幽鈴(後編)

意識を取り戻した岩城に香藤はお松の事を話した。
香藤は動揺するだろうと予想していたが、先程の出来事から察し
ていた岩城は冷静に受け止めた。
「…やはりな……この世のものではないと思った………」
「……そう、分かってたんだ………」
「ああ………」
「岩城さんをつれていくつもりなんでしょ」
「らしいな………」
香藤は夜具から出ていた岩城の手を握りしめる。
「いかせないよ………」
「俺もいく気はない………」
そうだ、岩城さんはつれていかせない、誰にも渡さない、俺のも
のだ。

次の日の朝、清水屋の女将に相談すると、彼女は驚いたが、そう
いった事に有名な和尚を知っているというので、紹介してもらっ
た。なんでも高野山のほうで修行してきた高名な僧らしい。使い
をだすと、こちらに来てくれるという返事が返ってきた。出かけ
ようと思っていたが、岩城の側を離れたくない香藤はありがたか
った。岩城の顔色はまだ青く、床からでられなかったので。
正午過ぎ、穏やかな雰囲気の和尚が離れにやってきた。
事情を説明すると、和尚は持っていた重箱の中から何枚かの護符
を取出した。
「物の怪に憑かれたものは、そのものとのつながりを十日と三日
断っていれば、縁が切れると言います。この護符を貼って、部屋
に十三日間閉じこもっていなさい。そうすれば、その女の物怪は
永久にあなたの前に現れないでしょう」
「この護符は?」
「般若心経の写しです。障子や襖、玄関など通り道があるところ
に貼ってください。日のあるうちは大丈夫でしょうが、夜は夜が
明けるまで絶対にはずさないように」
「それだけで大丈夫なのですか?」
「今のところそれしか方法がございませんな」
「岩城さん、お医者様がお見えになりましたよ」
青い顔をしている岩城を心配して、清水屋の女将がまた、医者を
連れて来た。
「すみません、女将。御迷惑おかけして………」
岩城は申し訳なさそうに頭を下げる。
「何をおっしゃるんですか、そんな事心配なさらないで下さい。
岩城さんはお身体の回復だけを考えてください」
岩城が女将と話している時、和尚が香藤に目配せをして部屋の外
に促した。
そっと部屋を出て廊下に立つと和尚が小声で話しかけてきた。
「あの方の前では言いませんでしたが、女の物の怪は相当未練が
あるようですな、あの方に」
「………らしいですね………」
「今も物の怪の残留思念を感じます。死相も浮かんでおりますゆ
え、お心を強くお持ち下さい」
「分っています………」
香藤は手を強く握りしめる。
「あなたにとってあの方は大切な方のようですな」
「はい」
「では、これをあなたにお貸ししましょう」
和尚は床に置いてあった木箱を拾い上げ、中から太刀を取り出し
た。その太刀から白い清らかな気を感じたので、香藤はかなりの
名刀だと分った。
「これは?」
「牛王の太刀と言いましてな、魔性を切る力がある神剣といわれ
ています」
「神剣ですか?」
「神剣は扱う人を選ぶといいます。力なき者が扱えば神剣が怒り、
風返しが起きるので滅多使うことはないのですが、あなたならば
大丈夫だと感じましたのでお貸しいたします。どうやらあなた
は魔をおびえさせる陽の気をおもちのようだ。何かあった時には
これで物の怪を打ちなされ」
「感謝いたします、和尚」
香藤は頭を下げると太刀を取った。
太刀の力強い気を感じて、香藤は決意を新たにするのだった。

