注意:このお話は私の大好きな童話作家、安房直子さんのお話が元になっております。
   ご存知の方でイメージを壊したくない方はご覧にならないで下さい。
   よろしくお願いいたしますm(__)m

海の時間

 ある海辺の村に香藤洋二という若者が住んでいました。とてもハンサムで
性格も明るくて社交的で、村の女の子達からいつも注目されていました。
 そして、その香藤は今年の夏祭りで大太鼓を叩く数人の役に選ばれたので
す。
 夏祭りはこの村一番の大掛かりな祭りで、皆、毎年楽しみにしているので
す。中でも高い櫓に組まれた大太鼓を叩く役に選ばれる事は若者にとって大
変名誉な事なのです。
 香藤も嬉しくて、頑張って練習しようと思いました。が、漁や生活に追わ
れてなかなか思うように練習できませんでした。家の用事が済んだ頃には、
かなり遅い時間になってしまうので、太鼓の大きな音は近所迷惑になってし
まうからです。こんな事では本番で恥をかいてしまいます。
「はあ〜せめて一日がもう一時間多かったらな〜」
 香藤は浜辺でため息をつきながら呟いてしまいました。
「私が時間をあげようか?」
「え?」
 誰かの声がしました。香藤は辺りを見渡しますが、誰もいません。
「気のせいか……」
「私が時間をあげようか?」
 また声がします。香藤は辺りを見渡しました。すると、足元の砂の中に大
きな海亀がいるのに気がつきました。
「…もしかして今俺に話し掛けたの、あんた?」
「そうだよ私だよ」
 亀が口を聞くとはびっくりです。しかし猫も百年生きれば妖力がつくとい
うし、この亀はどう見ても二百年は生きていそうです。
『ま、そんな事もあるかな』
 と、香藤は持ち前に明るさでそう考えました。単に深く考えてないだけか
もしれませんが……
「時間くれるって言ったの?俺に?」
「そうだよ」
「本当に?そんな事できんの?」
「ああ、できるとも。これから毎日、あんたに私の時間を一時間だけあげる
よ。その時間は誰も知らない時間だから、あんたの好きに使えばいいさ」
「へ〜いいのかい?でも、その時間って亀さんの時間なんだろ?大丈夫なの
かい?」
「ああ。私はね、もうかれこれ二百年以上も生きてきて、まだ百年ぐらい時
間が残っているんだよ。もうあきあきしてるのさ。さっさと使ってしまいた
いんだよ」
「そうなんだ〜ありがとう」
「但し、只じゃないよ」
「え〜!くれるって言ったじゃん!俺お金なんて持ってないよ〜」
「亀がお金もらってどうすんだい。私が欲しいのはお酒だよ」
「お酒?」
「ああ、毎日私にコップ一杯お酒をおくれ。時間と交換だよ。どうだい?嫌な
らやめてもいいんだよ」
 香藤は一瞬迷いました。お酒が惜しいのではなく、亀の言っている事が本当
かどうか分からないからです。
『でも、嘘だったらお酒もっていくのやめればいい訳だし、別に損はしないな〜
まあ、騙されたと思ってやってみるか』
「分かった。取り引き成立だ。俺に時間をくれ」
「よし、それじゃ早速今夜からあげるよ。真夜中12時からきっちり一時間だよ」
 亀はそう言ったっきり寝てしまいました。

 そして、その日の真夜中12時前、香藤はドキドキしながら待っていました。
が、12時になっても何も起こりません。
『あれ?』
 嘘だったのか?からかわれたのかな?と、香藤は戸を開け、外を覗いてみま
した。別に何の変化も見られません。
『やっぱり嘘だったのかな〜』
 が、香藤がふと時計を見ると針が止まっているのに気付きました。一瞬壊れ
たのかな?と思いますが、香藤ははっとしました。
『もしかして、これが亀の言ってた誰も知らない時間?』
 香藤は恐る恐る家の練習用に用意していた大太鼓を叩いてみます。
 ドーンと、辺りに大きな音が響き渡りました。が、誰も何も言ってきません。
念のため外を覗いてみますが誰かが起きた気配はなく、香藤は胸を踊らせまし
た。
「やった〜!」
 香藤は思いきり太鼓を叩きました。
 そして一時間程たった頃、時計を見ると秒針が動き始めました。誰も知らな
い時間が終わったのです。
『これから思いっきり練習ができるぞ〜』
 香藤は嬉しくて、家の中を飛び跳ねました。
 次の日、香藤は約束通り、浜辺に寝ている亀の元にお酒を持って行ったので
した。

