月の夜

その夜、岩城京介はまた同じ夢を見た。月の光が差し込み、ベランダの窓が
音もなく開いて、一人の男が入って来る夢である。
ベッドで眠る岩城は目を閉じている筈なのに、なぜか近付いてくる男の顔が
はっきりと分かる。
男は自分と同じくらいの背格好、髪は茶系で精悍な男らしい顔だちをしてい
るが、こちらがどきりとするぐらい優しい微笑みを浮かべていた。
やがて男は岩城に覆いかぶさるようにベッドに上がり、眠る岩城に口づけて
くる。
夢はいつもここで終わる。
月に一度ぐらいの間隔で見続けてもう半年ぐらいになる。
そして、夢を見た朝は決まって身体が重かった。でも生まれ変わったような
再生感とでもいうのだろうか、なにかが違っているように感じるのである。
どこか淫らな気持とともに………

その日は新しいドラマの初顔合わせの日だった。
共演者やスタッフが一同に介し、挨拶をした後、記者発表が行われる予定で
ある。
今回は初めて共演する役者も多い為、岩城は緊張ぎみであった。
「岩城さん」
「あ、はい」
座っていた岩城にマネージャーらしき男が話し掛けてくる。
「はじめまして、サンライズ・プロの金子といいます。今回共演させていた
だく香藤をご紹介させて頂いてよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
そういえばモデルあがりの新人、香藤洋二という役者とも初めて共演するの
だった、彼はそのマネージャーらしい。
金子の後ろに立っていた男が前に出て来る。
「はじめまして、香藤洋二です」
岩城はその人懐っこい笑顔を浮かべる香藤の顔をみて驚いた。夢にでてくる
男とそっくりだったからである。
「ドラマは初めてですので、いろいろとご迷惑かけると思いますが、よろし
くお願いします」
香藤が右手を差し出す。
「香藤は初ドラマですのでよろしくご指導ください」
「………………」
「岩城さん?」
「………………」
「岩城さん?あの………」
「え、え、あ、ああ、すみません、ボーとして」
差しだされた手を岩城は慌てて握り香藤と握手した。驚きのあまり胸が高鳴っ
ている。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
と、何でもない風に装いながら岩城は香藤の顔をじっと見つめた。
「俺、役者としての岩城さんを尊敬していますので、今回は共演できて非常に
嬉しいです」
香藤が眩しい笑顔をまた向けてくる。あまりに眩しくて見つめていられない
程の………
「あ、そんな…光栄です………」
何故か恥ずかしくなる岩城が少し俯いた時、スタッフに呼ばれ彼等は去って
いった。
その時、部屋に監督が入ってきたので顔合わせを始める事になった。
他目的室の大きな机を囲むようにして用意されたパイプ椅子に皆が腰かける。
監督から挨拶とドラマの簡単な内容、撮影の方向性などが話された。
『かわいいな〜岩城さん。さっきは驚いてたな〜』
離れた席に着いた香藤は、向いの前方に座っている岩城を見つめていた。
彼は相変わらず美しいオーラを纏っている。
真っ白で澱みのない純粋な生気。
初めて見た時には信じられなかった。
人間の中でこれ程美しいオーラを持った人がまだいたのかと………
先程の驚いた顔が目に浮かぶ。
いつも彼の記憶は消しているので、自分を覚えていないだろうと思っていたの
だが、断片的な記憶が残っているようである。
『でも多分夢だと思っているんだろうな』
香藤は少しせつなくなる。
だが仕方ない。人間に自分達の存在を知られてはならないし、何より知らない
方が岩城の為だ。
だから覚えていなくていいのだ。月の夜の事は………
しかし、どうしても香藤は岩城の心に自分を残して欲しかった。
自分の存在を覚えておいて欲しいのだ。
だから人間として近付いた。こんな風に俳優としての香藤洋二なら友人になれ
るだろうから。
恋人としてでなくてもいいから、俺を知っておいて欲しい、覚えておいて欲しい。
香藤は熱い想いを胸に秘めながら岩城を見つめ続けた。
すると香藤の視線に気がついたのか、岩城が振り返る。目の合った香藤は微笑み
かえすが、岩城は頬を赤く染めて前に向き直した。
なんて明るく笑うんだろう、岩城の胸はまだ高鳴っていた。なぜ自分がこんなに
ドキドキしているのか、その原因は分からないまま………