**************************

その日から、岩城と香藤は離れにこもった。香藤は昼間、道場に
教えに行っていたが、日が沈む前に必ず帰ってくるようにした。
香藤としては道場など行きたく無かったが、師範に頼むと言われ、
岩城にも行くように説得された。昼間は清水屋の誰かが必ず付き
添っているので大丈夫だからと言って。
仕方なく道場に通うが、香藤は心配で堪らなかった。
最初の何日間かは何ごとも無く過ぎた。が、四日目から夜になる
と離れの回りを誰かが歩いているような気配が漂い出したのであ
る。時折風鈴の鳴る音がした。
お松がこの世の者でないと分ってから、風鈴は縁側からはずして
箱に入れ、岩城の父母の位牌のある神棚の奥に置いてあるのでそ
の音ではない。
あきらかに魔性の気の音である。
顔色の悪くなった岩城を香藤は抱き締める。微かに震える身体が
痛々しかった。
清水屋の者も訳を聞いて知っていたが、中にはおもしろがる者が
いた。
七日あたりだろうか、魔性の者を見てやろうと決起盛んな男が二、
三人離れに近付いたが、離れの回りを回っている人魂を見て逃げ
帰ったそうである。
その者達は次の日、熱をだして倒れてしまった。

そして十三日目がやってきた。
その日の香藤は朝から落ち着かなかった。道場に来てはみたものの、
稽古にも身が入らず始終ボーとして師範に怒鳴られっぱなしであ
った。ここ最近のいつものことであるが、今日は更に悪い予感がす
るのである。
「香藤、もういい早く帰れ」
師範に呆れ顔でそう言われた時は心底ほっとした。
これで、岩城の元へ帰れる。
素早く片付けると急いで道場を飛び出して行った。
まだ、夕暮れ刻で、日が落ちるまで時間がある。しかし香藤は足早
に道を歩いた。
岩城が心配でたまらない。こもり始めた時から当り前だが岩城は元
気がなかった。
他の者の前ではださないようにはしているが、無理に笑顔を作った
り、平気な振りをしているのはすぐ分った。
自分といる時だけ、岩城は不安な気持を口にした。
本当に大丈夫なのだろうか、と………
香藤はその度に大丈夫だと言い、抱き締めて安心させてやるのだが
岩城の不安は消えなかった。
自分にだけは本音を見せてくれる事は不謹慎だが嬉しいと思う。
しかし、不安そうな岩城をこれ以上見ているのは堪えられない。
今日で、今日さえ終われば………
そんな事を考えていると、香藤はふと、自分がどこを歩いているの
か分からなくなった。
『え?』
いつもと同じ道、分からなくなるなんてある訳がない。見なれない
屋敷の壁に石の道標が目に入る。いつも曲がる所をまっすぐに来て
しまったのだろうと、香藤は引き返した。そして、歩いていると、
また再び先程の石の道標の場所に出る。
「なんだと………」
思わず声がもれる。また、引き返そうと別の道を走るがまた同じ
場所に戻ってしまう。
しまった。まやかしか!
物の怪の力か香藤は閉ざされた空間に迷いこんでしまったのであ
る。

**************************

「おふみ、もういいから母屋に帰りなさい」
「でも………」
もうすぐ日が暮れるというのに香藤の戻る気配はない。
香藤が帰るまでの間、清水屋の者が必ず岩城の側にいるのだが、
例の店の者が熱をだして倒れてから、皆怖がってこの離れに近付く
者はほとんどいなくなっていた。
そんな中、利発なおふみは大好きな岩城さんと香藤さんの力になり
たいと、岩城の側にいる事をかってでてくれたが、彼女も怖がって
いるのはあきらかである。これ以上無理をさせる訳にはいかない。
日が落ちる前に札を貼り、結界を創るのだが、そうなると、外の者
は誰であろうと中に入れない。
だからこそ、香藤は日の沈む前にここに帰ってきていたのだが……
しかし、もう時間はない。
「大丈夫だ、札を貼るから手伝ってくれるか?」
「はい、では私も中にいましょうか?」
かすかに震える声でおふみが尋ねる。
「いや、だめだ。おふみは帰りなさい。いいね」
岩城のいつにない強い言葉におふみは頷くしかなかった。
家に札を貼り終えると、岩城は居間のまん中に独り座った。
今日で最後である。
お松も必死になっていると、分っている。彼女のあの耳元で囁かれ
たおぞましい言葉。
『いっしょにきてくれますよね』
彼女は本気だった。本気で自分をあの澱んだところへつれていく気
なのだ。
岩城は彼女を哀れに思っている、が、自分は行く気はない。まだ、
香藤という光の側にいたいから。
どんな事をしてでも、誰を傷つけてでも………
自分がこれ程の情熱をもっているなど、今まで気がつかなかった。
香藤の事なら自分はどんなにも貪欲になれる、すべてを賭けられる。
香藤がここに帰れないのは、お松が何か邪魔をしているからだろう
か?
しかし、香藤はきっと来てくれるだろう。それまでは独りでも戦っ
て自分は勝たなければならない、そう独りでも、香藤と生きる為
に………

