玉 響

このお話は「春抱き」小説の「古都」「幽鈴」の後という設定になっております

「岩城さん、ここだよ」
 香藤の手に引かれて、岩城はある長家にやってきた。香藤が師範を勤める道場の仲間の家なのだが、その友人がしばらく国元に帰る事になったので、留守の間は好きに使っていいと言われたのである。
 香藤と岩城は清水屋の離れに下宿中だが、離れがある事件の時半壊してしまった。今は改装中で、その間、香藤と岩城は清水屋の客室で寝起きしなければならなくなった。
 今のところ急な客などは来られていないが、やはり店の部屋なので気を使ってしまう。
 それに、これは香藤にとって重要なのだが、岩城と肌を重ねる事が出来ないのである。
 襖一枚をへだてた向こう側には、清水屋の使用人達がいる。そんな中で行為をすれば声が筒抜けになるの必至だ。当然、岩城が承知する筈もない。
 しかし、香藤としてはどうにも今の現状が辛い。そんな時の友人からの申し入れだった。友人は、店の部屋で気を使っている香藤を気の毒に思ったらしい。香藤はその友人を思わず拝みたくなった。
 岩城には『一度長家暮らしを経験してみない?』と軽くもちかけ、岩城は『おもしろそうだな』と承知してくれた。岩城は寺の他にこの清水屋での生活しか知らない。
 香藤と岩城はいつか、二人だけの家を持ちたいと思っている。その為の練習も兼ねて、いろいろなところでの生活を体験するのもいいだろうと思ったのである。
『やった〜』
 岩城の返事を聞いて香藤は心の中で小躍りしたい気持ちになった。
 そして、長家では風呂がない為、清水屋で入浴をすませ、日が暮れる前にこの長家に泊まりに来たのである。
 とりあえず両隣の家には挨拶をすませておく。何度かここに遊びに来た事にある香藤は、顔なじみだった。右隣は長年連れ添った老夫婦と、反対側は最近祝言をあげたばかりの新婚さんである。
「岩城さん、大丈夫?分かる?狭いところだから気をつけて」
「大丈夫だ」
 香藤は先に中に入り、危険なものが足元にないかを確認してから、岩城を入れる。
 岩城は土間から手探りで上がり框の位置を確かめ、草履を脱いで上がった。
 そのまま手探りで部屋の中の大きさや、位置関係、どこに何があるのかを確認した。目が見えない岩城だが、その感覚はとても鋭い。男の一人暮らしの長家など大きさはしれているから、すぐに部屋に具合に慣れたようだった。
 共に清水屋の持たせてくれた折詰め弁当で夕餉を済ませ、岩城にお茶をいれてもらっていると
『新婚さんみたいだな〜』
 と香藤の頬は弛んでいた。
 しかし、香藤はある事に気がついた。
 なんとこの長家、壁が薄いらしく声が筒抜けなのである。
 襖よりは幾分ましだが、話声などは壁に近いと内容まで分ってしまう有り様だ。
 隣で夫婦喧嘩らしい声が聞こえた時、岩城は思わず吹出してしまっていた。が、香藤は絶望にうちのめされていた。
『こ、これじゃあ〜睦言なんてできないじゃないか〜』
 こんな状況の中での情事を岩城が許すとは思えない。香藤はとほほ、今日もおあずけかとがっくりした。岩城の楽そうな笑顔だけが、唯一の救いであった。
 あきらめた香藤は早目に寝ようと蚊屋を張る。
 もってきた布を夜具の上に敷き、二人は横に並んで床についた。が、しばらくすると隣から妙な声が響いてきた。
『なんだ?』
 不思議に思った香藤が耳をすまして聞いていると、それは情交の声であった。
『あ!隣の新婚さんか!?』
 これはまずい、と香藤は思った。ただでさえ忍耐力をためされているところに、こんな追い討ちをかけられてはたまったものではない。
『我慢できるものもできなくなっちゃうよ〜』
 声の調子はますます激しくなってきているようで、起きているなら隣の岩城も気付いているだろう。ちらりと垣間見て様子を伺うが、暗すぎて分からなかった。
『にしても、俺はやばい!』
 香藤はむくりと起き上がる。
「あの…岩城さん……」
「……なんだ………」
「…俺…ちょっと…外行ってくる……頭冷ましてくるよ」
 そう言って立ち上がろとした香藤の袖を岩城が掴む。
「……なに…岩城さん?」
 岩城は何も言わず起き上がり、ゆっくりと香藤の顔に触れた。
 口付ける前に必ず岩城がやる動作である。香藤の唇の場所を探しているのだ。
 香藤の唇を指で確かめると、岩城はそっと自分のそれを重ねた。
「岩城さん……」
 唇を離すと岩城の顔が真直にあった。いつも閉じられている瞳が開き、濡れたその美しい瞳に自分が映っている。香藤の身体に一気に火がつく。
「岩城さん!」
 香藤は思わず岩城を夜具の上に押し倒していた。
「岩城さん、いいの?」
 耳元で囁くように尋ねる。
「………ん………」
 岩城が恥ずかしそうに頷く。
「……声……出さないようにする………」
「岩城さん……俺も優しくするね……」
 香藤は岩城に激しく口付けながら帯を解いていった。
「……ん……う………」
 岩城は手で口を塞ぎ香藤のもたらす快感の波に耐えていた。
 初め、この長家で香藤と情事をするかもしれないな、という予感はあった。だが、長家の様子から、これは出来そうもないな、とあっさり思ったのである。別に何も感じなかった。しかし、隣の声が聞こえた時、自分の中の熱が昂ってくるのを感じた。
 どうしても、香藤が欲しくなってしまったのである。
 今、香藤に触れられているところから、快感が全身に広がっていく。忘れていたあの熱を身体が思い出して啼き始める。
「……あ……」
 香藤の丁寧な優しい愛撫がもどかしい。焦れったさを感じて岩城は身を捩った。
 自分の身体が淫らなものになったようで岩城は恥ずかしかった。しかし、香藤だから、こんなに欲するのだと気付くと、自然と心は凪いでいった。
「……岩城さん……舐めるね……」
「…え……ああ……!」
 岩城はもう手で声を押さえていられなかった。側にあった襦袢の袖を噛み、手は夜具を握りしめる。
「岩城さん……」
 こんな風に激しく乱れる岩城を見たのは初めてだった。声を押さえているというのもあるかもしれないが、岩城はもう蜜を流していた。
「岩城さん…見せて……ここ……」
「……香藤……」
 香藤は岩城の足を広げさせ、その秘部を覗き見た。
 暗闇の中、そこは妖しく濡れて光っている。香藤は自分自身の昂りが高まっていくのを感じた。
「……岩城さん…感じてくれてるんだ……俺も感じてる…触ってみて……」
 香藤は岩城の手をとり、自分の昂りに導いた。
「…あ……」
 岩城は香藤のそれに触れ、胸が高鳴った。いつも、自分と一つになるところだったから……
 香藤は岩城の手を離させ、今度は自分の口元に持っていく。そして中指を舐めあげると、その岩城の指を岩城の秘部へ入れた。
「ああ……!」
 突然襲われた衝撃に岩城は背を逸らせる。
「……岩城さん分かる……?いつも、俺が感じてる熱だよ……」
「……あ……あ……」
 自分の指にからみついてくる自分の内を感じる。これを、いつも香藤が感じているのだろうか?
「ひ……!」
 香藤は自分の指もいれてきて、岩城の中で二人の指がからみあった。
「……香藤……もう……」
 激しい快感に、頭の中が破裂しそうだった。岩城の瞳から涙がこぼれる。
「俺も……限界……岩城さん……ゆっくりいれるね……」
 香藤がゆっくりと岩城の中にはいってくる。
『もっと、強く……!奥まで……!』
 恥ずかしくて岩城は言えなかったが、腰が香藤を求めて揺れた。
 香藤もそれを感じで激しく動きだした。
「ああ……!あ……うん…香藤……!」
 我慢していたのは自分だけではないのだと分かり、香藤は嬉しかった。自分が岩城を求めているように、岩城も自分を求めてくれているのが。
 岩城の額から玉のような汗が飛ぶ。
 どんなに乱れようと、激しく腰を動かそうが、岩城から崇高な美しさが消える事はない。岩城を抱く時、まるで鈴の音を聞いているような凛とした清々しさが常にあるのだ。
「綺麗だ……岩城さん……」
「……香藤……」
 その夜、二人は激しく求めあい、何度も身体を繋げた。