ドラマの撮影は順調に進んでいった。
当初、漂っていた遠慮しているような雰囲気はなくなり、役者もリラックスして
演技する事ができていた。
これ程すぐに役者同士が打ち解けられたのは、香藤の存在が大きかった。
親しみやすく明るい彼は現場のムードメーカーであり、彼のおかげで役者とスタ
ッフの間の信頼感が増したと言っても過言ではなかった。
香藤はスタッフやそれこそアルバイトのような者にまで分け隔てなく接している
ので、皆から評判も良かった。
「カット!はいOK、ごくろうさま〜」
演技が終わり、岩城はほっと息をついた。
「岩城さん」
香藤は走り寄ってくる。
「香藤?どうした、お前。今日は出番なかったんじゃないのか?」
「うん、俺はないんだけど岩城さんの演技見たいから来ちゃった」
「ば、ばかだな、一緒になった時いくらでも見れるだろう」
「いや、岩城さんのシーンなら全部見ておきたいと思ってさ」
「な、なにを………」
岩城は顔を赤くした。
撮影が始まってから香藤にしょっちゅう話かけられ、よくちょっかい出された。
でも、不思議と疎ましくならないのである。
香藤と話すのはとてもおもしろくて楽しいのだが、夢の男に似ているせいか、
時々訳もなく胸が高鳴るのだった。

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月の美しい夜。
香藤は岩城のマンションのバルコニーに立っていた。
最上階の10階であるが、香藤には楽に飛び移れる高さであった。
手をかざすと窓の鍵がはずれ一人でに開く。
部屋に足を踏み入れるといつものようにベッドに岩城が眠っている。
「岩城さん………」
ベッドに乗り彼の上に覆いかぶさる。すると岩城が目を開けた。
「……誰…だ………」
「……俺だよ…香藤だよ………」
「香藤………」
「うん………」
「来てくれたんだ………」
「うん……来たよ………」
「香藤………」
岩城は香藤の背中に手を回して抱き締めた。香藤も同じように彼を抱き締める。
そして、どちらともなく唇を重ねた。
「ん……んん………」
吐息を奪う程の熱い口付けをかわしながら、香藤は岩城のまとっていたシーツを
はね除けた。
項に口付け岩城の寝間着のボタンをはずしだすと、岩城も香藤の着ていたコート
を脱がせる。
お互い相手を欲して手をのばすと二人の生気が絡み合いだしたのであった。

香藤は吸血鬼だった。
正しくは吸血鬼と人間のハーフである。
昔、香藤の母がヨーロッパに旅した時父と知り合ったのであった。
父が人間によって殺されてから母は日本に帰り、お腹にいた香藤を産んだのだ。
幼少の頃は普通の人間と変わりく生活していた。普通の食事をし、普通に成長し、
太陽の光を怖がったりしなかった。また血など飲んだ事もない。
ひとつだけ違ったのは香藤は人間のオーラが見える点だった。
オーラとはその人間のもっている生気であり、命のもつ力であり、性質を現わす
ものである。
美しい心の持ち主は美しいオーラを纏っているので、香藤は決して外見に惑わさ
れず、その人間の本質を知る事が出来た。
だが、声変わりが起こり始めた時期から香藤の身体に異変が生じてきた。
異常に怪我の治りが早くなったり、人間にはできない力をもつようになったので
ある。
それにともない、身体がオーラを欲するようになった。
今まで見えるだけだったオーラを、奪う事が出来るようになってしまったのだ。
生気を吸い取られた人間は体力を奪われ、死んでしまう時もある。
香藤は自分の欲望を押しとどめた。どうしても欲しい時は何人かから少しずつも
らう事にした。
しかし、我慢するのはさほど辛いものではなかった。
なぜならほとんどの人間のオーラは汚れていて、食指がわくような人間にはさほ
ど巡り合わなかったからである。
だから、初めて岩城を見た時にはあまりの美しさに驚いてしまった。
自分より年上で芸能界という場所にいながら、何故そんなに真っ白なオーラをも
っているのだろうか、と。
欲しい………
香藤は初めて自分からその人を欲したのである。
我慢出来ず香藤は岩城の部屋に忍び込んだ。
寝ている岩城に近付き、そっと頬に触れてみる。
白い生気が香藤の身体に電撃のような衝撃を与えてくれる。
ほんの少しだけ………
と、香藤は岩城の生気を吸い取ってしまった。
清らかな気が香藤の身体に入り込み、その全身に広がっていく。
味わったことのない快感を感じて香藤は目眩がした。
もっと欲しい………
しかし、これ以上奪うと命の危険性がある為出来なかった。現に今の岩城の
顔色は少し悪い。
自分を必死に押さえて香藤は立ち去った。
何度も岩城を振り返りながら………