日が降ちる。辺りが闇に包まてからかなりの時間がたち、虫が鳴
き始めた。すると突然虫の音が止み、無気味な気配が漂いだす。
「岩城さん、そこにいらっしゃいますよね?」
お松の声が縁側から障子越しに聞こえる。
「琴を聞かせていただきたいのです。ここを開けて下さいな」
岩城が独りである事が分っているのだろう。香藤のいる時には声
等かけてこなかったのに。
「……………」
「どうしたのです、開けて下さいな」
「………お松さん……どうかお帰り下さい。私はあなたとはいき
ません」
「なぜ、そんな事をおっしゃるのです?岩城さんあんなに優しか
ったじゃありませんか。開けてください」
「駄目です。私はここにいたいのです」
「あなたが好きなのです、岩城さん」
「……私は愛している人がいるのです。その人と共に生きたいの
です。分って下さい」
「いやです、あなたは私のものです」
お松が障子を叩きだした。
「開けて下さい。いっしょに来て欲しいのです!岩城さん!誰に
も渡しません!」
障子の音とお松の叫びをこれ以上聞きたく無くて、岩城は耳を手
で塞いだ。
「ここを開けて!岩城さん!」
もう人間ではないお松に説得など無理だったのだ。
お松の黒い欲望を感じて、身体中に冷たいものがはしる。
と、いきなり音が止んだ。
「?」
岩城は不思議に思ったが、無気味な気配も消えている。
諦めたのだろうか?
いや、夜明けまではまだ間がある。
もしかしたら香藤が近くに?
そう考えて、一瞬腰を浮かせた岩城だったが、外に出てこさせる
ようにする為の策かもしれないと思いたち、確実に香藤が帰った
と分かるまで動かない事にした。