 次の朝。
『やばいよな〜……』
 先に目を覚ました香藤は夜具の上でため息をついた。隣ではぐったりとした岩城が眠っている。
 昨夜の自分達の情交はきっと隣に筒抜けであったろう。声を気にしていたのは最初のうちだけで、後は思うまま、求めるままに感じあった。
 新婚さんの方はまだ大丈夫かもしれないが、反対側の老夫婦はきっと御近所の話すだろう。あのおばあさんはいかにもお喋り好きそうであった。
 この長家の住人の性格から言って差別したり、蔑んだりはしないだろうが、冷やかされる事は必定だ。
 しかも、この部屋には風呂がない。
 だが、ちゃんと岩城の身体を拭ってあげたいので湯を湧かさねばならない。当然、水瓶の水は一回では足りず、裏にある共同井戸まで水を汲みにいかねばならない。
 汚れた布も洗わねばならず、きっとそれらを見て皆は事情を察するだろう。
 おば様達の冷やかしが想像できて香藤はため息をついた。
  そして香藤の予想通り、井戸に何回も水を汲み、洗濯をする香藤に長家のおばさま達はひやかしにきた。
「香藤さん〜あんまり無茶させちゃ駄目よ〜」
「そうそう、あの恋人さん細い腰してるんだから〜」
 確かに、今朝の岩城の身体はだるそうで、歩く事もままならない状態であった。
「足りないんだったら、私達が相手になってあげてもよくってよ〜」
「そうね〜香藤さん上手いみたいだし〜」
「洗濯上手いわね〜慣れてるのかしら〜」
 おば様たちは全員で大笑いした。
 そんなひやかしに、顔を真っ赤にして耐える香藤は一つの決心をした。
 岩城と暮す家は一軒家である事。そして絶対風呂付き井戸付きである事、である。