      *

 それから毎日香藤はこの時間を使って太鼓の練習をしていました。やはり誰
も知らないらしく、村人達は太鼓の稽古はしているかい?と口々に聞いてきま
した。
「ああ、毎日しているよ」
「本当かい?一度も聞いた事がないけど?今度聞かせてくれよ」
「ああ、そのうちね」
 香藤は心の中で、いっぱい練習して本番になってから聞かせてやろうと考えて
いました。
『上手くなった太鼓を聞かせてびっくりさせてやる!』
 そう思い、香藤は毎日練習に励みました。
 そんなある日、いつものように誰も知らない時間に太鼓を叩いていると、誰か
の声が聞こえたのです。
「こんばんは」
『え!誰だ!?』
 香藤はびっくりして手を止めました。もしかして時間が終わっていたのだろう
か?と、時計を見ますが、針は止まったまんまです。
「こんばんは」
 また、戸の外から声がします。
 香藤はどういう事だろうか?と不思議に思いつつも、戸を開けました。
 すると、そこに一人の美しい若者が立っていたのです。
 黒い髪に黒い大きな瞳。着ている白い着物に負けないくらいの白い肌。細く赤
い唇。
 あまりに美しくて、香藤はしばし声も出ませんでした。
「こんばんは」
「あ、ああ…こ、こんばんは」
 見とれていた香藤は彼の声にやっと我に返りました。
「すみません、大切な時間にお邪魔してしまって……あまりに素敵な太鼓の音だっ
たもので、つい……」
「い、いえ、そんな事……入りますか?」
「いいのかい?」
「ええ、どうぞ!」
 中に招きいれると座ぶとんを薦めて、その上に座ってもらいます。香藤の胸は
この美しい人を前にして、破裂しそうなぐらい高鳴っていました。
 見れば見る程綺麗な人です。年は香藤より少し上のようです。
 香藤も男前ですが、自分とはまた違った雰囲気で、男とか女とか性別を越えた
ような美しさだと香藤は思いました。第一、男性を美しいと思うなんて今までな
かった事です。
「あの〜俺は香藤洋二っていいます。あなたは」
「あ、俺は岩城京介」
「あの〜岩城さんはどうして太鼓の音が聞こえたの?亀から時間をもらったの?」
「いえ、亀の夢の中にいるんだ」
「え?亀の夢?」
 岩城の話によると、岩城は何年も前に隣の村に住んでいたのだそうです。
 両親は亡くなり、お兄さん夫婦と暮していましたが、ある日、そのお兄さんが
病気になってしまったのです。もう、助からないだろうと言われ、岩城は一人、
浜辺で涙にくれていました。そこに亀がやってきて、何故泣いているのか聞いて
きたのです。訳を話すと亀は、亀の甲羅を煎じて飲むと治る、と教えてくれまし
た。
「本当かい?」
「但し、百年を超える亀の甲羅じゃないと駄目だよ。まあ、そんな亀はそう簡単
には見つからないけどね」
「そんな……あなたは、亀さんあなたの年は?」
「私はもう百年は生きているよ」
「じゃあ、あなたの甲羅を分けてもらえないだろうか?」
「そうだね〜あげてもいいけど……」
 亀の目がキラリと光り、岩城はドキっとしました。
「あんたが私の夢の中に入ってくれるならあげてもいいよ」
「夢の中?」
「ああ、海の中の一番深い所に私の夢の壺があるんだ。その中に入って私の夢に
なってくれるなら、甲羅をあげよう」
「夢に入ったらどうなるんだ?」
「別にどうもなりゃしないよ。私は長い間生きてきて、眠るぐらいしかする事が
ないんでね。そこにあんたみたいな綺麗な人が入ってきたら、夢も少しは華やか
なものになるだろう」
「……………」
 岩城は迷いました。しかし、お兄さんの具合は日に日に悪くなる一方です。お
兄さんには可愛いお嫁さんもいるし、子供だっているのです。死なせる訳にはい
きません。今までお兄さんは亡くなった両親に変わってすっと自分の面倒を見て
来てくれたのです。今こそその恩を返す時では?自分は結婚もしていないし、お
兄さんは悲しいかもしれないけど、自分も死ぬ訳ではないし……
 岩城は決心しました。
「分かった。夢の中に入るから甲羅をくれ」
 そして岩城は甲羅を一枚もらって家に帰りました。すぐに煎じてお兄さんに飲
ませると、みるみる回復していったのです。
 お兄さんがすっかり元気になった頃、岩城は真夜中こっそり家を抜け出しまし
た。約束どおり、亀の夢に入る為、海に飛び込みました。
 すると岩城の身体はまるで決まっていたかのように、海の奥へ、奥へと沈んで
行き、透明な壺の中に入っていったのでした。
「あれから何年たったんだろう……」
 話終えた岩城はぼつりと呟きました。
「……そうだったんだ……亀の夢の中ってどんなの?」
「とろーんと時間が流れている感じかな。時々魚が入り込んできて、挨拶してい
ったり、半分眠っているようで、俺はもう、別にこのままでもいいかなって思っ
ていたんだ。そうしたら太鼓の音が聞こえてきて……」
「え、俺の?」
「ああ、その音を聞いたら、帰りたくて堪らなくなったんだ。あの地上の世界が
懐かしくなって、いてもたってもいられず、こうして来てしまったんだ」
「じゃあ、このままいればいいよ」
 香藤の言葉に岩城は首を横に振りました。
「俺が出てこれるのは、この誰も知らない時間の間だけなんだ。しかも亀が夢を
見ている間は出られないし……」
 そう言った途端、岩城の姿は目の前から消えてしまいました。
「ええ!なんで〜!」
 驚いた香藤が時計を見ると、12時から時が過ぎていきます。
「あ〜もう!」
 香藤は地団駄を踏みました。