「本当に、十両くれるんだろうな?」
「はい、これが証拠です」
お松は遊び人の男に小判を十枚見せた。もちろんまやかしであるが、
お松の術にかかっている男は気がつかない。
「よし、分った。そこの家の戸を開ければいいんだな」
お松は頷いた。
「そんな簡単な事で大金もらえるなんて夢みたいだぜ」
男の後ろでお松が顔を歪ませて笑っていた。
清水屋の閂がおりている筈の勝手口が開き、男とお松は離れに近
付いた。
「よし、ここだな」
男が離れの戸をいきおいよく開けると、貼っていた札が破れて宙
に舞う。
「これでいい………」
男がお松を振り返ると、そこに立っていたのは半分腐った女の
屍骸であった。
「ひいい!」
男は悲鳴をあげて腰をぬかして地面に転がった。逃げようと足を
ばたつかせるが、一寸も進んでいない。
「岩城さん!」
お松は歓喜の叫びをあげて中に入っていく。岩城をつれていく為に。
岩城はいきなり物の怪の気配が戻ってきたのに驚いた。同時に見知
らぬ男の声も聞こえて何がなんだか分からなかったが、戸の開く音
と男の悲鳴が聞こえ、一気にどす黒い気が流れ込んできたのを感じ
て理解した。
まさか、人間に開けさせるとは………!
「岩城さん!」
お松の声が聞こえる。あの時よりも更に捻れた醜悪な気を含んだ
ものとなっていた。
目の前に物の怪が現れたのを感じる。
「ぐっ!」
腐った肉と血の匂いがして、岩城は口を塞いだ。初めて目の見え
ない事に感謝する。
「岩城さん、やっと会えました」
お松は前にいたが、岩城の懐にあるお札を恐れてそれ以上近寄っ
てこれなかった。岩城の回りをぐるぐると回りだす。
「岩城さん、それ身から取って下さい」
お松の歪んだ声が耳に響く。人間の歪んだ欲望の固まりと恐ろし
い程の寒さを感じる。岩城は苦しくて頭がぐらぐらした。
「早く、取って下さいな」
お松の言いなりになってしまいそうになる自分を必死に押しとど
める。
『厭だ、俺はいきたくない!香藤のいないところなど!』
菊池の屋敷で炎に囲まれた時の事を思い出す。
あの時、香藤といっしょであれば何も怖くなかった。どんな所で
あろうとも。
「お松さん、帰りなさい」
「岩城さん………」
「あなたのいるべき所はここではない!いるべき場所にかえり
なさい!」
岩城の凛とした態度に一瞬お松が怯んだ時
「岩城さん!」
香藤の声がして、家の中に入ってくる足音が聞こえた。
「香藤!」
岩城は喜びのあまり輝かせた瞳を開く。
居間に飛び込み岩城の側に駆け寄って強く抱き締めた。
「岩城さん!良かった無事で………」
「香藤………」
香藤に抱き締められ、岩城の冷たくなった体温が戻ってくる。
「う……」
お松は苦しそうに二人から離れた。香藤から発する気に近付き
たくないらしい。
「こいつが………」
香藤は驚愕してお松を見た。そこに半分腐った死体があるが、
足が消えている。実体ではないのだ。
香藤は牛王の太刀を抜いた。
迷宮からもこれによって抜け出す事が出来たのだ。
牛王の太刀を抜き、構えて香藤は目を瞑ったまま歩いた。神剣の
白い気の流れる方向に歩を進め、ようやく元の道に出たが、迷宮
と現実との時間の流れ方が違うらしく、その時はどっぷりと夜に
なっていたのである。
急いで駆け付け、ここに今いるのだった。
神剣を恐れてお松はさらに後ずさる。
『女は切りたくないが………』
香藤は太刀を構えてお松の前に立つ。
もう彼女は人間では無い。岩城の為なら香藤は自分が非情になれ
ると自覚していた。
「さらばだ……」
香藤の剣がお松を切り、彼女の影は悲鳴とともにまっぷたつにな
った。が、すぐに元に戻ってしまった。
「ばかな!」
香藤は踏み込み、再度、お松を切るが同じであった。
崩れるのは一瞬だけで、すぐに戻ってしまう。
「なぜだ!」
「岩城さん、この人がいるから、あなたは私ときてくださらない
のですね?」
「……お松さん………」
岩城は心臓が締め付けられるような恐怖を感じた。
「この人さえいなければ………」
「止めてくれ、お松さん!」
悲鳴のような声をあげ、岩城は立ち上がった。お松は香藤を殺
す気だ!
「香藤!」
「大丈夫だよ岩城さん、俺に後ろに来て!」
「ああ」
岩城は香藤の後ろに立ち、着物を握りしめた。
なぜだ、なぜ消滅しない?
香藤は太刀をお松に向けたまま考える。
神剣が俺では扱えないのか?
いや、では迷宮から抜け出す時にすでに出来なかった筈。
お松のこの影が実体ではないのか?墓にある遺体か?
違う、これ程の邪気は元になるものがここにあるからこその力
だろう。
その時、香藤の後ろで風鈴の鳴る音がした。
振り返ると神棚の奥にあった筈の木箱が手前に出て来ている。
お松が岩城に贈った風鈴………
それか!
「やめろ!」
香藤が気付いた事を察したお松は香藤に飛びかかった。
「闇のものは闇にかえれ!」
香藤は神剣を横に流し、木箱ごとたたき切った。
中にあった風鈴も二つに切られ、次の瞬間砕け散る。
同時にお松の悲痛な悲鳴が聞こえて、すごい風が巻き起こった。
「岩城さん!」
「香藤!」
家の中にすべてのものが舞い上がる中、二人は抱き締めあって
座り込んだ。香藤は岩城を庇うように上にかぶさる。
離れの外の空にむかって突風とともにお松が吸い込まれていく。
そして、風が止み、静寂が訪れた。虫の音が聞こえ始めて、二人
はようやく顔を上げる。
「岩城さん……」
「……香藤……」
顔を覗き込むと岩城の濡れた黒い瞳が目に入る。いつ見ても美しい。
「怪我はない?」
「…あ、ああ、香藤、お前は?」
「大丈夫だよ」
「……お松さんは………」
「いるべきところに帰ったよ」
「……そうか………」
岩城はふっと力を抜き、香藤に抱き着いた。
「香藤………」
「岩城さん…ごめんね、遅くなっちゃって。まやかしにあっちゃ
てさ」
首を振りながら岩城は
「きっと来てくれると思っていた……」
「岩城さん………」
香藤は岩城を抱き締め、そっと口付けたのだった。

