普段ならしない行動である。
 だが、あの宮坂に口付けられた時、岩城ははっきりと香藤でなければ駄目だと思ったのだ。そして彼の触れた後を香藤に消して欲しかった。自分から香藤を求めたのだ。それは香藤が好きだったからだ。
 岩城は熱くなった身体を両手で抱える。
 香藤と暮す……これからずっと……?
 それが出来たらどんなに素敵だろう。出来るのだろうか、そんな事?
 いや、出来る、自分はこの先、香藤といっしょにいたいと思っているのだから………
 そう決意した岩城の耳に、激しいブレーキの音と追突音が聞こえる。マンションの下からであった。
『え………』
 岩城は嫌な予感がして、バルコニーに飛び出して下を覗き込んだ。途端に目の前が真っ暗になるかのような衝撃を感じる。
 マンションの下の道路で車に跳ねられ、倒れていた人物が香藤だったからである。

****************************

 一年後。
 岩城はいつもどおり仕事の後に病院を訪れた。
 この一年間通い続けたなじみの病室に入ると、そこに香藤が眠っていた。
 あの事故の日。救急病院に運ばれた香藤は手術を受けた。幸い急所にダメージは受けておらず、すぐに目を覚ますだろうと言われていたが、それから一年、香藤はずっと眠り続けているのである。以前の岩城と同じように………
「香藤、この前上映された映画『春を抱いていた』だが、評判が良くてな……もしかしたらTVシリーズになるかもしれないんだ」
 岩城は香藤の眠るベッドの横に腰掛け、話しかけた。香藤が眠ってしまってから毎日している儀式である。
「TVになったら、キャスティングが変わるらしい。俺はいっしょだが、映画は原作者の佐和さんが演じてたからな。時間の調整とかいろいろ問題があるんだ」
 岩城は動かない香藤の顔を愛しくそうに見つめる。少し青みを帯びた彼の横顔を。
「お前だったらいいな……共に演じてみたいよ………」
 岩城はなおも眠る香藤に話しかけ続ける。
「……だから……香藤………」
 早く帰って来い。
『待っててくれる?』
 最後に聞いた香藤の言葉どおり、岩城はずっと香藤の部屋で彼を待っているのだった。
「俺はまだお前に好きだと言っていないんだ………」
 たくさんの伝えていない言葉がある。自分の横には必ずお前がいて欲しい。
 だから、早く、早く帰って来い。
 ずっと俺は待っているから………
 二人の思い出をこれから共に作っていく為に………

 一年後。
 岩城はいつもどおり仕事の後に病院を訪れた。
 この一年間通い続けたなじみの病室に入ると、そこに香藤が眠っていた。
 あの事故の日。救急病院に運ばれた香藤は手術を受けた。幸い急所にダメージは受けておらず、すぐに目を覚ますだろうと言われていたが、それから一年、香藤はずっと眠り続けているのである。以前の岩城と同じように………
「香藤、この前上映された映画『春を抱いていた』だが、評判が良くてな……もしかしたらTVシリーズになるかもしれないんだ」
 岩城は香藤の眠るベッドの横に腰掛け、話しかけた。香藤が眠ってしまってから毎日している儀式である。
「TVになったら、キャスティングが変わるらしい。俺はいっしょだが、映画は原作者の佐和さんが演じてたからな。時間の調整とかいろいろ問題があるんだ」
 岩城は動かない香藤の顔を愛しくそうに見つめる。少し青みを帯びた彼の横顔を。
「お前だったらいいな……共に演じてみたいよ………」
 岩城はなおも眠る香藤に話しかけ続ける。
「……だから……香藤………」
 早く帰って来い。
『待っててくれる?』
 最後に聞いた香藤の言葉どおり、岩城はずっと香藤の部屋で彼を待っているのだった。
「俺はまだお前に好きだと言っていないんだ………」
 たくさんの伝えていない言葉がある。自分の横には必ずお前がいて欲しい。
 だから、早く、早く帰って来い。
 ずっと俺は待っているから………
 二人の思い出をこれから共に作っていく為に………