      *

 次の日、香藤は一日中、岩城の事を考えていました。彼の顔が、声が、あの美
しい姿が瞼に焼き付いて離れません。
 岩城はまた来てくれるだろうか?そればかりを考え、時間が過ぎてゆきました。
 12時になり、香藤は太鼓を叩き始めました。
 岩城に届きますように、彼が来てくれますように、と願いを込めながら……
 その祈りが通じたのでしょうか、岩城がやって来てくれました。香藤は飛び上
がらんばかりに喜びました。

 それから毎晩岩城は香藤の所にやって来ました。あの誰も知らない時間の間だ
け……
 香藤の太鼓を聞き、話をしながらその時間を過ごしました。それはほんのわず
かな時間でしたが、二人にとってはかけがえのない時間になっていきました。
 しかし、二人がどんなに望んでも、時間が過ぎるか、亀が眠ってしまうかする
と、目の前から岩城は姿を消してしまうのです。香藤は岩城の姿が消える度に、
たとえようもないぐらいの喪失感を味わいました。
 香藤は岩城を好きになっている自分に気が付いていました。
 彼ともっと話したい、いっしょにいたい、一時だって離れてたくない。
 狂おしい程想っているのに……
 ある日、香藤は堪えきれず、岩城にキスをしてしまいました。岩城は驚いてい
ましたが、嫌がる素振りをしませんでした。そしてそのまま消えてしまったので
す。
 香藤はもう来てくれないのでは、と後悔し、悩みに悩みました。でも、その夜
も、岩城は香藤の元を訪れました。
「……岩城さん……」
「……………」
「岩城さん!良かった!」
 嬉しくて、香藤は岩城を思いきり抱き締めました。
「もう来てくれないかと思った……」
「香藤……」
「……岩城さん…俺…あなたが好きです……」
「……………」
「……愛してる……」
「……香藤……俺…も……」
「え………?」
「俺も……お前が……好き……」
「…岩城さん…本当に……?」
 岩城は真っ赤になって俯いていましたが、コクンと微かに頷きました。
「岩城さん!」
 香藤は岩城に激しく口付け、そのまま畳みの上に押し倒してしまいました。
「う…んん……」
 唇を離すと岩城が大きく息をつき、潤んだ瞳で見上げてきます。その美しさに
香藤は頭がぐらぐらしました。身体が熱くなり、某所もかなりヒートアップして
きているようです。
 落ち着け香藤。いくらなんでも展開が早過ぎないか?
 などという筆者の呟きは香藤の耳に入りません。
「岩城さん……」
 香藤は再び岩城にキスしようと顔を近付けましたが、唇が合わさる瞬間岩城は
消えてしまい、香藤の口付けは畳の上に落ちました。
「え!て、なんだよ亀の奴〜!」
 人の恋路を邪魔しやがって〜!残された熱情をどうしろというのだ〜!
「もう、我慢できない〜!」
 こんな決められた時間しか岩城といっしょにいれないなんて堪えられない〜!
 と、一人残された香藤は呻きました。