*************************

その日は離れがめちゃくちゃになってしまったので、清水屋の母屋
で一部屋借りて眠ることにした。
布団は二つ用意されたが、岩城と香藤は一つの布団に抱き合って眠っ
た。
ただ抱き合うだけだったが、耳に聞こえる香藤の心音が岩城をほっと
させた。
「……あの時さ………」
「……ん………?」
布団の中で香藤が小声で話し掛けてきた。
「奥の方に置いてあった風鈴が前に出てたんだ。あれは岩城さんの
お父さんとお母さんがやったんじゃないかな?」
「え?」
「それに、その前に知らせるように風鈴が鳴ったし。きっと岩城さん
を守る為に俺に教えてくれたのかなって」
「………そうかもな………」
父と母が守ってくれた。岩城は胸が熱くなった。
「離れ、壊れちゃったね………」
「ああ………」
障子や襖は外に投げ飛ばされ、壁や柱にもいくつか傷がついたし、
岩城の琴も修繕にださねばならない程壊れた。しかし、命が助かっ
たのだから良しとしよう。
離れの修理代はもちろんもつ気だ。
お松を思い出して、落ち着いたら墓参りに行こうと考えた岩城は、
ずっと不安に思っていた事を口にした。
「……俺もああなるのかな………」
「何?」
「お松みたいになるのかな………」
自分が先に逝ってしまったら………
香藤を迎えにくるのだろうか………
「ならないよ。だって岩城さんのいないところに俺はいないし、岩
城さんのいるところが俺のいるところだもん」
「………香藤………」
「岩城さんといっしょなら怖いことは何もないよ」
そうだ、自分も香藤といる限り、何も怖くなかった。お松の時も、
炎の時も水にもぐる時も。
怖いのは香藤にもう会えなくなるという事だ。
「そうだな………」
岩城は香藤の腕の中でさらに身を寄せる。
「でさ、この先の事なんだけど、すぐじゃなくていいんだけど、
どこかに家建てて、いっしょに住まない?」
「え………」
「ずっと、岩城さんといっしょにいたいんだ。この命ある限り……」
「香藤………」
この離れに住んでいるのであれば、表面上は同居人によそおう事
が出来る。
しかし、二人で家を建て、いっしょに住むとなれば自分達の関係を
察する者がいるだろう。
少し前ならそんな恥ずかしい事出来なかった。でも………
自分は香藤を愛している。
堂々と誰にはばかる事なく言える事実だった。
香藤も自分を愛してくれる。
「………考えておく………」
「ほんと!」
てっきり怒られると思っていた香藤は大声を上げて岩城を見た。
「ばか、大声だすな」
岩城の顔は暗闇でも分かるぐらい真っ赤になっている。
「だってさ〜ほんとに?ほんとにいいの?」
「だから、考えておくって言ってるだろ」
「えへへ、分った〜」
「まったく………」
岩城はため息をついてからやさしく微笑むと香藤の顔に触った。
唇に触れてからそっと自分のそれを重ねる。
目の見えない岩城は、唇の位置を指で確かめてから口付けるが
その仕草が香藤は愛しくてたまらなかった。
「……岩城さん………」
香藤が深く口付け、岩城の身体を愛撫しだした。
「香藤、絶対ダメだぞ」
ここは離れではないのだから、隣には清水屋の者達が眠っている
のだから。
「分ってますよ〜」
香藤にとっては少々忍耐力を必要とされる夜だったが、二人はお互いの
心音を聞きながら、穏やかな眠りについたのだった。