次の日、噂で岩城が楽屋で倒れたと聞き、香藤は心からすまない、と思った。
もう、彼の元には行くまい…………
そう思ったのに、結局香藤は岩城の部屋を訪れてしまった。
一度味わってしまったあの美しさを忘れるなど出来なかったのである。
以前と同じように彼の触れ、生気を奪うと岩城が目を開けた。
香藤は心臓が飛び出るかと思う程驚き、彼の美しさに見とれてしまう。
頬を上気させ、熱い息を吐いて、情欲に濡れた美しい瞳で自分を見上げている。
無理もない、生気を奪われる時の感覚は性欲の時の感覚と同じなのだから。
「…だ……れ………?」
切な気な声を岩城があげた時、香藤は我慢出来ずに彼に口付けていた。
「……ん…ん……や………」
欲しい…岩城さんが……もっと………
深く口付けて香藤は岩城の服を脱がせ始めた。
このまま奪い続ければ、きっと自分は岩城を殺してしまうだろう。
しかし、奪った分の生気を与えてやれば死ぬ事はないし、やみくもに体力を消耗
する事もない。
奪う事のできない普通の人間に生気を与えるには、身体を交わえなければならな
かった。
岩城の身体を愛撫して、生気を奪ってゆく。
それと同じように香藤の生気が岩城に流れていった。
「……あ……あ………」
わずかに抵抗しようとするが、生気を奪われて力のでない岩城はそのまま香藤の
もたらす快感に溺れていく。
身体をよじり、足をくねらせ、シーツを乱れさせ、濡れた吐息をはいて………
岩城の身体に手を這わせると、その滑らかな白い身体はまるでシルクに触れてい
るかのような感触を伝えてくれる。舌で触れると濡れたその部分が月に照らされ
て妖しく光った。
もっと感じたい………
「ああ………!」
香藤が岩城のそこに触れると彼の背中が大きくしなる。身体を動かすが、足を閉
じようとはしなかった。
すでに濡れていたので指は何の抵抗もなく入る。
「…ああ……は…んん……!」
岩城の腰がもっと欲しているかのように揺れはじめる。
香藤が岩城の足を持ち上げ、彼の内に自分を入れた。
岩城が声をあげて身体をくねらせる。
逃げようとする一方で、香藤の身体に足をからめて深く受け入れようとしている。
身体中が香藤を感じているようだった。
だがそれは香藤も同じだった。
「岩城さん………!」
身体を激しく揺さぶり、香藤は瞳を閉じた。
美しい生気が流れ込み岩城のすべてが自分の内に入ってくる。そして自分のすべ
てが彼の内に………
二人の美しいオーラがからみ合い、一つとなって高く上りつめていく。
これ程の快感を感じるとは思ってもみなかった。
人と生気を交合わせるなどやった事がないのだから………
しかし、彼だから、岩城だからこれ程感じるのだ。
「岩城さん……すごい……感じるよ………」
「う…ん……あ………」
「欲しい……岩城さんの……全部………俺にくれる………?」
涙を零して恍惚とした表情を浮かべる岩城が香藤を見ていた。
「俺をあげるから……全部あげるから……俺をもっと感じて………」
「はあ……あ………ん………」
「岩城さん……愛してる………」
香藤はひとつになって揺れる岩城にそのまま身体を折り曲げて口付ける。
濡れた舌をからませながら、香藤は岩城を愛している自分に気付いたのだった。

夜明け前、香藤は岩城の記憶を消して去っていった。
そしてそれから香藤は月に一度の間隔で岩城と一夜過ごした。
それぐらいの間を開けなければ岩城の身体がもたないからである。
香藤としてはあの昂揚と一体感を知ってしまったので、待つのは辛かった。
しかし、身体的なものより、どんなに素晴らしい夜をすごしても、岩城が覚えて
いないという事実の方が辛かった。
こんなに愛しているのに岩城は自分を知らないのだと………
知っているのは香藤の生気を感じた岩城の身体と、一つになった二人を照らす
月の光だけなのだ。