 朝になると、香藤は決心して浜辺に行きました。あの亀を見つけて話し掛けま
す。
「もしもし亀さん、亀さんよ〜」
 どこかで聞いたようなフレーズで、香藤は亀を起こしました。
「ん?なんだい、あんたかい?」
「ああ、なあ、亀さんものは相談だけどさ、あんた綺麗な男の人の夢見てるだろ」
「……ああ……」
「もう、そろそろ違う夢見たいと思わない?」
「……どんな?」
「そりゃ、いろいろあるだろうけど、船の夢とか鳥に乗って空を飛ぶ夢とか……」
 どっかの小説であったような事を言って、なんとか説得しようと必死の香藤で
した。が、
「もしかして、夢の中にいる子を外にだしたいとか思っているのかい?」
 図星を言われて香藤はドキリとしました。
「残念だけど、それは出来ないね」
「どうして!?他にもおもしろい夢はいっぱいあるじゃないか。なんだったら俺が
探してくるから、その人を出してやってくれ!頼む!」
 香藤は両手を合わせました。
「だから出来ないんだよ」
「え?」
「夢の中に入った人を外に出す方法なんて知らないんだよ」
「……本当に……」
「ああ、悪いね……」
 香藤は力が抜けて、ペタンと浜辺に腰掛けました。
「……はあ〜……」
「本当にすまないね」
「……じゃあさ……俺も夢の中に入れてくれよ」
「そりゃ駄目だよ」
「どうして?」
「……いい若者がそんなことしちゃいけないよ」
「でもそれ以外に岩城さんといっしょにいる方法はないんだろ!頼む!俺も夢の
中にいれてくれ!」
 香藤は必死に亀に訴えました。
「岩城さんはずっと夢の中に入っているんだろ。これからもずっと一人なんて寂
しすぎるよ。可哀想だ」
「…………」
「俺も入れてくれ」
 亀はいい若者がそんな事をしてはいけない、と言いましたが、香藤が自分の
夢の中に入って、岩城とラブラブに過ごされてはこりゃたまらん、と思ったの
です。
 しかも、この香藤は絶対あ〜んな事もこ〜んな事もするに違いありません。
そんなドピンク色の夢を見るのはごめんです。
 さすが二百年以上生きている亀。洞察力は人一倍、いや亀一倍です。だから、
香藤が情熱の固まりのような男で、そう簡単にあきらめないだろうという事も
分かっていました。
「……分かったよ…夢から出す方法考えてみるから…ちょっと待ってくれよ…」
「本当に?いつまで?」
「そうだね、明日の夏祭りの夜まで待っておくれ」
「本当に?本当に岩城さんを夢から返してくれるんだね」
「ああ…約束するよ……」
「……分かった……信じるよ……」
 香藤は亀を信じる事にしました。
「夏祭りの夜は長いよ……」
 ぼそりと亀が呟きました。

      *

 そして、夏祭りの夜がやってきました。
 祭りは深夜まで続き、皆、太鼓の音に合わせ踊り明かすのです。
 太鼓打ちに選ばれた若者は、順番に太鼓を叩いていましたが、香藤は叩き
ませんでした。
 12時きっかりに、あの誰も知らない時間に叩こうと思ったのです。そして、
その時がくると香藤は櫓の上に登りました。腕時計で秒針が止まったのを確
認すると、思いきり叩きました。
 すると、村人達が口々にはやし立てます。
「おお、すごくいい音だね洋二」
「本当だ。いつの間にそんなに腕をあげたんだい?」
「え!お、俺の叩いてる太鼓の音が聞こえるの?」
 香藤はびっくりして尋ねました。
「何言っているんだ、当たり前じゃないか」
「上手いな〜さあ、叩いてくれよ、皆踊れないじゃないか」
「あ、ああ……」
 香藤はとまどいつつも太鼓を叩きました。ちらっと腕時計を見ると、やっ
ぱり止まったまんまです。本当に壊れたのか?電池切れか?と考えていまし
たが、理由が分かりました。
『そうか、村の人達全員が知らない時間にいるんだ。皆、亀に時間をもらっ
ているんだ』
 納得した香藤は岩城に届くようにと、一心不乱に太鼓を叩き続け、村人達
は楽しそうに櫓の周りを踊り続けました。
 どれ程時間がたったでしょう。
 気がつくと、夜空が白み始めていました。
「うわ、夜が開けちゃったよ」
「一晩中踊りあかしてしまったな〜」
「これも香藤の太鼓のおかげだな。あの音のおかげで時間がたつのを忘れて
しまったよ」
 村人達は踊るのを止めて、明るくなっていく空を見上げました。
 櫓の上から香藤も明けていく空を眺めながら、岩城はどうなったのかと考
えました。
 すると、村人の輪から少し離れたところに岩城らしき人影が見えたのです。
『岩城さん!』
 櫓を降りた香藤は急いで岩城の元に駆け付けました。
「岩城さん!」
「香藤……」
 まごう事なく正真正銘の岩城です。時間は流れているのにちゃんとそこに
立っています。
「亀の夢から出られたんだよね。本当に。もう消えたりしないよね」
「ああ、夢の中から出られたみたいだ。でも、どうやって……」
 不思議そうな顔をする岩城を我慢できなくなった香藤は思いきり強く抱き
締めました。
「良かった……」
「香藤……」
 二人はお互いの存在を確かめるように、長い間強く抱き締めあっていまし
た。
 そして、あの亀を探して浜辺に行ってみました。姿を見つけて近寄ると、
亀は死んでいました。
 自分のもっている時間をすべて村人達に与え、時間を使い果たしていたの
です。
 岩城と香藤はお互いの手をしっかりと握りしめ、朝日の上る海を見つめま
した。
 これから共に生きていく時間を想いながら……